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漫歩通信
第8号 1999年4月1日発行

能勢街道
上方落語に『池田の猪買い』という噺がある。大阪から池田まで猪肉を買いに行く道筋の説明に「…十三の渡し、三国の渡しをふたつ越える、服部の天神さんを尻目に殺して岡町から池田…」というくだりに出てくるのだが、今回は阪急宝塚線三国駅から能勢街道界隈を歩いてみた。

現在、三国駅の界隈は高架工事中で、宝塚に向かう下り線はすでに高架になっていた。阪急の前身箕面有馬電気軌道が現在の宝塚線・箕面線を開業したのは明治43(1910)年3月のことで、軌道条例によった路面電車だった。能勢街道沿いの集落を繋ぐ道筋に沿って敷設されたためカーブが多く、とくに神崎川を渡る三国駅のそばには半径100mという部分があり、電車の速度も時速30㎞に制限されている。高架になるのにあわせてこの付近のカーブが改良されることになり、最終的には駅も移転する。

大阪方面行の上り線だけが旧来の三国駅を使っているが、線路の下をくぐる地下通路の階段部分に設けられた明かり取りの窓は丸形で昭和初期のものだろう。高架が完成すれば失われる。

三国橋を渡る。かつては渡しだったところだ。駅から池田方面に伸びる道は能勢街道である。少し古い町屋も残っている。

庄内駅の南側に国道 176号線を越える鉄橋がある。歩道部分にかかるコンクリート部分には装飾が施されいる。道路が整備される頃にかけられたものだろう。阪急では梅田−中津間や神戸線の高架など昭和初期に建設されたところにはこういった装飾がよく残っている。

庄内は繁華なところで駅前から西に伸びる狭い商店街は買い物客でごった返している。

菅原道真を祀る服部の天神さんは、道真公が太宰府に左遷される途中、この地に立ち寄って痛む足を療養したと伝えられる。

電車に乗って池田で途中下車。このあたりはすでに高架になっている。池田は猪名川の谷口集落として発達した町で箕面有馬電気軌道が開業してからは、室町界隈をわが国初めての分譲住宅として開発されたところ。現在ではかなり建て替えが進んでいるが当時の郊外住宅地の名残も少し残っている。

呉服(くれは)橋のそばは芝居小屋呉服(くれは)座があったところで、その記念碑がある。この建物は愛知県の明治村に移築された(明治初年の建築で重文に指定されている)。

池田市内の近代建築として新町には旧住友銀行池田支店(大正)だった池田市立教育研究所が残っている。

栄本町付近には旧加島銀行池田支店(大7)だったカワムラ商店

アーケード街にはNTT池田支店(昭和初)が残っている(ファサードは改装されているが側面はスクラッチタイル貼り)

城南町には池田銀行本店もある。


建物を訪ねて(6)
◎旧雅俗山荘
阪急宝塚線池田駅から五月山のほうへ少し上ったところに逸翁美術館がある。昭和11年に建てられた小林一三翁の旧雅俗山荘である。現在、一三翁が収集した古美術などを展示する美術館として公開されている。

◎旧平賀邸 能勢電鉄山下駅から北へ歩いて10分くらいのところに川西市郷土館がある。多田銀銅山の精錬所として昭和初期まで操業していた旧平安邸を利用したもので、また大正7年に建てられた旧平賀邸が移築され公開されている。ともに登録文化財になっている。


桜島線延長
大阪から大阪環状線内回の電車に乗り、西九条で桜島線に乗り換える。4月1日より桜島線桜島駅の位置が変更され、 0.1㎞延長された。桜島線に乗るのも久しぶりだ。

西九条駅を出ると環状線の下をくぐり六軒家川を渡る。しばらく住宅が並んでいるが住友化学などの工場の間を抜けて安治川口駅、広いヤードが広がっている。この先から新線になるのだが、しばらくすると高架下を走るような感じで、展望がきかない。

しばらく走って真新しい桜島駅に到着。駅を出て、電車線の上の高架のようなところは安治川口方面への通路になっていたので上がってみる。あたりはすっかり変貌し、広大な更地であった。ここにはユニバーサルスタジオが設けられることになっている。

あたりの風景が激変しており、かつての桜島駅がどこだったか、新しい駅の位置がどこなのか、すぐにはぴんとこなかったが、阪神高速湾岸線の高架橋の位置から、安治川のほうに少し寄った、かつて日立造船の工場があったところに設けられたようだ。新しい道路に沿って少し行くと、「桜島駅位置変更」の案内があった。すでに塀に囲われ、旧駅には近付けないようになっていた。

阪神高速湾岸線の下あたりまでくると、見覚えのある町並みが続いていた。
天保山の渡船で天保山に渡る。ちょうど桜のシーズンで、天保山公園では花見をしている人が多い。

天保山は日本一低い山として有名なところで標高は3.6m。天保2(1831)年安治川と港口を浚渫したさいの土砂を盛り上げてできた小山で、「明治天皇観艦之碑」のそばに二等三角点がある。


三国橋を渡ってしばらく行くと「双葉温泉」という銭湯があった。銭湯の入口の屋根瓦のところに相撲取りの格好をした瓦が載せられ、廻しのところに双葉山とある。創業者が双葉山のファンで、それにちなんで銭湯の名称にしたのだろうか。街を歩いているといろいろな発見がある。
 


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