このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

     
 尾倉、春の町電停からは皿倉山がよく見える。工業地帯でありながら比較的自然にも恵まれている八幡の町の特徴をよく表しているところでもある。作者は昭和49年から51年夏まで、春の町から山側の天神町に住んでいたことがあり、おぼろげながらも当時の記憶も思い出してみたい。
 
74 尾倉1022 尾倉
尾倉電停は八幡の町を見下ろせる皿倉山登山の最寄りの電停であるが、登山で下車する人をあまり見た記憶はない。寧ろ、八幡駅前から1日2〜3本しかないバスで帆柱ケーブル駅にアクセスするイメージが強かった。1991年頃、北九州ユースホステルに宿泊したときに聞いた話では、昔はバスが15分間隔での運行されていたそうで、時代の移り変わりをしみじみと感じたものであった。西鉄のサイトで確認したところ、今も帆柱ケーブル駅に行くバス路線は残っているが、日祝日のみ2往復の運行状況である。
627 尾倉621 尾倉〜春の町間
1019 春の町630 春の町
春の町電停は八幡の山沿いを走る北九州道路(現在の都市高速道路)大谷インターと国道3号線を結ぶ道路との交差点にあり交通量も多かった。当時の春の町は生鮮市場をはじめ、書店や映画館があり、一通りの買い物が出来た。八幡製鉄所の歴史的モニュメント・東田高炉跡が見下ろすこのあたりから次の中央町までは、山手通沿いを中心に製鉄病院をはじめ、大谷球場、社宅など製鉄関係の福利施設が集中しており、製鉄所主催の起業祭はここから中央町まで出店が軒を連ねるところでもあった。

623 春の町1030 春の町〜中央町間(製鉄病院東口付近)
左の写真の架線には次の中央町からの整理券番号が掲げられている。21番が戸畑方面、12番が荒生田方面の番号である。併走する西鉄バスは春の町と中央町の間に製鉄病院西口、製鉄病院東口とこまめに止まる。
578 春の町〜中央町間(八幡郵便局前)
昭和50年頃は、町内の子供会で電車を貸し切り、最寄の電停から到津遊園まで遠足に出かける光景をよく目にしたものである。ロングシートの限られた席数では子供全員の着席は到底できない。ほとんどは電車の床に座り込んで、ただ目的地到着を待つのであった。私の脳裏にも出入口付近に座り込んでいた記憶がある。
     

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