このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




2001 冬の沖縄・男二人旅(その3)

(その1)へ (その2)へ (その4)へ

2002.3.8更新

TOPページへ戻る

「旅日記」TOPへ戻る

かりゆしビーチリゾート恩納
(ホテルの朝)
(その3)
【12月16日(日)】
今朝もホテルのプール横でバイキングの朝食。
朝日がホテルの壁を照らし始める。今日も良い天気になりそうだ。いやおうなしに気分が盛り上がる。
2日間のリゾートホテル滞在は文句なしに良かった。
なんだか癖になりそう。でも正規料金ではまず泊るこはないだろう。

チェックアウトを済ませ、8:50ホテルを出発。
今日は那覇に戻り、沖縄滞在中の旅友達Mさんを誘って本島南部をドライブする予定だ。
10:00那覇市内の駐車場に車を止めて、「市場通り」へ向かった。

市場通りのお土産屋さんで、「ちゅらさん」のえりぃが使っていたエプロンを見つけ、迷わず買った。もちろん自分用である。

市場本通りにある「クイックリー」というお店でジュースを飲みながらMさんを待った。
約3年振りの再会に心臓はドキドキしていた。
しばらくしてMさんが現れた。

久々の再会であったが、3人すぐに打解けて話が弾む。
Mさんの泊っている「ドミトリー」という宿を少し案内してもらった。
この次に来た時は泊ってみようかな?
駐車場に戻り、いよいよドライブに出発!
それにしても今日は暖かい、というより暑いくらい。
今日の運転は私。助手席は誰が座るのか?と思ったが、Y君が気を効かせてくれてMさんが座ることになった。

渋滞にハマるので通ってはいけないと聞いていた「国際通り」につい出てしまった。
しかし日曜日の午前中だったためか、それほど渋滞はしていなかった。ホッ。
しかしバスターミナルの公差点で、何を思ったのか反対車線を走ってしまい、冷や汗をかいた。
バスの運転手さんが教えてくれた。焦ったぁ...。

本島最北端に行ったのだから、当然、最南端にも行きたくなっていた。まずは「ひめゆりの塔」に行く事に決まった。

国道331号線を南下。Mさんの沖縄体験記など聞きながら糸満市内に入った。
13:00「ひめゆりの塔」到着。


「ひめゆり平和記念資料館」では、忘れてはならない悲惨な沖縄戦について知る事が出来る。

沖縄というとつい観光ばかり目が行きがちだったが、第二次世界大戦において、日本で唯一の地上戦が行われた地でもあることを忘れないでおこう。
この沖縄戦で20万人の犠牲者が出たという。
日本の「捨て石」として行われた沖縄戦の悲惨さを知り、かなりショックを受けた。
しかし、ここを訪れて良かったと思う。

本島最南端の喜屋武岬(きゃんみさき)は、沖縄戦で逃げ場を失った人々が身を投げた場所と聞いて、楽しんで行く所ではないと感じ、今回はパスした。
15:00少し遅めの昼食を取る事にした。
Mさんの友達が働いているという知念村にあるレストランに行く事になった。
少し迷ったが、知念城跡に向かう急坂を登ったところにそのレストランはあった。

小高い場所にあるその店の庭からみる青い海、青い空。
絵葉書か映画に出てきそうな風景だ。
「このまま時間よ止まってくれ〜!」と思った。
沖縄料理&琉球舞踊の店「四つ竹」
(国際通り「四つ竹」)
夕方、那覇市内に戻り、今夜の宿「ホテルチュラ琉球」でチェックインを済まし、街へ繰り出した。

夜になってますます国際通りは賑やかになっていた。
夕食の予約時間までちょっとあるので「ぶくぶくコーヒー」というちょっと変わったコーヒーが飲める喫茶店で時間を潰す。

夕食は、国際通りにある琉球舞踊を見ながら沖縄料理が食べられる「四つ竹」へ。(これもフリープラン料金に含まれている)

2泊した「かりゆしビーチリゾート」でも琉球舞踊を2回見ているので、同じ演目が始まると「あの踊りだ〜」とすぐわかった。
しかし、正直なところ「かりゆし」の方が踊りは上手に思えた。

料理の量は多くはなかったが、沖縄料理が食べれた事に満足した。
民謡酒場「三原」で唄うMさん
(民謡酒場「三原」)
一旦、Mさんの宿に戻り、Mさん行きつけの民謡酒場「三原」へ行く事になった。
国際通りからはちょっと離れた場所にあるので、あまり観光客は来ないだろう。

私とY君は民謡酒場、初体験。ちょっとドキドキ、ワクワク。
店にはステージがあり、三線の生演奏で唄うことが出来る。
21:00を過ぎていたが、お客さんはまだ少しだけ。
三線おじさんに促されて、Mさんと一緒に「十九の春」を唄った。


こうして沖縄の旅、最後の夜は更けていった。
Mさん、一日付き合ってくれてありがとう。お疲れ様でした。

(その1)へ (その2)へ (その4)へ

TOPページへ戻る

「旅日記」TOPへ戻る

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください