このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

     
砂津を出た電車は少しばかり寄り道をする。線路は道路の右に寄って専用軌道となり、道路を見下ろせるほどの盛土を登り、鉄橋を渡る。次の上富野1丁目までの間にはかつて旧国鉄日田線が走っていた。その線路との立体交差のために設けられたのが、この富野の跨線橋である。
砂津から陸橋(上富野方面)を望む鉄橋を越える615
車は踏切、電車はまたごすという図式は、金田陸橋が出来るまでの下到津〜金田間にも存在した。だが、幹線の日豊本線に幹線道路の踏切は陸橋の建設を促したようで、その後、現金田陸橋では中央に軌道が敷設される併用橋となった。一方、こちらの旧日田線は現JR日田彦山線の前身にあたる。
562 砂津〜上富野1丁目間571 砂津〜上富野1丁目間
ところで、昭和35年まで、日田線の始発駅は東小倉駅であった。当時この駅が鹿児島線と接続していなかったため、小倉駅で降りた乗客は東小倉駅まで西鉄電車などで富野(上富野1丁目)まで出向いて乗り換えないといけなかった。小倉から城野への新線が出来た昭和35年(1960年)、こちらの線路は廃線となった。なお、鉄橋はもう1セットあり、こちらは小倉裏線と呼ばれる線路をまたごしていた。本格的な自動車社会到来前の鉄路の廃止は、逆に金田のように陸橋建設まで至らなかったものと思われる。
139 砂津〜上富野1丁目631 砂津〜上富野1丁目
現在、この鉄橋や盛土などは残存せず、かなり変貌していると聞いている。写真奥に見える高架橋は新関門トンネルから出てきた山陽新幹線である。
610 砂津〜上富野1丁目間627 上富野1丁目
しばしの専用軌道も束の間。電車は国道3号線に戻ると、海側にたくさんの側線を抱えるかつての東小倉駅構内が見えた。現存するか不明だが、旅客を扱っていた当時の東小倉駅への石段が国道から線路方向に残っているらしい。筆者は未確認のままである。
577 上富野3丁目607 上富野3丁目
海側の鉄道施設を見ながらさらに進むと上富野3丁目に着く。電停付近からはカートレインの乗客のため、それともJR貨物の職員のためか、東小倉駅構内への自動車用の高架橋が延びている。時折見かける車体に付いている黄色い丸印(右写真)は、運賃箱が両替機付の自動運賃箱に換えられた車両を示す。ワンマン車全てが自動運賃箱になると、このマークはなくなっている。
     

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