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■「疑惑」は「解明」されたと言えるか
村上正邦・前自民党参議院議員会長、予算委員会で証人喚問(3月1日)
報道によると、KSD中小企業経営者福祉事業団からの資金提供疑惑を巡って議員を引責辞任(自民党を離党)した村上正邦・前自由民主党参議院議員会長(前参議院憲法調査会会長)は28日午後1時、参議院予算委員会で開催された証人喚問に出頭し、2時間あまりにわたって証人としてこの問題に関する釈明を行なった。証人喚問の中で村上氏は、「ものつくり大学」に関する国会質問の謝礼とされる5000万円の現金の授受や、資金管理団体「正邦会」などの事務所家賃計約2200万円の肩代わり等について、「刑事訴追を受ける恐れがある」との理由で証言を拒否した。受託収賄罪の容疑で東京地検特捜部から事情聴取を受けたことに対し、「司法において身の潔白を示す」と述べ、容疑を否認する考えを明らかにした。
「議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律」(議院証言法、昭和22年法律第225号)は、「各議院から、議案その他の審査又は国政に関する調査のため、証人として出頭及び証言又は書類の提出を求められたときは、この法律に別段の定めのある場合を除いて、何人でも、これに応じなければならない。」(第1条)、「この法律により宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、3月以上10年以下の懲役に処する。」(第6条①)、「正当の理由がなくて、証人が出頭せず、現在場所において証言すべきことの要求を拒み、若しくは要求された書類を提出しないとき、又は証人が宣誓若しくは証言を拒んだときは、1年以下の禁錮又は10万円以下の罰金に処する。」(第7条①)とする一方で、「証人は、自己・・・が刑事訴追を受け、又は有罪判決を受けるおそれのあるときは、宣誓、証言又は書類の提出を拒むことができる。」(第4条①)として黙秘権を定めている。こうした権利は憲法上の権利であり、尊重されるべきである。
しかし、もし証人がそうした権利を行使して、問題の核心部分について証言拒否を貫くとすれば、この問題で証人喚問を行なったことそのものにあまり意味が無くなる。否、問題となっている部分について刑事訴追の虞を理由に証言を拒絶することは、事実上その問題について刑事訴追に値する「非行」があったことを間接的に認めたのと同じであり、「疑惑は一層深まった」というのが国民の正直な感想ではないだろうか。もし村上氏が「国民の前に真実を明かにする」ことを本当に欲していたのであれば、たとえ自己に対する刑事訴追の虞があっても、堂々と答弁すべきだったであろう。
それにしても、村上前議員は、参議院憲法調査会では会長を務め、憲法改正問題等々でも保守主義の立場から積極的な問題提起を続けてきた大政治家だけに、今回のKSD問題で、小山孝雄前議員共々失脚してしまったのは極めて残念という他ない。■カルト宗教国家に国際的承認は得られない
アフガニスタン原理主義ゲリラ・タリバーン、国内の仏像破壊(3月3日)
報道によると、アフガニスタンを実効支配するイスラム原理主義ゲリラ「タリバーン」が、同ゲリラのイスラム教最高指導者ムッラー・ムハンマド・オマル師が「偶像崇拝はイスラム法に反しているので、国内のすべての彫像を破壊すべきだ」と布告したのを受けて、同国内の仏像破壊を進めている、と伝えられている。
アフガニスタンは、1979年12月のソ連軍介入以来、20年間にわたって内戦下にあった。ソ連占領下ではカルマル政権が、そして1986年からはナジブラ政権が同国を支配したものの、これらの共産主義政権に対してはパキスタン、西側諸国の軍事援助を受けた「ムジャヒディーン」(「イスラム聖戦士達」)が抵抗。1988年4月、ジュネーブ合意が成立し89年2月にソ連軍が撤退した後はナジブラ政権・政府軍は崩壊(1992年4月)、ムジャヒディーン各派による連立政権(ラバニ大統領)が発足した。しかし、今度はそのラバニ大統領が任期満了後も政権に居座ったために大統領派と反大統領派の抗争が激化し、イスラム協会(ラバニ派、タジク人中心)、イスラム党(ヘクマティヤル派等、パシュトゥーン人中心)、イスラム統一党(ハリリ派及びアクバリ派、イスラム教シーア派のハザラ人中心)、イスラム国民運動党(ドゥスタム将軍派、ウズベク人中心)が内戦を続行。そんななかで、1994年末からは、パキスタン、サウジアラビアの支援を受け、厳格なイスラム教の規律と秩序を標榜する新興勢力「タリバーン」(「神学生達」)が急速に台頭し、内戦に嫌気がさしていた国民の支持を得て1996年9月、ラバニ政権の政府軍を撃破して首都カブールを攻略し、更にドゥスタム将軍派など上記の反タリバーン各派の「北部同盟」の要衝マザリ・シャリフも攻略して、現在では同国の9割を実効支配している(但し国連代表権はラバニ政権が掌握)。
「タリバーン」は既に、バーミヤン攻略作戦中に巨大石仏像2体(4〜6世紀のもの)を損傷させており、人類共通の貴重な文化財を尊重しない姿勢をはじめから明らかにしている。一部では、こうした「タリバーン」の動きは国連の経済制裁に対する反抗であるとの見方もあるが、「タリバーン」側に名分があるならともかく、今回のような蛮行を重ねても国連の制裁は強まりこそすれ弱まることはない。今回の事件については、欧米からは相当に「イスラム原理主義的」と見られているイランですら、「仏像破壊はイスラム教の教えとは関係ない」として「タリバーン」側を批判しており、多くのイスラム諸国も「タリバーン」批判を行なっている。「タリバーン」は、この他にも厳格なイスラム法の施行(女子の就学・就労拒否等)等、理解し難い政策を実行に移しており、到底承認し得るものではない。このような「カルト宗教国家」に、国際的承認は得られないし与えてはならない。■「不信任決議案」は何のためにあるのか
森内閣不信任案、否決(3月5日)
報道によると、民主、自由、共産、社民の野党四党が共同提出した森内閣不信任決議案は5日午後の衆議院本会議に上程され、討論の後採決が行なわれた結果、自民、公明、保守の与党三党の反対多数(賛成192、反対274、棄権2)で否決された。昨年の「加藤政局」の動きを作った自民党加藤派は加藤紘一元幹事長ら7人が欠席したが、山崎派は山崎拓元政調会長ら全員が出席して反対票を投じた。もっとも、与党内では、「不信任案否決と森首相個人の問題は別」(神崎武法公明党代表)等として森喜朗首相に退陣を迫る動きが活発化しており、古賀誠自民党幹事長は5日、13日の自民党大会までに退陣を表明するよう、首相を説得する方針を固めているという(反対討論に立ったのは自民党の尾身幸次幹事長代理だけで、その演説も終始野党の野次に押されているように見えた)。複数の与党筋が明らかにした。しかし森首相は同日、「私が第一線に立って(改革)法案の成立を図る」と、教育改革関連法案など予算案以外の重要法案処理に自らあたる考えを表明。首相が古賀幹事長の説得に直ちに応じるかどうかは微妙で、与党内の駆け引きは緊迫化してきた。
野党としては、森首相のまま参議院選挙を迎えたほうが有利であり、本音の部分では「森続投」のほうが選挙対策上好ましいと考えている。一方、与党としては、それでは逆に選挙対策上好ましくないから、早期退陣を迫りたい。にもかかわらず、野党が不信任案を提出し、与党がそれを否決し「信任」する・・・。誠に「国会情勢は複雑怪奇」と言わねばならない。加えて、当の森首相は不信任案否決後の5日午後、国会内で古賀幹事長や青木幹雄参院幹事長と会談し、「平成13年度予算案の成立に責任をもってあたっていく。そのあとにはIT(情報技術)関連法案などを提示していきたい。党内にざわめきがあったのではできないので、しっかりまとめてほしい」と党執行部に協力を要請。記者団の質問に対しては「予算を含めて、内閣として法律をぜひ、成立をお願いしたいと言っている以上、その責任は私にある。私が第一線に立って、これらの法案の成立を図ることは当然のことだ」と述べたという。だが、1年にも満たない政権中に閣僚が3名辞任し、不信任決議案を3回つきつけられ、与党から2名、外務省から1名の逮捕者を出すスキャンダルに見まわれ、その上支持率が1ケタ台にある今の森首相に、もはや如何なる理由においても続投を容認できる理由は無い。このまま続投して自民党が参議院選挙で敗北すれば、それは結果として小渕内閣までの歴代自民党内閣が制定してきた法律を廃止される等の「実害」が生じるのであり、そうした事態を回避するためにも首相の早期退陣は絶対に必要である。
もし、時の政権与党が常に結束して不信任案を葬り去るのであれば、そもそも内閣不信任決議案を採択する権限を衆議院に認めた意義はほとんど0に等しいだろう。せいぜい、連立政権が不安定になったときとか、与党自体が分裂しそうなとき、あるいは少数与党政権であるときに有効であるに過ぎない(もっとも、今後の総選挙で自民党が比較第1党であっても過半数を確保できず、少数与党になる可能性は大いにあるので、そのときはもうすこし有意義なものになるかもしれないが)。であるならば、不信任案に対する採決というものは、本来与野党それぞれが党議拘束を外して、自由な一人の国民代表として投票行動をなし、政権の信任・不信任を決めるべき性質のものではないだろうか。■外務省「機密費横領」事件の完全なる全容解明を望む
在豪日本大使館職員、公金横領の疑惑(3月8日)
報道によると、外務省が平成5年(1993年)に在オーストラリア日本大使館(キャンベラ)に対して実施した内部査察の過程で、当時同館の会計責任者だったノンキャリアの職員が公金約二百数十万円を横領していた事実を把握しながら、不問に付していたことがわかった。事件が発覚したのは現地採用の職員から「会計担当官が公金を流用している」との内部告発が相次いだためで、査察の結果、この外交官が機密費の残金等の公金をプールした「スペシャルファンド」(SF)と呼ばれる銀行口座から、額面二百数十万円の小切手を勝手に持ち出し、自分の妻の乗用車1台を購入していたことが判明。また、大使館の改修工事にかかった費用を業者に水増し請求させるなどして、外務省から送金された費用約700万円を着服していた疑いも浮かんだ。更に、首相外遊時の現地要人への土産として外務省が購入したゴルフクラブのセットを相手に渡さず横領し、自分で所有していたことも判明したという。ところが、調査にあたった査察使が、小切手分の二百数十万円を返金させるとともに、同職員を「厳罰に処すべきだ」との報告書を当時の外務大臣や外務事務次官に提出したところ、この職員が「自分を処罰するなら、機密費の不正使用をばらす」と逆に外務省当局に脅しをかけて開き直ったため、不祥事発覚を恐れた本省幹部らによって処分が見送られ、同人は現在も在外公館で勤務しているという。なお、本人はこの疑惑を完全に否定している。
報道された件が事実とすれば、国家公務員としての規範意識を全く欠いた、極めて悪質な犯罪という他ない。国民の税金を私的に流用し、私腹を肥やす。あまつさえ、秘密暴露を武器にして開き直る。正に、「無理が通れば道理が引っ込む」とはこのことであり、「悪が勝つ」とでも言うべき異常な状態である。しかも、この職員が公金を流用したことそれ自体はあくまで「個人の犯罪」であろうが、更に問題なのは、その後の外務省当局の対応である。「処分したら不祥事を暴露する」といった程度の身内の脅迫に屈するような役所に、果たして「核の脅威」をちらつかせて譲歩を迫られるような外交交渉に対応する能力があるのか甚だ疑問と言わなければなるまい。確かに、国家間の外交交渉では、時として綺麗でない決着の方法がとられることもあろうが、それと人事管理・国民に対する責任とは別次元の問題であり、この種の事件も「丸く治める」ことは国家に対する反逆である。
ところで、この事件を踏まえて懸念されるのが、同様の「脅し」によって外務省機密費流用疑惑事件が「闇に葬られる」ことである。現在警視庁は、松尾克俊・元要人外国訪問支援室長を逮捕し詐欺容疑での立件を目指して捜査を進めているが、一部で報道された1500万円の住宅資金を「借りた」松尾容疑者の同僚や、松尾容疑者が人脈形成のために流用した機密費で飲食していたその他の外務省幹部については、一向に捜査の手が伸びていないように見える。これは、松尾容疑者が、上記の元在オーストラリア大使館職員と同じように、「捜査当局に自白しないかわりに出所後の面倒を見る」といった「取引」を外務省幹部との間で取り結び、自分は敢えて黙秘を続けるとともに外務省側も捜査関連資料を秘匿するよう要求しているからではないか、という想像を喚起させるに十分である(他の職員を逮捕・起訴するには外務省からの積極的な資料提供や関係者の供述が不可欠であろう)。そんな犯罪的「取引」はまさか無いとは思うが、いずれにせよ、捜査当局には、機密費横領事件及び在豪大使館公金横領事件の完全なる全容解明を求めたい。■北朝鮮情勢についての良識を示した米大統領
ブッシュ米大統領、金正日・北朝鮮総書記に「疑念がある」と表明(3月8日)
報道によると、アメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領は7日、訪米中の金大中・韓国大統領とホワイトハウスで会談し、共同声明を発表した。この中でブッシュ大統領は、北朝鮮(自称「朝鮮民主主義人民共和国」)との和解と協力を目指す金大統領の「太陽政策(包容政策)」への支持を示す一方で、北朝鮮の金正日総書記の姿勢や大量破壊兵器の拡大などへの「疑念」を表明、ミサイル問題などをめぐる米朝協議は早期には再開せず、場合によってはKEDOによる原発(軽水炉)建設支援も見直す考えを示したという。
会談後の記者会見の中でブッシュ大統領は、北朝鮮について「透明性があまりないので、合意の条項がすべて順守されているかどうか確かではない」と「疑念」を表明したというが、こうした米大統領の「疑念」は極めて当然かつ健全な見解である。我が国では、昨年の南北首脳会談以来、「朝鮮半島情勢は和解に向けて動き出した」との論調が多く見られ、あたかも北朝鮮の脅威が除去されたかのように報道されている。しかし、当然のことながら、「和解に向けて動き出した」ことと「和解した」ことは別であり、また「和解に向けた動き」が一夜にして「対立に向けた序曲」に変化しかねないことは歴史が証明している。現に、南北直通鉄道の建設がはじまった一方で北朝鮮軍が国境に配備した膨大な軍事力の削減は行なわれておらず、「和解に向けた動き」として見られたのは、せいぜい離散家族の相互訪問と軍事境界線における宣伝放送の中止ぐらいのものであって、「疑念」や「不信感」を持つのが当然である。少なくとも、北朝鮮を欧州の国家のような「国際的常識」が通用するような国家であると考えるのは誤りであって、イラクのフセイン政権、アフガニスタンのタリバーン政権、あるいはナチス・ドイツのヒトラー政権と同様のものとして「構える」必要があろう。少なくとも、彼の国が一党独裁、社会主義を捨てない限り、我が国との間での真の「和解」は全く不可能であろう(し、そうしたことが可能だとの幻想を持つべきではない。なお、このことは中国にも当てはまることである)。
かつて西欧諸国は、第一次世界大戦での莫大な犠牲の再現を嫌うあまりナチス・ドイツの「平和攻勢」の手にのり、時の英首相チェンバレンはヒトラーの仮面を遂に見破ることが出来ないまま、ドイツのチェコ、オーストリア併合を許し、更には第二次世界大戦の勃発を許してしまった。そしてフランスは、その誤判断のために国土の占領という手痛い代償を、また世界は、結局「ソビエト共産主義」というより大きな脅威の出現という、これまた手痛い代償を支払った。爾来、「全体主義者や独裁者には容赦しない」というのが英仏は勿論ドイツを含む全欧州諸国のコンセンサスになっており、共産主義も含めて現在でも「独裁者予防」の手綱を緩めてはいない。現に、最近でもオーストリア自由党のハイダー党首を党首辞任に追いこみ、一部諸外国の批判を浴びながらもユーゴスラビアのミロシェビッチ政権を(国連決議を待たず)空爆し、ナチス協力者は半世紀以上がたった今日でもなお訴追されている(そして、例え小国であっても容赦はされない。ヒトラー登場当時のドイツも、大戦後の経済的混乱とベルサイユ条約の制約で「小国」であったことが想起されるからである)。こうした欧州諸国のファシズム、ナチズムに対する視線は、我々の北朝鮮に対する視線を考える上で極めてよい参考になるのではないだろうか。■自由民主党は選挙に勝つ気があるのか
森首相、自民党大会で「総裁選繰り上げ実施」を表明(3月13日)
報道によると、13日に東京の日本武道館で開催された自由民主党大会において森善朗首相は、今年9月に予定されていた党総裁選挙を前倒しして実施することを表明し、事実上の退陣表明を行なった。しかし、その後開かれた国会審議の質疑で首相は辞意を完全に否定、党内向けには辞意、国民向けには続投をアピールするわかりにくい事態となった。
今日、森善朗首相の人気が低迷しており、このままでは与党三党は参議院選挙を戦えないだろうということは誰しもが思っていることであって、首相退陣は折込済みである。しかし、3月下旬の日米・日露首脳会談や予算関連法案の審議に引きずられて、内閣総理大臣の職を森首相個人の「花道」のために使い続けるというのは、正に職を私に使うことに他ならない。第一、今更森首相がブッシュ大統領と会談しても特段の成果が得られるわけでもなく、「花道」にすらなり得ないのではないか。もし、「首相が辞めると所信表明演説からやりなおさなければならない」というのであれば、とりあえず内閣総理大臣を森首相のままにして自民党総裁を辞職し、「総総分離」をはかって総裁選挙を直ちに実施することも考えられよう。最近、野中広務前幹事長ら一部の党幹部が「総裁選の6月実施」、「任期は9月までの暫定政権」とする見解を示している(それによって野中氏を担ぎやすくするという狙いもあるらしいが)というが、そんなことでは国民は到底納得しないであろう。自民党は選挙に本気で勝つ気があるのかどうか、国民は総裁選に注目している。
森首相個人の態度も問題である。報道によれば、連日のマスコミの辞任報道に嫌気がさした森首相は党大会後には番記者からの質問も拒絶するようになり、だんまりを決め込んでいるという。あれだけしぶとく「続投」を表明していた森首相にもさすがに堪えたようだが、しかし、確かに過去のマスコミ報道の中には、「神の国」発言や「寝ていればいい」発言のようにマスコミが煽動して問題化したものもあるにはあったが、「第三国発見」発言は正に失言であるし、首相は「神の国」発言の時点でマスコミを味方につけることを学ぶべきであった。辞任が既定方針となった今ではどうしようもないだろうが、せめてこれから1ヶ月は、番記者と人間的接触をはかる等してマスコミをなるべく味方につけ、「花道」を飾って見ては如何か。■「永田町の非常識」と「国民の非常識」が一致した日
衆議院、本会議での携帯メール自粛へ(3月23日)
報道によると、衆議院の議院運営委員会は23日の理事会で、衆議院本会議中の携帯電話を使った電子メールのやりとりの自粛を各党が徹底することで合意した。これは、民主党の伊藤忠治理事が「最近、本会議場で携帯電話でメールのやり取りをしている議員がいる。好ましくない」と指摘したためで、藤井孝男・議院運営委員長が「議場の緊張感が薄れているのはよくない」として自粛するよう要請し、各党理事もこれを了承した。同様の申し合わせは1996年4月にも行なわれたことがあるが、最近では携帯電話でのインターネット接続サービスを利用して、議席の机の下でメールの送受信やホームページの閲覧をする代議士が、主として若手議員を中心に見られるという。
最近、若者の公共空間でのマナーが問題視されているが、なんのことはない、「選良」と呼ばれる国会議員ですらも、IT技術の「とりこ」になっていたわけである。無論、国会は議員の仕事場であり、電子メールやネットも仕事の一環として利用しているのではあろうが、国家の最終的な立法意思を(議院として)決定する本会議の場は、やはり「単なる個人的な仕事場」とは言い難いだろう。昨年7月の臨時国会では、開会式で天皇陛下がお言葉を述べられている最中に出席議員が携帯電話の着信メロディーを鳴らすという言語道断の「事件」もあったという。国民の非常識は、そのまま永田町の非常識となるのである。■児島 襄氏の死去を悼む
戦史研究家・児島 襄氏死去(3月27日)
報道によると、「東京裁判」や「太平洋戦争」等の著書で知られる作家で戦史研究家の児島 襄(のぼる)氏が27日午前11時頃、脳こうそくで死去した。74歳だった。児島氏は東京大学法学部大学院を修了。学生時代に当時進行していた東京裁判の法廷に通い、共同通信社記者を経て作家となった。主著に「天皇」「指揮官」「参謀」「日本占領」「朝鮮戦争」「日中戦争」「日露戦争」「第二次大戦ヒットラーの戦い」「史録・日本国憲法」等があり、戦前から戦後にかけての外交史、戦史をふまえた独自の視点で日本の現代史を書き続けた。 1990年に菊池寛賞、93年に紫綬褒章を受け、87年〜99年には横綱審議委員会の委員も務めたが、当時「外国人横綱不要論」を唱えたりもした。
私事で恐縮だが、私の戦前から戦後にかけての「歴史観」の多くは、中学生時代から読んでいた児島先生の著作に負うところが大きい。無用な政治的偏向を排除した冷静な筆致が魅力だった。心から哀悼の意を表したい。
製作著作:健論会・中島 健 無断転載禁止
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