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第3編 規範としての法
本編においては、法の規範的側面に焦点をあて、正義及び法思想の問題を扱う。
■第1章 正義論
「法」には「正義」の要素が含まれるということは、既に 第2編 の分析の中で述べた。しかし、今日、我々が住む現代社会においては、実質的な意味の正義は無数に存在し、自らの正当性を競い合っている。その意味において、実質的正義とは容易には定義し難いものであり、膨大な基礎資料から帰納することは可能にしても、それ以外の方法でそうした実質的正義を確定することは、もはや価値相対主義、賢慮(phronesis、prudentia)によるほかない(※注1)。
では、正義は定義不能(又は困難)なものなのか。正義の基準というものは存在しないのか。一つだけ存在するとすれば、それは所謂「形式的正義論」と呼ばれるものである。
この考え方においては、「自己の権利は主張しながら、他者の権利を尊重しない者」を「悪である」とする。即ち、他者を理由無く差別的に扱っている「エゴイスト(二重基準の者)」を悪とするということである。例えば、ある法律が、合理的な理由なくしてある一人の特定民族にのみ裁判権(裁判を受ける権利)を認め、その他の少数民族の権利を否定する場合、これはある民族を、それが「その民族である」というだけの理由で(例えば、「日本人である」というただだけの理由で)差別的に取扱っており、形式的正義に反する(※注2)。形式的正義に合致するためには、二つの事例を個体的同一性における相違のみに基づいて差別的に取扱ってはならないのであって、二つの事例の差別的取扱いが許されるのは、両者の間に普遍的特徴における重要な相違が存在する場合に限られる。従って、如何なる実質的正義もこの原則に反しては「正義」とは言えないし、その限度において形式的正義論による「チェック」には意味がある。
こうした「普遍主義的要請」「形式的正義理念」は、「等しきものは等しく扱え」「各人に各人の権利を分配せよ(Ius suum unicuique tribuit)」といったかたちでローマ時代から言い伝えられてきている人類の知恵であり(※注3)、現代の我が国においても、という「クリーンハンズの原則」(※注4)や「禁反言(エストッペル)の原則」(※注5)といった形で根付いているのである。※注釈・参考文献
1:むしろ、下手な実質的正義の追求は却って独善を生む。
2:もっとも、主権国家というのは国家規模のエゴイズムであるから、往々にして外国人が「外国人である」というだけの理由で差別的取扱いを受けることがあるのはやむを得ない。我々が何故東京都にいるホームレスに福祉を与え、アフガニスタンにいる難民にそれより低い水準の援助しか与えないのかは、結局前者が「日本人だから」(日本国籍保有者だから)である。
3:例えば、ラファエロのフレスコ画『正義』(1508年、ローマ・ヴァティカーノ宮殿「署名の間」天井にある)には、正義の女神の周囲に「各人に各人の権利を分配せよ」の文字版を持った天使が描かれている。この文句は、ローマ皇帝ユスティニアヌスの編纂した『ローマ法大全』「学説い纂(Pandectae)」第1巻第1章第10法文の引用であるが、こうした感覚は、このようにローマ時代から人間社会に存在していたものだということが出来よう。
4:「汚れた手で法廷に入ることは出来ない」=「自ら法を守る者だけが法の尊重を求めることができる」という原則。
例えば、民法上の債権発生原因の一つに「不当利得」があるが、不法原因給付物(例えば、人身売買で手にした金とか、賭けマージャンで負けた分のお金)については返還請求が出来ないようになっている(賭けマージャンは違法なのであるから、相手がそれで負けた金を払わなくても、裁判所に提訴することは出来ない)。
5:「自己の行為に矛盾した態度をとることは許されない」という原則。■第2章 法思想(法の妥当根拠)
それでは、実質的な正義としての「法の妥当根拠」については、これまでどのような「賢慮」が行われてきたのであろうか。以下に、そうした法思想を「自然法主義」、「歴史法学」、「実定法主義」の3つに区分し概観することにする。
●第1節 自然法思想(普遍主義)
最初に概観するのは、人間に普遍的自然的本性が存することを前提として、そこから「人間らしさ」としての人間性を導出し、如何なる時代にも妥当する普遍的な規範が存在するとする主張である(※注1)。これは、倫理学においては「自然主義」、法学においては「自然法主義」と称される。
自然法主義(思想)とは、神性や自然、人間理性を基礎として存立する永久不変の「自然法」の存在を認め、実定法に妥当の根拠又は基準を与えるものとして、それは実定法よりも高次の規範であるとする思想である(※注2)。更に、中世自然法主義が自然法の存立根拠にカトリック教会の権威を挙げるのに対して、近代自然法主義はそれを人間の本性(理性)に求めて形而上学的な教義と権力との結びつきを切断し、恣意的な権力の正当性を否定する。
近代自然法学説の父は、平和思想家として知られるオランダの法哲学者フーゴー・グロティウスHugo Grotius(1583年〜1645年)である。国際法の創始者であり「国際法の祖」とも呼ばれる彼は、人間の本質をその「社交性」にあるとし、そうした自然の本性に基づく合理的な個人間の法は神が存在しなくとも存在すると言明して、「宇宙の万物は神意によって支配される」(※注3)という中世自然法の宗教思想から法を解放した。彼はまた、そうした共同体性を国際社会にまで拡大することによって国家間の国際法の存在を明かにし、後に国際法を自然法と実定法の二つの側面から把握するグロティウス学派を生んだ(※注4)。
グロティウスに次いで登場したのが、オランダのスピノザBaruch de Spinoza(1632年〜1677年)、イギリスのトーマス・ホッブスThomas Hobbes(1588年〜1679年)やジョン・ロックJohn Locke(1632年〜1704年)、フランスのモンテスキューMontesquieu(1688年〜1757年)やジャン・ジャック・ルソー、ドイツのプーフェンドルフSamuel Freiherr von Pufendorf(1633年〜1694年)やトマジウスThomasius(1655年〜1728年)といった法学者達である。彼らは、人間の本質については、「万人の万人に対する闘争」(ホッブス)、自由な状態(ロック)、自己保存と他人の助けを要する無力さ(プーフェンドルフ)、自由・独立の状態(ルソー)等諸説を主張したが、何れの学者もそうした人間の本性から人間の自然状態を類推し、論理的に法及び国家を説明する点では共通している。
こうして、近代合理主義・啓蒙主義思想と結合した自然法主義は、17世紀から18世紀にかけて西洋法に大きな影響を及ぼし、1776年の「ヴァージニア権利章典」「アメリカ独立宣言」、1789年の「フランス人権宣言」、更には1794年の「プロイセン普通国法」、1804年の「フランス民法典Code civil(ナポレオン法典)」、1811年の「オーストリア普通民法典」といった諸法は、全て自然法学説を背景に持っている(※注5)。※注釈・参考文献
1:宇都宮芳明 『倫理学入門』 放送大学教育振興会、1997年 131〜138ページ。
2:我妻 栄他 『新法律学辞典』新版 有斐閣、1967年 511ページ。また、山田前掲書、34ページ。
3:山田前掲書、34ページ。
その代表例として、「宇宙の万物は神意によって支配される」と説き、『神学大全』を著作したスコラ哲学者・法学者トーマス・アキーナスThomas Aquinas(1225年〜1274年)を挙げることが出来る。
4:山田前掲書、35ページ。また、『新法律学辞典』、269〜270ページ。
5:深田三徳 「自然権と人権」『法哲学綱要』(大橋智之輔他編) 青林書院、1990年 163ページ。また、山田前掲書、37ページ。
そして、無論「日本国憲法」第11条も、アメリカ独立宣言と同じ起源を有するものである。●第2節 歴史主義
次に概観するのは、人間性は歴史的(時代)に変化するものであるとして普遍道徳の存在を認めず、規範の歴史的相対性を主張する歴史主義の主張である(※注1)。これは、前述の自然主義やキリスト教普遍主義を否定するもので、倫理学においては「歴史主義」、法学においては「歴史法学」と称されている。
法学の分野においては、自然法主義は近代市民革命期(17〜18世紀)の一大思想であったが、19世紀以後になると、第二次世界大戦後の一時期を除いて専ら衰退期に入る。その背景には、①合理主義や社会主義思想が主流となったこと、②議会主権が確立され、議会による権利の保障という考え方が導入されたこと、③後述する法実証主義思想が生まれたこと等の要因が挙げられる(※注2)。その他の理由としては、保守主義(エドモンド・バークEdmund Burkeら)や歴史主義の台頭、功利主義の登場等が挙げられるが、中でも19世紀初頭にドイツで発生した歴史法学派(historical jurisprudence)の立場からは、自然法思想は個人をその伝統や社会から切断してしまう形而上学的なものであるとの批判が為されたのであった(法実証主義については、後述)(※注3)。
歴史法学派の先駆者はフーゴーGustav Hugo(1764年〜1844年)であるが、そのドイツにおける完成者は、ベルリン大学教授にしてローマ法学者のサヴィニーKarl Friedrich von Savigny(1779年〜1861年)であった。主著『立法および法律学に対する現代の使命について(Vom Beruf unserer fur Gesetzgebung und Rechtswis senschaft)』(1814年)によると、サヴィニーは、法は言語の如く民族意識(民族の共同の意識、民族の確信:Volksglauben)に基づいて自然に形成され発展するものであり、ちょうど言語が文法によって統一されているように有機的な統一を為している、との立場をとっている。従って、彼によれば単に過去の法(ローマ法)を理解するだけの法学は無意味であって、法源を根源まで追求することでその法の有機的原理を発見し、そうした指導原理(それは幾何学における定理に相当する)に基づいて実定法を体系化させ論理的連関を持たせるべきであるとする。そして、当時主張されていたドイツ諸法の統一民法典編纂の問題について彼は、民族意識を欠く立法は弊害を生ずるとして反対し、法学の歴史的研究とその成果の現代への反映(体系化)を強調したのであった(※注4)。換言すれば、サヴィニーは、法解釈について歴史的及び体系的(論理的)視点を求めたのである。
また、サヴィニーの後を受け継いだロマニステン(ローマ法を重要視)歴史法学者のプフタGeorg Friedrich Puchta(1798年〜1846年)は、既にある法の体系性・論理的構成をより重視した結果、法源の解釈は指導原理抽出の前提ではなく「先験的原理」から導出された帰結であるとし、「民族精神」を法解釈の目的ではなく正当化事由に据えた。また、諸概念はピラミッド状の体系的連関を為しており、必要な法命題は当然にその体系から論理的に演繹され得るとも主張した。もっとも、こうしたプフタの主張は、概念相互の関係性は判明しても概念そのものの意味については何等言及するものではなく、ために「概念と構成を至上命題とし論理的体系性のみを追求するもの」として後にイェーリングRudolph von Jhering(1818年〜1892年)によって「概念法学(Begriffsjurisprudenz)」と呼ばれ批判された(※注5)。
こうして、歴史法学派は、多分に非合理的・形而上学的な要素を含みながらも、普遍的な自然法の存在を退けて近代経験主義法学・実証主義法学の先駆となり、民族精神と法現象の実証的研究を推進した点では、その功績は極めて大きいとされる(※注6)。但し、立法論と解釈論の区別、歴史的経緯の研究という点では先駆的だった歴史法学派も、こと「作られるべき法」ということに関しては手薄であったことは否めないし、慣習法を過度に重要視している点も批判された。
なお、イギリスでは比較法学者のメーンSir Henry James Sumner Maine(1822年〜1888年)が、歴史法学やダーウィニズムの影響によって『古代法(Ancient law)』(1861年)を著作し、人類社会は「身分から契約へ(from status to contract)」進展すると説いている(※注7)。※注釈・参考文献
1:宇都宮前掲書、131ページ。
2:芦部信喜 『憲法』新版 岩波書店、1997年 75ページ。
前述したナポレオン法典の「法解釈禁止」も、当時は自然法が具体的な内容を以って語られていたが故に命令されたことであり、その意味では法の進歩が阻害されたということも出来る。
3:深田前掲書、165〜166ページ。
4:山田前掲書、38ページ。また、亀本 洋 「法解釈の理論」『法哲学綱要』(大橋智之輔他編)青林書院、1990年 230ページ。
彼によれば、そうした共通の意識(言語)を持たないで行われる立法は個人的確信による立法であってその恣意性を免れ得ないからである。
なお、サヴィニーの著作『法学方法論』によると、初期の彼は市民的自由の確保の拠点を客観的な制定法に求め、裁判官には、その法律の中に含まれている歴史的な思想を、認識される限りにおいて再構成することしか許さない、とする「法律実証主義」の立場をとっていた。
(:亀本前掲書、229ページ。)
5:『新法律学辞典』、107ページ。また、亀本前掲書、230〜231ページ。
6:『新法律学辞典』、1245ページ。また、山田前掲書、39ページ。
7:山田前掲書、39ページほか。●第3節 法実証主義
最後に概観するのは、以上の自然主義や歴史主義を経て成立した現代の諸思想である。法学においては、一切の形而上学的思考を拒絶し所与の事実のみから法則性を明かにしようとする実証主義(positivism)が優勢となっている(※注1)。
法実証主義(実証主義法学、legal positivism)とは、歴史法学派と同じく法学から自然法的・神法的な普遍性・絶対性を排除し、その対象を実定法に限定する考え方であり、それだけで自足する規範科学であるべきだという主張である(※注2)。それはまた、法が目的とする正義・衡平はいかなるイデオロギーをも排した実定法に基づいた場合のみ具現化する、という主張でもある。
とはいえ、法実証主義という表現の対象とする概念は非常に多義的で、広くは前述した歴史法学(前述)を初めとして観念論的なドイツの概念法学(前述)、一般法学、純粋法学、経験論的なイギリスの分析法学、実利法学等が含まれる。また、19世紀末から20世紀初頭にかけてドイツで興隆した自由法運動(free law movement、自由法論)は、前述した「概念法学的法律実証主義」の論理至上主義に対する反発と、実定法の完全性・自足性を否定し「生ける法」としての慣習法や判例法の重要性の再認識から生まれたものだが(その先駆者はイェーリングであった)(※注3)、それは実定法以外の法源を認め社会学的・心理学的要素の導入を主張するものであっても自然法論とイコールではない(※注4)。
分析法学(analytical jurisprudence)は、19世紀中期にイギリスで発達した実証主義法学派で、その代表的論者であるジョン・オースティンJohn Austin(1790年〜1859年。ロンドン大学法理学教授)は、ベンサムJeremy Bentham(1748年〜1832年)の功利主義的実証法学とローマ法学の影響を受けて法の一般理論の構築を目指し、「法は主権者の命令であり、悪法もまた法である」とした(「主権者命令説」)(※注5)。これは、一面で自然法論の形式的妥当性(法)と道徳的正当性(正義)の混交を厳格に排除し、実定法のみを対象とするという法実証主義の基本的な立場に忠実な学説であるが、反面「悪法もまた法」として許容してしまう傾向がある(※注6)。オースティンは、後述するベンサムやジョン・スチュアート・ミルJohn Stuart Mill(1806年〜1873年)と交流があり、功利主義の深い影響を受けていたという(※注7)。
一方、ドイツ実証主義法学に属する一般法学(allgemeine Rechtslehre)は、19世紀後半になって主張された学説で、実定法に共通する一般的問題について研究し、これを法哲学に置き換えようとする主張である。この学派にはビンディングKarl Binding(1841年〜1920年。刑法学者であり応報刑論の最大の理論家)、ビーアリングErnst Rudolf Bierling(1841年〜1910年。公法学者。法の妥当根拠について「承認説」をとる。)、ベルクボームKarl Bergbohm(1849年〜1927年)等が挙げられるが、共通概念の演繹を厳格に現行法に限定していたために、その限界も又明らかであった(※注8)。
最後に、純粋法学(reine Rechtsleher)は、ドイツ公法学者ハンス・ケルゼンHans Kelsen(ドイツ、1881年〜1973年)が提唱した新たな法実証主義学説であり、20世紀初頭における「法の一般理論」のうちで最も大きな影響力を与えたものの一つである(※注9)。
純粋法学が注目される点は、その価値判断排除的な性格と方法二元論にある。前述したように、19世紀後半以後主にドイツで主張されていた一般法学は専ら現行実定法の論理的演繹をその方法論としていたが、これに対しては、同時期に新カント学派(Neo Kantians)の立場から批判が為された。そもそもカントImmanuel Kant(1724年〜1804年)は、18世紀に一世を風靡した社会契約説に関して、批判哲学の立場からそれを事実(事実の問題)ではなく論理(権利の問題)であることを主張し、国家権力による拘束の正当化事由を自律的な人間の意思に求めたが、同時にそうした事実(存在)としての法の本質を行為の外面性と強制の契機に見出すことによって、法(適法性)と道徳(道徳性)を厳しく区別した(※注10)。新カント派の法学者達はこうしたカントの法に対する態度の再認識を主張し、「存在(事実、sein)」と「当為(規範、sollen)」の区別を要請したのであるが(※注11)、中でもケルゼンは、この新カント主義的な方法二元論によって事実と規範(存在と当為の区別)を厳密に区別し、従来の(一般法学を含む)法実証主義学説が、法の本質と法の妥当根拠を理念的なものと混同しながら、事実的・経験的なものに求めてきた(=実践理性の分野である規範までも理論理性で捉えようとしていた)点の誤謬を指摘したのである(※注12)。
従って、彼の純粋法学においては、まず実践理性的な規範的方法論と理論理性的な自然科学的方法論(心理学的・社会学的考察)とを区別することからはじまり、そして、それが規範を体系的に認識する学問であって、規範を定立したりはしない(=実定法を評価する学問ではない)ことを明言する。実定法の学問的認識の立場からすれば、ある道徳秩序による実定法の正当付けはどうでもよいことであり、法学はその対象を是認する必要も非難する必要もなく、ただ認識し記述すべきものなのである(※注13)。こうした純粋法学の在り方の背景には、ケルゼンの「『正義』の客観的なクリテリウムは存在しない」という正義観がある。つまり、「正しい」とか「正しくない」という命題は何らかの究極的な目的に連なる価値判断であって主観的であり、しかも、形式によって判断可能な実定法の実在性とは異なり、正義は検証不可能であって合理的でないということである。もっとも、彼は、立法論としては正義の議論もあり得ることを認めているし、また古くから形式的(合理的)正義として言い古されてきた「各人に各人の権利を分配せよ(Ius suum unicuique tribuit)」(※注14)については、それだけでは「彼人の権利」が無内容である以上、否定しないのである(但し、それが無内容であることを明言している)(※注15)。
もっとも純粋法学は、法規範の妥当性を当為の次元の中で説明しようとしたものだが、実際の法的妥当性(憲法の上に根本規範を仮設しなければならなかった点)で、曖昧さを残している。つまり、一般の法律であれば、それは上位の法規範と下位の法規範との間に相互依存関係があり、法律的妥当(合憲的妥当)は、このような法体系としての妥当性を意味する。しかし、最上位の法規範である憲法の法体系の妥当を説明できないのである(※注16)。そこでケルゼンは、憲法の上に根本規範(「法理論的な意味での憲法」「歴史上最初の憲法」)なるを仮設するのだが、最近の研究では、ケルゼンは存在と当為を完全に分離したのではなく、「根本規範」についても擬制的規範定立行為によって成立したものであり、「存在なしには当為はあり得ない」という構造を貫徹させていたことが明らかになっている(※注17)。※注記
1:宇都宮前掲書、131ページ。
2:『新法律学辞典』、1096ページ。また、深田前掲書、166ページ。
3:『新法律学辞典』、575〜576ページ。また、亀本前掲書、232〜235ページ。
自由法運動の提唱者としては、その他に刑法学者・カントロヴィッツHerman Kantorowicz(1877年〜1940年)や民法学者・エールリッヒEugen Ehrlich(1862年〜1922年)が挙げられる。
4:例えばイェーリングは、「法は自然に発生するのではなく、目的の所産である」として「目的法学」を説き、著名な『権利闘争論(「権利のための闘争」Der Kampf ums Recht)』(1872年)を著作したが、これは一種の実利主義的法律学である。
(:山田前掲書、43ページ。)
5:『新法律学辞典』、1071ページ。また、山田前掲書、42ページ。
主著は、『決定された法理学の領域The Province of Jurisprudence Determined』(1832年)。
(:大橋智之輔 「法哲学の学問的性格」『法哲学綱要』(大橋智之輔他編)青林書院、1990年 28ページ)
6:彼は、「法の現存と、その功罪とは、別次元の問題である。」といい、道徳的正当性の分析を除去するが、反面それは「主権者の命令である法には絶対服従しなければならない」ということにも繋がり、「実定法万能主義」として批判された。
7:『新法律学辞典』、74〜75ページ。
8:『新法律学辞典』、34ページ。
9:『新法律学辞典』、300ページ・593〜594ページ。
10:『新法律学辞典』、168ページほか。
11:『新法律学辞典』、657ページ。
新カント主義に属する法学者としては、ケルゼン及びウィーン学派の他、グスタフ・ラートブルフがある。
12:兼子義人 「法とイデオロギー」『法哲学綱要』(大橋智之輔他編)青林書院、1990年 244〜245ページ。
彼は、自説をカント哲学的立場における限界を自覚しているという意味を込めて、純粋法学を「批判的実証主義」と呼んでいたという。
13:兼子前掲書、246〜247ページ。
14:これは、既に指摘した通り、ローマ皇帝ユスティニアヌスの編纂した『ローマ法大全』「学説い纂(Pandectae)」第1巻第1章第10法文の引用である。
15:兼子前掲書、251〜252ページ。
16:西野基継 「法の妥当根拠」『法哲学綱要』(大橋智之輔他編)青林書院、1990年 182ページ。
17:西野前掲書、183ページ。
ところで、純粋法学の基本的な立場である「存在」と「当為」の方法二元論については、経験科学的立場から、当為を「神秘的・形而上学的な迷妄として、その存立に根本的な疑問が投げかけられている」。つまり、新カント主義派においては、「存在と当為の二元論は、人間の思考に先天的に植え付けられた認識論上の公理と考えられてきた」のであるが、そうした当為の存在は証明できないのではないか、ということである。これに対して西野は、「しかし、良心は、個人の完全な任意に委ねられているのでなく、すでに人間の存在論的構造の中に織り込まれ、つねにそれによって根本的に制約されている」のであって、そうした自由処理不可能な「人間の尊厳」の存在論的究明が待たれる、としている。
(:西野前掲書、197〜198ページ。)
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