このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

阪神大震災 あれから・・・・

open:2000.3.2
旅行日:1997.2.4

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  高校入試による休みの初日である2月4日、私はかねてから一度ゆっくりと歩きたいと思っていた芦屋・神戸へ行って来ました。

  6時に起床し、JRと阪神で打出に着いたのは8:38。ラッキーなことに阪神は、震災後の新車、水色と白のツートンが目印の5500系のエスコートでした。なぜ打出で降りたのか、その理由は私が小3まで住んでいた芦屋浜のその後が気になっていたからで、おかげで最後には歩きすぎてフラフラになっちゃったんですが・・・・・

  さて、駅から南へずーっと下り、途中で左へ折れると見えてきたのが、右の写真のマンション。右の棟が奥へ傾き、大丈夫だった左側とずれてしまっているのがお分かりになるでしょうか? このマンションの向こうが海のため、そっちへ地盤が流れてしまったようです。

  その後、通学していた頃が懐かしい潮見小学校や、写真の西浜公園などを歩いてみましたが、そこで目にしたのも、やはり大きすぎる地震のつめ跡。よく遊んだ校庭には仮設住宅、公園の池は見ての通り重機で直しており、ホント心が痛みます。

  ショックやその他いろんな感情が歩みを遅らせて、予定をかなりオーバーしてしまった芦屋浜を離れ、今度は中心部へ。中心地は被害が特に甚大で、小3の時に社会見学へ出掛けた三八通商店街も、ご覧のようにアーケードはおろか、店もほとんどが全壊してしまっており、昔の面影はあまりありませんでした。

  ところで、芦屋市内の被害で取り上げなければならないのは、何と言っても阪神高速神戸線。あの横倒しになったところです。今はもう何事もなかったかのような印象を受ける現場でしたが、もちろん2年前にはあのような光景だったわけで、公共物だけはいち早く復旧しているのがよく分かります。
  でも小さいところでは、上のように跨線橋が崩れたままのところもまだまだあり、震災の後かたづけはまだ始まったばかりなのです。

  深江から神戸市に入り、96年10月1日に開業したばかりの甲南山手駅から、JRを3駅使って六甲道で下車。残念ながらいい写真が撮れなかったんですが、すっきりと再建された阪神電車の石屋川車庫(高架上の車庫で、震災時は支柱がひどく折れ、電車の救出すら大変だった)、たくさんの酒樽が倒れた灘郷、災害救助のため自衛隊が基地とした王子公園などを歩き、日本一危険な駅と噂される阪神春日野道から、再び元町まで電車に乗りました。

  元町からは、まず北へ歩いて異人館へ。有名なところはほぼ営業を再開していたものの、小さなところや風見鶏の館(97年3月末にオープン)は、まだ閉まったまま。でもさすがに観光面での復興は、市民生活よりもずっと早いほうなのです。

  坂を下り、三宮まで来るともう夕方。ビルの被害が甚大だった東門街(阪急三宮の北側)や、春節祭(2/7〜9)が目前だった南京街を見て回りながら、よーやく打出から35km、9時間も歩き通して、終点の神戸駅南・ハーバーランドに到着。ほんまにお疲れさまでした。


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