このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

中甸から大理まで

  中甸からは9時のバスに乗った。大理までは豪華バスで直通である。値段も80元でかなり高い。しかし今考えると、この値段は手帳に書いてあったが、なんだか高すぎるような気もする。とにかく中甸に来たときのバスとかなり状況が違う。途中で止まらないので少数民族らしい人などが乗リ込んでこない。ローカルバスであると、途中から様々な衣装の人が乗り込んでくる。途中から乗り込んで、途中で降りるのであるから、値段がはっきりしていないらしい。わずか1元、2元の値段で高いとか安いとか言っていた。この人達には今日のバス代80元などはとても払えそうにない金額である。途中から乗り込む人は、何だかチョットおどおどしたような、バスにも乗り慣れていないような人もいた。運転手の中には少数民族の人に対しては、本当に金を持っているのだろうかと疑って見ているような人もいた。途中から乗り込んでくる人の服装は、総じて貧しそうであった。

  バスは虎跳峡の入り口近くを、再び通った。その峡谷の遥か高い所に玉龍雪山が聳えていた。峡谷とその山の頂上とは3,000m位の標高差があるかも知れない。この光景を一枚の写真に収められたら、きっと良い写真が撮れたに違いないが、いかんせんバスに乗っていてはどうしようもなかった。

  大理までは6、7時間はかかると予想されたので、水と食べ物を買って持ち込んだ。しかし麗江を通りすぎた頃、1時過ぎになって、食堂に入ることになった。始めから食事付きのバスであったのかもしれない。だから値段が高かったのだろう。乗る前に聞いておけばよかったのだが、予想出来ないことなので、食事が付いているのかとは質問しなかった。本当は、気になるトイレ休憩の場所や時間も知っていた方がよかったのだけれど、これも聞かなかった。やはり言葉の問題があると、質問も消極的になる。
  
  バスの中では、昆明のエレベーター会社の人と一緒になった。この人は普通の普通語を喋ったので、話していることが良くわかる。話し方も態度も中国のエリートといった感じで、中国にはこのような態度を取る人がいるようである。どのような態度とは具体的には言い難いが、決して態度がデカイというのではないのであるが、エリートであることが、何となく分かるような人である。そう言った人の多くは普通語を話す。現在の中国では能力が有る人は、積極的に会社を作るとも言っていた。

  大理といわれる所は二箇所あり、古くからの王城があった街と、新しく出来た街である。私が古い方の街に行きたいと言うと、近くの席の人が行き方を教えてくれた。直接には大理の街までは行かないが、馬車が待っている場所があると言う。そこで降りて、馬車に乗れば行けると教えてくれた。その場所でバスは止まり、私を下ろしてくれた。そこに確かに二輪馬車が待っていた。二輪であるせいか結構揺れた。馬車は市内の中心部までは行けないらしく、ホテルの手前で降ろされた。


  目的のホテルが分からないので、地図を見ていたら客引きが現れて、安いホテルがあると言う。ついて行ったホテルは、バックパッカーが沢山いて面白そうな所だった。しかしバスが無いということなので、そこは止めにした。そうしたら客引きが別のホテルがあるから行こうという。次のホテルは星月ホテルという名前であって、安くてバスが付いているのでそこに決めた。後には回教の寺院があった。ホテルの名前の星と月は、回教のシンボルではないだろうか。それでそのホテルは回教系のホテルだったのかもしれない。

  そのホテルに三泊したが、お客は私のほかに殆どいない様であった。一日1400円で、バスも付いている、ツインの部屋であるからかなり割安のホテルであった。
フロントには高校を卒業したばかりのような、素朴な感じの女性が、朝から夜遅くまで座っていた。一体一日何時間働くのか聞いたところ、一日中、しかも毎日との事であった。泊まり込みで働いているらしい。それは大変だねと言うと、もっと愛想が良くなった。苛酷な労働条件とは言えないが、このような長時間の労働というのが中国にはあるらしい。同じ中国といっても様々な点で、大都会とは違うようである。

  北京の730元のホテルでは、キリリとした感じのフロントの女性がいて、そこへ三回目に泊まったとき、その女性は私の娘の名前まで覚えてしまっていた。こういう所の職場では交代制であるし、英語もキチンと話せる。給料の差も、もしかしたら10倍はあるのかもしれない。中国では様々な点で、非常な格差が有るらしい。

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