このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

シャングリラの謂われ

  最初は中甸に行くつもりであった。中甸に行くのに、旅行社に相談したところ、日本語の巧い社員に中甸には行かない方がよいと言われた。理由は道が悪いこと、今は雨季であることであった。旅行社であるのに、旅行しない方がよいなんて言うのは何てやつだと思った。第一その旅行社では中甸行きの旅行を主催しているのである。どうも私が中国人のツアーの中に混じって行きたいと誤解したのかもしれない。

  それで中甸までバスで一人で行ったのであるが、そこに行くまでそこがシャングリラだとは気が付かなかった。旅行のバイブルである愛用のガイドブックにも、そこがシャングリラとは書いてなかった。そこに行く気になったのは、ルーグー湖で出会った昆明の医療検査技師の女性から、大草原とヤクと雪山が見えるとてもきれいな所へ行ってきた、と話を聞きそこが中甸という所だと聞いたからである。是非見に行くべきところだと勧められたが、そこがジャングリラだとは言わなかった。それで急に計画を変更して中甸に行くことにした。行ってみたらその街の大通りに、シャングリラと書かれた横断幕が掛かっていた。チャターしたタクシーの運転手に聞いても、ここがシャングリラとは知っていたが、何時からここがシャングリラになったのかは知らないと言っていた。

  元々シャングリラと言うホテルの名前は中国には多いのである。だから中国に関係ある名前らしかったが、シャングリラがどここであるかは特定されていなかったはずである。シャングリラへは麗江からバスで行ったのだが、麗江の大通りがシャングリラ大通りと名前が変わっていた。ガイドブックでは古い名前のままであった。どうも中甸という所がシャングリラになったのは最近のことらしい。

  後になって分かったことのだが、そもそもシャングリラと言う名前が出来たのはかなり昔の話で、それも小説の中の架空の地名であった。
実は旅行会社のパンフレットに書かれていたのを見つけたのだが、『チップス先生さようなら』で知られる英国の作家ジェームス・ヒルトンが、1933年に発表したユートピア小説、『失われた地平線』に出てくる地名とのことである。この小説はチベットの山懐に抱かれた楽園・シャングリラに、慎ましやかに、かつ長寿を謳歌する人々の姿が描かれているという。シャングリラという言葉の神秘的な響きと相俟って多くの人を魅了したと解説してあった。

  そこに目を付けた中国の雲南省政府が、中甸の辺りの地名が、吉祥を表すお目出度い名前だという研究発表をして、そこがシャングリラであると言い出したらしい。最近の1997年のことだとか。中甸はチベット族が多く住むところであるが、チベットではない。こういったことは先に宣言した方が勝ちである。雲南省政府も観光の為とは言え、なかなかやるものである。どうりでシャングリラに行くまでそこがシャングリラと分からなかったわけである。中甸は3,276mの高地であった。

  それしてもシャングリラとは、どこに在るのかが分からない理想郷を言うのであるから、ここが理想郷と言ってしまっては嘘っぽくなるのではないだろうか。そもそも政治的ユートピアを現実に求めた場合、どんな恐るべき結果になったかの例が、以前の中国にあったのではないかと思う。

  中甸が本物の理想郷とまでは言えないが、中甸には昆明の女性が言った通り、大草原、ヤク、雪山の三点セットが見えて、牧歌的で綺麗な風景が見えた。都会の中国人にとって、この 大草原、ヤク、雪山 と言う言葉は、なかなかロマンチックな響きがある言葉なのだろう。私にもこの三つの単語は耳に残った。


  その他にもここには綺麗なところはたくさんある。お花畑だとか、高山のつつじもきれいであった。ラマ教の大きなお寺もあり、生き仏の一人もここにいるのだとか。 チベット族の民家 もすばらしかった。柱に凄く太い木を使っていた。あれだけの太い木を切ってしまっても良いのかと心配になる位の太い木であった。80kも奥に行くと、白水台という所があり、石灰を含む水によって出来た、丸い階段状の池があって、奇観とも言える風景であった。

  小雨は降ったが、中甸までの道は大部分が舗装されていて良い道であった。麗江の旅行社の社員が言ったような心配は全く無かった。

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