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永住外国人に地方参政権は付与すべきか(第1回)
〜地方自治の法的意義を考察するなかで〜

中島 健

1、はじめに

 10月2日、第150臨時国会開催中の参議院に、外国人に地方参政権(選挙権)を付与する法案(永住外国人に対する地方公共団体の議会の議員及び長の選挙権の付与に関する法律案)が付託された。この法案は元々、1999年10月の「自自公」連立政権が誕生した際に、その政権合意の中に成立が明記されたもので、永住外国人、ことに我が国に在留する在日韓国人に対して地方自治体への参政権を付与することを目的としている。同法案は一旦自由・公明の両党が議員立法の形で提出したものの、自由民主党内部の調整がつかず廃案になった経緯もあり、公明党は「今国会中には必ず成立させる」としている。しかし、この法案に対しては、特に自民党内部から「憲法の定める国民主権原則に反する」といった根強い反対論が出ており、野中広務幹事長は党内調整に苦慮しているといわれる。報道によれば、9月26日には、法案に反対する市民グループ「違憲の外国人参政権を阻止する国民の会」の集会が開かれ、発起人の小田村四郎・拓殖大学総長は「この法案は、国家の主権、存立、安全の根幹を揺るがす大きな問題だ」と指摘、法案は憲法違反であるうえ、地方選挙権を許せば、被選挙権や国政の参政権に拡大するとの懸念を示した。同集会には、自由民主党の米田建三、原田義昭、高市早苗、平沢勝栄の各代議士と中川義雄参院議員らも駆けつけ、「一人の人間が二つの国の国益は追求できない」(米田氏)、「この問題には国の将来がかかっている」(中川氏)、「米国のグリーンカード(労働許可証兼永住許可証)取得が一時、ブームになったが、グリーンカードを取れば、『徴兵登録しろ』といわれる。しかし、グリーンカードを取っても徴兵登録しても、米国では選挙権はもらえない。それぐらい国籍は重いものだ」(高市氏)等と発言したという。東京都の石原慎太郎知事も、26日の都議会本会議で、「本来、国のありようを決定する参政権は、その国籍を有する者が行使できる固有の権利だ。地方参政権は国の参政権とは別に扱うべきとの意見もあるが、地方自治体の扱う問題の中には、国の基本方針と密接に関連するものもあり、国と地方を単純に切り離すことにはいささか無理がある」「私としてはいささか大きな疑義を抱かざるを得ないが、いずれにしろ、国会で十分に十分に議論が尽くされることを期待する」と述べた。

 

▲参政権の行使として立候補し、投票する国民
(写真左は第19回参議院選挙のポスター、右はその投票)

 果たして、我々は在日外国人にも地方参政権を付与すべきなのか。それとも、反対派が主張するように、地方参政権といえども国民のみが行使できる権限であるべきなのか。本論は、国会での議論が混沌とする中で、この問題を国政と地方政治の関係の法的分析を通して、妥当な結論を導き出すことを試みるものである。

※おことわり
 本論の作成にあたっては正確性を期していることは勿論ですが、学術論文とはしなかったので、参考文献は文末に掲げるに留め、引用符等は使用しないこととしました。

2、推進派の主張

 外国人への地方参政権付与運動を進めている「 在日本大韓民国民団 」では、参政権を求める根拠として次のような主張をしている。

●1、定住性、納税義務の履行
 これまで在日韓国人は、戦後半世紀以上に渡って(中には戦前から)日本に居住しており、その長い歴史的経緯と地域社会に根をおろしているその生活実態に照らして、不可欠な基本的人権である地方自治体の参政権を求めている。即ち、「私たちは戦後一貫して、地域社会の発展のためにその責任と義務を果たし、信頼関係を深め、名実ともに共生する社会の具現をめざして、多様な分野で寄与してきました。私たちは、住民としての基本的権利である地方参政権の確立を、私たちの総意をもって、国民の皆様に強く要望するものです。」(「民団」HPより)という。「民団」側は又、こうした要望が日本国憲法、地方自治法、国際人権規約や人種差別撤廃条約等に則った法的根拠を有するものである、とも指摘している。また、これは民団の直接の意見ではないが、賛成派の根拠の一つとして、納税義務の履行がある。つまり、在日外国人と言えども日本国民と同じく法律上納税の義務を負わされており、「代表なくして課税なし」である以上、せめて地方参政権だけでも認めるべきだ、ということである。
 この議論は、在日韓国人だけでなく、広く定住在日外国人にも言えることであろうが、(地方自治に関する固有権説<後述>の立場を取らない限り)前国家的な基本的人権からただちに参政権が導き出されるわけでは必ずしもないのではないだろうか。

●2、永住外国人の基本的人権の確立と少数民族権の保障
 民団は、参政権を求める二つ目の理由として、「この運動によって、日本政府及び各自治体が内外人平等の精神に立脚して、日本国憲法に合致した基本的人権を保障し、また地方公務員採用等における不要な国籍条項が撤廃され、「住民」としての真の権利が保障されます。」ということを主張している。民団は又、「地域住民として日本籍住民と同等の地方参政権を取得することは、少数民族の自尊、また民族教育の制度的保障等、国際人権規約B規約第27条に明記されている少数民族の権利を実現するものでもあります。先に日本政府はアイヌ新法を制定し、少数民族権を保障しております。」として、参政権を一種の少数民族権としても位置付けている。
 もっとも、いわゆる「公権力行使に携わる公務員」(警察官等)に外国人を任用することが出来ないというのは合理的であり、職業選択の自由を制約し得る十分な理由なのではないだろうか。また、「基本的人権の尊重」と「参政権」は直接結びつくものではないし(参政権が保障されていなくても、政府は人民の基本的人権を尊重する必要があることに変わりない、という意味で)、例えば「公費による韓国民族教育の保障」といったことは、基本的人権というよりも政治的な主張の一つというべきであろう。更に、国際法上のいわゆる「内外人平等原則」というのは、参政権についての原則ではなく、社会保障給付に関するものである。

●3、戦後処理の清算の一環
 民団は、三つ目の理由として、「在日韓国籍住民の歴史的経緯を正しく認識し、適正な処遇がはかられます。この運動は戦後処理の清算の一環でもあり、日本の民主主義の成熟の問題でもあります。」ということを主張している。また、後述する最高裁判決を書いた最高裁の園部逸夫裁判官は、同じく歴史的経緯を重視すべきだ、と述べている。
 もっとも、我が国政府の法的な立場としては、こうした対日平和条約に伴う国籍の問題の「清算」は日韓基本条約の調印で既に「解決済み」である、ということになっているのだろう。また、別の立場からは、「戦時中の強制連行によって来日した在日韓国人の多くは既に帰国しており、現住している韓国人は任意の永住者であって、特別扱いすることは適当ではない」といった反論もなされている(後述の百地 章・日本大学教授)。

●4、日本社会の真の国際化の具現
 民団は、四つ目の理由として、「21世紀に向けて、真に開かれた日本の国際化が望まれております。この運動は相互理解のもと日本社会が良くなる運動でもあり、これからの世界の潮流である共生社会を実現しようとするものでもあります。」ということを主張している。恐らく、こうした主張の背景には、外国人、在日韓国人に対する差別の問題もあるものと思われる。
 無論、国際化を目指す我が国にとって、外国人蔑視はしてはならないことである。しかし、そうした日本国民の差別意識(私自身は、最近ではそうした感情は、一般に言われているよりもかなり薄まっていると思うが)と参政権の問題は、果たして相関関係にあるのであろうか。反対派の立場からすれば、現実に隣近所に住んでいる外国人を尊重し交流することと、参政権の付与とは別問題ではないか、国際的な常識からしても外国人に参政権を与えるのはおかしく、国際化と参政権の限定は矛盾しない、ということになろう。むしろ、例えば韓国における反日教育や日本文化の規制といった政策のほうが、差別感情を助長するという意味では遥かに問題であるということも出来よう(それゆえ、最近になって金大中韓国大統領は日本文化解禁を断行した)。

※注記
 なお、在日韓国人のうち、北朝鮮系住民で作る「朝鮮総聯」(在日本朝鮮人総聯合会)は、「同胞を日本国民に同化させるもの」として、参政権付与そのものに反対している。 

3、反対派の主張

 一方、外国人参政権に反対する立場からは、次のような主張がなされている。ここでは、主として百地 章・日本大学教授(法学博士、「日本会議」常任理事)の主張を引用する(「 日本会議 」HPより)。

●1、国民主権との関連
 反対派の最大の主張は、「国民の、国民による、国民のための統治」を理念とする「国民主権原理」の下では、参政権はあくまで国家の構成員(有権者団)たる「日本国民」にのみ認められるのであって、永住者といえども外国人に参政権を付与することは憲法違反になる、というものである。確かに、 「日本国憲法」第15条① は、参政権を、譲渡不能な「国民固有の権利」と定めており、この点に限れば、反論の余地は無い。「参政権は他の人権と違って、単なる権利ではなく、公務(義務)であるわけですから、いつでも放棄し、本国に帰国することが可能な外国人に、参政権を付与する事などできるはずが」ないのである。在日外国人の地方参政権を「立法政策上の問題」として認容する立場をとった平成7年2月28日付け最高裁判決(在留外国人選挙名簿訴訟)(後掲)でも、国政参政権については明確に否定している。
 この主張は、「国家」を「会社」に例えるとより理解しやすい。即ち、「国民」とは、「会社」(営利社団)で言うところの「株主」(社団の構成員たる「社員」)であり、「株主」は会社の内部にあって「社員権(株主権)」として経営に参画し、取締役や監査役を任命する立場にある。これに対して、「取引先」(例えば、社債を購入した人)は、「株主」とは異なり、利害関係を有するものの会社の外部にあって会社の構成員ではなく、従って「株主総会」のような会社の最高方針を決定する場に介入することは出来ない(事実上の影響力はあるにしても)。これと同じように、「在日外国人」は、如何に我が国に生活の本拠を置き利害関係を有するとしても、国家の構成員ではなく、従って、「国家」という団体の方針を決定する場に参画することは出来ないわけである。反対派は、この点を考えない推進派の主張を、「国家意識の薄さを示すもの」として厳しく批判している。
 ただ、この主張が、そのまま地方議会・首長の選挙権にまで維持できるかは、疑問無しとしない。前記最高裁判例によれば、地方公共団体の選挙について定めた 憲法第93条② に定める「住民」とは、 憲法第15条① の規定の趣旨からして「日本国民たる住民」を指すのであり、「右規定は、我が国に在留する外国人に対して、地方公共団体の長、その議会の議員等の選挙の権利を保障したものということはできない」という。しかし、この後最高裁は、永住外国人であって「居住する区域の地方公共団体と特段に密接な関係を持つに至ったと認められるもの」は、立法政策上、地方参政権を付与しても構わない、と判示しており、ここに禁止説認容説の差異が現れる。ただ、最高裁は認容説をとっているものの、その根拠は明示されておらず曖昧で、説明不足ゆえの批判を招いている。確かに、この平成7年2月28日付け最高裁判決だけを眺めていると、「一体、どうしてそういう論理になるのか」よくわからないところがあり、前段と後段が矛盾しているようにも見える。実際、百地教授は、この点をついて最高裁判決を批判しておられるが、実は、この認容説は、後述するように全く根拠が無いわけではなく(ただ、その部分が最高裁判決で示されていないだけである)、その点慎重な検討を要する

※参考資料: 日本国憲法 (抜粋)
第十五条
 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、
国民固有の権利である。
② すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
③ 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
④ すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。
第九十三条
 地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。
② 地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その
地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。

●2、納税義務とは無関係
 次に、反対派は、在日外国人が納税義務の履行を根拠に地方参政権付与を要求していることについて、「納税は公共サービスを受ける対価であり、参政権とは直接結びつかない(納税しているからといって参政権が付与されるのではない)」、と反論している。
 もっとも、この反論は、一面においては必ずしも説得的ではない。何故ならば、この議論においては「当為(実体法)としての納税義務」(納税すべきである、ということ)と「事実(具体的処分)としての納税義務」(一定金額を納税する、ということ)を混同してしまっているからである。確かに、「当為としての納税」は公共サービスの対価であるが、「事実としての納税」は必ずしも対価関係に立たない。例えば、所得の少ない人は所得税を免除されるし、最も貧しい人は逆に生活保護を受けて暮らしているが、だからといって、道路を歩けなかったり、図書館が使えないわけではない。生活保護を受けている人は、「所得が無い」から「事実としての納税」を免除され「実際には税金を払わずに済んでいる」が、依然として「税金は払うべきである」という抽象的義務の下にあるわけであり、故に公共サービスを受けられるのである。この点、百地教授は、「もともと納税は、道路、水道、消防などさまざまな公共サーヴィスを受けるための対価であり、このようなサーヴィスは外国人も等しく享受しています。」としているが、この論理を貫くと、「納税していない日本国民には消防車も派遣されない」というようなことになってしまう。賛成派はあくまで「当為としての納税義務の履行」の観点から地方参政権を主張しているのであり、この点を踏まえた適確な反論が必要なのである。
 それでは、「当為としての納税義務」を履行している永住外国人には、地方参政権を与えるべきなのであろうか。ここで注意すべきことは、ここに言う「納税義務」の性質である。 憲法第30条 によれば、「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ」のであるが、逆にいえば、「憲法上の納税義務」を負っているのは国民だけであって、外国人は除外される。よって、少なくとも外国人が「憲法上の納税義務」を履行しているは言えず、従って、憲法上、国政参政権を国民と同様に要求することは出来ない。しかし、実際には、外国人は物を買えば消費税を支払うし、所得税や法人税が非課税となっているわけではない。つまり、外国人は「法律上の納税義務」は履行しているのであり、ここに、地方参政権を要求する一つの根拠を見出すことは出来なくはない。

※参考資料:日本国憲法(抜粋)
第三十条
 
国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。 

●3、国政と地方自治の関連性、安全保障上の問題
 反対派は、第三点目として、「国政と地方との関連性」を指摘する。つまり、地方公共団体は「わが国の統治機構の不可欠の要素を成すもの」であり、地方自治も広い意味で国政の一部なのであって、国から完全に独立して政治が行われている訳ではなく、であるならば、外国人が国政の一部に関与することは認められない、ということである。更に、地方公共団体の事務の中には、非権力行政(例えば、給付行政、人事行政、私経済行政)だけではなく、(広義の)警察等の権力行政公安情報も含まれており、これに外国人の意思を反映させるのは適当でない、という主張もある。
 また、これに関連して、地方公共団体に外国人の意思を反映させることは、国家の事務である安全保障の障害となる可能性がある、とも指摘されている。例えば、朝鮮半島で有事が発生した際、我が国が周辺事態安全確保法に基づいて地方公共団体に「協力」を求めたとき、有権者の中に北朝鮮籍の者がいれば当然こうした「協力」を拒むであろうから、結果として国家全体の安全保障が妨害される可能性がある、というのである。
 この論点は非常に重要であり、後述するように、国と地方との関係についてはなお一層の分析が必要である。もっとも、上に掲げた反対論については、必ずしも説得的とは言えないものが含まれている。即ち、地方公共団体が国政の一部を為すからといって、直ちに「外国人の関与を排除すべし」とは必ずしも言えないからである(むしろ、「地方公共団体が国政の一部を為さないからこそ、地方参政権を付与すべきでない」といった主張も可能である)。その理由については、後述する。また、我が国の安全保障との兼ね合いであるが、実際問題として、有権者に外国人が含まれていようとなかろうと、地方公共団体が周辺事態法上の協力を不当に拒絶するケースも想定され得るのであり、有権者を国民に限定したからといって、我が国安全保障が必ず確保されるとは限らない。公安情報にしても、これまで、例えば「野党地方議員が県警の極秘公安情報を暴いた」といった事例は聞かれておらず、不用意な情報公開条例が出来ない限り、こうした重要情報が流出する可能性は低いように思われる。第一、親日的な在日韓国人よりも、安保廃棄・非武装中立を呼号する一部の日本人有権者のほうが、よほど問題視されるべきではないだろうか。
 そもそも、国籍とは、その個人を国民たらしめる地位・資格に過ぎず、「忠誠義務allegiance)」といっても具体的に現政権の政策に従う義務があるわけでもなく(この義務の名称そのものは、中世封建社会における属地主義の名残に過ぎない)、我が国に「反逆罪」や兵役義務も無いので、その点の問題も無い。更に、 刑法 (明治40年法律第45号)第1条第1項は、「この法律は、日本国内において罪を犯したすべての者に適用する。」としており(国家主権から当然であるが)、日本国民・在日外国人を問わず、内乱(国の統治機構を破壊し、又はその領土において国権を排除して権力を行使し、その他憲法の定める統治の基本秩序を壊乱することを目的として暴動をすること)、内乱等幇助(兵器、資金若しくは食糧を供給し、又はその他の行為により、内乱・内乱予備陰謀を幇助すること)、外患誘致(外国と通謀して日本国に対し武力を行使させること)、外患援助(日本国に対して外国から武力の行使があったときに、これに加担して、その軍務に服し、その他これに軍事上の利益を与えること)、公務執行妨害等の行いがあれば、最高死刑を以って処断される( 刑法 第77条〜第88条)。唯一、永住外国人が蒙る損害は、彼らが我が国国籍を有せず、かつ本国とは無関係に長い間外国で暮らしていることから、我が国においても本国おいても、外交的保護を与えられないということであろう(※注意)(後述する)。

※注意
 外交的保護を受けるためには、国籍国との「真正な関係」が必要であるが、外国に長く居住し本国との関係が薄れると、これが認められないことがある。その為、在日韓国人は大韓民国による外交的保護を受けられない可能性がある(勿論、日本国籍が無いので、我が国の外交的保護も受けることが出来ない)。

●4、比較法的視点
 反対派は更に、第四点目として、諸外国における立法を挙げている。即ち、現在外国人に地方参政権を付与しているのは北米諸国やEU諸国、スイス、オーストラリアなどごく少数の国々であり、また、参政権を認めている多くの国でも、対象者は欧州連合Europian Union加盟国の国民英連邦British Commonwealth加盟国(即ち、旧英領植民地)の国民に限定されており、必ずしも無条件で外国人に参政権を付与しているわけではない、ということである。また、これらの国でも、地方参政権付与に際しては憲法改正を実施しており、「立法政策上の問題」とはされていない、という点も反対派に有利である(※注)
 もっとも、ドイツやフランスでは、両国の憲法裁判所が違憲判決を下したからこそ憲法改正が為されたのであって、この点、参政権付与を「立法政策上の問題」とする我が国とは置かれた状況が多少異なるとも言えよう。

※注記
 百地教授によれば、ドイツでは、1989年に、ハンブルク州とシュレスヴィヒ・ホルシュタイン州が、相互主義を前提として永住外国人に地方参政権を付与したことがあったが、同国連邦憲法裁判所は1990年、ドイツ連邦共和国基本法第20条②が「国家権力は、国民により、選挙および投票によって・・・行使される」としていること、そしてこの「国民」とは、ドイツ国民に他ならない事から、外国人に参政権を付与することは、たとえ地方レベルであっても許されない、として違憲判決を下したという。そこでドイツでは、1992年、欧州連合条約の批准に従い憲法改正を実施して、はじめて欧州連合加盟国の国民に地方参政権を認めたという。
 また、
フランスでは、同国憲法院が1992年、フランス共和国憲法第3条④「フランス国民の成年男女は、全て・・・選挙人である」を根拠として外国人に地方参政権を認めたヨーロッパ連合条約を憲法違反と判示したという。その後フランスは、欧州連合条約批准にあたり憲法改正を実施した。

4、憲法学説

 ところで、現在、外国人に対する参政権付与については、国政に関しては肯定説否定説が、地方に関しては許容説要請説禁止説が存在する。

●1、国政選挙
 この内、国民の政治的意思決定過程に直接関与する国政選挙については、最高裁判所平成5年2月26日付け判決が明確に否認説の立場をとっており、判例・通説(故芦部信喜・東京大学名誉教授、佐藤幸治・京都大学教授ら)となっている。それによると、永住許可を得たイギリス籍の男性が提訴した国家賠償請求訴訟に対して最高裁は、憲法第3章に規定された人権は性質上日本国民のみを対象としているものを除き外国人にも及ぶが(性質説)、国政を行う公務員を選定する権利である選挙権は、国民主権原理からして国民にのみ認められる、とする。 日本国憲法第15条① が「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」と定めていることが、この説の根拠になっている。なお、国民の政治的意思決定過程に間接的に関与する「政治活動の自由」についても、消極的に解されている(昭和53年10月4日マクリーン事件最高裁判決)。
 これに対して肯定説(全面的承認説)(奥平康弘・東京大学名誉教授、江橋 崇・一橋大学教授、浦部法穂・神戸学院大学教授ら)は、(1)法律上「国民」とあるのは必ずしも「日本国籍保持者」だけではなく広く政治社会の構成員と捉えるべきであり、(2)国民主権原理の元になっている民主主義の理念は「人民の自己統治」であり、政治的決定に従う者は当然、その決定に参加出来なければならないのであって、(3)人権問題を考える際重要なのはその人の国籍ではなく生活実態であることを考えれば、永住外国人にも国政参政権も認めるべきである、とする。

●2、地方選挙
 次に、地方選挙について見てみると、(A)禁止説(小林 節・慶應義塾大学教授、百地 章・日本大学教授)は、(1)公務員の選定・罷免の権利は国民主権原理の帰結であり、そうした参政権の保証が日本国籍保持者に限られるのは当然であって、地方参政権といえども国民固有の権利である、(2) 憲法第93条② に言う「住民」とは、日本国籍を前提とした住民を指す、とする。よって、外国人に参政権を付与することは違憲になる。
 対して、(B)要請説は、生活実態が日本人と変わらぬ永住者については、住民自治の理念民主主義における地方自治の重要性(憲法第92条等)から日本人と同じ参政権を保障されている、と解し( 憲法第93条② に言う「住民」は、「国民」とは異なり現にそこに住んでいる外国人も含まれる)、選挙権を付与しないことが違憲になる。
 また、最高裁判所は、在留外国人選挙名簿訴訟に対する平成7年2月28日付判決(下記)(C)許容説(故芦部信喜・東京大学名誉教授、佐藤幸治・京都大学教授ら)を採用しており、これによると、「永住者等・・・について、その意思を日常生活に密接な関連を有する地方公共団体・・・に反映させるべく、法律をもって、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する・・・ことは、憲法上禁止」されておらず、立法政策の問題であるとする。従って、選挙権が無いからといって違憲になることはないが、同じく選挙権を付与しても違憲にはならないことになる。 憲法第93条② に言う「住民」の解釈は、禁止説と同じく、「日本国籍を持つ住民」とする。恐らく、最高裁判所としては、仮に地方参政権を認めたとしても、その上位にある国政参政権がなお国民だけに留保されておれば、(問題が起きたときは法改正で条例を無効にしたり、選挙権を剥奪すればよいのだから)問題無かろう、という考えなのではないだろうか。もっとも、国民主権は「固有のもの」とされており、つまりは国民一人一人に一身専属的なのであって、容易に譲渡・放棄されるべきものではない以上、法律でそれを譲渡・拡大することが許されるとするのは困難であろう。
 なお、この判決については、許容説をとったとされる部分は「傍論obiter dictum」の部分であり、判決理由ratio decidendi)」中ではないので、法的な先例拘束性が無い。ただ、法的な先例拘束性の有無と事実上の拘束性は別で、今後、外国人地方参政権について直接論じる判決が出れば、恐らく最高裁はこの傍論部分を判決理由として判示することになるであろう。
 なお、 憲法第93条② に言う「住民」について、「 在日本大韓民国民団 」は、(1)第93条②が「住民」を、「国民」と使い分けていること、(2)地方自治法第10条①が「住民」を、「市町村の区域内に住所を有するものは、当該市町村及びこれを包括する都道府県の住民とする」と定義し、住民に国籍要件を設けていないこと、(3)地方自治法第10条②が「住民は法律の定めるところにより、その属する普通公共団体の役務の提供を等しく受ける権利を有し、その負担を分任する義務を負う」としていること、(4)在日韓国人は本国(韓国)の国政選挙権、地方自治体の選挙権・被選挙権を持たないこと、を挙げて要請説を主張している。しかし、(2)(3)は結局(1)に左右される問題であるし、本国における選挙権の有無はその国の国内管轄事項であって、特段の理由とはならない(我が国の在外邦人も、ついこの前まで、本国の参政権を全く持っていなかった)というべきであろう。

※参考資料:最高裁判所平成7年2月28日付判決
 「
憲法第三章 の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、我が国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものである。そこで、 憲法一五条一項 にいう公務員を選定罷免する権利の保障が我が国に在留する外国人に対しても及ぶものと解すべきか否かについて考えると、憲法の右規定は、国民主権の原理に基づき、公務員の終局的任免権が国民に存することを表明したものにほかならないところ、主権が「日本国民」に存するものとする憲法前文及び一条の規定に照らせば、憲法の国民主権の原理における国民とは、日本国民すなわち我が国の国籍を有する者を意味することは明らかである。そうとすれば、公務員を選定罷免する権利を保障した 憲法一五条一項 の規定は、権利の性質上日本国民のみをその対象とし、右規定による権利の保障は、我が国に在留する外国人には及ばないものと解するのが相当である。そして、地方自治について定める 憲法第八章 は、 九三条二項 において、地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が直接これを選挙するものと規定しているのであるが、前記の国民主権の原理及びこれに基づく 憲法一五条一項 の規定の趣旨に鑑み、地方公共団体が我が国の統治機構の不可欠の要素を成すものであることをも併せ考えると、 憲法九三条二項 にいう「住民」とは、地方公共団体の区域内に住所を有する日本国民を意味するものと解するのが相当であり、右規定は、我が国に在留する外国人に対して、地方公共団体の長、その議会の議員等の選挙の権利を保障したものということはできない。以上のように解すべきことは、当裁判所大法廷判決(最高裁昭和三五年(オ)第五七九号同年一二月一四日判決・民集一四巻一四号三〇三七頁、最高裁昭和五〇年(行ツ)第一二〇号同五三年一〇月四日判決・民集三二巻七号一二二三頁)の趣旨に徴して明らかである。
 このように、
憲法九三条二項 は、我が国に在留する外国人に対して地方公共団体における選挙の権利を保障したものとはいえないが、憲法第八章の地方自治に関する規定は、民主主義社会における地方自治の重要性に鑑み、住民の日常生活に密接な関連を有する公共的事務は、その地方の住民の意思に基づきその区域の地方公共団体が処理するという政治形態を憲法上の制度として保障しようとする趣旨に出たものと解されるから、我が国に在留する外国人のうちでも永住者等であってその居住する区域の地方公共団体と特段に密接な関係を持つに至ったと認められるものについて、その意思を日常生活に密接な関連を有する地方公共団体の公共的事務の処理に反映させるべく、法律をもって、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではないと解するのが相当である。しかしながら、右のような措置を講ずるか否かは、専ら国の立法政策にかかわる事柄であって、このような措置を講じないからといって違憲の問題を生ずるものではない。以上のように解すべきことは、当裁判所大法廷判決(前掲昭和三五年一二月一四日判決、最高裁昭和三七年(あ)第九〇〇号同三八年三月二七日判決・刑集一七巻二号一二一頁、最高裁昭和四九年(行ツ)第七五号同五一年四月一四日判決・民集三〇巻三号二二三頁、最高裁昭和五四年(行ツ)第六五号同五八年四月二七日判決・民集三七巻三号三四五頁)の趣旨に徴して明らかである。
 以上検討したところによれば、地方公共団体の長及びその議会の議員の選挙の権利を日本国民たる住民に限るものとした地方自治法一一条、一八条、公職選挙法九条二項の各規定が
憲法一五条一項 九三条二項 に違反するものということはできず、その他本件各決定を維持すべきものとした原審の判断に憲法の右規定の解釈の誤りがあるということもできない。所論は、地方自治法一一条、一八条、公職選挙法九条二項の各規定に憲法一四条違反があり、そうでないとしても本件各決定を維持すべきものとした原審の判断に憲法一四条及び右各法令の解釈の誤りがある旨の主張をもしているところ、右主張は、いずれも実質において 憲法一五条一項 九三条二項 の解釈の誤りをいうに帰するものであって、右主張に理由がないことは既に述べたとおりである。
 以上によれば、所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は採用することができない。」


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