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靖国神社問題を考える
〜戦没者をどのように慰霊すべきか〜

中島 健

1、はじめに
 小泉純一郎首相が8月15日の終戦記念日に東京・九段の靖国神社に参拝する意向を表明している問題は、国内外で様々な議論を呼んだ。この件に関して既に歴史教科書問題等でギクシャクしている中国・韓国は、我が国に対して共に参拝中止を要請。ベトナム・ハノイで開催されたアセアン地域フォーラム(ARF)の日中外相会談では、唐カセン・中国外相が田中真紀子外相と日本語で会談。記者団に対しても「(参拝を)やめなさい、と言明した」と強い調子で不快感を伝えた(中国側は更に、15日を避けて参拝するよう非公式に打診していた)。一方、国内でも、当初は私的参拝を容認しているとされた連立与党の公明党が、私的であっても参拝を取り止めるよう主張。また、小泉内閣の中でも、田中外相は「参拝しないで頂きたい」と参拝反対の意向を表明した(付言すれば、田中外相が小泉首相に対してこのような発言をすることを「閣内不一致」と批判するむきもあるが、靖国神社参拝問題については閣議にかけて決定された方針があるわけでもなく、また各国務大臣がその所管する分野の専門的見地から首相に意見を述べることは当然あり得ることであって、特段問題視すべきことではない)。こうした動きに対して小泉首相は、連立与党党首との会談で「虚心坦懐に」意見を聴取する意向を示し、結局8月13日午後、参拝した(参拝にあたり発表された談話は、下の通り)。

 わが国は明後8月15日に、56回目の終戦記念日を迎えます。21世紀の初頭にあって先の大戦を回顧するとき、私は、粛然たる思いがこみ上げるのを抑えることができません。この大戦で、日本は、わが国民を含め世界の多くの人々に対して、大きな惨禍をもたらしました。とりわけ、アジア近隣諸国に対しては、過去の一時期、誤った国策にもとづく植民地支配と侵略を行い、計り知れぬ惨害と苦痛を強いたのです。それはいまだに、この地の多くの人々の間に、癒しがたい傷痕となって残っています。
 私はここに、こうしたわが国の悔恨の歴史を虚心に受け止め、戦争犠牲者の方々すべてに対し、深い反省とともに、謹んで哀悼の意を捧げたいと思います。
 私は、二度とわが国が戦争への道を歩むことがあってはならないと考えています。私は、あの困難な時代に祖国の未来を信じて戦陣に散っていった方々の御霊の前で、今日の日本の平和と繁栄が、その尊い犠牲の上に築かれていることに改めて思いをいたし、年ごとに平和への誓いを新たにしてまいりました。私は、このような私の信念を十分説明すれば、わが国民や近隣諸国の方々にも必ず理解を得られるものと考え、総理就任後も、8月15日に靖国参拝を行いたい旨を表明してきました。
 しかし、終戦記念日が近づくにつれて、内外で私の靖国参拝是非論が声高に交わされるようになりました。その中で、国内からのみならず、国外からも、参拝自体の中止を求める声がありました。このような状況の下、終戦記念日における私の靖国参拝が、私の意図とは異なり、国内外の人々に対し、戦争を排し平和を重んずるというわが国の基本的考え方に疑念を抱かせかねないということであるならば、それは決して私の望むところではありません。私はこのような国内外の状況を真摯に受け止め、この際、私自らの決断として、同日の参拝は差し控え、日を選んで参拝を果たしたいと思っています。
 総理として一旦行った発言を撤回することは、慙愧の念に堪えません。しかしながら、靖国参拝に対する私の持論は持論としても、現在の私は、幅広い国益を踏まえ、一身を投げ出して内閣総理大臣としての職責を果たし、諸課題の解決にあたらなければならない立場にあります。
 私は、状況が許せば、できるだけ早い機会に、中国や韓国の要路の方々と膝を交えて、アジア・太平洋の未来の平和と発展についての意見を交換するとともに、先に述べたような私の信念についてもお話ししたいと考えています。
 また、今後の問題として、靖国神社や千鳥ケ淵戦没者墓苑に対する国民の思いを尊重しつつも、内外の人々がわだかまりなく追悼の誠を捧げるにはどのようにすればよいか、議論をする必要があると私は考えております。
 国民各位におかれては、私の真情を、ご理解賜りますよう切にお願い申し上げます。

▲小泉内閣総理大臣談話(8月13日)

なお、『朝日新聞』が8月1日・2日に行った世論調査によれば、靖国神社参拝に「積極的に取り組んでほしい」は26%、「慎重にした方がよい」は65%であったが、この調査は質問方法に問題(誘導)があったらしく、8月4日・5日に実施されたテレビ朝日「ニュースステーション」の世論調査では小泉首相の参拝に賛成45%・反対44%と拮抗(内閣支持率は73.1%と微減)。その他の世論調査でも参拝に肯定的な意見が過半数を占めている。また、小泉首相が当初明言していた終戦記念日ではなく13日に参拝したことについて、日本遺族会の森田次夫副会長は「15日と考えていたが、もろもろのことを配慮された結果だろうと思うので、やむを得ない。むしろ5年ぶりの総理の参拝を遺族として喜びたい」と話し、また宗教法人・神社本庁は「国のために尊い命を捧げた戦没者をまつる靖国神社への首相参拝は、至極当然のことだ」などと談話を発表した。
 そこで本稿では、小泉首相の靖国神社参拝問題で議論されているいくつかの論点を再確認し、併せて私見を述べる。

2、靖国神社参拝と憲法第20条
 内閣総理大臣が靖国神社を参拝することの是非についてまず考えなければならないのが、 憲法第20条(・第89条) との関わりである。何故ならば、仮に首相の参拝が 憲法第20条 に違反しているとすれば、(我々が立憲政治、法治国家の体制を尊重する以上)それ以外の問題(A級戦犯合祀の問題)について議論するまでもなく、小泉首相は参拝すべきでない、という結論に至るからである。
 そこで、 現行憲法 の条文を確認してみると、 日本国憲法第20条 は「政治と宗教」の問題について以下のように規定している。

第20条
①信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
②何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することは強制されない。
③国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない。

 この内、 第20条第1項・第2項「信教の自由」を定めた条文であり、具体的には、(1)内心における信仰の自由(信仰を持つ自由・持たない自由、信仰を告白する自由・告白しない自由)、(2)宗教的行為の自由(宗教的行為を行う自由・行わない自由)、(3)宗教的結社の自由(宗教団体を結成する自由・結成しない自由)が含まれる。古来、近代立憲主義の発達した西欧においては、宗教的価値観の対立を巡る紛争が絶えなかったことからこうした規定が導入され、「思想及び良心の自由」と共に重要な精神的自由権となっている。この点、大日本帝国憲法も不十分ながら「信教の自由」を規定しているが、これは開国当時の明治政府がキリスト教国である欧米列強の圧力を受けて、「キリスト教を弾圧しない」ということを明確にするために設けられた規定であると言われている。
 しかし、靖国神社参拝との関わりで問題となるのはむしろ 第20条第1項・第3項 のほうで、同条は明確に「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない。」と規定している。この「政教分離原則」の法理論上の意義については(1)人権説(人権としての政教分離権を保障した、と理解)、(2)制度的保障説(人権そのものではないが、人権保障を強化するために設けられた規定である、と理解)、(3)客観的制度説(この原則は積極的な制度を創設するものではない以上、単なる一つの客観的な制度である、と理解)があるが、制度的保障説又は客観的制度説が通説であり、この規定は個人の信教の自由を保障するためのものであると理解されている。そこで我が国では、この規定に従って、宗教団体に特権を付与したり、政治上の権力(課税権、裁判権等)を行使させたり、国が宗教活動を主催したり、宗教上の組織もしくは団体に公金を支出したり( 憲法第89条 )することは禁じられている、とされる。
 ただ、実際問題として、国家と宗教が全く関係を断絶することは不可能であるし、仮にそれを貫くとすると、戦没者慰霊祭のような行事や宗教団体が関与する私立学校への公金支出でも違憲の疑いが生じる。極端に言えば、正月に市役所正門に門松を飾ったり、地域の神社の境内で開かれる盆踊りに補助金を出したり、公的施設の建設にあたり地鎮祭を挙行したり(津地鎮祭事件)するだけでも違憲となりかねないわけで、この線引きをどうするのかが最大の問題となる。また、近代立憲諸国の中にも、イギリスのように国教制度を温存しつつも宗教的寛容な政治体制を持つ国もあり、「政教分離的でなければ民主的でない」というわけではない。もっとも、その一方で、宗教を巡る問題は個人個人のデリケートな内心の問題にも直結することは否めない。
 この点、先の「津地鎮祭事件」の最高裁判所判決は、このグレーゾーンを判断するにあたり「目的効果基準」という考え方を提示し、地鎮祭のような一般人が宗教的行事とは評価しないものについては「宗教的活動」にはあたらないと判断した。「目的効果基準」によれば、その行為が宗教的活動であるかどうかは、(1)行為の目的が宗教的意義を持ち、(2)その効果が宗教に対する援助・助長・促進又は圧迫・干渉等になる、の2つの基準を同時に満たすかどうかで判断する。そして、愛媛県の玉串料支出を巡って争われた「愛媛玉串料訴訟」で最高裁は、県の玉串料支出は習慣化した社会的儀礼とは到底言えず、この基準に照らして宗教的活動にあたり違憲であるとの判断を下した(もっとも、この判決については、賛成派・反対派双方から「目的効果基準を正しく適用していない」とする批判がある)。
 以上のような観点からすれば、小泉首相が内閣総理大臣として一宗教法人である靖国神社を公式に参拝することは、同神社の歴史的由来や戦没者慰霊施設としての特殊性を加味したとしても、やはり
憲法第20条 に反すると解すべきではないだろうか。なるほど、確かに1985年の中曽根康弘首相の公式参拝に関連して提起された訴訟では、いずれも高等裁判所レベルで原告敗訴の判決が言い渡されている。また、憲法学者が指摘するように、「目的効果基準」はそれ自体曖昧な点があり、前記「愛媛玉串料訴訟」でも同じ基準を採用しながら判断が合憲・違憲で割れたりもしている。しかし、中曽根首相に対する訴訟で原告側が敗訴したのは、この問題に対して裁判所が踏みこんだ判断をせず「訴えの利益」や侵害の程度の低さで門前払いをしたからであるし、「目的効果基準」は完全な基準ではないにしろ一つの中間的な基準ではある。そして、内閣総理大臣がその公的資格において靖国神社を参拝することには宗教的意義が認められるし、その結果、政府が公的に一宗教法人を援助・助長・促進していることは否定できまい。私自身は、個人的な感情としては神道形式で戦没者を慰霊することに特段の違和感を持たないため、首相が靖国神社を公式参拝してもとりたてて問題とすべきだとは思わない。しかし、例えばもし靖国神社がイスラム教形式やヒンズー教形式であったりしたとすれば、そこに首相が公式参拝するということにはやはり違和感を持つだろう。即ち、逆に言えば、現行の神道形式での慰霊であっても同様な違和感を感ずる国民が存在するわけであり、そうした国民の立場を無視することは出来ないというのが 憲法第13条・第20条 の規定なのである。同様のことは、全国民の代表である国会議員がその公的な立場で靖国神社を参拝する場合にも妥当すると言えよう。公式参拝賛成派は、吉田茂、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄の歴代首相がこれまで公式参拝を続けて来て何等問題が無かったことを重視して、靖国神社の公式参拝については慣習法が成立しているとするが、これらの参拝も、私的参拝であったと解しない限り単なる違憲の行為が繰り返し行われていたことを意味するに過ぎない。この結論は、日本国憲法が「東京裁判」(極東国際軍事裁判所)を主催したGHQによって制作されたものであることを考えれば、当然の結論とも言えよう。

▲最高裁判所(東京都千代田区)

 なお、このように解しても、(1)小泉首相が私的な立場で同神社を参拝することは違憲ではないし、また(2)大喪の礼内閣総理大臣の伊勢神宮公式参拝はなお合憲と解することが出来る。
 まず、首相の私的参拝であるが、これを禁ずる憲法上の規定は存在しないばかりか、内閣総理大臣と言えども、一国民としては当然に「信教の自由」
憲法第20条 )や「思想良心の自由」 憲法第19条 )を有し、これを絶対的不可侵のものとして保障されている。これに対しては「公私の立場は区別できないのではないか」「公私分離が可能だとしても公的立場を優先すべきではないのか」という批判が当然に予想されるが、「公私の立場を事実上区別できない」としても「理論上は区別できる」のであるし、「私人としての小泉純一郎」氏には絶対不可侵の「信教の自由」が存在する。また、内閣総理大臣の職は元来政治的なものであり、裁判官とは違って絶対的な中立・公平性を担保することも期待されていない以上、24次間365日常に公的立場を優先すべきであるとも言えない(地方公務員たる教員がその思想良心に反しても国旗・国歌を尊重しなければならないのは、公的空間におけるその公的立場においてのことであって、彼は卒業式では国歌を斉唱しなければならないが、彼が勤務時間外に自宅の庭で日の丸を焼き捨てても、法律上は何等問題は無い)。今回問題となっているのがたまたま靖国神社であるため議論が錯綜しているが、私人としての小泉氏が靖国神社を参拝するのは、実は私人としての彼が自宅の仏壇に手を合わせたり、正月に自宅近くの神社に初詣に出かけるのと同様の行為なのである。また、これは宗教的行為ではないが、私人としての小泉氏が馴染みのラーメン屋に通ったからといって、「公職を濫用して特定のラーメン屋に利益を得させた」とは言えないのと同様である。
 次に、大喪の礼・新嘗祭・首相の伊勢神宮公式参拝であるが、これらの活動が合憲であるのは、
日本国憲法 第1章 で象徴天皇制を正面から認めており、 第1章 第3章 (人権に関する一般法)に対する特別法(憲法自身が認めた例外)であって、象徴天皇制に付随する宗教的儀式は 憲法第20条 に抵触しない(抵触しても優先される)からである。無論、だからといって神道形式の行事を大々的に教育に取り入れたりするのは 憲法第20条 の精神にそぐわないし、それ以前に政治的な問題を惹起するであろうが、少なくとも法理論上「特別法は一般法に優先する」lex specialis derogat legi generali)という近代法上の大原則を承認する限り、以上のように解すべきである。その意味では、12年前の昭和天皇大喪の礼で、政府は皇室の私的行事と政府の公的行事を区分し、一々鳥居を設置したり撤去したりして「政教分離」を厳格に実施しようとしたが、そのような心配をするまでもなく、全ての行事を公的に実施しても問題は無かったのである。伊勢神宮の公式参拝も同様である。付言すれば、戦前の内務省の神社行政においても、靖国神社が陸軍省・海軍省共管の「別格官幣社」(但し、「別格」とは「臣下を祭る」という意味であって、社格は「官幣小社」と同じ)であったのに対し、伊勢神宮(皇太神宮及び豊受大神宮)は社格を超越した国家の宗廟であった(もっとも、「官幣社」が経費の一部を宮内省から受け取ったのに対して、「国幣社」は国庫から支給されていたのであり、その点では、「官幣社」であれば一応皇室との繋がりがあると言える)。また、その他の教派神道は内務省ではなく文部省宗教局の管轄であった。
 以上より私は、小泉純一郎首相の靖国神社参は、それが私的参拝である限り憲法上の問題は回避できるが、公的なものとして参拝するのであれば、違憲の疑いを免れないと考える。

3、「A級戦犯合祀」をどう捉えるか
 次に、首相の参拝について憲法上の問題を解決した上で考慮されるのが、この問題に関する国内・国際世論の反応である。中でも、靖国神社に「神」として祭られている東条英機元首相以下の「A級戦犯」をどう考えるか、ということが重要となってくる。

▲靖国神社(東京・九段)

 この問題については、まず端的に、「A級戦犯も既に死刑という最も重い刑罰を課されたのであるから、それ以上に何らかの非難を浴びせるべきではない」との立場がある。小泉首相自身も6月の参議院選挙前の「日本記者クラブ」での党首討論でこうした立場を表明した。A級戦犯そのものの定義を論じる必要が無いので無用な論争を避けることが出来るのがこの説の特徴であり、「罪を憎んで人を憎まず」、あるいは日本人の死生観からすれば、この立場にもかなりの説得力があろう。恐らく、我が国において犯罪者の人権を擁護するリベラルな立場の人々も「罪を憎んで人を憎まず」という考えなのであろうが、そうであるとすれば、それらの人々はこの小泉首相の言明に挙って賛同すべきである。ただ、この考え方は、「罪も人も」憎んでいる近隣諸国の世論に対しては、説得力が弱いように思われる。私自身も、国内法上の「罪を憎んで人を憎まず」という立場には与しない以上、この立場でA級戦犯合祀問題を捉えることはしない。
 次に、A級戦犯について、東京裁判の意義を疑問視する立場から、「A級戦犯は国内法上の犯罪者ではないから、A級戦犯が合祀されている靖国神社に参拝しても問題は無い」との立場がある(私自身は、A級戦犯問題の法的解釈については、この立場をとる)。実際、我が国の「戦傷病者戦没者遺族等援護法」及び「恩給法」は、「戦犯」を国内法上の刑法犯とはせず、「戦犯」の遺族も戦没者の遺族と同様に遺族年金・弔意金・扶助料等が支給され、さらに「戦犯」受刑者本人に対する恩給も支給された。また、一部識者が指摘するように、東京裁判(極東国際軍事裁判)が戦勝国による一方的な糾弾であったことは事実として間違いなく、これを「司法裁判」であったとは到底言えないのはその通りである(こうした指摘については、東京裁判判事だったインドのラダビノード・パール判事が当時から指摘していた)。ただ、凡そ「裁判」には「司法裁判」以外にも「神託裁判」その等の形式があり、ある紛争を処理する際に形式的平等性を備えた法廷が設置され、そこで一定の基準に基づいた判決が下され、結果として紛争が処理されるのであれば、それで「裁定判断=裁判」が行われたということは出来る。事実、人類の歴史の中では、ワニに食われたほうを負けとする「ワニ裁判」やヒヨコの内臓の動きで勝敗を判断する「ヒヨコ裁判」といった(合理性を重視する現代人からすれば)滑稽な裁判が行われて来たわけで、「東京裁判」もその類の裁判であると考えれば一応「裁判」であるとは言い得る(しかし、それが「法に基づく裁判」=「司法裁判」であったといい得るかどうかは相当怪しい。「法」は常に「自己が正義である」ことを要求するが、同一事象について戦勝国か敗戦国かで扱いを異にするのはエゴイスティックであって形式的正義に反し、「法」とは言えない)。
 第三に、A級戦犯の合祀については、一応それが諸外国や国内一部世論の反発を招くものであると受容しつつも、彼らA級戦犯の「被害者的側面」を強調して参拝する立場があり得よう。即ち、A級戦犯であろうとなかろうと、凡そ人間は人生の中で何らかの過ちを犯すものであり、そちらの側面ばかり着目していては誰も合祀できなくなる、ということである。例えば、合祀された軍人・軍属約246万6000柱の中にはB級・C級の戦犯も含まれているし、その他の軍人でも、若気の至りで軽犯罪を犯したり、交通ルール違反をしたり、友達を裏切ったりしたことがある人間が含まれている。従って、合祀される軍人が生存中100%清廉潔白でなければならないとすれば、多くの戦死者が「合祀不適格」になってしまうわけだが、こう考えるのは不当であろう。この立場は、第一の立場にやや近いが、「A級戦犯も処刑されたからといって罪は消えない」という反対論者には一応対抗することが出来る。ただ、そうはいっても、近隣諸国からは「A級戦犯と交通ルール違反を同列には扱えない」との反論が来るであろう。
 第四の立場としては、第一とは逆の意味でこの問題を端的に捉え、「A級戦犯は戦争責任者であり、そういった人間が合祀されている場には参拝すべきではない」という立場がある。即ち、A級戦犯者が法律上の犯罪者であるかどうかはともかく、他国を侵略し日本国を滅亡(外国軍隊の占領下に置かせた)させた張本人であるという意味では敗戦の責任者であり、そうした者の業績を称えることは出来ない、ということである。確かに、東条英機元首相は優秀な軍部官僚だったかもしれないが、「結果責任」を問われる政治家としては国土を外国軍隊の占領下に置くはめになった戦争指導の失敗は批判されるべきであるし、A級戦犯の1人、武藤 章・元陸軍省軍務局長は大本営の指示に従わずに陸軍を仏領インドシナに進駐させようとしたりした軍人で、天皇主権の下でもその忠誠心に疑問符がつく人物であった。これに対しては、靖国神社に合祀されている祭神約246万6000柱のうちA級戦犯はわずか14柱(率にしてわずか0.00000567%)に過ぎず、そのためだけに残りの英霊の祭祀を疎かにすることは出来ない、という反論があろう。
 第五の立場は、第四の立場とはやや異なり、「A級戦犯は国際犯罪者であり、そういった人間が合祀されている場には参拝すべきではない」という立場である。即ち、東条英機元首相らA級戦犯は、国際法上「平和に対する罪」を犯した犯罪人であるとともに外国を侵略した戦争指導者であり、その罪は死刑でも消えない、ということである。野党や「朝日新聞」等マスコミの一部、近隣諸国が支持する立場であるが、これに対しては、第一〜第三の立場から(更には第四の立場からも)反論がある。なお、第五の立場の中には、「A級戦犯は犯罪者であり、そのことはサンフランシスコ平和条約第11条で日本政府も受諾している」という理由を挙げて政府を批判する者がいるが、これは平和条約第11条や国際法上の戦争犯罪人制度の理解を誤った見解である。そもそも、戦争犯罪人が処罰されるのは、そうして処罰による威嚇を行うことで戦時国際法を相手国軍隊に遵守させるためであり、その意味では戦犯処罰は一種の手段に過ぎない。だから、相手国が重大な戦時国際法違反(例えば捕虜虐殺)を犯した場合は、こちら側も同様の行為を(国際人道法に反しない範囲で)行うことができるのであり、それは適法行為である(戦時国際法が存在するのは、全くルールが無い状態で戦争を行うと不必要な被害が生じるからであって、当事国が戦時国際法を相互に無視し合って戦争をするのであれば、それでもよいのである)。また、一端戦争状態が終結すれば、それ以上戦闘行為も行われず従って相手国に戦時国際法遵守を強制する意味も無くなるわけであるから、戦争犯罪人の処罰も停止され、釈放される。サンフランシスコ平和条約第11条は正にこのことを念頭において、平和条約締結=戦争状態終了後も戦争犯罪人を処罰・拘禁しつづけるために設けられた規定であり、「A級戦犯は悪人である」という概念を日本政府が持つことを強制したものでは全く無い(このことは、「judgement」を「判決」と和訳しようと「裁判」と和訳しようと、動くものではない)。この点、昭和26年10月17日の衆議院・平和条約及び日米安全保障条約特別委員会における西村熊雄・外務省条約局長の答弁は、国際法の専門家として正しい見解を述べていると言えよう。

※参考:「日本国との平和条約」(昭和27年条約第5号)第11条(戦争犯罪)
 日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。

4、戦没者をどう慰霊すべきか
 このように様々な問題を孕んでいる小泉首相の靖国神社参拝問題であるが、その背景には、第二次世界大戦前後の国家の「継続」と「断絶」の問題がある。
 大戦前後の国家の「断絶」を象徴的に表わすのが憲法改正であり、主権者の交代である。即ち、欽定憲法・天皇主権を規定していた大日本帝国憲法は、その立憲主義的要素にも関わらず占領軍の否定するところとなり、代ってGHQが主導して作成した「民定」憲法・国民主権の 日本国憲法 が制定されたのは周知の事実である。その結果、下図に大雑把に示したように、戦前は「神道は宗教にあらず」として認められてきた靖国神社・護国神社による公的な戦没者慰霊(B)が、戦後は公的には困難になった。

     
合憲
皇室関係祭祀
(伊勢神宮他)

皇室関係祭祀
(伊勢神宮他)
合憲
合憲
神道による慰霊

(靖国神社他)

神道による慰霊

(靖国神社他)
違憲
違憲
その他の
宗教活動

その他の
宗教活動
違憲
 明治憲法→ ←昭和憲法 

▲国家と宗教のかかわり・戦前戦後の比較

また、「東京裁判」によって戦前の政治指導者の多くが戦争犯罪人とされ我が国の国策がGHQによって否定されたことは、当時、戦争の衝撃から「1億総PTSD(心的外傷後ストレス障害)状態」に陥っていた国民をして、戦前を軍国主義の暗黒時代・戦後を平和主義の輝かしい時代という二分法を受容させた。政党政治を批判して軍部に政治的権力を与え、背後から列強との対決策を支持していた戦前の国民としても、昭和天皇や政治指導者に戦争責任を押し付けたほうが自己が免責されるだろうと考え、態度を豹変させて占領軍を「解放軍」扱いし(この心理を法的に表現したのが「八月革命説」である)、昨日まで支持していた自国の軍事政権を罵倒した。靖国神社を軍国主義の象徴とし、例え一般戦没者に対する慰霊のためであってもこれに参拝することを全面否定する言説(「国家のために死んだ」と言っても、戦前の国家は過てる国策を行ったのであり、過てる国策に殉死しても褒められるべきことではない)は、そうした歴史的状況を背景としている。
 しかしその一方で、1945年8月15日を境に日本列島の住人が総交代したわけでもなく、皇室や文化が消滅したわけでもない以上、戦前・戦後では国家は「継続」していると捉えることも出来る。例えば、憲法こそGHQの指示によって改正が行われ、またそれに伴って他の法律も一部修正を受けたが、法典の中には 民法第1編・第2編・第3編 (財産法)、 刑法 、商法のように明治期の法律がそのまま残ったものも多い。むしろ、戦前の様々な「国策の試行錯誤」(失敗を含む)の結果今日の我が国があるのだとすれば(即ち、国家の継続性を認めるのだとすれば)、その「試行錯誤」の過程で国のために命を捧げた戦没者を慰霊するのは、戦前戦後の憲法体制の如何にかかわらず当然ということになる(小泉首相の心情は、これに近いのだろう。13日の参拝後のインタビューからも、少なくとも、首相の意図を「A級戦犯の名誉回復をしたい」「謝ることを嫌がる復古的な歴史観が根底にある」<沖縄タイムス7月26日付け社説>と見るのは完全に誤りである)。戦後の歴代首相が公式参拝を敢えて行ったのも、戦前「戦死したら靖国神社に祭る」といって国民を戦地に送り出したときの約束を果たすためであった。近年、戦前を「暗黒」一辺倒と看做す考え方を「思考停止」であるとして批判し、我が国の近代史を見つめなおすことが提唱されているが、戦前と戦後の「継続性」に着目することは、そうした「見直し」の流れと軌を一にしていると言えよう。但し、そうして「継続性」に着目すればたしかに「健全なナショナリズム」が回復されるだろうが、さりとて戦前の我が国のあり方が一様に肯定されるわけではない。何故ならば、そうして戦前と戦後との「継続性」を認めることは、国民が直接に、「試行錯誤」の過程で犠牲となった日本国民及び近隣諸国国民に対して責任を負うことになるからである。その意味で、小泉首相の参拝と村山富市首相談話の精神は実は矛盾しないし、この立場とA級戦犯に関する第四の立場とも矛盾しない。
 もっとも、現実には、「国家断絶」の法的表現である憲法改正が行われた結果、 日本国憲法 上の論点としては靖国神社「公式」参拝が違憲であることは動かし難い(現行憲法がGHQの産物であることを強調する以上は、その解釈もGHQ的に行われるべきであろう。なお、そのように解釈しても、GHQは最後になって自衛戦力を容認していたのであるから、自衛隊は違憲とはならない)。この矛盾(それは、国民の戦前・戦後に対する態度の矛盾の相似形である)を根本的に修正するには憲法改正を行う他無いが、当面は、その矛盾を首相が靖国神社「私的参拝」という形で引き受け、公的には武道館の戦没者慰霊式典(または、その式典を継続的に実施するものであるところの国立墓苑)で慰霊するという形で対処することになろう。あとは中韓両国との外交関係が問題だが、これは国家「継続」の主張と諸外国との兼ね合いにより高度に政治的な判断が行われることになろう。

5、おわりに
 以上のように考えるとき、今回、小泉首相が8月13日に靖国神社を非公式に参拝(神道形式によらず、また玉串料も支出せず:公用車を使用したのは安全上の理由である)したことは、ぎりぎりの賢明な政治判断だったと言えよう。無論、首相が当初明言していた「15日」を避けたこと、また靖国神社に参拝したことについては、賛成・反対双方の立場から批判が浴びせられている。しかしながら、これらの批判は、いずれも妥当とは思われない。例えば参拝賛成派の中には8月15日を避けたことを「姑息だ」と批判するむきもあるが、政治に妥協はつきものであるし、ましてや内閣総理大臣の職責や高度な政治判断を考えれば、「姑息」との言明は公職に対する冒涜であろう。戦没者に対する慰霊の気持ちを以って私的に参拝した事実は、変わらないのである。また、参拝反対派の中には、「靖国神社は軍国主義の象徴であり、再び国民を鼓舞して戦争への道を歩む」であるとか「若者に参拝容認派が多いのは、歴史をきちんと学んでいないからだ」といった主張が聞かれる。しかし、終戦直後のPTSD状態とは無縁の現代の若者は、靖国神社に小泉首相が参拝したことで「お国のために死のう」等と考えるほど短絡的ではないし(恐らく、街頭インタビューをしてもそんな若者は1%もいないだろう)、「歴史をきちんと学んでいない」のも戦前・戦後「断絶」史観によって戦前の近代史を隠蔽してきた反対派の責任である。

中島 健(なかじま・たけし) 大学生


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