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健章時報 1999年3月
■「ニュースステーション」報道で所沢産野菜の販売中止
(2月4日)
報道によると、テレビ朝日のニュース番組「ニュースステーション」で、「所沢産の野菜はダイオキシン濃度が高い」等と報道されたため、所沢産野菜の販売中止が相次いでいるという。
今回のこの事件は、「行政の失態を批判するためには、どんな報道をしてもかまわない」とするジャーナリズムの失敗であって、その結果、所沢の農家には多大な迷惑がかかってしまった。テレビ朝日には猛省を求めたい。
(なお、その後、本件については、一部農家がテレビ朝日を提訴している)■憲法調査委員会、「憲法調査会」方式で決定
(2月5日)
報道によると、国会に常任の憲法調査委員会の設置を目指していた憲法議連(憲法調査委員会設置推進議員連盟、中山太郎会長)は、調査委員会の性格について、民主党・公明党の野党2党の主張を受け入れ、法案提出権の無い「憲法調査会」とすることに決めたという。しかし、野党側は「憲法調査会の性格については両院の議院運営委員会で討議する」としており、慣習上全会一致を原則とする議院運営委員会での討議が、一切の憲法論議を否定する社会民主党、日本共産党等の反対や民主党内の旧社民党議員の慎重論で紛糾することは確実で、今国会での提出・成立は微妙である。国会法(昭和22年法律第79号)によれば、国会の各委員会は、 その所管に属する事項に関し、法律案を提出することができる(第50条の2第1項)。
今回の決定は、これまで制定以来半世紀以上を経過しながら、論議自体が「保守反動である」「軍国主義の復活を意味する」等としてタブー視されてきた憲法改正問題に関して、国権の最高機関である国会で議論する場がはじめて堂々と設けられるという意味で、一定の前進であると評価することが出来る。
しかし、考えてみれば、そもそも50年以上にわたって、こうした改憲を視野に入れた機関が国会内に存在しなかったことのほうが、実は大いなる異常事態であると言わなければなるまい。憲法といえども、所詮は全知全能ではない不完全な人間が作成した一連の文書の一つに過ぎず、制定者の予想を遥かに上回る時代の変化に全て対応できるわけではない。ましてや、連合国軍最高司令官の政治的な動機(極東委員会との権限を巡る争い)から、限られた数のGHQ職員(但し、その中には、招集された弁護士等の法律家も含まれていなかったわけではないが)によって短期間の内に作成された、如何なる意味においても民定ではない日本国憲法は、最も議論が必要な類の憲法であろう。そうした意味では、憲法問題を調査・議論するような場は、賛同者の多寡と関わり無く、現代憲法上原理的に必要なのであって、憲法調査会にすらも反対する社民党、共産党の主張は、事実上国民の上に憲法を置き、国民の憲法制定権力者としての地位を全く否定するもので、到底納得することが出来ない。■高知県知事、外国軍艦の入港に「非核証明書」の要求示唆
(2月11日)
高知県の橋本大二郎知事は、県の管理する港湾について、今後外国軍艦が入港する際には外務省に対して「非核証明書」の提出を要求するよう、県議会での条例改正をはかることを示唆した。こうした港湾管理者による、外国軍艦に対する「非核証明書」の要求は、神戸港等で既に前例がある(但し、神戸港については、カナダ海上軍の補給艦が「非核証明書」無しで入港した実績がある)。一方、こうした動きに対して野田 毅自治大臣ら政府・連立与党は、知事の改正案は地方自治を越えるもの、として反発を強めている。
今回の橋本知事のこうした動きには、到底納得することが出来ない。そもそも、我が国には核兵器に関して「非核三原則」という国家的な政策があるが、これは純粋に国家安全保障政策の分野に属する中央政府の問題であり、従って政府としては、もし「非核三原則」を廃止しようと欲すれば、理論的には「三原則」の撤回も可能である。一部の報道等では、「『非核三原則』があるのに、何故それに上乗せする『非核証明書』を批判する必要があるのか」等といった論調も見られるが、これは全く的外れな批評であって、「非核三原則」という安全保障政策と地方自治の限界という2つの論点をすり替えているに過ぎない。ましてや、今回の知事の示唆は、現在国会において審議がなされているガイドライン関連法案に重大な関連性を有するものであって、土地の強制収用を拒否して国政を混乱された沖縄県の大田前知事の行為と同じく、中央政府の外交・国防を不当に妨害するものと言うことさえ出来るのではないだろうか。条例案の提出の撤回を求めたい。■オウム真理教、依然活動は活発
(2月12日)
公安調査庁の発表によると、地下鉄サリン事件等凶悪な犯罪を犯し法人として破産宣告を受けているオウム真理教(任意団体)は、依然として関連企業(パソコン製作・販売等)の収益などから資金を得ており、活動は活発であるという。
そもそも、現在こうした暴力主義的団体がなお存続を許されているのは、地下鉄サリン事件当時村山富市内閣が破壊活動防止法の適用を見送ったからに他ならないが、しかしそれにも増して問題なのは、その価格の安さ等からオウムの店と知りながらパソコンを買っていく人々である。そうした人々は、自らが支払った金が再び犯罪に使用される可能性があるということを、一体どれだけの切迫感を持って感じているのであろうか。恐らく、例え破防法を適用して宗教活動団体としてのオウム真理教を壊滅させることが出来たとしても、こうした心ないパソコン購入者によって「資金提供」が続けられる限りは、真の意味での「オウム壊滅」にはならないであろう。■都知事選挙に候補者続出
(2月14日)
最近、春の統一地方選挙に実施される東京都知事選挙の立候補者が増えている。現在、青島幸男現知事の不出馬宣言を受けて、民主党からは鳩山邦夫衆議院議員(但し、民主党から推薦を受けるかどうかは不明)が出馬を決定したのに対して、与党・自由民主党側の候補者は13日の時点でも決定されておらず、現在、明石康元国際連合事務総長特別代表や柿澤弘治元外務大臣といった名前が挙がっている。その他、日本共産党・「革新都政をつくる会」の三上満氏や、無所属候補の舛添要一氏(政治学者)といった候補者の立候補が既に報道されている。
しかし、いずれの候補にしろ、私が一つだけ要求したいこと(あるいは、これは私の投票行動の判断基準といってもよい)は、「都議会政党との協調性」である。これは、青島現都知事が最も適性を欠いていた分野であり、失敗した分野だからである。
都財政の悪化している今日、都政から出来るだけ無駄を無くすことは必要である。しかし、それはあくまでも建設産業から福祉産業まで各分野に渡る「痛みわけ」であるべきであって、「公共工事全面カット、福祉サービス拡大」等という単細胞的・一面的な政策では、都議会政党の賛同は到底得られないであろう。■高知県で初の脳死判定
(2月27日)
報道によると、27日、97年10月に臓器移植法(臓器の移植に関する法律、平成9年法律第104号)が施行されてからはじめての脳死判定が行われ、2度の判定を経て脳死が確定した。今後、患者の意思に基づいて臓器が摘出され、臓器移植手術が行われることになるという。
脳死体からの臓器移植については我が国ではそれほど強烈な反対があるわけではなく、今回の初の臓器移植でも、「患者のプライバシーの保護」と「報道の自由」の対立といった問題を除けば、倫理的な議論はそれほど盛り上がったわけではない。ただ、医療技術は高度の専門的な知識を必要とするため素人には分りにくく、にも関わらず日常生活にも大きく関連する分野でもある。今後、脳死体からの臓器移植の件数は増加するであろうが、脳死判定の方法や臓器移植医療のあり方そのものは必ずしも問題が皆無ではないだけに、そうした「既成事実」に惑わされることなく、時には先端医療技術の倫理について問いなおす「医療のシビリアン・コントロール」が必要になってくるであろう。
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