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漫歩通信
第6号 1998年10月1日発行

常磐線に沿って
常磐線が日本鉄道の手で全通したのは明治31(1898)年8月のこと、今年(98年)は全 通100周年にあたる。今回は常磐線沿線をあちこち訪ねてみた。

上野から約45分、利根川を渡ると取手に到着。河岸段丘の迫ったこの町は水戸街道の宿場町だったところで、駅付近にはデパート、スーパーなどが立ち並んでいる。

古いものが残っていそうもないが、駅から歩いて15分ほどのところ、かつての街道 筋に取手宿本陣染野家が残されている。県指定文化財になっており、毎週週末に公開されている。

水戸徳川家が江戸と水戸の往来で利用したところで、その資料なども展示されてい る。今年のNHK大河ドラマの主人公でもある徳川慶喜が幼少の頃江戸に出る道中に立ち寄った記録が残されている。

今年の3月14日牛久と荒川沖の間に「ひたち野うしく」駅が開業した。かつて、つ くば学園都市で催された科学万博(85年)のとき、最寄駅として臨時駅が設けられたところで、沿線の人口増加により正式な駅開業となったわけだ。

土浦は霞ヶ浦の西岸に位置する。かつて筑波山参詣の足となる筑波鉄道がここから出ていたが廃止されてしまった。水戸街道の城下町である。

駅から歩いて5分くらいのところに塔屋をもつ呉服ミハシがある。もと常陽銀行土浦支店として大正時代に建てられた建物。その隣の商店も看板建築のようだが古い。

城跡のほう に向かってしばらく歩くと古い町並みが残っている界隈があった。土浦まちかど蔵「大徳」「野村」という施設があって、観光物産館、資料展示館などとして利用されている江戸後期から明治初期の商家である。

近くの矢口家は県指定文化財。土浦城の南側、水戸街道が通るこの界隈が、江戸時 代から商業の中心地だったらしい。

駅から少し離れているが、重要文化財に指定されている土浦第一高校旧本館がある。

石岡からは鉾田に向かう鹿島鉄道が出ている。昼間は1両だけのディーゼルカーがのんびり走る。桃浦駅付近は霞ヶ浦のすぐそばを走る鉄道だ。

水戸街道の宿場町で少し古い建物が旧国道筋に残っている。また、看板建築の建物 も数年前と変わらず残っていた。青柳倉庫という会社には煉瓦造りの建物も見られた。

しかし、館野邸はすでになかった。川崎銀行石岡支店として大正3年に建てられた 煉瓦造りの建物だった。

水戸の次は勝田。かつての勝田市は那珂湊市と合併してひたちなか市となっている。勝田からは茨城交通湊線が出ている。ここもディーゼルカーの走る ローカル私鉄だ。那珂湊を経て阿字ヶ浦まで延びている。

勝田の次に「日工前」という駅がある。日立工機の工場の前にある駅で、朝1往復 しか停車しない。(注:98年12月のJR東日本のダイヤ改正に合わせた茨城交通湊線のダイヤ改正により日中は列車が停まるようになった)

勝田から10分あまりで那珂湊に到着。ところどころで那珂湊市と書かれたものも見 られる。駅から南へ 500mほどの小高い丘の上に反射炉がある。幕末徳川斉昭が作らせたもので、現在あるのは昭和12年に復元されたものだ。

那珂湊は東 回り廻船の中継地として栄えたところで、ところどころ古い商家や土蔵が残っている。そのひとつが「ひたちなか市ふるさと懐古館」として資料館に活用されている。

この建物は江戸時代の豪商木内家の倉庫で天保年間にはすでにあったらしい。ここ でも徳川慶喜関係の資料が並べられている。ほんと、茨城県下、どこへ行っても慶喜一色という感じ。いかにNHK大河ドラマの影響力がすごいかということだ。

那珂湊はまた漁業の街でもある。港に行くと「なか湊おさかな市場」という看板を 掲げた海産物市場があって、多くの人で賑わっていた。

那珂湊駅前から鹿島臨海鉄道大洗駅駅行のバスがあったので、それに乗る。市街地 を抜け、那珂川河口にかかる海門橋を渡り、大洗水族館を経て、大洗磯前神社のそばを通り、大洗の町を抜けて約20分で大洗駅前に達する。

鹿島神宮行の列車を待つ間、町を散策。大洗から室蘭・苫小牧市への長距離フェリ ーが出ている。その港のそばに大洗マリンタワーがある。高さ60mの塔である。近くの大洗観光ホテルは和風の建物で、見た感じ戦前からあるように思えた。


こんどは取手が出ている関東鉄道常総線をたどってみよう。この路線は電化されておらずディーゼルカーが走る。電化されてないとはいえ、取手市近郊の沿線は宅地化が進み、水海道までは複線、通勤ラッシュの時間帯には10分間隔で走る路線でもある。

水海道の街の西側には鬼怒川が流 れ、水運と関係深そうな街だ。駅前には大きなビルがなく、賑やかな感じはしないのだが、住宅などは建て込んだ感じで、町は大きそうだ。

駅前通りを進むとぱらぱらと商店が並ぶ商店街。活版印刷と壁に書かれた印刷所が あった。適当に街を歩いていると、蔵造りの商家が残っていたり、煉瓦造りの長田陶器店も見つけた。鬼怒川に近いところに煉瓦造り三階建ての蔵を改造したらしい住居もあった。

街の中心部に戻ると、古い商家がかなり取り払われて更地になったところも広がっ ていたが、そんななかにつくば銀行水海道支店が残っていた。煉瓦タイル貼りの渋い銀行建築だ。

水海道から先は単線で、列車の本数も昼間は一時間に1本くらいしかない。昼間の 時間帯だと、取手からここまで2両編成できて、ここで1両だけの下館行に乗り換えることになる。取手へ行く場合も乗り換える。それだけ、乗降客に差があるわけだ。

しばらく行くと城郭風の建物が見えてくる。石下町の町民センターのような施設。 このあたりは平将門の出身地ということだ。

さらに行くと下妻。『近代建築総覧』には大正11年竣工、ヴォーリズが設計した下妻キリスト教会がリストアップされている。都市地図を見たところ、下妻教会と載っていたのだが、教会はなく、木造の建物があったのでそれがそうだろうと思えた。教会は廃業したのかもしれない。廃屋のような建物だったが、シンプルな建物だ。

元下妻市役所という下妻民俗資料館は資料館の看板を下ろし、公民館か何かのよう に使われているようだ。新しい資料館が砂沼(さぬま)のほうにできたからだろう。これもいたってシンプルな建物である。砂沼の堤には桜が植えられ、この界隈では花見の名所だそうだ。

下館行の列車でさらに行く。のんびりした農村風景。このあたり梨畑が多い。この あたりの開業は大正15年で、騰波ノ江(とばのえ)駅舎や黒子駅舎は、その当時からの建物のようだ。

水戸線が近づいてくると終点下館駅に到着。


建物を訪ねて(4)
牛久駅から歩いて数分のところに牛久シャトーがある。明治36年に建てられた神谷酒造醸造場本館、煉瓦造り2階建ての立派な建物である。煉瓦造りの醸造場は資料館となり公開されている。

ここはレストランなどがある観光施設になっている。現在、合同酒精となっている が、神谷酒造といえば、浅草神谷バーで有名な「電氣ブラン」はここの土産として最適の一品。



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