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小国意識から目覚めるとき(第3回)
〜戦後外交と国民世論を問いなおす〜

 中島 健

■4、今日における問題点

●4-1 日米安保共同宣言の意味
 では、以上のような国民世論の小国意識や我が国外交の基本的構造は、その後改善されたのであろうか。これについて私は、残念ながら、国民世論の大多数がその後、現実の国際政治の論理に目覚めたとは言えない、といわざるを得ないと考えている。
 確かに、湾岸戦争後も、我が国の安全保障と主権に関する危機は幾度か発生し、政府は、その度に、冷戦時代では到底実施不可能な様々な対応策を講じてきた。例えば、北朝鮮(自称「朝鮮民主主義人民共和国」)によるテポドン・ミサイル発射事件を受けて、政府は偵察衛星の導入とTMD(戦域ミサイル防衛)開発の推進を打ちだし、国民世論にもそれなりの危機意識は生じた。また、ペルーの日本大使公邸占拠事件では、その後警備のあり方が見なおされ、テロ対策が必要な各地の大使館に警備官が派遣された。更に、99年の日本海不審船事件でははじめて海上警備行動が発動され、海上保安庁、海上自衛隊が共に実弾による威嚇射撃を実施するに至り、海保・海自の連携策がようやくにして模索され、高速ミサイル戦闘艇の建造が行われた。
 しかしながら、これらの事件は本来、専守防衛に関する問題、つまり、あくまで自国のみが関わる一国的な問題であった。換言すれば、これらの一連の問題は、国家安全保障の内極めて消極的な部分(即ち、自国の直接的生存)についての対策だけで解決できてしまうものだったのであり、国民の視野が国際政治の現実を見とおすようになり、小国意識から目覚めたという訳では決して無いのである。事実、専守防衛に関する問題であれば、国民世論の多数は冷戦中ですらもこれを必要なものとして認めておったのであり、ただ、それだけで西側の全世界的安全保障の一旦を担うことが出来たのである。
 湾岸戦争後も、国民が小国意識を残していることのよい例が、1996年の日米安保共同宣言及び97年の日米新ガイドライン策定であり、また現実外交を進める上で不可欠な憲法論議、つまり集団的自衛権論議の不在である。
 96年、橋本龍太郎総理大臣とクリントン大統領との間で交わされた日米安保共同宣言は、結局、 日米安保条約 の関心範囲を、ソ連の脅威ということから「アジア地域の平和と安定」と再定義し、日米が共同でこれを達成してゆくことを謳っている。無論、こうした目的の再定義自体は問題ではなく、これによって我が国の安全保障上の関心が広くアジアの平和と安定に移ったと見る限りではむしろ歓迎すべきことなのだが、問題は、その中身である。つまり、新しい日米安保体制においては、我が国はあくまで後方支援や資金面といった「裏方」に徹するとされているのであって、正面に出てくるのは米国のみということなっている。これでは、日本は冷戦時代と同様、一国の機能の中で「軍事」をアメリカに大幅に依存し続け、国民世論における「小国意識」の改革を先送りするだけではないだろうか。また、アメリカ政府当局は、我が国が米国と対等な立場で「アジアの平和と安定」を維持することに参加すること(つまり、我が国が国際舞台において問題解決能力を持つこと)に反対しており、「東アジア戦略報告」といった公式文書で「日本には兵力の海外展開能力を持たせない」と露骨に従属状態の維持を主張している。これは、政府当局が、冷戦後も引き続き国際社会の論理と国内世論の「小国意識」のギャップを「在日米軍」によって埋めあわせようとするものであって、湾岸戦争当時の問題が解決されたということは出来ない。
 集団的自衛権論議については、既に湾岸戦争期に大問題となり、その後、国会に憲法調査会が設置されて議論が期待されるが、それも9条に限らず幅広い議論をすることになっているので、過大な期待は出来ない。99年の民主党党首選挙で鳩山由紀夫代議士が「9条を改憲して自衛隊を正式に認める」との見解を表明し、与党・自民党の総裁選挙候補者よりも明確な改憲姿勢が話題を呼んだ。しかし、その鳩山党首の改憲論も集団的自衛権を認めるには至っておらず、むしろ、そのインパクトとは裏腹に、実際は現状の解釈改憲路線を公認する程度のものに過ぎないと言えるだろう。

●4-2 小国意識からの脱却を
 
無論、政府当局としては、国内世論を変革するだけの政治的動員がなお不可能であるが故に、現時点では最善の策として、日米安保共同宣言やら周辺事態法やらをひねり出したのであろう。また、中国や北朝鮮といった国家と渡り合って行くときに、我が国がアメリカと協調するというスタンスについては、何も問題はない。問題は、そうした21世紀の日本外交の新たな指針が、国民世論が依然として「小国意識」のまま決定されてしまっていること、及び、そうしたご都合主義的な外交がを次の世紀にも保っていける踏んでいること、である。
 であるならば、今こそ我々は、こうした戦後半世紀に渡り国内を支配してきた現実逃避の観念を捨て去り現実の国際社会を動かす論理に従って、日本外交を見つめなおすべきなのではないだろうか。そして、21世紀の我が国外交は、現代国際政治の一手段としての「軍事力」を、的確に評価し直視していかなければならないのではないのだろうか。

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中島 健(なかじま・たけし) 大学生


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