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■怪我をしたのは自業自得
警視庁、渋谷駅前大型テレビの管理者から事情聴取(1月5日)
報道によると、警視庁は5日、渋谷駅前の大型テレビを管理している広告代理店を、道路交通法違反の疑いで事情聴取したという。これは、先月31日の大晦日に、このテレビを使って行われたカウントダウン行事に参加していた若者らが、営団地下鉄半蔵門線・東急田園都市線渋谷駅の地下連絡階段の屋根に登ってガラスを踏み割り、うち1人が意識不明の重体になった事故を受けたもので、広告代理店は道路交通法(昭和35年法律第105号)上の許可を受けずにスクリーンでカウントダウン行事を行っていたという。
道路交通法第77条第1項は、「道路において祭礼行事・・・等・・・道路に人が集まり一般交通に著しい影響を及ぽすような行為で、公安委員会が、・・・定めたものをしようとする者」は、所轄警察署長の道路使用許可を得なければならない、と規定している。そして、今回のカウントダウン行事がこうした許可を得ていなかったことから、捜査に乗り出したわけだが、どうも腑に落ちない点がある。たしかに、無許可で道路を使った行事をすることはいけないことに違いないが、さりとて、その問題と若者達の問題を一緒にするのは如何なものであろうか。警視庁としては、ああいった事件があったからこそ「念の為」許可の有無を調べたということなのだろうが、だからといって警察が若者の世話まで焼く必要はない。彼らは、その会社が道路使用許可を得ていようといまいと屋根上に登ったであろうし、かつ、ガラスを踏み割って転落したであろうからである。
※参考 道路交通法第77条第1項(道路の使用の許可)
次の各号のいずれかに該当する者は、それぞれ当該各号に掲げる行為について当該行為に係る場所を管轄する警察署長(以下この節において「所轄警察署長」という)の許可(当該行為に係る場所が同一の公安委員会の管理に属する二以上の警察署長の管轄にわたるときは、そのいずれかの所轄警察署長の許可。以下この節において同じ)を受けなければならない。
一 道路において工事若しくは作業をしようとする者又は当該工事若しくは作業の請負人
二 道路に石碑、銅像、広告板、アーチその他これらに類する工作物を設けようとする者
三 場所を移動しないで、道路に露店、屋台店その他これらに類する店を出そうとする者
四 前各号に掲げるもののほか、道路において祭礼行事をし、又はロケーシヨンをする等一般交通に著しい影響を及ぽすような通行の形態若しくは方法により道路を使用する行為又は道路に人が集まり一般交通に著しい影響を及ぽすような行為で、公安委員会が、その土地の道路又は交通の状況により、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図るため必要と認めて定めたものをしようとする者■「成人」に見合った「厳罰」を
全国の成人式で騒動発生(1月8日)
「成人の日」を迎えた1月8日(第2月曜日)、各地で自治体主催の成人式記念行事が開催されたが、その中で、今年も又「新成人」のマナーの悪さが目立つ出来事が起きた。高知県高知市では、市主催の成人式に来賓として出席した橋本大二郎知事が挨拶中、2階席で「帰れ」等とシュプレヒコールを上げて騒いでいた男の新成人4〜5人を、「静かにしろ」と一喝。橋本知事は続けて「そこの人たちを出すようにして下さい」と言い、壇上に座っていた松尾徹人高知市長に「市長さんどうですか」と呼び掛けたうえ、再度「出て行け」と怒鳴った。ところが、注意された男らは「お前が出て行け」等と逆襲する始末。橋本知事は会場の2800人の新成人に「皆さんはどう思いますか」と話しかけると、大きな拍手が起き、怒鳴られた新成人は結局退場しなかったものの、その後会場は静かになったという。また、香川県高松市では、式典会場で勝手に酒盛りをしていた10人ほどの男の新成人のグループが式典を妨害、演説中の市長の顔面に向けてクラッカーを発射し、更に取材中の新聞記者を殴るという事件をおこしたという。
成人式におけるマナーの悪さについては近年大いに指摘されているところが、今年は例年にも増して状況が悪化したように思われた。
その点、決断力を以って新成人達を叱り飛ばした橋本高知県知事の行動は、全く以って称賛に値する。報道を見ている限りでも、高知市や高松市ほど非常識ではなかったにせよ、携帯電話や私語といった問題はどこでも見られたものであり、成人あるいは社会人としての道徳を弁えぬ輩が少なくない数存在している。そうした彼ら(彼女ら)に対しては、だから、そうした「非行」に対する制裁の面でも、一人前の「大人」としての扱いが求められよう。例えば、高松市の事件については、市長にクラッカーを発射した新成人達は公務執行妨害罪の現行犯で逮捕することも出来たのではないだろうか(その後、高松市は、新成人らを威力業務妨害罪で告訴、5人が出頭して逮捕された)。刑法第95条第1項は、「公務執行妨害罪」として「公務員が職務を執行するに当たり、これに対して暴行又は脅迫を加えた者は、三年以下の懲役又は禁錮に処する。」と定めている。「公務執行妨害罪」というと、普通は警察官を殴った場合等に適用されるように思えるが、ここにいう「職務」とは、何もそうした権力的・強制的なものに限られず、広く公務員が職務上なすべき事務の取り扱いをしている場合に、暴行(不法な有形力の行使)又は脅迫(人を畏怖させるに足りる害悪の告知)をすれば、それで成立する(なお、暴行は公務員に直接的に加える必要は無く、物に対する暴行でもよい)。
しかしまた、考えても見れば、この事態は極めて悲しむべきものである。少し大袈裟に表現すれば、100年前は内務官僚のポストとして中央集権体制の一翼を担い、日本全国津々浦々に睨みを効かせ、絶対的・圧倒的な権威・権力を誇っていた「知事」なる役職が、今や地域の若者にまで舐められ、野次を叱らなければならなくなっているのである(しかも、橋本県知事は、自民党最大派閥「橋本派」会長・橋本龍太郎行革大臣の弟なのである!)。彼らも又、来年は若者を迎える「大人」の側に立つのであり、そして少しずつ「非常識」が「常識」を圧倒していくことになるのであろうか。■「公務」は市場原理では評価できない、大幅昇給・試験制度改革こそ必要
政府・自民党、公務員制度改革の原案をまとめる(1月11日)
報道によると、政府・自民党は、省庁再編後の公務員制度改革についての原案をまとめ、平成14年の法案国会提出を目指して本格的な検討に入った。今回の制度改革の柱は、これまで国家公務員法によって労働三権(団結権、団体交渉権、団体行動権)を厳しく規制するかわりに身分保障を与えて来たのを改め、警察・消防・自衛隊・刑務官等を除く全ての公務員に労働三権を回復する代わりに、「特権的」とされる身分保障を廃止し、整理解雇をしやすくするもので、「民間並みの顧客サービス意識を持った政府」を目指す。また、現在の国家公務員法と地方公務員法を統合した新しい公務員法の制定も目指すとしているという。原案ではこの他、「天下り」や退職金をもらいながら公益法人を渡り歩く行為の規制、従来の一種・二種・三種の区分を改め、管理職は「企画管理職」と「実施管理職」の2種類に分け、前者は年俸制を導入する等の案も検討課題になっている。
ところで、この原案では、公務員が現行の身分保障に安住しているとの見方が「公務員たたき」を生み、「行政の士気や機能の低下を招く悪循環に陥っている」等と指摘しているが、果たして本当であろうか。
よく知られているように、これまで公務員に労働三権が認められてこなかったのは、その職務の特殊性による。即ち、(1)そもそも公務員の職務は公的な性格が強いこと、(2)国家公務員の給与は法律事項、つまり国会によって決められるのであり、使用者である行政が決定できるものではない以上、行政を相手としてスト権を行使しても無意味であるばかりか、むしろ立法権を侵すことになること、(3)民間企業におけるストライキは使用者と労働者の「倒産するまでの我慢比べ」であるが、市場原理に基づかない権力的な「行政」の分野ではそうした「市場原理」による抑制が働かないので、民間と同じようにスト権を認めることは出来ないこと、(4)公務員は一般の労働者と異なり、私生活上の規制も多く(政治活動の禁止、退職後の「転職の自由」制限等)、民間と同列には到底扱えないこと、(5)そもそも公務員は不偏不党・中立の立場から行政に携わるべき行政官であり、裁判官・検察官と同等とは言わないまでも一定の身分保障を与えることには十分理由があること、(6)公務員の給与は法律で決まるものであり、仕事でがんばったからといって増えたり減ったりするものではないこと、等から、労働三権ではなく人事院勧告(地方の場合は人事委員会)による労働条件改善が行われてきたのである。そして、これらの根拠には十分理由があるし、これらの理由を否定してまで「市場原理」を導入すべき根拠は見当たらない。「顧客サービス意識」とは聞こえがいいが、職業倫理としての「公僕」意識は必要であっても、全ての職場で「小売業」的な「サービス意識」が必要だというわけではあるまい。
むしろ、昨今の公務員の士気低下は、90年代のバブル景気時代における官民給与格差に求められるのではないだろうか。「天下りを規制する」と言っても、それと引き換えに公務員の大幅給与アップが為されなければ、(いくら「金ではない」とはいえ)結局は有能な人材が公務員に集まらず、行政の破綻を来すだけである。老人ホームを巡る汚職事件で、厚生省の岡光元事務次官が賄賂として受け取った「自家用車」が、外車でも高級車でもなく、銀行員であれば新入社員でも買えるような、たかだか平凡な国産自動車であったことが想起されるべきである。このところ、政府・自民党は公務員のわずかな昇給を求める人事院勧告すら完全実施しておらず、幹部公務員については全く昇給が無いという状態になっているが、払うべき十分なコストを払わないでおきながら、不祥事が起きると「サービス意識が足りない」等と批判する等というのは、正気の沙汰ではない。叙勲制度改革といい、公務員制度改革といい、あまりにも「公務員」を否定的に捉えた、バッシング的な改革論議であると思えてならない。
また、公務員の質の問題を論ずるのであれば、民間からの人材確保を安易に求めるのではなく(前述したように、行政官にも一定の中立性・公平性が要求される以上、在野の人材を登用するのは慎重であるべきである)、むしろ「暗記」に終始しがちな現在の公務員試験制度を改革したほうが得策ではないだろうか。■法案提出に漕ぎ着けたゲリラ対策
防衛庁、ゲリラ侵入に対応するための自衛隊法改正方針を固める(1月12日)
報道によると、防衛庁は、武装したゲリラ部隊等が我が国領土に侵入した際に自衛隊がこれに対処できるように、自衛隊法の一部を改正する方針を固めた。1999年3月の北朝鮮不審船事件を踏まえ、武装ゲリラ対策として自衛隊に治安出動が発令された場合の武器使用基準を緩和するもので、早ければ今月召集される通常国会に改正案を提出する方針だという。
現行の自衛隊法(昭和29年法律第165号)では、治安出動した自衛隊の権限について、第89条で警察官職務執行法(昭和23年法律第136号)が準用される他、第90条第1項で、(1)職務上警護する人、施設又は物件が暴行又は侵害を受け、又は受けようとする明白な危険があり、武器を使用するほか、他にこれを排除する適当な手段がない場合(1号)、(2)多衆集合して暴行若しくは脅迫をし、又は暴行若しくは脅迫をしようとする明白な危険があり、武器を使用するほか、他にこれを鎮圧し、又は防止する適当な手段がない場合(2号)に、「その事態に応じ合理的に必要と判断される限度で武器を使用することができる。」としている。しかし、この規定では、少人数で特殊訓練を受けた武装ゲリラへの対処は法的に困難なため、改正案では、「多衆集合」の文言を削除する等して、武器使用条件を緩和する方針。更に、不審船を強制的に停船させるために、当該不審船舶の乗員に危害を加えても自衛官の刑事責任を免除する措置も検討しているという。
防衛庁は今年度、九州の陸上自衛隊に「西部方面普通科連隊」(隊員数約660人、いわゆる離島防衛部隊)を編成する他、海上自衛隊の自衛艦隊に特別警備隊を新設、ゲリラ対策のハードウェアを整えつつあるが、それに比べて有事法制等のソフトの面は、これまで遅れがちであった。その点、今回の法改正は意義深いが、現行法第90条を改正して「多衆集合」の文言を削除する等するだけで、果たして戦闘状態に置かれる現場部隊に十分な権限が与えられるが、疑問なしとしない。今後の法制度の整備に期待したい。■「公平性」とは被害者との比較において考慮すべきだ
東京高等裁判所、飲酒運転のトラック運転手に懲役4年の実刑判決維持(1月12日)
報道によると、東京都世田谷区の東名高速道路上で、飲酒運転の大型トラックが乗用車に追突、女児2人が死亡した事故で、業務上過失致死傷、道路交通法違反等の罪に問われた元運転手、谷脇恵一被告人(56歳)の控訴審判決が12日、東京高等裁判所であった。検察側は事件の悪質さや遺族の強い処罰感情に配慮して、一審の地裁判決が懲役4年と処断したのは「軽過ぎる」と控訴していたが、仁田陸郎裁判長は被告人の常習的な飲酒運転を批判したものの「同種事故の量刑と比べ、是正するほど軽過ぎて不当ではない」「(被害者の救助や反省等)一定の程度で被告のために酌むべき事情(がある)」と一審判決を支持、懲役5年を求めた検察側控訴を棄却した。また、悪質な交通事故の対処について「法定刑の引き上げなど立法的な手当てをするのが本来のあり方」と異例の指摘をしたという。検察側は通常、求刑の8割に当る刑が宣告されれば控訴しない。
判決の中で高裁は、被告人を懲役4年とした理由について、「刑事司法の重要な原則として要請される処罰の公平性を損なう恐れがある」と述べているが、納得し難い論理である。もし、裁判所が「公平性」ということを(実質的正義のための修正原理として)口にするのであれば、それはまずは被害者との比較においてすべきなのであって、道路交通法違反・業務上過失致死傷罪との比較ではない。無論、「処罰の相当性」も重要ではあるが、本件について敢えて「処罰の公平性」のために比較をするのなら、それは「(飲酒運転を繰り返し)未必の故意があった」として、例えば殺人罪との比較こそなされるべきであろう。「立法的な手当てをするのが本来のあり方」という指摘は一見司法の自己抑制的で健全なコメントに見えるが、現在でも立法上は(業務上過失罪については)法定刑として最高5年までの懲役刑を認めており、この範囲で如何なる刑を宣告するかは正に司法裁量に委ねられているのであって、懲役4年に留めたことを正当化するものではない。■機密費は必要、しかし河野外相は責任をとって辞職すべきだ
外交機密費横領事件で外務省が調査報告(1月25日)
報道によると、外務省幹部による外交機密費(報償費)の横領事件で、河野洋平外務大臣は25日記者会見を行い、機密費を横領した松尾克俊・元要人外国訪問支援室長(55歳)の懲戒免職処分と刑事告発、及び外務省幹部など関係者16人の監督責任を問う形で減給処分とし、併せて横領事件の調査結果を発表したという。調査結果によると、松尾元室長は、1993年10月から99年年8月まで大臣官房の要人外国訪問支援室長を務め、首相の外遊準備などをしていたが、94年2月頃から、実際にかかった経費を除いた計約5億6000万円を8つの個人名義の預金口座に入金。クレジットカードで約2億5000万円を引き落とし、現在も残高は3億1000万円に上っているという。報道によれば、松尾元室長こうして横領した公金は、競走馬5頭の購入と種付け料約5400万円に使われた他、東京都文京区のアパート購入費用やゴルフ会員権5口その他遊興費に流用されていた。
国家の外交にとって秘密資金は必要であり、今回の事件があったからといって官房機密費や外交機密費を廃止するといった拙速な対応は、断じてすべきではない。国内とは異なり国際社会は裸の政治権力の世界であり、「賄賂はいかん」といったキレイゴトでは通用しないものである以上、これからもこうした「国際的裏金」の必要性は薄れないのである。しかし、これは既に指摘されていることが、「領収書のいらない」こうした秘密の公金は、一歩間違えれば「やりたい放題」にできてしまう危険性があるのであり、これを取り扱う公務員の高い規範意識が求められると共に、こうした公金を流用することは即ち国家に対する反逆であるという認識を十分浸透させる必要があろう。また、制度面では、会計責任者と実施責任者を分けるといったチェック体制の構築が急務であろう。
ところで、今回の事件で河野外務大臣は、これが「個人の犯罪」であったということを繰り返し主張しており、関係者に対する処分も監督責任を問うものとなっているが、果たしてそうであろうか。実施責任者と会計責任者を分離するというのは近代会計の大原則であるが、今回問題となった外交機密費についてはそうした制度は存在せず、これが結果として何億円もの横領事件の温床となってしまった。機密費の取り扱いがデリケートであればあるだけ(使途を外部に公表できないからこそ)、監督責任者はなお一層の注意義務を負わされていたはずであり、国民の信頼失墜の度合いも極めて大きく、外相の引責辞任に値するといえる。何故ならば、機密費が国民に対して非公開であることが正当化され得るのは、国民の代表たる外務大臣がその使途をチェックし(情報公開法的な表現を使えば、ある種の「インカメラ審査」)、以って間接的なコントロールを及ぼしうるからである(その意味では、「外務大臣の首」と「機密費の機密性」はトレードオフの関係に立っているといってもよい)。しかも、松尾元室長は細川内閣時代からおよそ6年間にわたって室長の任にあったとはいえ、その間、河野代議士は村山内閣及び同改造内閣、第2次小渕回増内閣、森内閣で一貫して外務大臣を務めており、12月の内閣改造で就任した額賀福志郎・経済財政大臣とは責任の重さが違う(蛇足ながら、KSDから受け取った1500万円に関する額賀代議士の説明が真実とすれば、大臣を辞職するほどのことだったとは思えない)。加えて、最近の対ロシア外交(北方領土問題に進展は無く、ロシア側から突然の外交日程変更を通知される等の事態に至っている)、対北朝鮮外交(拉致問題に進展が見られない中、「自らの責任で」と語り実施した再度のコメ支援の効果も疑問視されている)の停滞もある。額賀経済財政相辞任で河野グループの麻生太郎代議士が後任に入閣しており、「派閥均衡」人事の上からも障害はない。やはり、河野外相は、責任をとって大臣を辞職すべきではないだろうか。■調査に水門開放=諫早湾干拓停止は必要か
菅民主党幹事長、有明海ノリ問題で諫早湾の水門開放を要求(1月27日)
報道によると、民主党の菅直人幹事長は27日、有明海産の養殖海苔が黄色く変色する被害が出ている問題に対応するため佐賀県川副町の漁協を訪れ、漁船に乗って実際に海苔の生育状況等を視察した(なお、前日までに、与党三党の幹事長や松岡利勝農水副大臣も現地視察を行っている)。視察を終えた菅幹事長は、記者団に「水門を開けて調査をすべきだ」と語り、民主党としてこの問題を31日からの通常国会で追及していく姿勢を見せたという。
有明海の海苔被害問題が諫早湾干拓事業と因果関係があるとすれば、両者の調整のために今後何等かの措置をとることは必要である。ただし、諫早湾干拓事業は地元の要望もあり、また防災の観点から全く不必要とまでは言い切れないものがあるから、これを以って100%「無駄な公共事業」と断罪するのは早計であろう(例えば、水門が閉鎖されたのは3年前であり、海苔の被害が生じたのは昨年末からであって、時期にズレがある。また変色の原因はプランクトンの異常発生であると言われているが、その原因は気候の変動やその他の地域からの富栄養化した排水も考えられる。更に、巻貝の減少は水門閉鎖前4〜5年にわたっての現象であって、やはり水門どの因果関係は自明ではない)。専門家からは、現在水門を開放すれば、却って調整池内部の汚れた水が諫早湾に流れ出し、漁業被害を一層深刻化させる危険性も指摘されている。
よって、少なくとも、現時点で「調査をするため」に水門を開ける必要はあるまい。否、「水門を開ける」ということは事実上「干拓事業を100%中止する」(これまで排水して造成された干拓地に再び海水を入れる)ことを意味するのであり、政府としては受け容れられない選択肢であろう。もし干拓事業と漁業被害との因果関係を調査するのであれば、それは、むしろ水門を閉鎖したまま現在の被害状況や他の要因を調査することからはじまるのであって、水門開放はあくまで「最後の手段」になるはずである。少なくとも、「調査のために水門を開く」(これは、民主党の他にも一部ニュース番組で何度か主張されていた)というのは、調査を出来なくする=調査のないまま干拓事業を100%中止させることを意味するのであり、おかしな物言いである(調査のためにはむしろ原因を特定するために水門を閉じておく必要がある)。■医療ミスを起こした病院に匹敵する責任回避姿勢
日本航空機、静岡県上空で衝突寸前のニアミス(1月31日)
報道によると、31日午後4時頃、羽田発那覇ゆきの日本航空の国内線JL907便(渡辺誠機長、乗客411人・乗員16人、ボーイング747型ジャンボ機)と韓国・釜山発成田ゆきの同社国際線JL958便(赤沢達幸機長、ボーイングDC-10型機)が静岡県焼津市付近で以上接近(ニアミス)し、その際、907便側が急降下して回避したため機体が激しく揺れ、乗客・乗員ら計42人が重軽傷を負った。その後の調べで両機は、衝突コースを避けるため国土交通省(旧運輸省)東京航空交通管制部(埼玉県所沢市)の指示でコースを変更したものの、訓練中の管制官が誤って水平飛行中の958便ではなく上昇中の907便に降下を指示したため混乱。側にいた監督の管制官も便名を間違える等したため更に急接近し、最後は双方が目視で位置関係を確認できるまでになったため、双方の機長が航空機衝突防止装置(TCAS=Traffic Collision Avoidance System。航空機の航空機衝突を回避するため、接近した航空機に自動的に回避指示を出す電子装置)の指示とは反対に行動して衝突を回避したことがわかった。
現在、我が国は世界でも有数の航空輸送大国であり、空港・滑走路の数が限られていることから、短距離路線にも多数のジャンボ機・ワイドボディー機を就航させている珍しい国である。そして今日、我々の生活は「空の旅」とは切っても切り離せないものになっており、それだけに航空輸送の安全性確保には殊更慎重でなければならない。
もっとも、今回の事件の報道を聴いていて、2つの違和感を覚えた。
一つは、今回の問題の原因として、「在日米軍及び航空自衛隊の軍事空域の多さが、空路を制限している」という識者の指摘である。私は東京上空の航空路の地図を見たことが無いので何とも言えないが、だからといって今回の事件を機に軍事空域を減らすことには賛成できない。在日米軍むけはともかく、航空自衛隊にとってはその戦力を維持するための飛行訓練は死活的に重要であり、そしてそうした訓練を安全におこなうには一定の制限空域が必要だからである。この点、例えば航空管制官でつくる全運輸省労働組合(全運輸)が、自衛隊機や米軍機とのニアミスの多さ(全体の2割)を理由に「軍民共用空港」や日米新ガイドラインに伴う米軍機などの民間空港使用に「警鐘を鳴らしている」というが、平時の航空の安全を理由としてガイドラインを批判するというのは如何にも姑息である(軍民共用が危険なら、軍事専用にすべき)。
二つ目は、今回の事件について日本航空機長組合等の労働組合が、警察の捜査に極めて非協力的な態度をとっているという点についてである。例えば、事故をおこした907便及び958便の機長は、事故の翌日に予定されていた警視庁の事情聴取を「弁護士と相談したい」といって拒否したし、3日には日本航空の労働組合(日本乗員組合連絡会議)が記者会見で「警視庁が国土交通省の航空事故調査委員会の調査より先に捜査を始めたのは異常」「日航も社内調査で機長から聴取する前に警察の聴取を先行させたのは問題」等と主張している。だが、業務上過失傷害の疑いのある事件について警察が捜査に乗り出すのは至極当然のことであり、操縦室内部の現場保存を確実にするため(もし機長に重大な過失があったりすれば、機長らが自身に不利益な証拠を隠滅しないとも限らない)にも必要だったはずである。無論、刑事訴訟法の観点からすれば、機長は裁判所の令状が無い限り逮捕されず(もっとも、3年以上の懲役に当る重大犯罪の場合は緊急逮捕される可能性もあるが)、任意同行はあくまで「任意」なのであるから出頭する「法的義務」は無かった。しかし、400人以上の乗客の生命を預かって営利活動を行っている航空会社の職員の職業倫理として、正しいと言えるとは到底思われない。労組としては経営側とのイザコザもあるようだが、そんなことは利用者の知ったことではない。「将来に向けた再発防止」を理由に「過去の事件の責任を免れる」というのは、少年法の如き「甘えの論理」に過ぎない。一部では、航空事故の真相究明のために操縦士の刑事責任を免責する制度を導入せよという主張もあると聞くが、憲法違反(法の下の平等)の言語道断である。
製作著作:健論会・中島 健 無断転載禁止
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