このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
くじゅう登山口15時55分発の「くじゅう4号」に乗車。定期観光バスなのだが、 路線バスないし長距離特急バスと変わりない。そう感じたのは、バスガイドがいなかっ たのだ。人件費節約のためなのだろうか、放送による観光案内を行っていた。バス自体 も最新のバスというよりはむしろ昔の雰囲気がした。そういう意味で定期観光バスのイ メージが狂った。 バスは再び道を登って行った。さっきまでいた牧ノ戸峠を経て道を下って行き、瀬の 本(三愛レストハウス)に停車した。瀬の本はやまなみハイウェーと国道442号と交 差する地点である。最近人気があるという黒川温泉にも近く、ここで10人近く下車し た。 10分程停車するらしく、バスの外に出てみた。とうもろこしを売っていたので買っ て食べた。腹が減っていた事もあり大変美味しかった。 再びバスが動き出し阿蘇方向を目指した。放送による観光案内では、音楽を織り交ぜ たものでなかなか面白かった。竹田にゆかりのある滝廉太郎の「荒城の月」やこの地方 の民謡や歌謡曲など。まず、このバスに乗らなかったら知る事はなかっただろう。 このあたりは、とにかく広い緑の草原が広がっている。午前中の飯田高原も割と広い と思ったが、遥かに広い。案内によると、北海道を除けば日本最大とか。九州にこのよ うな場所があったのは意外だった。北海道にいる錯覚に陥りそうだ。 この広々とした瀬の本高原など阿蘇・くじゅう地方では畜産が盛んであるが、牛の種 類が熊本と大分では違うらしい。熊本は阿蘇の赤牛で、大分は黒牛だそうだ。 やがて道路は外輪山に達し、カーブを何度も繰り返して平地になった。一の宮町にあ る阿蘇神社は特に戦前は重要視されていた神社だったそうだ。 宮地駅付近で国道57号に合流した。さすがに主要国道、交通量は多かった。阿蘇駅 前に着き、ここで整理券とお金を料金箱に下車した。阿蘇駅前のバスターミナルの建物 は何か古臭く昔からの観光地といった雰囲気がした。 ここから阿蘇YHまでは歩いて行った。阿蘇YHは阿蘇駅から20分程だそうだが、 阿蘇登山道路坊中線沿いであり、途中から坂道になった。その途中ライダーが私を抜い ていったのが見えた。ひょっとしてあの人も阿蘇YHに泊るのかも、そう思いながら足 を進めて、なんとかYHに辿り着いた。 YHに着くとバイクや車が結構停まっていた。中に入ると何人か宿泊の手続きを行っ ていた。その中には外国人ホステラーもいた。YHの食堂は少し離れた所にある別の建 物で、そこで高菜御飯などを食べた。食べ終わりかけた頃激しい夕立が降って来た。 ここへ来た時は曇ってはいたがまだ雨は降っておらず、傘を持ってこなかった。これで は暫く戻れないなと思っていると、これから食事という方を乗せたYHの車がやって来 た。車で食堂から戻ることになった。 YHに戻ってから風呂に入ってから、談話室に入った。外国人やライダーの方が多か った。私のように交通機関と歩きで来ていた人はいなかったような気がした。YHに向 かう途中に私を抜かした人は予想が当たっていたようで泊っていた。そのライダーの方 は、私の歩いている格好からしてYH泊に違いないと思ったそうだ。 私の隣でYHのペアレントさんが女性の方に本などを見せたりして、阿蘇の山々につ いていろいろと説明していた。気になったので、途中からその話を聞く事にした。その 中で印象に残ったのはゆうすげという花である。この時期に咲く黄色い花で、昼間は花 が閉じていて、夕方のわずかな時間に咲く花である。咲く場所は米塚や杵島岳の方で咲 くらしい。珍しいので、明日行って見ることに決めた。 ペアレントさんの説明が終わったあと、その女性と暫く話しをした。その方は岡山か ら車を使ってやってきた。山登りをよくされている方で、明日阿蘇山高岳に登ったあと、 翌日は九重の大船山に登るらしい。阿蘇や九重といった地方がかなりお好きらしい。ミ ルクロードや白川水源などへ行く事を奨めてくれた。 その方と話し終えた後、疲れていたのですぐに休む事にした。
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