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漫歩通信
第9号 1999年7月1日発行

日光街道を歩く
日光街道は日本橋を起点に千住で水戸街道と分かれ、草加、春日部を経て宇都宮から日光に至る五街道のひとつ。今回は日光街道の宿場町を歩いてみようと思う。

草加宿  浅草から来る電車と営団地下鉄日比谷線の電車がいっしょになる北千住から先の東武伊勢崎線は複々線の高架が延びている。東京に近いこともあり高架から見える風景は家がびっしり並んでいる。

草加といえば「草加せんべい」、日光街道草加松原で茶店をしていた「おせん婆さん」が売り出したという説があるという。それに因んで設けられた小公園「おせん茶屋」は茶屋風休憩所や高札を模した掲示板がある。草加せんべい発祥の碑も少し離れたところにある。

 さて宿場の町並みを感じさせるのは、明治時代に建てられた土蔵造り町屋が市役所そばの浅古家など一二残るにすぎない。

越谷宿  武蔵野線と接する新越谷駅を過ぎて越谷。駅前付近は銀行などが並び古い建物があるように見えないが越ヶ谷から中町、越ヶ谷本町にかけての旧街道沿いには土蔵造りの町屋や石造りの蔵をいくつか見ることができる。
旧埼玉銀行越谷支店(大正12)が鈴木精米店の倉庫になっている。

湾曲して流れる元荒川、北越谷の北側には宮内庁埼玉鴨場がある。

粕壁宿 今の春日部市の春日部は鎌倉・南北朝時代に居を構えた春日部氏にちなむらしい。江戸時代には今も地名として残る粕壁だったらしい。古利根川の水運による米など農産物の集積地として栄えた町で、米問屋が多かったことから「粕」の字をあてたという説もあるとか。

現在、東武鉄道伊勢崎線と野田線のジャンクションで、すでに駅前は再開発され、古い町屋の並びは見えない。ところどころに大谷石積みの蔵が残っていたりするくらいである。

春日部駅から東へ500mほどのところにある粕壁小学校の一角に春日部市教育センターがあって、そこに郷土資料館(無料)が設けられている。

古墳などからの出土品から始まるお定まり歴史の流れを追う展示がなされている。粕壁宿の模型はなかなかよくできていた。また、特別展として「かすかべの宝もの」が行われ、春日部出身の画家岩井弥一郎の作品、江戸時代から続く商家伊勢屋の資料、特産の木櫛製作道具などが並べられていた。この町はむかしから桐のタンスなど木工の伝統があるそうだ。

 建物を訪ねて(7)
◎旧草加小学校
草加駅から歩いて数分のところに草加市立歴史民俗資料館(無料)がある。この建物は大正15年に建てられた草加市内では初の鉄筋コンクリート造の建物。
古墳からの出土品、農耕具などの民俗資料などを展示している。


豊田城に登る
関東鉄道常総線石下駅から歩いて10分くらいのところに石下町地域交流センター・通称「豊田城」がある。1992年に建てられた城郭風の建物で、多目的ホール、研修室、図書館、資料展示室などを備えたコミュニティセンターである。大阪城に次ぐ高さを誇るそうで、遠くからでもよく見える。

また、この町に設けられた防災倉庫などにも同じような城風の外観をしている。この建物のことに関しては『偽装するニッポン』(中川理著 彰国社 1996)でも紹介されていた。

建物内部は上から順に見てまわる構成で最上階は展望台になっている。その下はこの町の著名人として知られる作家で歌人の長塚節関係の資料が展示されている。その下の階はもと町長が寄贈した古美術などのコレクションが並べられている。そのほか、歴史資料では、平将門、豊田氏関係のことなどが紹介されている。

 また、いしげ結城紬、下駄など伝統工芸品の資料なども紹介されている。

長塚節の生家は石下駅の西方3㎞ほどのところ、国生の集落にある。建物は県指定史跡になっている。

菅笠を持ち草鞋履きでゴザを身にまとった旅姿の長塚節の銅像が町内3ヶ所にある。


いわき湯本温泉
いわき湯本温泉は陸前浜街道唯一の温泉場で、駅ホームや駅前にも温泉を引いた手洗い場があったりする。平安時代の和歌にも詠まれるほどの由緒ある温泉である。
いっぽう、かつては石狩、筑豊に次ぐ大炭田の町でもあった。常磐炭田は北は福島県富岡町付近から南は茨城県日立市付近におよぶ大炭田で幕末から炭田開発が行われ明治時代になり本格的な採炭が進められた。
最盛期には130余の炭鉱があったが、次々に閉山に追い込まれ、昭和51(1976)年西部炭鉱の閉山で幕を降ろした。

常磐線湯本駅から歩いて10分ほどのところにある「いわき市石炭・化石館」を訪れる。いわき市界隈の地層から海竜の化石が発見されていることにちなみ、世界各地から発見された恐竜などの化石もあわせて展示紹介されている。

石炭のほうは、常磐炭鉱の歴史やそこで使用されていた機器などが展示されている。秀逸だったのは、二階から地下一階にエレベータで降りるさい、あたかも深い坑道に降下していくかの雰囲気を、ランプの点滅や音で出していたこと。

その先は、坑道のような薄暗い坑道を模した通路で、明治時代から現代まで、採炭の様子を人形や採炭機器を使って再現されていた。湯本温泉の泉元は今も旧坑道の中にあるらしいが、通路のなかほどに温泉が引かれており、さらに坑道の雰囲気を再現していた。ほかに鉱山事務所を再現した展示もあった。

さて、古来より知られた温泉場、駅前の雰囲気からはあまり温泉場という感じはしないが、歩いて10分ほどのところに温泉旅館が点在している。

そのなかで市観光公社がやっている「さはこの湯」(8:00〜22:00 150円 第三火曜日休み)に行く。休息室などもある立派な施設。湯槽は石を並べた造りだったが、あまり広くなかった。湯本温泉の泉質は硫黄泉。

 公衆温泉浴場は「さはこの湯」のほか駅から20分くらいのところに「上湯」というのがある。こちらの入浴料はわずか70円。


東武鉄道伊勢崎線越谷駅は複々線の高架区間にあるけれど、この駅構内に、高架になる前に元荒川にかけられていた鉄橋の煉瓦と石材で作られた橋台が壁に埋め込まれるようにして保存されている。北千住−久喜間が開業した明治32年に竣工したものだ。

 


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