このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

突然相乗りが現われる

  安西から嘉峪関に行くのに、始発のバスが見付からないので、タクシーをチャーターして行くことにした。嘉峪関までは200km位あり、4時間はかかるはずなので、翌日の朝行くことにして、タクシーの値段を交渉し、値切って300元に決まった。
さて翌朝になって若者の運転手が少し遅れてきた。念の為、もう一度値段を確認してタクシーに乗り込んだ瞬間、もう一人の若者が後部座席にさっと乗り込んできた。運転手が言うには一人が一緒に行くことになったと言うのである。何で相乗りになるのだと、私はむっとしたが、ここで言い争いをするのも面倒なので、そのまま出発することにした。運転手は相乗りになった理由や、どのような関係なのか説明しない。しかしこのままタクシーの中で黙って乗っているのもつらいので、二人の関係を聞いてみると、運転手の友達で、好朋友とのことであった。酒泉には用事が有って行くと言っていた。

  そのうちその相乗り客は、ただで乗せてもらっているだけではまずいと思ったのか、私が多少は中国語が解ると分かったせいか、いろいろと話かけてきた。しかしその中国語は方言であるので、極めて分かりづらいのである。もともと私の方もそんなに中国語が解る方ではないが、この方言は中国人が聞いても、解りづらいのではないかと思う。
しかし不思議なもので何回か言い換えたり、繰り返したりしていると結構解るのである。その若者は、少しは共通語を意識して話したのかもしれない。この地方の本物の方言では一言一句も理解できなかったことがあるが、彼の言葉はそれよりましだったようである。

  私が聞き取れないと言っても、めげずに熱心に話しかけてくる。例によって給料は幾らかとか、奥さんはいるのか、仕事は何かと聞かれた。中国人はプライバシーに関することを直裁に聞いてくるのである。退職したと言うと、生活はどうしているのか、それならば年金はいくらかと聞いて来る。それだけではなく日本人である私の喜びそうなも言うのである。昔は日本が中国に学んでいたが、今は中国が日本の経済のことを学んでいると、気の利いたことも言っていた。私が解らないと手帳に書いてくれたりする。

  途中の玉門鎮と言うところで一緒に食事をした。食事の費用は何となく私が持つことになった。勿論彼らに払わせるつもりは無かったが、日本ならば、相乗りさせてもらったから食事代は自分が払うと言う、費用の負担は平等といった考え方があるかと思うが、中国では違うようである。
私が年上であるからか、私が彼らより明らかに金持ちであることからか、極めて自然に私が払うことになった。

  ゴビ灘の一直線の道を突っ走り、嘉峪関に着いた。嘉峪関では安いホテルがあるというので、彼らの勧めるままにそのホテルにチェックインした。値段は80元でとても安かった。そのクラスは値段にふさわしい程度とも言っていいが、特に問題は無かった。若者達は4階の部屋まで荷物を運び上げてくれた。そこでさようならを言って別れた。

  相乗りが表れた時はむっとしたけれども、タクシーに乗っての4、5時間の旅は結構面白かった。途中で人間の骸骨で作った杯や、人間の皮で作った太鼓などの博物館を案内してくれた。そこから 城の遺跡 が砂嵐の中に霞んで見えた。そこを見たのも彼らのお蔭である。

  しかしこの様にチャーターしたタクシーに便乗して来る相乗りは、中国のこの広大な地方では、よくあることのようである。その後も同じような無料相乗りには何回か遭遇した。

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