このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

     
砂津には車庫のほかに工場設備も備えていた。構内をさらに奥に進むことにする。奥の電留線には朝夕しか稼動しない連接車が休んでいる。普段黒崎車庫しか見ていない私には活躍の場が少ない連接車がまだこれだけ在籍していたとは・・・・と意外な印象を持ったことを記憶している。
1016ほか 砂津車庫1051・1032 砂津車庫
本来、各車両には所属先(黒崎、到津、砂津)があったのもしれないが、砂津構内の詰所には各車両のブレーキハンドル掛けが全車両分あり、やはり砂津は統括拠点と思われた。何回か訪問したうちに、車庫の方から筑豊電鉄の3両連接車の種車となった1043のブレーキハンドルや600型用の前面用方向幕、危険物持込禁止のプレートなどを戴いたこともある。今でも宝物として大切に保管していると言いたいところだが、実家の転居以降、行方不明となっている。
1051車内 砂津車庫618・611 砂津工場
1051の車内。2000年5月に楠橋車庫で撮影した1020と殆ど変わっていない。
621 砂津工場621 砂津工場
車庫の一番奥にぽつんと見なれない黄緑色の電車を見かけた。どうやらいとうづゆうえんの広告塗装中の車両であった。後にこれは621と判明(室町、戸畑のページでその塗装車を掲載)。ここは塗装工事のほか、車両の鋼体化などの車体更新工事などが行なわれるいわば電車の手術室のような場所である。その後、92年の黒崎駅前〜砂津間の廃止で工場機能は黒崎車庫に移されたが、折尾線廃止後はどうなったのかは分からない。また、最後の砦となった折尾線のさよなら電車となったのは奇しくもこの621であった。
     

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