このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

ガイドライン法案の前にすべきこと
〜自主防衛法制の制定が先決ではないか〜

中島 健

  現在、国会において、所謂「ガイドライン関連法案」(「日米防衛協力の指針」に関連する法案。「 周辺事態安全確保法案 」「 自衛隊法 改正案」、「日米物品・役務相互協力協定改正案」)が審議されている。報道によれば、国会各会派の内、自由民主党と自由党は原則として賛成、民主党と公明党・改革クラブは条件つき賛成(基本計画を国会承認事項とするよう修正を求める)、日本共産党と社会民主党・市民連合は法案そのものに反対との立場をとっているが、少なくとも原則として賛成である党が大多数を占めているということが出来る。かつての PKO協力法案 の際に見られたような、野党議員による「牛歩戦術」等の堕落した幼児的な反対運動が(今のところ)見られない分、今回のガイドライン関連法案の審議状況は一見健全に思える。しかし、このガイドライン関連法案が意味するところを考える時、我が国国内の有事法制を欠いたまま対米協力事項についてだけ先に法制化を進めるというのは、如何なものだろうか。
 ガイドライン法案とは何か。端的に言えば、それは我が国が、我が国の可能な範囲で、朝鮮半島有事・台湾海峡有事その他の事態に際して出動するアメリカ軍を全面的にバックアップする体制を整える、ということである。そもそも、これまで存在した旧ガイドラインは、日米安保条約の実効性を高めるために締結されたのであったが、その内容は、専ら日本有事の際の自衛隊とアメリカ軍との協力について規定したものであり、その他の対米協力については単に検討事項となっていた。ベトナム戦争敗北後のニクソン政権の「消極」外交に危機感を抱いた我が国が、日本有事に際してアメリカの来援を担保するために制定されたという経緯からすれば、当然であろう。その点からすれば、旧ガイドラインを中核とする従来の
日米安保 体制は、日本側からのニーズが強く反映されているという点で極めて片務的であり、片務的であるが故に日米は決して(形式的にせよ)対等な立場には立つことが出来なかったのである(無論、「思いやり予算」や基地提供そのものがその片務性を解消する手段として導入されてはいたが)。「日本有事のときは、助けてくれ。その他、基地が使いたければ貸してやるが、我が国事態はそれ以上は協力しないよ」というわけである。しかし、占領解除直後の国力弱小なる時代であったならばともかく、今や世界第2位の経済力を持つ経済大国(しかし政治中国)となった我が国としては、日米共通の脅威であり関心事項である朝鮮有事・台湾有事が発生した時、アメリカ軍の行動に協力しない等というのは真の同盟国としてあるまじき態度である。我が国がアメリカの傘の下にいる準保護国から抜け出さんと欲するのであればこそ、むしろ積極的な対米協力は必要なのであって、従来の日本のニーズ一辺倒のガイドラインを双方のニーズでバランスをとることで、それは達成されるのである。言うなれば、新ガイドライン関連法案は、一般的な(対等な)同盟国が負う義務(施設提供、物品・役務協力、情報交換、戦闘救難、基地警備、兵員輸送その他)としては誠に当然至極の戦争協力事項が規定されているのであって、日米(旧)安保条約締結から半世紀が経とうとする今日迄こうした法制度が無かったことこそ、むしろ驚きとすべきであろう(無論、法が無くとも、実際に周辺有事が発生すれば急遽法整備に乗り出すことになったであろうが、こうした法制度の運用は平時からなれておく必要があるし、また条約の実効性を高める法を整備しないというのは、アメリカ側からも不信感を買うことになる)。
 但し、である。こうした日米同盟実効化のための試みは至極結構なのであるが、その前提として、日本有事の際の、自衛隊のための法制度がやはり存在しなくてはならない。一人前の自衛が出来てはじめて集団的自衛権的な協力があるのであって、「とにかく対米協力ありき」というのは主権国家としては異常である(もっとも、憲法第9条の存在自体が、主権国家として既に異常ではあるが)。無論、それは必ずしも軍事技術的な観点から「完全なる自衛」が達成されなければならないというのではない。国防体制(のハードウェア)に完全など無いのであって、唯一それに近いものを得ようとすればそれは核兵器くらいのものであろう。しかしながら、国防のためのソフトウェア、即ち自衛のための有事法制、周辺事態ではなく日本有事のための法律は、今日の我が国においては武器弾薬にも増して必要とされておるのであって、そうした「自主防衛の心構え」は一人前に持たなければならない。
 諸外国から見たときに、日米同盟の実効化には積極的でも自国防衛の実効化には消極的な我が国は、あるいは、それ故日本海の不審船すら満足に対処出来ない我が国の現状は、一体どのように映るであろうか。55年体制下の不毛なるイデオロギー闘争が過去のものとなった今、自自連立政権は、国内有事法制の整備へ向けた努力を怠ってはならないであろう。

 中島 健(なかじま・たけし) 大学生


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