このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

18きっぷ極限の旅

−京都発・3つの京都をめぐる旅−

旅行日:00.3.18〜3.20


<白いかもめ+島根の小京都・津和野へ     3日目 3/20(祝)>

−554門司603−611門司港639−710折尾717−752小倉801−815下関841−950小郡1037−1239津和野
1346−1451山口1452−1514小郡1535−1725岩国1726−2055岡山2116−2316西明石2320−2441高槻

 『ガチャン!』 「えっ、なぬ!?」
 そんな感じで目覚めてみると、駅名板は下関。関門トンネル用の機関車に付け替えているところだったのだ。そうか、朝の厚狭は通り過ぎたか。10分程で門司に着き、門司港へ来た頃にはようやく日が昇りはじめた頃である。九州の朝はゆっくりしている。
 普段なら発車ギリギリまで楽しむ私の散歩だが、今日に限っては15分ほどで切上げ。時間を見計らって、「白いかもめ」の待つ駅へ戻る。改札へ立つと、見えた! 885系! やっぱりこの外観はどう見てもヨーロッパ風である。しかも内装がこれまたすごい!! 革張りの座席、飛行機を思わせる窓&荷物入れ、ソニック以上に斬新なデッキ部、それに時代に合わせて携帯電話ブースまで設けてあり、またまたJR九州には脱帽である。
 885系「白いかもめ」の中で幸せ(^^)な一時を過ごし、私は折尾で下車。ここで折尾名物のかしわめし(610円)を、うどん屋で買い込んでおく。そして次の列車は6番線からなので、改札を出て駅前広場を越えた所にあるホームまで移動する。そうして待った門司港行きは、今どき珍しい客車列車。珍しいのはそれもそのはずで、いま現在、客車普通列車はこの筑豊線に2往復を残すのみなのである。
 そんな貴重な車中で、さっき仕入れたかしわめしを早速いただくとしよう。鳥そぼろ、のり、錦糸卵の3つがストライプになっていて、どれもなかなかいける。しかも値段が手頃だから、これはお勧めである。枝光〜福間間の主な駅に降りた際には一度お試しあれ。
 今まで北側に見ていたはずのスペースワールドが、線路付け替えでいつの間にか南側になっていることを発見したりしながら、最後の客車の旅は小倉で終えて、9分の乗り換えで下関へ急ぐ。本当は小倉でゆっくりするはずだったのだが、母が「ふくうどん」を食べたいというもので、急きょ変更となった。お目当てのふくうどんは改札を出てすぐのうどん屋で見つかり、早速試してみる。370円という手軽な値段で、小さなフグが丸々1匹天ぷらになっている。もちろんトラフグではないが、白身魚と考えればなかなかおいしかった。ちなみに「ふく」と呼ぶのは下関独特の言い方である。
 下関ならではの味が楽しめ、もうお腹いっぱいになったようで、小郡までの1時間、しばしのお休み。本当に今回の旅行ではよく寝れるやつだ。

 10時前に小郡に着き、やまぐち号が入線するまで新幹線口でお買い物。中2の時に一度、修学旅行で来たことのある小郡だが、降りたのはそれ以来で懐かしい。そんな感じで時間をつぶしていると、「ボッボッ」とバックでやまぐち号がご来場。早速写真の嵐にあっており、走り始めてから10年以上経つはずなのに、今なお人気が衰えていないようである。
 この「SLやまぐち号」は全車指定で、機関車を含めて編成は6両。前からC57 1−大正風−昭和風−欧風−展望車の順になっていて、今回私達は運良く展望車の指定が取れた。昨日は2000年の運転初日とあって指定がほぼ満席だったのに比べ、今日は結構余裕がありそうだ。ちなみにこの機関車は、前回ご紹介した「SLばんえつ物語」と同じC57。貴婦人の愛称で有名だが、同じC57でも今日乗る1号機の方が、より高貴に見える。
 さて、撮影や見学に忙しくしているうち、発車時間が迫ってきて、10:37分、汽笛と共にゆっくりと走り始めた。早速私はすぐ隣の展望スペースへ移動。転落防止の柵以外何もないため、風がとても気持ちいい。ただ困ったことも1つ。トンネルではもちろんのこと、普通に走っていてもすすが飛んできて、たまに目に入ってしまうのだ。こういうのもSLの楽しみの1つ、と思って気にしなかったが、昔の人はさぞかし迷惑だっただろう。
 ちょくちょく現れるカメラマンなどに手を振ったりしながら、トンネルの多い区間以外、ほとんどの時間を展望スペースで過ごさせてもらった2時間。小郡・山口など、始めは街の中を走っていたやまぐち号も、次第に山が深くなっていき、徳佐のリンゴ園が見えだすともう津和野はすぐそこ。C57もお疲れさまでした。

 さっきの小郡駅と同様、津和野へ来るのも中2以来。あの頃はまだ旅の心がなかったため、かねてから再訪したいと思っていたが今回かなった。わずかに残る記憶を頼りに、まずは鯉の泳ぐ殿町通りへ行ってみよう。思いのほか長い道のりだったが(と言っても10分弱)、不安になってくる前に見覚えある風景が見えてきた。きれいな白壁と、相変わらず丸々太った鯉が泳いでいる。これぞ津和野の風景だ。
 そしてもう少し先へ行くと、津和野川を渡る橋に到着。この辺りが津和野の中心地である。橋の上からは、うようよと群をなして漂う鯉の姿がここにも。もっときれいな言葉を使えば良さそうなものだが、実際の状況はまさにこんな感じである。ただ、川に鯉が泳いでいるのは結構珍しく、ここの他では伊勢の五十鈴川くらいなものであろうか。
私にとって津和野と言えば、忘れてはならないものが1つ。それはずばり源氏巻。ドラ焼きを巻物の形にしたようなお菓子で、これが津和野名物なのである。以前来たとき、これにはまってしまい、津和野へ来た理由の3割はこれが目当てである。さすがに5年経てば進化しており、粒あん・こしあん・抹茶の他に柚子あんが登場していた。どれも1本200円。ちょっと高めだが、お土産には便利だ。
 調子に乗って14本も買い、今もこれを口にしながらパソコンをたたいているのだが、その話は置いといて、津和野駅へ戻ろう。やや余裕を持って戻ってみると、構内ではやまぐち号の入れ替え作業をしていた。やまぐち号の場合、機関車だけでなく展望車も方向転換するので大がかりである。ちょうど今の時間は展望車の付け替えが終わって、機関車が水と石炭を補給しに引き込み線へ行くところだった。毎回ご苦労様ですと思ったが、よくよく考えれば、昔はどこの駅でもこんなことをしていたのだから、やっぱりSLを走らせるのは大変である。
 さて、行きは2時間かけて来た山口線も、帰りはたったの1時間半で快走。そして小郡で20分の買い物休憩の後、末恐ろしい山陽線の旅が待っている。まず小郡からは狭いボックスシートで2時間かけて岩国まで。次は岡山までの3時間半を転換クロスシート(新快速と同じ)ですごし、ようやく5時間半ぶりに岡山で一息つけば、またまたボックスシートで2時間。西明石まで来ると221系の顔が見え、転換クロスで今度は1時間20分。そうして、ようやく高槻までたどり着いたのである。結局9時間ほとんど乗りっぱなし。我慢できる自分もまた恐い話である。家にたどり着いた頃にはとうに1時を回っていたが、電車で寝ていたため、さすがに「バタンキュー」とはならなかった。

 「ながら+ML九州」という組み合わせは、以前からやってやろうと思っていたのですが、実際こんなに大変で、でも3日であちこち行けてこんなに楽しいとは、なかなか貴重な経験でした。この例はちょっと大げさですが、3連休があれば、会社に入ってもこんな旅が出来るもんなんですよね。もっとも体力があるかっていう点が問題かも知れませんけど。 (終)



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