このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
その2です。色とりどりに塗られた「消えゆく」気動車をご覧下さい。まず、敦賀駅の小浜線ホームに停車中の青いキハ28,58系です。まさかここまではと思った小浜線電化工事の最中で、昼間の数列車運休後の1番列車でした。したがって、運悪く超満員(2000年8月中旬)。
次は山陰本線西端部で活躍するキハ28,58系です。広島気動車色とでも言いますか、黄色い塗色です(広島地区の電車は肌色に青い帯)。ここは下関駅、隣のホームにはJR九州の交直両用の電車が止まっています(2000.10.28)。
現在は廃止された津山線・因美線経由の急行「砂丘」(岡山〜鳥取)。この車両は「砂丘」用のキハ65+58です。その後岡山〜津山間で急行「つやま」として活躍中です。この時は間合い運用で津山〜智頭間を快速で走っていました。智頭駅到着の様子です。たしか1999年8月撮影。
1999年12月に廃止された大阪〜飛騨古川間の急行「たかやま」です。65,58,28いずれの車種も連結されていました。廃止が決まってから、4回ほど乗りましたか。一度は10月に高山まで乗り通しましたし(その時の大阪駅出発前の画像です)、最終日は新大阪→京都間を乗りました。東海道線区間を必死にうなって走り(新快速より遅いんですから)、高山線の山岳地帯も力強く登ってくれました。飛騨川の景色を「ゆっくりと」楽しめました。
運行最終日の新大阪駅にて。その1からここまでは、すべてJR西日本所有の車両でした。
四国でもかろうじて国鉄時代からの気動車が走っています。JR四国色に塗られたキハ65+58のコンビを丸亀駅にて2000年8月9日撮影(陰ばかりですみません)。所属は松山運転所で(「四マツ」)、松山夕方16時40分発の普通でまず伊予西条まで。ここで1時間ほど休憩の後、高松行となって日付の変わる頃高松着。翌日、この写真のように高松〜阿波池田間を往復し、夜20時17分発の普通で終着駅今治に到着。ホームで一夜明かして、翌朝5時8分発の内子経由八幡浜行となり、松山以西を走って、運転所に戻るようです。このタイプの列車で松山から大阪・名古屋方面を青春18きっぷで行き来した頃がなつかしい(予讃線伊予市以東全線電化の平成5年まで)。ボックス1つは必ず占領でき(ラッシュ時は別)、そこで弁当をゆっくり食べることができました。
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