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健論時報
  2001年8月  


■元少年に対する死刑判決は妥当だ
 集団リンチ殺害事件被告人に死刑、無期懲役判決(7月9日)
 報道によると、1994年秋に大阪、愛知、岐阜の3府県で4人が殺害された連続リンチ殺害事件で、名古屋地方裁判所(石山容示裁判長)は9日、犯行当時少年だった1人に死刑(求刑死刑)、2人に無期懲役(同)の判決を言い渡した。判決の中で石山裁判長は、犯行当時19歳だった主犯格の元少年(現在26歳)に対して、「永山事件」で最高裁判所が判示した少年に対する死刑適用基準を引用し、「中心的な立場で、少年であったことを考慮しても、罪責は誠に重大で極刑はやむを得ない」とした。この元少年の弁護側は控訴する方針だという。なお、同じく死刑が求刑されていた残り2人の少年については、「追従的な立場だった」「未成熟な少年たちが虚勢を張り合い、統制されない集団を形成したことによる短絡的、場当たり的な犯行だった」として、「矯正による罪の償いを続けさせるのが相当」との立場から無期懲役刑が下された。
 犯行時少年だった被告人に対する死刑判決は、「永山事件」の最高裁判決後、名古屋アベック殺害事件(但し、控訴審では無期懲役)、千葉県市川市の一家四人殺害事件に次いで3件目だった為、本件判決は新聞、テレビでも大きく報道された。さすがに「元少年に対する死刑判決には反対だ」という論陣を正面から張った報道は無かったが、それでも、一部報道機関の報道の中には、「死刑反対」の立場が背景にあると思われる紙面構成が見られた。
 しかし、死刑を形式的正義論によって正当化する私見によれば、加害者が犯行当時少年であったとしても、それは死刑減軽を考慮する一要素ではあり得ても死刑回避を選択する絶対的事由ではない。何故ならば、犯行当時、加害者は無辜の市民をリンチ殺害することによって「自分は人間の生命を尊重しない」という立場を明確にしたのであって、そうである以上は、社会も又彼(犯人)の生命を尊重する必要は無いからである。犯人が未成年者かどうかは法技術的な問題であり(例えば、皇室典範は「皇太子の成年は18歳」として民法の適用を排除している)、18歳、あるいは19歳であっても、彼に「他人の生命を尊重する意思」が無ければ十分死刑に値する。そうした犯人の生命を救って「矯正による罪の償い」の機会を与えることは、むしろ死者である被害者の生命の価値を低く扱うものであろう。名古屋地裁の「生命尊重」に対する断固たる態度に敬意を表したい。

■マスコミ報道での扱いは与野党お互い様だ
 野党三党、小泉首相のテレビ生出演に抗議(7月12日)
 報道によると、民主、自由、社民の野党3党は12日、11日に放送された日本テレビの番組「ニュースプラスワン」の中で、「コイズミVS百人の女性たち」と題して小泉純一郎首相が生出演したことに対し、「参院選公示前後の番組でも繰り返し放映されたのは、報道の政治的中立性に反する」「政党の党首は、候補者に準じる特別の扱いを公選法で受けており、同法や放送法の趣旨に反している」等として抗議声明や談話を発表した。民主党はまた、この放送を公職選挙法違反(選挙運動放送の制限)などの疑いで同テレビの氏家斉一郎会長を刑事告発することや、氏家氏の国会招致も検討している。更に、この番組について社会民主党の渕上貞雄幹事長は「わが党のテレビコマーシャルが誹謗・中傷に当たるとして放送を拒否しながら、小泉首相を特別扱いする対応は報道機関にあるまじきことだ」との談話を発表したという。
 今日告示された参議院選挙では自由民主党総裁の小泉首相の高い人気が野党側に逆風となっており、そうした人気を煽りたてていると見られるマスコミが小泉首相をタウンミーティング番組に出演させたことに苛立っているのであろう。しかし、実際の番組では、出演した100人の女性から時として改革の具体策を問う厳しい質問がぶつけられており、小泉首相側が一方的に有利だったわけではない。中には、国会の党首討論における野党党首の質問よりもよいものもあった。また、森善朗首相時代には、マスコミが挙って野党側と同様の主張を報道していた時期もあり、第4権力・マスコミが時代の風になびくのはお互い様である。更に付言すれば、この番組は少なくとも、社会民主党が製作したテレビCMのように、他党を誹謗するようなものではない。野党の批判はあたらないと言うべきであろう。

■冷静な言論空間での教科書採択を
 下都賀採択地区教科用図書採択協議会、扶桑社の「新しい歴史教科書」を採択へ(7月12日)
 報道によると、栃木県の小山市・栃木市と周辺8町からなる下都賀採択地区教科用図書採択協議会(各自治体の教育長や保護者代表、教育委員長らで構成)は11日、「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーらが執筆した扶桑社の「新しい歴史教科書」を採択することを多数決で決定したという(同社の「新しい公民教科書」は採用されなかった)。各市町の教育委員会での決議を経ると、来年度から4年間、同地区内の公立中学校30校(生徒数約1万4550人)で採用されることとなる。「新しい歴史教科書」が公立中学校で採用されることが明らかになったのは初めてのことだという。「教科用図書の無償措置に関する法律」では、一つの採択地区内では同じ教科書を使うことが定められている。
 下都賀地区で「新しい歴史教科書」が採択されたのは、同地区の教職員の98.6%が、「新しい歴史教科書」に否定的な姿勢を示している「日本教職員組合(日教組)」や「全日本教職員組合(全教)」とは一線を画す教職員団体の全国組織「全日本教職員連盟(全日教連)」に加盟する「栃木県教職員協議会」の組織下にあることも影響したものと見られる。だが、採択が報道された後は、「新しい歴史教科書」に反対する一部市民団体等の不採択運動や抗議活動が活発化しているとの報道もあり、その為地区内のいくつかの教育委員会ではこの採択に「待った」がかけられている。
 最近、この歴史教科書問題は単なる教育問題の枠を超え、政治問題、国際問題化しているが、そうした周囲の状況によって、教科書採択のあるべき冷静な言論空間が損なわれてはならない。無論、この教科書を支持する団体も反対する団体も、出来る限りの力を出して採択、不採択の要望を出すであろうし、国民の請願権は憲法上保障された権利である。しかし、繰り返すが、そうした請願や陳情はあくまで冷静な言論空間が維持される限度に留められるべきであって、「あぶない教科書」「トンデモ教科書」といった煽動調の批判は、(内容は別として)批判的言論というに値しないように思われる。

■必要なのはバッシングではなく具体的再発防止策だ
 複数の外務省幹部2人、ハイヤー代水増請求で逮捕(7月16日)
 報道によると、主要先進国首脳会議(九州・沖縄サミット)準備事務局の会計担当者だった小林祐武容疑者(45歳)(現在、経済局総務参事官室課長補佐)と大隈 勤容疑者(38歳)(現在、同外務事務官)の二人がハイヤー代を水増し請求し詐取していたとされる疑惑で、警視庁捜査二課は16日、この2人と「日の丸リムジン」の2人を詐欺容疑(捜査は贈収賄容疑)で逮捕した。警視庁の捜査によると、課長補佐らは、九州・沖縄サミットで手配したハイヤーを、実際の稼働数よりも多い数にしてハイヤー業者に請求書を作成させ、公金を詐取。その上で、水増し分約1200万円をタクシー券や高速道路回数券等の形で受け取った。課長補佐らは、これらを金券ショップで換金して生活費に使ったり、深夜の帰宅時のタクシー代として同僚らに渡してたという。
 このところ外務省では、元要人外国訪問支援室長らによる外交機密費横領事件、元キューバ大使公費流用事件、元オーストラリア大使館職員公金横領事件、デンバー総領事公金横領事件といった形で不祥事が次々と明るみになっており、国民の外務省に対する批判は高まるばかりである。本件事件についても、参議院選挙中につき国会が閉会中であるため、機密費事件の時のような批判報道はまだ少ないが、今後、事件の全容が解明されるに連れて、世論の関心も高まるものと思われる。
 無論、公費の詐取は国家反逆的な犯罪であり、厳正に処断されるべきである。しかし、こうした事件においてしばしばなされるバッシング報道は、事件の解決や再発防止策の策定には結びつかない。昨今の一連の事件で明かになったのは、外務省における公金管理体制の不備なのだから、その立てなおし(ないし、整備)こそが現在の最大の課題である。田中外相には、「伏魔殿」等と言ってバッシング報道に加勢するのではなく、ぜひこうした面においてリーダーシップを発揮して頂きたい。また、裏金・裏会計が生じるのは、(公金を横領して懐に収めようという不法な動機もあるが、)正規の会計規則では柔軟に対応できない経費の支出があったり、経費としては主張しづらい支出があるためであって、一概に会計担当者が悪いとは言えない。「必要経費は正規の会計で断固として支出する」ことが出来るように、正規の会計制度の改革も必要であろう。
 付言すれば、一部報道の中で、「外務省職員のタクシー代は他省庁から突出している」といった批判があるが、妥当ではない。何故ならば、世界各国での外交案件に対応しなければならない外務省の業務は在外公館との連絡にも時差が影響してくるし、突発事件があれば深夜であろうと早朝であろうと対処しなければならず、残業が深夜に及ぶことが避けられないからである(業務効率が悪いからではない)。そうして深夜まで国のためにサービス残業をした職員に対して、「公費のタクシー券を使うな」=「自腹ないし徒歩で帰宅せよ」等というのは、(如何に昨今の外務省不祥事が多いとはいえ)あまりにも酷ではないだろうか。無論、国民が主権者である以上、「公費のタクシー券の一切禁止」を決めることも可能だが、その代り国民は、夜間に海外で突発事件が起きても外務省の対応の遅さを批判することは一切出来なくなる。

■ニュージーランド首相の悪辣な二重基準を厳しく批判する
 ニュージーランド首相、日本のODAを「捕鯨問題に対する賄賂」と声明(7月19日)
 報道によると、ニュージーランドのヘレン・クラーク首相は18日、我が国水産庁の小松正之資源管理部参事官が18日のオーストラリア公共放送(ABC)の番組で「日本が持っている手段は外交上のやりとりとODAだけだ。日本の立場を支持してもらうには、この二つに依存しなければならないのは当然で、何も悪いことはない」と発言したと報じられたことについて、「ニュージーランドなどは日本が貧しい国の支持を得るためにODAのカネを使っていると疑ってきた。自国高官がこれを明らかにしたことで日本は当惑しているに違いない」等とする声明を発表した。同首相は19日にも、「日本の戦術が暴露されたことは、(IWCでの)南太平洋クジラ禁漁区設置案採択を助けるかもしれない」「援助はIWCへの加盟や、投票行動を左右するために使うべきではない」等との発言を繰り返しているという。7月23日からはロンドンで国際捕鯨委員会(IWC)の年次会合が開催される予定で、それを前にしてこのところ支持を広げる我が国に対する牽制を行なったものと見られる。なお、問題の端緒となったABCテレビは、この事件について「日本の水産庁の小松正之資源管理部参事官が政府開発援助(ODA)を賄賂に使って商業捕鯨再開を働きかけていることを認めた」「去年の国際捕鯨委員会(IWC)年次総会で、捕鯨に利害がないとみられるカリブ海の6カ国がほとんど日本に合わせて投票した。今回初めて日本の水産当局高官が、ODAでこれらの票を買ったことを認めた」等とコメントしているという。
 この問題でABCテレビは、小松参事官の発言の一部を引用して豪州の視聴者に誤った印象を与えているし、同参事官はその後、同じ番組に出現して「政府開発援助(ODA)は反捕鯨国を含む約150カ国に出している。一定の感謝は期待するが、特定の国際機関で援助国の立場を支持するかどうかは被援助国が決めること」として、賄賂性を明確に否定している。しかし、これに対してクラーク首相は、「小松参事官は基本的に、禁漁区を阻止するためにロビー活動をする、それに援助を使うと言っている。こんな大胆な告白は初めて見た」等と反論を無視した。
 ニュージーランドは、国内環境保護派の影響力もあって反捕鯨国の中でも最強硬派といわれ、クジラ資源の如何に関わらず倫理的な理由から一切の捕鯨再開に絶対反対の立場をとっている。そして、その立場から我が国の捕鯨は「高等動物を虐殺するもの」として解釈され、野蛮な行為であるとの対日非難の理由になっている。しかし、資源保護以外の理由で捕鯨を一律全面禁止するというのは、多様な文化尊重の観点からも到底受け容れられるものではなく、むしろ文化帝国主義として理解されるべき性質のものである。最近、IWCにおいて我が国が提出した調査捕鯨に基づく科学的な報告書はIWC加盟国の賛同を徐々に勝ち得ており、反対に反捕鯨国は支持を失いつつある(ニュージーランドらが「問答無用の捕鯨禁止海域」を設定するために提出した「南太平洋クジラ禁漁区(サンクチュアリ)」設置案も否決される見通し)。同国の欧米キリスト教中心主義的な反捕鯨主義は、我が国として到底これを受け容れることが出来ないものである。
 しかも、クラーク首相は、我が国が政府開発援助(ODA)を使って票を買っているというが、そもそも捕鯨と無関係な国に政治的・経済的圧力を加えてIWCに加盟させ、反捕鯨の多数派工作をしたのはアメリカを中心とする反捕鯨国の側であり、ニュージーランドに我が国を非難する資格は全く無い。小松参事官の発言が(我が国にとって)やや「外交的配慮」に欠いたものであったことは認めざるを得ないが、ODAで支持を要請すること自体は国際政治上何等問題ではないのである。自国側の立場については明言を避けて他国のODAの使い方を非難する等というのは「悪辣な二重基準」という他ないが、私はこうした外交的態度を示す国を北朝鮮以外には知らない。
 最後に一言。もしクラーク首相がそれほどまでに動物愛護精神に溢れる人間なのであれば、ぜひ国内の奴隷的拘束の下に置かれその肉や毛を一次産品として搾取されている肉牛や羊を解放してみてはいかがか。

■暴徒化したデモに過剰警備は必要だ
 ジェノバ・サミット反対派、デモ中に治安部隊から射殺される(7月21日)
 報道によると、イタリア・ジェノバで20日、開催中の第27回主要先進国首脳会議(ジェノバ・サミット)に反対する「反グローバル派」の団体による抗議デモが暴徒化し、治安部隊(憲兵隊)が発砲して1人が死亡したという。死亡した男性は警察車両に消火器を投げ込もうとしたところを射撃されており、頭を撃たれて即死だったという。今回のジェノバ・サミットは当初から警備の問題が指摘され、欧米各国から終結した「反グローバル派」と称する各種政治団体・市民団体が会議を妨害しないよう、首脳の宿泊場所及び会議場周辺は「特別警戒区域」として4メートルの金網で封鎖されている。
 このところ目につく「反グローバル派」団体とは、「経済の世界化によって貧富の格差が拡大し環境も悪化する」としてこれに反対する団体のことだが、NGOや人権団体、労働団体に混じって極左勢力や単なる暴徒も混じっており、全てを市民的政治活動として容認することは出来ない。今回の事件でも、「被害者」である男性は警察車両内部に消火器を投入しようとしたのであり、生命の危険を感じた憲兵が発砲したもので、憲兵も人間である以上致し方ないという他ない。治安当局の「過剰警備」を問題視する声もあるが、過剰警備が必要なのは過剰なデモが予想されるからであって、非難に値しない。問題なのは、こうしたデモの群衆心理に煽られて、「何をやってもいいんだ」とばかりに暴徒化する無統制なデモ参加者である。

■果たして本当に責任者は警察だけか?
 兵庫県明石市の花火大会で将棋倒し、幼児ら10人死亡(7月21日)
 報道によると、7月21日午後9時頃、兵庫県明石市の大蔵海岸で開催されていた「明石市民夏まつり」の花火大会会場で、最寄駅のJR山陽本線朝霧駅と海岸とを結ぶ歩道橋が極度に混雑し、多くの観光客が将棋倒しになって死者11人と130人以上の怪我人が出たという。事故があった歩道橋は国道2号線をまたいで駅と海岸を結ぶ最短ルートで、この他には1.5キロほど迂回して駅に戻る道しかなかった。なお、この事故に関して兵庫県警察本部は23日、業務上過失致死傷の疑いで明石警察署に捜査本部を設置。「市民夏まつり」の主催者である明石市当局や現場の雑踏警備を担当した明石署そのものの責任を含めて、捜査を進めていくという。
 今回の事故では、被害者や一部報道から「警察の現場警備に不備があった」「民間警備会社の担当者から群衆の分断を提案されても、警察は動かなかった」「現場での救急車の手配が遅れた」等として、警察の対応を批判し責任を追及する声がある。無論、本件については警察や主催者側の警備上の不備があったことは否めないが、しかし、事故の責任が全て警察にあるかのような言動には、俄かに賛同しかねる。今回の事故の直接の原因は、海岸に出るために作られた歩道橋に「花火を見やすい位置を確保しよう」とばかりに花火見物の観光客が群がり、当初から通行がかなり阻害されていたことである。即ち、公共の空間である歩道橋を私的に占有し、他人の迷惑も省みずに花火見物に勤しんでいた公衆道徳無き一部の観光客こそ最大の原因なのであって、警察の警備上の不備はせいぜい従たる要因に過ぎないのではないか。「警察から文句を言われなかったから、歩道橋から見物してもいいと思った」等というのは言い訳にしかならない(それこそ、あまりにも警察に依存した態度であろう)。それに、これは私自身が他の花火大会で経験したことだが、こうした場において警察官が交通規制をかけようとすると、大抵は観光客からイヤな顔をされるものである(今回の事件でも、規制をしようとした民間警備会社の警備員がビールをかけられたりしている)。現場の警察官が群衆の分断に乗り気でなかったことが容易に想像されよう。
 無論、被害に遭った観光客の中には、単に歩道橋を通行しようとしただけの人も多かったであろう。だが、今回の事故の責任は、第一義的には明石市当局と一部の不道徳な観光客にあるのであって、警察が直接・全面的に責任を負うわけではないように思われる。

■「事勿れ主義」に陥っていなかったか
 栃木県下都賀採択地区協議会、「新しい歴史教科書」の採択方針を撤回(7月25日)
 報道によると、栃木県の下都賀採択地区協議会は25日、当初採択していた扶桑社の「新しい歴史教科書」について、地区内の自治体教育委員会(2市8町)がこれを拒絶したため決定を差し戻すことのなり、中学校歴史用としては東京書籍のものを採用することを新たに決定したという。
 同協議会が如何なる理由によって採択を撤回したのか詳細は不明だが、一部報道されたところによれば、同地区においては、「新しい歴史教科書」採択後に主として反対派から激しい抗議活動が行なわれたため、協議会側が紛争の教育現場への波及を恐れて採択を撤回したのだという。これが事実とすれば、そうした「事勿れ主義」的な判断を行なった教育委員は自らの職責を果たしていないといわなければならない。教育委員制度は戦後GHQ改革の際に導入されたが(当初は公選制であったが、後に首長の任命制に改正された)、この制度は、教育行政という特殊な分野にあって、教育の一定の政治的中立性と専門性を尊重することを目的としている。従って、もし教育委員が、教科書採択反対運動の激化や教育現場への波及を恐れて公正・妥当な採択を歪曲するようなことがあれば、それは教育委員会という独立の行政委員会を設置した制度趣旨に、全く反することになるわけである。
 加えて、こうした採択のあり方は、我が国における教科書採択に関して悪しき前例となる可能性がある。即ち、今回の事例によって、市民団体・政治団体が特定の教科書の採択に反対する運動を激しく展開し、教育現場への波及をも辞さない態度に出れば、それで採択が阻止されてしまうことになるからである。無論、だからといって採択賛成運動・反対運動それ自体が否定されるわけではないが、前にも書いたように、教科書採択は冷静な言論空間の中で賛成・反対を討議しながら行なわれるべきものであって、教育現場を「人質」にして採択を妨害するというのは一種のテロリズムであるという他無い。

■「信賞必罰」を徹底すべし
 デンバー総領事、懲戒免職処分(7月26日)
 報道によると、水谷 周・在デンバー日本総領事が約8万1千ドル(約1000万円)の公金を不正に流用していた問題で、川島 裕外務事務次官は26日、同総領事を懲戒免職処分とした他、川島次官自身と阿部知之・前官房長を厳重訓戒(1ヶ月分の給与の10%自主返還。飯村 豊現官房長も自主返還)に、またデンバー総領事館の久保克彦・前首席領事(現マレーシア大使館参事官)、真壁康昭・前領事(現国連行政課課長補佐)の2人を懲戒減給処分(10分の1、3か月)、大橋建男領事を訓戒とした。水谷総領事は既に横領した1000万円を国庫に返納しているが、「弁解の余地は無い」として懲戒免職処分となった。更にこの会見では川島事務次官が辞意を表明した他、柳井俊二・駐米大使、斉藤邦彦・国際協力事業団(JICA)総裁、林 貞行・駐英大使ら歴代事務次官3人もほぼ同時に退任することが明かになったという。後任の事務次官には、加藤良三・外務審議官又は野上義二・外務審議官が有力となっている。
 一部報道によれば、水谷総領事は、デンバー総領事館が小規模公館だったため会計担当官を兼任しており、総領事館開設のための公金を自己名義の銀行口座に振りこんでいたという。また、公費による設宴の際には、公費で購入した食材を家族用に流用していたとされ、事件の発端はこの件に関して前の公邸料理人(総領事が個人的に契約する民間人=外部の人間)の告発であった。斯様な報道を見るとき、外務省においては公金取り扱いのチェック体制が杜撰であったことは否めないだろう。
 今年5月に明らかになった元オーストラリア大使館職員の公金横領疑惑では、外務省は結局この職員に対する処分は行なわず、刑事告発もされないままになっている。その点、最近は、先のサミット経費水増し事件にしてもまた今回のデンバー総領事公金横領事件にしても、外務省側は(当然といえば当然だが)断固として「信賞必罰」の態度で臨んでおり、信頼回復へ向けた一歩を刻んだものといえる(ただ、先の元オーストラリア大使館職員公金横領疑惑については、このところ全く報道されておらず、どのような対応が為されているのか不明である)。水谷総領事に対しては横領罪での刑事告発も検討されているというが、ぜひとも刑事告発を行なって「懲戒免職処分」という行政処分に留まらずきちんとした司法的処分を課すべきである。「信賞必罰」こそ、組織を健全に動かす秘訣である。

■「不起訴不当」の議決は当然、検察は公訴を提起すべし
 福岡検察審査会、山下永寿前次席検事に対する不起訴処分を「不当」と決議(7月29日)
 報道によると、古川龍一・前福岡高裁判事の妻の脅迫事件を捜査していた山下永寿・前福岡地方検察庁次席検事が捜査情報を漏洩していた事件で、福岡検察審査会は29日までに、国家公務員法(守秘義務)違反容疑で刑事告発された同次席検事に対する検察庁の不起訴処分を「不当」と議決した。この事件で検察当局は、「捜査情報を伝えた手段や方法は不適切だったが、古川前判事に捜査協力を求めるという目的は是認できる」等として今年3月、不起訴処分にしていたが、これに対して同検察審査会は、「被害者の意向も確かめず、警察にも無断で告知しており、裁判所のスキャンダルが表ざたにならないよう処理することが真の目的ではなかったかとの疑念を晴らすことができない」等として今回の判断に至ったという。なお、公務員職権濫用容疑については、「山下前次席検事が県警に脅迫容疑事件の強制捜査を思いとどまらせるなどの捜査妨害をした事実は認められない」等として、不起訴処分を相当と議決した。
 検察審査会は、戦後「公訴権の実行に関し民意を反映せしめてその適正を図るため」に設置された一種の大陪審(起訴陪審)で(検察審査会法第1条)、管轄区域に居住する衆議院議員選挙権者の中から抽選で選ばれた11名の国民(検察審査員、任期6ヶ月)で構成され(第4条)、被疑者に対する不起訴処分を不服とする被害者や告発者の請求を待って、又は職権により、同不起訴処分の審査を行ない、「不起訴処分相当」(過半数の賛成による)、「不起訴処分不当」(過半数の賛成による)、「起訴相当」(8人以上の賛成必要)のいずれかの議決をなす。但し、検察審査会の議決には法的拘束力が無く、議決書の謄本の送付を受けた検事正(なお、謄本は検察官適格審査会にも送付される)は、事件の処分を再度考慮して公訴を提起すべきものと思料するときは起訴の手続をする(第41条)が、そうでないときは再び不起訴処分とすることができる。
 一般に、検察審査会が「不起訴不当」または「起訴相当」の議決をするのはごく少数なので、今回の事件ではそれだけ検察審査会の委員を務めた国民の側に、事件の処理に対する強い疑問が残ったことを意味している。上述したように、検察審査会の議決は法制度上は検察官に対して法的拘束力を有しないが、こうした議決が出た以上、検察当局は、その自浄作用を発揮すべく、山下前次席検事をきちんと起訴すべきであろう。


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製作著作:健論会・中島 健 無断転載禁止
 
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