このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

     
1942(昭和17)年に国鉄関門トンネルが開通する前、国鉄は大里(だいり)に駅を設けていた。現在の関門トンネルの入口付近であり、この大里の電停が最寄であったと思われる。大里と次の大里東口の電停の砂津方面乗り場には屋根とベンチが設けられていた。このあたりから棧橋通までは道路の幅員が狭くなるところがあり、歩道と軌道の距離が他と比べて近い電停が増えてくる。
627 大里615 58? 大里(ブレてます!)
大里のそばに「鉄道公論社」と掲げられた趣きのある建物が見える。筆者には知識がないが、九州の鉄道関係の書物を出版しているところだったらしい。現存しているかは分からない。
67 大里144 大里〜大里東口間
左写真は廃止直前頃の大里の電停(1985年)。門司方面の安全地帯の駅名票が撤去されており、敷石も剥がされアスファルトで軌道が覆われている。
637 大里〜大里東口間570 大里東口(門司方面) 
大里東口の電停。門司方面は安全地帯はないが、砂津方面には、屋根が設けられていた。電停の待合室を併設する建物は西鉄関係の所有だったのか、地元の人からの貸与なのかは分からない。
570 大里東口(砂津方面)566 市立門司病院〜大里東口間 
電車の背後にそびえる水色の高いアパートにはかつてユニードが営業していた。その後、ダイエーに変わったが最近の地図を見るとまた別の名前に変わっているようである。ユニード、寿屋などかつての地場資本のスーパーの名称も今はもう記憶の片隅に残されているだけとなった。
     

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