このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
夏の夕方に咲く「ゆうすげ」の花 白川水源を出て、再び車に戻った。もう夕方だが、さらに東へ進み高森の町を訪 れた。明日は南阿蘇鉄道高森駅から高森町役場入口バス停(熊本−延岡の長距離バ ス)へ乗り継ぐので、位置を事前に知っておきたかったからだ。 高森駅はすぐ見つかったが、役場がどこにあるか分からなかった。どうも、違う 方向に進んでいたようだ。迷っている間に郵便局を見かけ、そこから風景印を押し てもらって知人に葉書を送ろうとしたが、18時の段階で既に閉店。 何とか役場を見つけたが、役場前のバス停を見てもそれらしいバスは来ないよう だった。国道325号バイパスを西へほんの少し進むと、探していたバス停が見つ かった。確かに役場の入口だ。それに目印になるコンビニもあるし、明日道に迷う ことはなさそうだ。 これで安心して戻る事ができた。昨日YHで教えてもらった「ゆうすげ」の花が 咲く時間になってきた。急ごう。 国道325号を西へ進んだあと、右折し阿蘇登山道路吉田線に入った。くねくね した道を登り、火ノ山トンネルを越していった。この道路はよく整備された道であ るが、案外時間はかかった。 時間が遅いし、午前中に火口の東側に行っているので、火口には立ち寄らずに分 岐点で左折した。 阿蘇の代表的名所草千里で写真を撮るなど少し休憩した。夕方のためか、駐車料 金は不要であった。 草千里の休憩後、目的の「ゆうすげ」の花を探しに行った。道をまっすぐ行くと 阿蘇登山道路坊中線でYHの方向になるが、左折して阿蘇登山道路赤水線に入った。 米塚はこの道沿いにあるからだ。 米塚は標高954mだが、特徴のあるの形(平べったい富士山)をした緑の山で、 修学旅行の際にその存在を知った。 米塚の少し手前の辺りに黄色い花がポツポツ咲いていた。これが「ゆうすげ」か。 まず、米塚の写真を撮った後、「ゆうすげ」の写真を撮ることにした。 ところが、どこで撮るべきか迷い、何度も道を行ったり来たりした。結局よく咲 いているところなら、全て撮ろうということに決めた。 よく咲いているところで車を停めては、写真を撮ることを繰り返した。阿蘇登山 道路坊中線沿い、杵島岳の裾であったか、ここで横着をして」痛い目に遭った。写 真を撮り終えて、車の運転席に座った。どうも何かを踏んだ様だ。席を立つと、眼 鏡があった。私の体に押しつぶされていて、右側のレンズも外れ、フレームも歪ん でいた。 私は高校の頃から視力が急激に悪化し、現在は眼鏡を用いて運転している。ただ、 普段は視力が悪いけれどあまり眼鏡をかけていない。眼鏡をかける習慣が完全に定 着しているわけではないので、このように外すことがしばしばある。特に写真を撮 る際に、眼鏡越しにファインダーを覗くのがやりにくかったので、この日も車から 降りる際眼鏡を外していたのだ。何度も乗り降りを繰り返すうちに横着して、座席 に置いてしまったようだ。 バカなことをしたものだ。これからどうやって帰ろうか、眼鏡なしでちゃんと帰 れるだろうか、これからどんどん暗くなるし、とても不安になった。 とはいえ、このままここにいるわけにはいかなかった。強引にフレームにレンズ をはめ込みかけることにした。フレームが歪んでいるので見にくかったが、ないよ りはマシだった。 ゆっくり車を運転し、取り敢えずYHへ帰った。今日訪れた場所を話した後、夕 食をこれから食べに行くことを離した。すると、1軒店を紹介してくれた。今日は YHの食堂が休業で、その店で他の方も食事をしていると聞いた。 その店は国道57号を少し西へ行ったところにあった。おすすめの「だご汁と高 菜ごはん」を注文した。だご汁は団子や肉や野菜などの具がたっぷりで、辛目の味。 麻婆とは違うのだろうが、私には似ているように思えた。高菜ごはんは、高菜を炒 めたごはん。ともに、たっぷりの量であった。 どちらも大変美味しかった。ただ、そう思えたのは初めのうちだけだった。小食 になってしまった私にはこの量は多すぎた。何とかだいたい食べたが、かなり苦し かった。大食いの方には、この店はお薦めである。 食後YHに戻り、取り敢えず風呂に入った。風呂から上がったあと、ジュースを 自販機で買って談話室に入った。 昨日もそうだったが、今日も外国人ホステラーが数名見られた。僕は英語がろく に喋れないし、と弱気になりその近くには座らず別の空いているところに座った。 暫くすると、向側に座っている男性から声を掛けられた。その方は日本人だろう と思って私はそこに座ったのだが、実は韓国からのホステラーであった。 この方は、日本語も少しだが分かるそうで、英語・日本語を交えた会話が始まっ た。この方は、姉と従兄弟の3人でレンタカーを使って観光されているそうで、若 干助言もした。 この会話は本当に楽しかった。一方で、私の英語力のなさを痛感した。何とか必 死で伝えよう、伝えようとしたので、相手も理解していただけたが、部分的には伝 えられなかったところもあった。この方のお姉さんは、かなり日本語が流暢でビッ クリした。ここまではできなくても、もう少し外国語が話せるようになると、もっ と楽しくなるのにな、と思った。 会話を終えてから、休むことにした。
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