このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

段々畑

  西安から飛行機で北京に戻った。飛行機の窓から下を見ると、 本物の黄土高原 が見えた。前にも書いたように、本物の黄土高原とは私が勝手に決めた言葉であって、本物の中国人に通じる言葉なのかどうかは分からない。とにかく眼下には侵食された黄土高原が広がっていた。平らな黄土の大地を、深い谷が垂直に近く侵食していて、台地状の平らな部分に家と畑が見えるのである。その高台の平らな部分は侵食によって次第にやせ細って行くようであった。

  飛行機から見えた黄土高原は、四月の下旬であるのに緑が全く見えない。実際は人が住んでいるのであるから、小麦が芽生えているのであろうが、日本のような多雨の地帯からは想像も出来ない乾いた土地のようである。きっと地上では黄色い埃が舞っているのだろう。

  甘肅省の蘭州から天水、天水から宝鶏までは汽車に乗って移動したがやはり乾いた風景であった。汽車は両側に山が見えるところを走った。木がとても少ない。どう見てもこのままでは土が侵食されて流されてしまいそうである。そこの山の斜面に沢山の木が植えられていた。しかし植林された木は未だ細いままであって、この様な乾いた土地で果たして大きく育ち、土地の流出を止められる様になるのだかと心配になってしまう。


  そして少しでも傾斜のゆるい耕作可能な斜面は、山の上まで耕されていて 段々畑 になっていた。それはそこに人間が住む以上、そうする以外に方法は無いことを主張しているように、人間の営みの凄さが感じれられた。確かに食べ物を作らなければ活きては行けないのだが、この高い山の段々畑まで毎日登って行って耕すのだろうか、水はどうするのだろうと、考えないわけにはいかない光景があった。ここにも大昔は木が生えていたに違いない。天まで耕し尽くしている光景は、環境破壊でもある。畑の部分だけは小麦らしいものが大分伸びていて、緑色に覆われていが、他は木が一本も生えていない乾いた土の色の山だった。

   この辺りの農家の家 は、山の麓にあって、飛行機から見た黄土高原の平らな天辺にある農家とは違っていた。車窓から見える農家の庭は、結構清潔にされていて、家の周りには木が植えられていた。その辺りの木はどこでも桐の木が沢山植えられていていて、ちょうど桐の木の花の盛りであった。未だ木の葉が茂っていないので、農家のたたずまいが良く見えた。真面目な農民の住まいという感じがした。でもやはり土地は乾いていて土埃は多そうであった。


  ところで話しが突然変わるのであるが、中国の都市の市民は、結構農民を馬鹿にしている人が多い。これは本当の話しである。中国では身分の差が日本よりずっと多いのではないかと思う。都市戸籍、農村戸籍とがあって、その戸籍を替えるのは極めて難しく、それが身分の差になるのかもしれないが、収入の差も圧倒的なものであるらしい。

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