このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

モソ人の女性ガイド

  ルーグー湖の湖畔にある女人国に行こうと考えた。寧浪まで着いたがその先の行き方が分からない。そこで旅行社に行ってガイドを頼もうと考えて、女人国旅行社というところに行ってみた。綺麗な若い女性が二人いて、そのうちの一人がガイドは出来ないが行き方を教えてくれると言う。その女性が翌朝迎えに来てくれて、バスに乗せてもらい、バスがホテルの前で泊まるように手配してくれ、 神秘的な湖 の辺にある女人国に無事つくことが出来た。

  その女性ガイドが、後からバス旅行の団体を案内して来て分かったのであるが、その女性ガイドはモソ人で、モソ人の自分の家族が経営しているホテルに、私を送り込んでくれたのである。モソ人とはルーグー湖のあたりに住んでいて、女系家族制度を未だに残している少数民族であった。このモソ人こそが女人国の主なのである。

  このモソ人ガイドにはすっかりお世話になり、モソ人の風俗習慣についての話を聞くことが出来て、おまけに帰りには長沙からの団体バスににもぐり込ませてもらい、タダで麗江まで帰りつくことが出来た。これも親切なモソ人のガイドのお蔭であった。

  このモソ人ガイドに結婚したらどうするのかと聞いたところ、以前からの習慣を守ってずっと親と一緒にいたいと言っていた。つまり妻問い婚である。ここのホテルは木造建築の三階建てであった。中国で木造建築を見ると何か懐かしいような感じがするが、漢族の建物は殆どがレンガで、木造の建物は少ない。つまり木造は少数民族のものと言った感じがした。そのホテルには古くからの住居も付属していて、そこには囲炉裏もあった。囲炉裏の火はずっと絶やさないとのことであったが、その囲炉裏の上の棚は何に使うかという質問になったとき、魚や肉の乾燥に使うのだろうと答えられたのは私だけだった。何故分かるのかと不思議がられたが、日本の農村の囲炉裏を思い出せば、この答えは日本人にとって簡単であった。薄暗い囲炉裏や木造家屋などは何となく日本の農家の部屋に似ている。

  そう言えば、司馬遼太郎氏も『街道を行く』のシリーズの中の『中国・蜀と雲南のみち』の中に、雲南省の少数民族の妻問い婚のことを書いていた。この習慣は日本の古い時代には在ったが、中国や韓国には無いとのことである。やはりこの辺りの少数民族と日本人とは何か共通するところが在るのだろう。
 
  ところでモソ人とは中国政府から56の少数民族の一つとして認められていないらしい。モソ族と言わずにモソ人と書かれているのはその為なのではないかと思う。56に民族の一つでないとすると、中国政府がよく政治的宣伝(少数民族が仲良く暮らしているという宣伝)として行う、民族の祭典などには出られないのではないだろうか。
それだけに人に知られず、特殊な習慣が残っているということなのかもしれない。

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