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 健章時報 1998年12月 

男女共同参画審議会、基本法制定を答申
 
(11月4日)
 内閣総理大臣の諮問機関である「男女共同参画審議会」は、4日、政府に対して「男女共同参画基本法の制定」や「ポジティブ・アクション(差別解消のために、被差別者を積極的・優先的に登用する制度。アファーマティブ・アクション、積極的参画促進措置)の必要性を強調した答申を行った。その他、答申は、性差に根ざした問題を中立的な立場からはかる「オンブズパーソン」(オンブズマン)制度の導入検討を謳っている。
 しかし、これらの答申内容の中には、疑問点が少なくない。そもそも、この男女共同参画審議会は24人の委員で構成されているが、そのうち男性委員は10人、女性委員は14人であり、「男女共同参画を目指す」とはいいながら、男女不平等な構成になっている。しかも、男女共同参画社会基本法について検討した小委員会の委員5人のうち3人が女性であり、多数決をとれば必ず女性が優位に立つように構成されている。果たして、このような逆差別を容認する男女共同参画審議会は、男女共同参画社会の構築というその目的と合致するのであろうか。
 答申では、女性差別解消の為の施策として、一定の「積極的参画促進措置」の必要性を指摘している。しかし、「積極的参画促進措置」等という美辞麗句でその真意を隠すかのような表現をしているが、これはつまるところ女性優遇の逆差別的措置であり、男女共同参画社会の理念と大きく反する措置といわざるを得ない(社会の現状が男性優位にできていると評価したからといって、女性に有利な是正措置をとってよいことには当然にはならない)。ましてや、「オンブズマン」(行政監察官)を「マン」という語(英語で「男」を意味する)に過剰反応して、「オンブズパーソン」等という造語を使おうとするのは、如何にそれが男女平等のためとはいえ、行き過ぎの観を免れ得ない。(日本語において使われる)「マン」迄もが差別に該当するなら「ヒューマン」も「ビジネスマン」も(そして「ウルトラマン」も)全て差別用語となってしまうのであり、既に定着しているこれらの言葉を「男女共同参画」の美名の下に規制しようとするのは、余りにも強引である。第一、ジェンダー(これも早急に日本語に翻訳する必要がある)差別解消のために他国の言語まで歪めるのは、行き過ぎであろう。
 そもそも我が国においては、日本国憲法の施行により、法律上は既に男女平等が実現されている(刑法上のいくつかの犯罪等を除く)。にも関わらず、ここで新たな「法律」を政府が提案することは、市民社会に対する過剰な介入である。社会権が、雇用者と勤労者との格差を是正するのは、それが資本主義の発達に伴って生じた社会・経済的な問題だからであり、男女の本質的差異に端を発する男女不平等の問題を、社会権と同列に扱うことはできない。いわんや読売新聞1998年11月4日付け夕刊2面の記事のように、選択的夫婦別姓の導入を女性の権利拡張の如く扱うのは明らかな誤謬である(民法上、結婚した夫婦は夫又は妻の姓どちらか一つを選択するのであり、「機会の平等」という観点から既に男女平等は達成されている。また家族法制は「共同参画」とは何等関係が無い)。
※なお私は、フェミニズムの所謂「第1の波」である法的男女平等(男女平等選挙権など)については全面的に賛同するが、「第2の波」である「ジェンダー差別の解消」に対しては、一定の内容については納得してはいるが、多くの点でなお強い疑問を抱いている。

情報収集衛星導入の調査費、計上決定
 (11月6日)

 報道によると、政府は6日午前の閣議で、我が国独自の情報収集衛星(いわゆる偵察衛星)を導入するための調査費を、98年度補正予算案に盛り込む事を決定した。衛星導入の具体的期日は2002年とされている。
 今回のこの情報収集衛星導入は、8月の北朝鮮(自称「朝鮮民主主義人民共和国」)ミサイル実験に端を発する議論の中で決定されたものだが、遅きに失した観は否めない。本来、この手の衛星は、東西冷戦時代より我が国が必要としていたたぐいのものであり、政府は、8月の北朝鮮の暴挙以前に、既に衛星導入に踏み切っているべきであった。結局、北朝鮮の冒険が我が国政府をして衛星導入に踏み切らせたのであるから「ベター・ザン・ナッシング」ということになるが、しかし我が国政府・国民の安全保障に対する関心の低さが改善されたわけではない点は、なお問題である。国民の意識が改善されなければ、我が国の国防に関する諸政策は、結局は後手後手にまわることになろう。

自民党・自由党が接近
 (11月10日)

 最近、政権与党の自由民主党と、小沢一郎党首率いる自由党との接近が報道されている。確かに、参議院で少数派である与党自民党としては、この経済国難を乗りきるためには連立政権の確固たる相手を欲するところであろう。そして、その在り方としてはイデオロギー的距離の大きい「自社さ」連立型のブリッジ型連立政権よりも、安全保障政策等の面で近接している自由党との隣接同盟型連合のほうが、より好ましいということになる。
 だが、自由党を支持する私としては、今回の「連立機運」には多少疑問も感じている。まず、これは自由党の政権戦略という観点から考えた場合だが、もし現時点で自由党が連立政権に参加してしまうと、場合によっては不況の不満を政権党にぶちまける形で自由党に対する批判が集まり、党勢が萎縮してしまう可能性がある、ということである。自民党内にも「リベラル派」が相当増加し、確固たる安保外交政策や内政政策が打ち出せないでいる昨今、こうした分野で、保守野党として支持できる貴重な存在である自由党に、今衰退してもらっては困る、と考えるからである。第2に、これは第1点と類似しているが、連立政権を組んだ場合自由党側に果たしてどれだけのメリットがあるのか、ということである。例えば、自由党は安全保障基本法やガイドライン関連法案の整備等では独自色を出すことも出きるだろうが、現状ではそれは国民にはあまり評価されない話題である。また、経済政策についても、消費税の減税が果たして可能なのかどうか疑わしく、結局自民党の数合わせに利用されてしまう危険性が大きいのである(唯一、「選挙協力」という点については、「現職優先」とした場合明らかに自由党に有利であるが、そう簡単に自民党側が了承するとも思えない)。今後の展開を注視していきたい。

商品券構想、実現へ
 (11月10日)

 自由民主党と公明党は、10日の協議で、消費を喚起するための商品券「ふるさとクーポン券(地域振興券)」(券面1000円)を、全国の65歳以上の老人と15歳以下の子供を持つ世帯(3500万人)に、一律2万円ずつ支給することなどで合意した。この商品券は、発行市町村内でのみ使用できるもので、支給総額は7000億円。有効期限は半年間であるという。
 もともと公明党(公明)は、先の参議院選挙で、一人3万円・総額4兆円の商品券配布を公約として掲げていたわけだが、今回の自民党との合意で、その一部を実現させたことになる。与党・自民党側としては、この構想を含む来年度予算案に公明の賛成を事実上取り付けたことになり、前述した「自自連立」も含めて、政局運営の円滑化という利益を得た(しかも、自由党が主張する消費税減税は党の威信に関わる問題なので絶対に譲歩できないが、商品券構想なら特に譲歩を要しない、という計算もあったのであろう)。また、この計画実現は、公明党のイメージ戦略にも多いに貢献したわけだが、それでは果たしてこの「商品券構想」は景気回復に役立つのであろうか。
 まず、果たして商品券の配布が新たな消費を喚起するかどうか、多いに疑問というべきである。現在の減税は将来の増税を伴う。また、そうでなくとも経済の将来展望がたたない状況の中で、2万円ものお金で何か新しいものを買うようになるとも思えない。その点、商品券の支給を受けた世帯は、それを使わずにとっておくようになる可能性が高い(商品券そのものは有効期限内に使用して、その分浮いた現金を貯金する。国債発行による財政支出と同じである)。しかも、2万円の配給を受けた世帯はそれでもよいが、2万円をもらえなかった世帯は、事実上増税の負担のみを将来負うことになる。つまり、今回の商品券構想は、非配布世帯から配布該当世帯へ、強制的に所持金を横流しさせる効果=非配布の負担増という側面を持つのである。これでは、消費の喚起どころか、むしろ消費の抑制の効果のほうが大きくなってしまうのではないだろうか。
 次に、仮に商品券構想に一定の効果があるとしても、7000億円の資金は結局赤字国債の発行でまかなわれることになる。だが、既に膨大な財政赤字を抱える我が国にとって、これ以上の財政赤字の増加は、経済再生に対しても悪い影響を与えかねないのではないだろうか。仮に、我が国の国債に対する信頼評価が、格付け会社によって引き下げられたりすれば、問題は一層深刻になるだろう。自民党と公明党は、そのあたりについて説明する義務があるはずである。
 最後に、この商品券構想は、実現に印刷代などの経費が1000億円もかかるとされているが、これは正しく税金の無駄遣いであろう。7000億円の商品券に経済効果があるならともかく、現状では非常に疑問視されているこの構想に、自民党と公明党のそれぞれの政治的思惑だけのために、1000億円もの血税をつぎ込んでしまうのは、納得しがたいことである。同じ7000億円のプレゼントなら、減税(所得税減税)のほうが遥かに安いコストで済むのであり、しかも商品券では前述したように結局普段の生活費として使われてしまうわけであるから、わざわざ商品券という形態をとって消費を強制させる意味は(無駄な経費がかかるという、マイナス面をのぞいては)全く無いわけである。
 以上を観るに、本件構想は、所期の目的を達成しえないように思われるが、読者諸氏はどうお考えであろうか。

ホンジュラスに自衛隊派遣
 (11月13日)

 政府は13日、ハリケーン(台風)によって甚大な被害を受けた中米ホンジュラスに、「国際緊急援助隊の派遣に関する法律」(昭和62年法律第93号)に基づき、自衛隊の部隊を派遣することを決定した。派遣されるのは、陸上自衛隊から名古屋の第10師団等より80名(うち医師の資格を持つ医官7名)と、航空自衛隊第1輸送航空隊(愛知県小牧市)より輸送機(6機)の要員105名の、合計185名で、首都テグシガルバ(Tegucigalpa)を中心に活動するという(輸送機は11月16日首都のコントンチェン空港に到着予定)。
 これまで我が国は、戦後の半世紀にわたる長い間、憲法問題等を理由に、自衛隊の部隊等を活用した国際貢献活動に非常に消極的であった。しかし、我が国がはじめて参加した国連平和維持活動(PKO)・UNTAC(国連カンボジア暫定行政機構)以来、自衛隊の国際貢献活動が国民的に認知されるに連れて自衛隊派遣に対するアレルギーも緩和されてきており、特に今回の派遣ではほとんど「自衛隊海外派兵反対!」の声は聞かれなくなっている。今回のホンジュラスに対する自衛隊の派遣は、自衛隊の円滑な国際災害派遣のよい前例となるであろう。加えて、ホンジュラスに対する最大の援助国である我が国としては、これを機会に、日本語教育の支援、日本文化の紹介も含めた中米諸国との友好関係を、より一層強めるべきであろう。

沖縄県知事に保守系の稲嶺氏当選
 
(11月16日) 
 大田昌秀知事の任期満了に伴う沖縄県知事選挙で、自民党沖縄県連などの推薦を受けた稲嶺恵一氏が当選し、大田現知事の三選を阻止した。今回の沖縄県知事選挙では、膠着状態に陥っている米海兵隊普天満基地の返還問題や、沖縄経済の振興の問題が争点となったが、米軍基地問題などで中央との話し合いのパイプを閉じてしまった大田知事の経済政策を「県政不況」と批判し、普天満基地代替施設については「北部に軍民共用の新空港を建設する」などと主張していた稲嶺氏の主張が、県民に支持される格好となった。
 これまでの、一連の沖縄米軍基地問題における大田知事の非妥協的な姿勢やその県政の有り方を考えれば、大田知事の落選は、日米安保体制に大多数の国民が賛成している国政状況では、喜ぶべき事であろう。もっとも、稲嶺候補が主張した、北部振興のための新空港の建設については、予定地も全く定まっておらず(新聞では既にいくつかの市町村名が挙げられているが)、地元の反対やそれを争点とした首長選挙の実施も予想される。そもそも、そのような新空港(沖縄本島に4つ目の飛行場設備となるわけである)を建設する場所が、果たして沖縄本島に存在するのであろうか。政府は、当面は沖縄振興策等を提示することで稲嶺新知事を支援してゆくのだろうが、肝心要の普天満基地問題がすんなり解決されなければ、県民や革新勢力の保守県政に対する批判となって、再び沖縄問題が大きな問題になり兼ねない。
 これは少し意地悪な見方だが、政府としては、むしろ大田知事が再選されていたほうが好都合だったのではないだろうか。仮に大田知事が引き続き沖縄県知事でありつづければ、知事の急進的な米軍撤退論が沖縄から引き続き発せられることになり、これに到底同意できない国民世論としては、結局普天満基地問題の膠着状態の責任を大田知事側に押し付けつづけることができるわけである。更に穿ってみれば、公明沖縄が自主投票に回ったのも、あるいはその辺を見極めて、再び稲嶺県政下で基地問題が紛糾したときに、公明党が中央でキャスティングボードを握ることを想定したからかもしれない。勿論、私は何も稲嶺知事に問題解決能力が無いなどと言いたいわけではないし、大田知事より稲嶺知事を支持しているのだが・・・

三死刑囚の死刑執行
 (11月19日)

 読売新聞11月19日付夕刊によれば、法務省は19日、福岡と名古屋の拘置所で死刑囚3人の死刑を執行したと公表したという。
 しかし、そもそも何故、死刑囚に対する死刑執行が、このような大きな扱いで報道されなければならないのであろうか(被害者に対する執行の通知は必要であろうが)。「読売新聞」夕刊の記事は23面の左すみであったが五段抜き扱いで、如何に今回の死刑執行が小渕恵三内閣ではじめてであるとはいえ、過剰な報道と言わざるを得ない。
 死刑執行は、法務大臣の純然たる職務権限であって、国会やマスコミが介入すべき分野ではないはずである。このような死刑執行に対する過剰な報道は、単に死刑廃止論を勇気づけるだけではないだろうか。

自民・自由両党の連立政権樹立で合意
 (11月20日)
 小渕恵三首相(自由民主党総裁)と小沢一郎・自由党党首は19日午後、首相官邸で党首会談を行い、平成11年度予算案の作成で両党が協力するほか、来年1月の通常国会までに連立政権を樹立することなどで合意した。なお、この会談では選挙協力についても合意を得たという。
 このコーナーでも以前述べたように、確かに、今回の一連の連立協議は、政策的・政治思想的にも類似した自民・自由の「隣接同盟型」連合で、「自社さ」連立のような数合わせの野合ではないことは確かであり(第一、参議院では自民党と自由党をあわせても過半数に至らず、「数合わせ」にすらならない:但し、予算については自然成立の制度があるので、参議院での少数は予算編成に関しては問題とならないが)、未曾有の経済国難を迎えている我が国としては、政治の安定による強いリーダーシップのもとでの経済政策が求められている以上、今回の連立協議は歓迎すべきことなのかもしれない。しかし、自由党支持者の私としては、この連立政権で自由党がきちんとその独自性を出せるかどうか心配だし、実際自民党に取りこまれてしまう危険も大きい。「自社さ連立」政権を経た自民党が中道化傾向にある(ように私には見える)中で、自由党のような「保守野党」の存在は貴重であり、私としては、自由党には、今後とも「自民党に対する保守的批判」という大きな役割を担い続けて欲しいと思っている。この観点から、今回のような形での自由党の政権参加には、どうしても「慎重に」といわざるを得ない。また、自自連立政権は、来年度予算案の通過にとっては有効な方法なのかもしれないが、その後の選挙まで見とおしてみると、必ずしも自由党にとっていいことばかりではない。もし、自自連立政権時代に、不況の更なる深刻化で国民の不満が蓄積されたところで衆議院が解散総選挙ということになったら、自民党は勿論議席を減らすだろうが自由党は消滅してしまいかねない(公明党の動きにもよるのだろうが・・・)。「衆議院で自自は過半数を制しているから大丈夫」と思うかもしれないが、仮に小沢一郎自由党党首に反感を持つ自民党内の主流派議員が造反にまわったら、どうであろうか。
 現在、この「自自連立」政権案は、自民党党内での調整に手間取っているという。これが単なる「手間取り」で済めばよいが、仮に現執行部の調整が失敗し、再び政界再編の動きが加速でもしたら、「政治的不安定」を理由に経済が更に悪化し、それこそ東証株価は1万円台にまで下落するかもしれない(もっとも、野党版「自社さ野合連立」である民主党の政権よりも、自自連立のほうが遥かに信用のおける政権であることに間違いはないが)。そうならないためにも、両党の連立にむけての事前協議は、両党が納得のゆくまで慎重にやって頂き、後で与党が再分裂し、政局が流動化するような事態は避けるべきだ。 

広末涼子さん、早稲田大学に合格
 (11月26日)

 報道によると、26日、タレントの広末涼子さんが早稲田大学教育学部の自己推薦入試に合格したという。
 とりあえずは、一大学生として「おめでとうございます」と申し上げる。ただ、一点強調したいのは、本来「大学」とは学問をする場であり、大学生は(特に自己推薦枠で入学する学生は)学習意欲に溢れたfull time professional studentであるはずだということである。広末さんが真面目に教育学について学びたいと欲する限り、私は広末さんの入学を心より祝福するが、もしそれが単なる芸能人としての装飾の一つに過ぎないのなら、私も又広末さんの入学には反対せざるを得ない。勿論、広末さんとて多少の芸能の仕事はあるだろうから私は別に授業に完全に出席することまでは求めないが、4年後、彼女が大学を卒業する時点で、立派な卒業論文が書けることを切に願っている。

日中新共同宣言、発表
 
(11月26日)
 27日付け「読売新聞」朝刊によると、我が国を訪問中の中国(中華人民共和国)の江沢民国家主席は、26日、小渕恵三首相とともに「平和と発展のための友好協力パートナーシップの構築に関する共同宣言」を発表した。同宣言では、核兵器廃絶や核実験禁止を目指すこと、従来の日中間の諸条約を尊重すること、環境問題等で日中両国が連携してゆくことなどが謳われたが、中国側が求めていた過去の歴史に関する謝罪については、日本側は小渕首相が口頭で「反省とおわび」を表明するに留め、また台湾問題についても、「中国は一つ」という立場を「表明」するに留まり、中国側が求める文書化は見送られた。また、26日夜の天皇陛下主催の歓迎晩餐会では、江主席が「日本軍国主義は対外侵略拡張の誤った道を歩み、中国人民とアジアの他の国々の人民に大きな災難をもたらし、日本人民も深くその害を受けた」と述べたが、これに対し、天皇陛下からのお言葉には、歴史関係の発言は特段無かったという。なお、江主席はその後、仙台などを訪問した。
 さ今回の一連の日中首脳会談は、結局双方とも妥当な線に落ち着いたということが出来るのではないだろうか。
 今回の会談で中国側は、先の日韓首脳会談で「朝鮮植民地支配に対する謝罪」が文書化されたことを踏まえ、日中会談でも同じような謝罪項目が文書化されることを狙い、また台湾問題に関しても同様の文書化を日本側に求めていた。しかし、それらの目標は達成されず、単に小渕総理による「口頭での表明」に終わった。そもそも、日韓基本条約においては我が国の朝鮮半島植民地支配に関する文言が全く無いが故に日韓会談ではその文書化が実現したのに対して、日中間では、既に日中共同宣言で「お詫び」に関する文言が成文化されており、「謝罪の成文化」は既に行われていたのであって、その点から日韓と日中を同列に扱うわけにはゆかない。我が国がこうした立場に立っていたからこそ、二度目の「文書化」は阻止されたのであり、その点は日本側の成功ということが出来よう(勿論、妥協案として口頭発表が行われたわけだが、口頭発表と文書ではその重みが異なる)。また、台湾問題・日米ガイドライン問題についても、日本側が口頭発表で留まったことの成果は、少なくないのではないだろうか。
 一方我が国としては、歴史認識問題についての再度の口頭表明という譲歩はあったものの、日中関係の新たな枠組みの形作りが出来たわけであり、失ったものはあまり多くは無い。勿論中国側は、金大中韓国大統領とは異なって、今後とも歴史認識の問題に関して我が国に注文をつけてくるかもしれないが、それに対しては、今後は「歴史認識問題は日中共同宣言での文書化された文言及び今回の新日中宣言における口頭発表で既に一つの区切りが打たれた」と反論することが出来るだろう。


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