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健論時報
  2001年6月  


■時代に逆行した先祖帰りで、支持は広がらない

 社会民主党、安保・自衛隊政策で再度の政策転換(5月2日)
 社会民主党は2日、土井たか子党首が記者会見を行ない、「21世紀の平和構想」と題した文書を発表した。この中で同党は、「すべては、日本国憲法前文と第九条がその源泉です。」と前置きした上で、「平和憲法の実行、世界への拡散」「北東アジアの近現代史の社会科学的確立」「国際紛争の話し合いによる解決、信頼醸成措置の先行」「大量破壊兵器の廃絶、非核三原則の法制化」「国連PKOでの非軍事部門での活動」の五原則を提示。更に、政策目標として、「日本国の非核不戦国宣言」「北東アジア総合安全保障機構の創設」「北東アジア非核地帯の設置」「二国間安保から多国間協調へ(日米安保条約の平和友好条約化)」「自衛隊の縮小・改編」の5つを示している。
 同党は村山富市内閣当時に「安保堅持・自衛隊合憲」の現実路線に転換していたが、その後の党勢落ちこみから同党の独自性を発揮するようになってきており、今回の「先祖帰り」とも言える路線転換は、夏の参議院選挙を睨んだものと見られている(実際、小泉人気の高揚で、同党を含めた野党が連立政権を樹立する可能性は薄まった)。しかし、同党の思惑に反して、こうした路線転換は同党の政権入りや支持拡大には繋がらないように思われる。
 第一に、社会民主党の党勢が衰えてきたのは、同党が村山政権で路線転換したからというよりも、東西冷戦体制の終結(即ち、社会主義の敗北)によって旧日本社会党が主張していた価値観自体が否定されたからという理由のほうが大きい。現に、社会党から民主党に移った(即ち、路線転換を行なった)国会議員は現在でも相当数残っているのに、社会党に残った議員は議席数を減らしている。前回の総選挙でこそ、土井党首を全面に打ち出した選挙戦で善戦したものの、それは相手が国民的不人気の森自民党総裁だったからこそ出来た芸当であり、しかもそれは「土井人気」の証拠ではあっても「社民党人気」の産物ではない(ちょうど、小泉人気と自民党人気がずれているのと同じ)。
 第ニに、今回社会民主党が提示した「平和構想」なる政策は、実現可能性や有効性に致命的な欠陥が多数ある。例えば、同文書では「武力の行使や威嚇がもつ非人間的な本質を認識し」とあるが、そうした「武力の行使」に晒されている紛争地域の平和を取り戻すために必要なPKO軍事部門には参加しない、と明言している。恐らく、これは同文書を作成した社民党当局者が「PKOの軍事部門は武力行使であり、戦争である」との認識に立っているからであろうが、この認識は同当局者が国際法の常識を全く知らないことを告白しているに等しい。何故ならば、国連平和維持活動の本質は紛争当事者間の対話の促進であり、PKOの軍事活動はその障害となる停戦義務の履行監視や武装解除、兵力引き離しを任務としているのであって、「戦争」などではないからである(国内法でいえば、暴力団対策法上の「指定暴力団の指定」や「対立抗争時の事務所使用制限」がPKOに類似している)。また、「国際紛争は軍事力によらず、平和的な話し合いで解決します。」とあるが、もし紛争相手国がこれに同意せず軍事力の威嚇の下にその主張を押し通そうとしてきた場合、この原則は貫徹されないことになる。その時どう対応するのかを明示しなければ、政策として不十分であろう。ちなみに、現在の我が国は、「国際紛争の平和的解決」義務(これは国際法上の義務でもある)を受容した上で、上記のような事態に陥った場合は自衛力を発揮することにしている。「北東アジア総合安全保障機構の創設」にしても、その機構で決定された事項を履行させる手段が完備されていなければ、結局は「大国の論理」によって支配されるか、平和自体が損なわれることになりかねない。国際連盟の失敗から何も学んでいない提案という他ない。その意味では、同党は「この機構が問題解決能力を高めれば高めるほど、日米安保条約の役割は後退していくに違いありません。」というが、「この機構が問題解決能力を高める」ような事態が想定されがたい以上、日米安保条約の役割は前進していくに違いない。「自衛隊は国境警備、国土防衛、災害救助、国際協力などの任務別に分割し、縮小、改編」との提案も、今までこれら4つの任務を同時に遂行できたのにこれを分割してしまうのは屋上屋を重ねることに他ならず、多くの無駄を生むことになろう。ちなみに、改編後の自衛隊に「国土防衛」の任務を期待するのであれば、それはその部隊に「抑止力」を期待していることになり、「抑止力による平和」を否定する同党の政策とは矛盾する(軍事力には常に抑止力が付きまとう)。「私たちは、冷戦構造崩壊後の平和と安定の秩序作りの根幹は、武力への信仰ではなく、「多国間の信頼と協調」にあると考えます。」というが、現職の自衛官の誰も「武力への信仰」など持ってはいない。「歴史的事実を大きくゆがめる教科書が編纂され、アジア諸国の憤激をかっています。」というが、アジア諸国のほうが教科書原本を見ずに「歴史の歪曲だ」等という感情的な批判をしている限り、関係冷却化は致し方ないという他ない。同党は「歴史の社会科学的確立」を訴えるが、歴史学はそもそも人文科学であり、これを「社会科学的に確立する」ということは、歴史学の知見を政治的に歪めるということに他ならないのである。

■自国史は自国の視点で叙述されるのが当然だ
 韓国政府、我が国の検定済み歴史教科書の再修正を要求(5月8日)
 報道によると、韓国の韓昇洙外交通商相は8日、寺田輝介駐韓日本大使と会談し、我が国の検定済み中学校歴史教科書の記述に「歪曲、隠蔽、縮小、事実誤認などがある」等として修正を要求する外交文書を手交した。要求された修正項目は35ヶ所に及び、うち「新しい歴史教科書をつくる会」の作成したものには25ヶ所の修正要求があった。これに対して福田康夫官房長官は同日、要求を真摯に受け止めるとの態度を示す一方、「明白な事実誤認がなければ再修正できない」との見解を示した。
 「教科用図書検定規則」(平成元年文部省令第20号)第13条第1項は、「検定を経た図書について、誤記、誤植、脱字若しくは誤った事実の記載又は客観的事情の変更に伴い明白に誤りとなった事実の記載があることを発見したときは、発行者は、文部科学大臣の承認を受け、必要な訂正を行わなければならない。」とし、また同条第4項は「文部科学大臣は、検定を経た図書について、第一項及び第二項に規定する記載があると認めるときは、発行者に対し、その訂正の申請を勧告することができる。」としている。従って、もし仮に、検定済み教科書の中にそうした明白・客観的な誤りがある場合は、学問的見地から訂正をすることは必要であろう。例えば、「任那日本府」に関する修正要求は学問的な問題であり、専門家の結論を尊重したい。また、これに関連して言えば、我が国もまた、韓国の国定教科書をチェックし、学問的見地に基づいた修正要求を同時に行なうべきであろう。
 しかし、例えば豊臣秀吉の朝鮮出兵について「人的・物的被害の様子を縮小している」であるとか、「日本=武家社会、朝鮮=文官社会論」への反発(教科書では「・・・という考え方もある」と記述されている)、その他江華島事件や日露戦争、日韓併合、関東大震災朝鮮人虐殺事件、朝鮮植民地開発論等に関しては、国毎の視点の違いによる見解の相違という側面が強く、その差異は「歴史の共同研究」で埋められるようなものではない。韓国側は「日本の歴史を美化するため韓国の歴史をおとしめている」というが、その修正要求を受けいれれば「韓国の歴史を美化するため日本の歴史をおとしめる」ことになりかねないだろう(例えば、「倭寇」については、朝鮮人の関与を否定するような要求を行なっており、むしろ韓国による「歴史の歪曲」であるとも言い得る)。また、いわゆる従軍慰安婦を巡る記述についても、史実としての検証もさることながら、そもそもこうした記述を中学校段階で教えるのが適切かどうか疑問であり、修正要求は不当である(ちなみに、この要求は1993年の内閣官房長官談話に基づいているが、同談話は我が国政府の慰安婦強制連行の法的責任を認めたものではない)。更に、朝鮮戦争について、韓国側は扶桑社の教科書に国連軍と中国軍・北朝鮮軍の記述しかなく韓国軍の存在が無いことを批判しているが、扶桑社としても別に韓国軍の存在を無視したかったわけではあるまい。それに、朝鮮戦争は実際に①重装備の北朝鮮軍侵入・韓国軍敗退、②釜山橋頭堡に米軍上陸・北進、③中国人民義勇軍の参戦とソウル再占領、④米韓連合軍総反攻、という4つの段階を経ており、韓国軍自身が戦争の主導権を掌握したことはない。
 歴史教科書は、その国の視点に立って叙述されるのが普通であり、当然である。韓国としては、韓国の立場から見て我が国の教科書が韓国の立場を反映していないことに不満を持つのかもしれないが、それは所詮「無いものねだり」に過ぎない。例えば、日韓併合という事件一つとっても、我が国の動機が「列強諸国に対抗する国力増強のための侵略」にあったのに対して韓国側の「印象」は「日本帝国主義の植民地侵略」なのであり、両国がどちらか一方に視点をあわせることは出来ない。むしろ、今日までの我が国における歴史教育では、どちらかといえば韓国よりの立場での教育が行なわれていたのであり、その結果、日本人はそうした「他国の視点」ばかりを強調され「自国の視点」を喪失してしまった感がある。少なくとも両論併記は必要であるし、併記するにあたってもあくまで前者の立場が明示されるべきであろう。これは、「歴史の歪曲」などでは全くないし、そう決め付けてかかるのは韓国の我が国に対する優越意識の現れに他ならない。
 無論、韓国国民がかつての植民地支配の被害に憤り、対日感情を悪化させているという「事実」は重要であり、それに対して現在の我が国政府が外交の一環として陳謝するといった対応は必要である。しかし、それはあくまで「現在」の問題であって、「過去」の歴史の叙述方法まで他国に売り渡すことを正当化するものではない。

■国会討論かくあるべし
 小泉首相に対する代表質問、行なわれる(5月9日)
 国会は9日、7日に行なわれた小泉純一郎内閣総理大臣の施政方針演説等政府4演説に対する各党代表質問を行ない、衆議院では自由民主党から山崎拓幹事長が、民主党からは鳩山由紀夫代表がそれぞれ質問に立った。この中で野党第一党の民主党は、支持率8割を超える小泉内閣を正面から批判することは避け、「構造改革にうそ偽りなく取り組むならば、内閣と真剣に議論を積み重ね、改革のスピードを競い合うことはやぶさかではない」として具体的な政策論争を挑み、森内閣時代のようにはじめから切り捨てるような質問は回避。これに対して小泉首相は「場合によっては民主党と協力していきたい」等と述べて野党との連携に意欲を示したものの、鳩山代表が提案した一連の法案については、「法案が出た段階で検討したい」「国会審議の場で議論してもらう」などとかわした他、経済構造改革に向けた具体案も「政府・与党の議論の場で深めていきたい」等と答弁するに留まった。もっとも、10日に質問した日本共産党の志位和夫委員長と社会民主党の土井たか子党首は、憲法改正問題や教科書問題、靖国問題などで全面対決の姿勢を見せた他、経済構造改革についても「弱者は既に十分痛みを感じている」等として反対する姿勢をとった。
 今回の答弁で小泉総理は、持論の郵政三事業の民営化問題については 「商品券は民間が運んでもよいが地域振興券はだめ、等という旧郵政省のわけのわからない論理は、小泉内閣には通用しない。」私の内閣になってタブーでなくなった。過去の郵政省の事業を見ていると、民間企業の活動を妨害している面がある。小泉内閣では断じて許さない」等とアドリブで絶叫し、野党席から拍手を浴びた他、改革のスピードを問われても「(公約は)全然後退していない」と明快に反論。更に、前の森内閣との違いを問われた箇所では、「森首相の『多方面への気配り』というご性格でいい内閣ができていた。私はそういう党内バランスはあんまり配慮しないで、適材適所を貫いた」と違いを強調した。小泉総理はまた、土井たか子党首が質問中、小泉内閣の構造改革について、一方では「労働者に対して厳しすぎる」と指摘しておきながら後で「国債発行額を30兆円以下に抑えるというのは、改革として甘い」という全く矛盾した発言をしたこと指摘。答弁であるにもかかわらず質問者の矛盾点をつくしたたかさを見せた。
 一方で、不得意な分野やまだ具体論が煮詰まっていない分野では原稿の棒読みになる等顕著な違いも観られた。これをどうとるかは意見の別れるところであろうが、少なくともこれまでの歴代首相がほどんど原稿棒読みであったことからすると、自らの信条に根差した主張がある分野ではそれを積極的に主張し、そうした主張に至らない分野では敢えて「絶叫しない」という誠実な態度だったと言えるのではないだろうか。内閣総理大臣とはいえ、およそ1人の人間が、国政の全分野について「持論」を持つことは難しく、従って全く「棒読み」部分を無くすことは不可能である。それならば、全てを「棒読み」にするよりも、持論を持っている範囲できちんと自説を展開するほうがよかろう。

■ハンセン病元患者に対する国家的な支援策が必要だ
 熊本地裁、ハンセン病国家賠償請求訴訟で原告全面勝訴の判決(5月11日)
 報道によると、熊本地方裁判所(杉山正士裁判長、永松健幹裁判長代読)は11日、国立ハンセン病療養所の元患者ら127人が、「らい予防法」(昭和28年法律第214号)等にによる約90年に及ぶ隔離政策で人権侵害を受けたとして1人当たり1億1500万円の賠償を国に求めた「ハンセン病国家賠償」西日本訴訟第1陣について、行政及び国会の責任を全面的に認め、原告全員に総額18億2380万円(1人あたり1400万円〜800万円)を支払うよう命じる判決を言い渡した。この中で、最大の争点となったハンセン病患者の強制隔離政策について、「ハンセン病予防という公衆衛生上の見地から、患者の隔離は許されるべきだ」として、隔離政策そのものについては一定の理解を示した。しかし、「当時の医学的知見を総合すると、遅くとも1960年以降は、ハンセン病は隔離しなければならないほど特別な疾患ではなくなっており、隔離規定の違憲性は明白になっていた」として、憲法13条違反を認定。その上で、国の責任について、「旧厚生省は、1960年の時点で隔離政策の抜本的な変換を行う必要があったが、1996年の法廃止までこれを怠った」「国会議員が国会で、らい予防法の改廃を行わなかったことについても過失があり、遅くとも(患者団体が法改正を陳情した)1965年以降に隔離規定を改廃しなかった立法上の不作為があった」と判示した。ハンセン病(らい病)は「らい菌」によって皮膚や末梢神経が犯される伝染病で、顔や手足などに後遺症を残したり、全盲になることもあったため患者は差別や偏見を受けた。なお、「らい菌」の感染力は極めて弱く、現在は薬で短期間で完治する。
 従来、最高裁の判例は、国会の立法活動の国会賠償責任について、「国会議員は、多様な国民の意向をくみつつ、国民全体の福祉の実現を目指して行動することが要請されているのであって、・・・国会議員の・・・立法行為・・・の当否は終局的に国民の自由な言論及び選挙による政治的評価にゆだねるのを相当とする。・・・であるから、国会議員の立法行為は、立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行なうというごとき、容易に想定し難いような例外的な場合でない限り、国家賠償法1条1項の規定の適用上、違法の評価を受けないものといわなければならない。」としていた(在宅投票制度廃止国賠事件、昭和60年11月21日判決)。その点、今回の熊本地裁判決は、強制隔離の必要性が無くなった後も存続した「らい予防法」を廃止しなかったことについてこの「容易に想定し難いような例外的な場合」にあたると判断したわけであり(1965年以降について)、この判断に特に問題があったとは思えない。立法不作為を認める判例を残すと、裁判所が過度に立法府の立法行為に関与することになるから好ましくないとの意見もあるが、この問題は元々、政府が裁判になる前に必要十分な対策を立てなかったからこそ起きてしまったものなのであり、判例が残ってしまったことについては致し方あるまい(それに、今回の判決は、そうした「司法による立法介入」が危惧されるほどのものでもあるまい)。なお、現在では、「らい予防法の廃止に関する法律」(平成8年法律第28号)第1条により、1907年の「癩予防ニ関スル件」(法律第11号)以来90年間にわたって存続した「らい予防法」制度は廃止されている。
 本件訴訟について政府は、福岡高等裁判所に控訴するかどうか検討中とされるが、元患者らの高齢化を考えれば、控訴はせいぜい立法不作為を認める最高裁判例を作るだけであろう。むしろ、この判決を重くうけとめ、元患者らに対する国家的な支援策の立ち上げを行なうべきである。というのも、現在元患者らに対しては、療養所での終身の生活保障が行なわれているが、療養所を出ると一時金250万円を支給されるだけであり、半世紀以上に渡って隔離され職業訓練を受けられなかった高齢の元患者にとっては、事実上退所できない状態になっているからである。

■外務省不正職員を断固として刑事告発せよ
 外務省、在オーストラリア大使館員横領事件で「不処分」の方針(5月12日)
 報道によると、在オーストラリア日本大使館ノンキャリア職員の公金横領事件で、外務省は当時会計を担当していた56歳の元大使館員の処分見送りを内定していることが明らかになったという。この職員は今年6月中旬に在ニュージーランド日本大使館から在タンザニア日本大使館に異動することが内定しており、河野洋平前外務大臣もこの人事を了承していたが、田中真紀子外務大臣がこれを認めるかどうかは微妙だという。
 この事件は今年3月に発覚したもので、現地採用の職員から「会計担当官が公金を流用している」との内部告発が相次いだため査察を行なったところ、この職員が公金をプールした「スペシャルファンド」(SF)と呼ばれる銀行口座から、額面二百数十万円の小切手を勝手に持ち出し、自分の妻の乗用車1台を購入していたことが判明。また、大使館の改修工事にかかった費用を業者に水増し請求させるなどして、外務省から送金された費用約700万円を着服していた疑いも浮かんでいた(更に、首相外遊時の現地要人への土産として外務省が購入したゴルフクラブのセットを相手に渡さず横領し、自分で所有していたことも判明したという)。ところが、調査にあたった査察使が、小切手分の二百数十万円を返金させるとともに、同職員を「厳罰に処すべきだ」との報告書を当時の外務大臣や外務事務次官に提出したところ、この職員が「自分を処罰するなら、機密費の不正使用をばらす」と逆に外務省当局に脅しをかけて開き直ったため、不祥事発覚を恐れた本省幹部らによって処分が見送られていた。
 この問題で4月上旬には外務省当局の再調査の結果が公表されたが、そこでは単に「大使館員の福利厚生用の積立金から私用車購入に充てる資金を引き出し、その後の査察時に返済したことが確認された」「公金の流用や着服はなかったと判断されるが、疑いをもたれかねない行為だった」等とされただけで、刑事処分も国家公務員法上の懲戒処分も行なわれていない。だが、報告書にある「資金を引き出し、査察時に返済した」等というのは、ようは「不正が発覚して返却した」ということを言っているに留まるのであり、査察時に返還しようとしまいと横領罪が堂々成立する行為である。更に、5月16日の衆議院予算委員会で田中外相は、「フィリピン(大使館)でも似たようなことをやっているようだ。事実関係を聞き、客観的で公正な判断をする」と答弁しており、同職員には他にも「余罪」があることを示唆している。少なくとも、返済したことを以って「公金の流用や着服はなかった」というのは詭弁という他なく、この詭弁を「了承」した河野洋平前外務大臣も又同罪である。第一、公務員には犯罪を告発する義務があり、事件を揉み消した当時の外務省幹部はその点国家公務員法に違反しているということができる。田中外相の断固たる処分に期待したい。

■自由党に対する信頼を傷つけた達増発言
 自由党・達増拓也代議士、衆議院予算委員会で田中外相を中傷する質問(5月15日)
 報道によると、15日の衆議院予算委員会において質問に立った達増拓也代議士(自由党)は、田中真紀子外相がアーミテージ米国務副長官との会談をキャンセルしたいきさつについて正したが、この中で達増氏が「(前日や翌日の記者会見での様子を見れば)疲労の極限だったというのはうそ。個人的に米国に根深い不信感を抱いている」「虚言癖。精神分析の対象だ」等と田中外相を中傷するような質問をしたため、田中外相側が「そういった発言は取消して頂かないと、答弁できない」と反発。これに対して達増氏が更に「恫喝には屈しない」等と言い返し、更に「近代130年の歴史で外国の要人にこんな失礼なことをしたことはない。日本外交の破壊だ」と批判をエスカレートさせた。
 達増氏は外交官出身の野党代議士であり、今回の田中外相と外務省当局との対立では、心情的(元外務省職員)にも立場的(野党第二党)にもやはり外務省側を応援したかったのであろう。しかし、今回の達増氏の質問は、従来健全な批判勢力と見られてきた自由党に対する信頼を著しく傷つける、品位に欠けたものであったと言わざるを得ない。「虚言癖。精神分析の対象だ」等というのは正に中身の無い誹謗中傷に他ならないし、そうした中傷の撤回を求める田中外相の答弁を「恫喝」と捉える等ということは、不見識極まりない。恐らく達増氏は、田中外相が「外務省幹部から恫喝された」という記者会見での発言を逆手にとったつもりだったのだろう。しかし、「恫喝」とは本来、正当な主張に対して粗暴な態度や中傷で反駁し、強圧的な態度をとることを意味するのであって、そうした粗暴な態度や中傷の訂正を求めることは恫喝などでは断じてない。むしろ、達増氏の質問こそ「恫喝」そのものなのであって、「虚言癖。精神分析の対象」「議会制の破壊」に他ならない。田中外相が「外務省のしっぽをひきずっているのか」「私の米国での人脈や友達を、ご存じでいらっしゃいますか」と答えたのも宜なるかな、である。

■支持率91.3%の驚異
 小泉内閣、支持率9割に到達(5月15日)
 東京放送(TBS)など民放28局からなる「JNN」の報道によると、同社が5月12日から13日にかけて行なった電話世論調査で、小泉内閣の支持率は91.3%(「非常に支持できる」26.1%、「ある程度支持できる」65.2%を含む)に至り、不支持率はわずかに7.3%(「あまり支持できない」6.3%、「まったく支持できない」0.9%)であった(「わからない」1.5%)。朝日新聞社が4月27日・28日に実施した電話による全国世論調査でも支持率は78%(不支持率8%)となっており、漸減傾向にあると思われた支持率が微増していたことになる。
 こうした「小泉人気」に対しては、「構造改革を進めてくれる」「国民が政治に関心を持つようになった」と肯定的に捉える識者がいる一方で、「改憲・靖国参拝を唱えるタカ派だ」「ファッショ、独裁政治だ」といった「懸念の声」を常に耳にすることがある。しかし、現在の「小泉人気」をしてファシズムだのヒットラーの再来だの評価することは適切でない。第一、ワイマール・ドイツの時代と比べて国民が持っている情報力や民主制に対する認識の強さは比べものにならないし、時代状況が大幅に異なる。それに、小泉首相は一度たりとも民主制そのものを攻撃したことはないし、独裁国家の首領のように支持率を維持するために言論を弾圧したり情報を統制したりしているわけでもない。現在の「小泉人気」も一度失政があれば数日のうちにしぼんでしまうであろうし、その際小泉首相といえども政権の座から落ちることになる。また、あれだけ「世論の支持を得ていない」といって森内閣を批判していた一部の「識者」が、高い支持率を得ている小泉内閣に対して、自分の気に入らない政策(憲法改正、靖国神社参拝)を掲げているからという理由で「高い支持率がよいとは限らない」等とうそぶくのは二重基準であり、言論として一貫していないというべきであろう。「小泉首相はポピュリストであり、自身の人気維持のために国益を損ねる危険性がある」との指摘もあるが、これまでの言動から見て、恐らくこの「変人」首相は、例え支持率が森内閣並に下がっても自身の信念を曲げたりはしないように思われる。

■言語道断の裁判官犯罪
 村木保裕東京高裁判事、児童売春容疑で逮捕(5月19日)
 報道によると、警視庁は19日、東京高等裁判所の現職判事である村木保裕容疑者(43歳)を、携帯電話の出会い系サイトで知り合った中学2年の女子生徒に猥褻行為をしたとして、「児童買春・ポルノ禁止法」違反の容疑で緊急逮捕した。警視庁の調べによれば、村木容疑者は昨年12月中旬、携帯電話の「出会い系サイト」で知り合った14歳の少女の同級生を川崎市内のカラオケボックスに連れこみ、現金1万5000円を渡してこの少女の胸等などを触った疑いが持たれているという(村木容疑者は捜査員が任意同行を求めた際逃走しようとしたため、緊急逮捕された)。村木容疑者は23日付けで退官願を提出しているが、分限裁判や裁判官弾劾裁判所への訴追が検討されているため、届は受理されていない。
 現職の裁判官が刑法犯で逮捕されたのは、1981年に東京地方裁判所の判事補が破産管財人の弁護士からゴルフセットなどを受け取り収賄容疑で逮捕(後に起訴猶予処分)されて以来で、戦後2例目であるというが、法秩序の維持にあたるべき裁判官として恥ずべき非行であり、言語道断である。村木判事は既に退官届を出しているというが、国会の裁判官弾劾裁判所での罷免・法曹資格の剥奪は免れまい。その罪は、単に児童売春という破廉恥行為を行ったことに留まらず、国民の「司法制度に対する信頼」(それは、実は司法制度そのものでもある)を傷つけた、という法廷侮辱的なものである。

■中谷防衛庁長官が「合憲」なのは当然だ
 政府、中谷防衛庁長官の就任を「合憲」とする統一見解提示(5月22日)
 報道によると、政府は22日、陸上自衛隊幹部出身の中谷 元防衛庁長官について、憲法第66条第2項の定める文民条項には反しない、との統一見解をまとめたという。
 極めて妥当な見解であり、今更質問主意書を提出するような事項ですらないと言えよう。戦前の大日本帝国憲法下においては、天皇の持つ行政権を輔弼する内閣や立法権を協賛する議会とは全く独立した「統帥大権」(国軍の指揮監督権)が存在し、陸海軍は内閣や議会の統制を全く受けない独立の存在であった(現行憲法における裁判所に近い存在であった)。その為、内閣総理大臣には国軍を指揮監督する権限は与えられておらず(無論、軍政事項については閣僚である陸軍大臣・海軍大臣が担当したが、当時の内閣総理大臣は他の国務大臣と基本的に同格で上下関係は無かった)、ために陸海軍が軍部大臣に閣僚を出すかどうかを左右させることで内閣を事実上コントロールする軍事政権が誕生してしまった。ただ、こうした法的状態は軍部に限ったものではなく、例えば外務省は「外交大権」を担当する省として位置付けられていたし、其の他の各省大臣も直接天皇の「国務大権」を担うものだったので、内閣や議会の統制は弱まらざるを得なかったという事情がある。翻って現行憲法においては、自衛隊を含めて行政各部は最終的には国会の、更には国民の厳格な政治的統制の下にあり、防衛庁・自衛隊といえども政府・議会・内閣の下に置かれている。その意味では、今日の民主制下にあっては、例え「軍部大臣」(防衛庁長官)に現役自衛官が就任したとしても、(憲法第66条の規定さえ無ければ)それが国民の民意を反映した内閣総理大臣の組閣上の選択である限り、本来は全く問題無いわけである。
 ところで、その中谷防衛相(防衛庁長官は国務大臣なので、こう表現してもよいだろう:そうでなければ、尾身幸次北方対策担当大臣は「北方対策本部長」と呼ばねばならなくなる)は22日の参議院予算委員会で、日本共産党の筆坂秀世参議院議員が集団的自衛権に関する政府見解を質した際、「首相への質問攻撃に対して、集団的自衛権を発動して答弁致します」等と答弁し、岡野 裕予算委員長から「不穏当と思われる発言があった」として後刻精査するよう注意される一幕があった。以前の森内閣であればたちまち「問題発言」として辞職させられかねない勢いであったろうが、結局誰からも問題化されなかったのは幸いであった。

■日中韓三国で共通の歴史認識は樹立可能か
 槙田邦彦外務省局長、「日中韓三国で同じ歴史認識を」と発言(5月23日)
 報道によると、外務省の槙田邦彦アジア大洋州局長は23日、衆議院文部科学委員会で政府参考人として答弁し、「合同調査委員会などの形で日中韓3国が近現代史について基本的に同じ認識を持つことができればいいし、政府として努力するのが望ましい」と述べたという。
 槙田氏は我が国外交当局のアジア担当の事務方最高責任者の一人であり、それだけに、同氏の発言は国際的にも国内的にも重い。そこで、もし槙田氏が「日中韓三国で近現代史について同じ歴史認識を持つことが可能だ」と主張するのであれば、国民が納得できるだけの根拠を示すべきであろう。というのも、私個人に関して言えば、既に5月8日の記事で書いたように、例えある事件の事実関係について三国で共通したものが構築されたとしても、それを語る主体(自国)と客体(自国の周辺国)が異なれば、当然その事実の評価が異なってくるからである。従って、もし日中韓三国で共通の「評価」が可能であるとすれば、それは(1)三国が等しくその歴史観を譲歩する、か(2)我が国が一方的に譲歩する、のどちらかにならざるを得ないが、(1)では中国・韓国が納得しないであろうし、(2)では我が国国民が納得しない。それに加えて、例えば「朝鮮戦争」を巡る中国と韓国の歴史観の擦り合せも困難を極めるに違いない。槙田氏はこの問題について、一体どのようなお考えを御持ちなのであろうか。


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製作著作:健論会・中島 健 無断転載禁止
 
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