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会津(〜福島)の有名人

★主に、会津出身〜ゆかりで、明治以降の全国規模の人。敬称略/H13年作成。
 ・地元で成功した実業家の方も多数いらっしゃいますが、採否の境界が難しく、割愛します。


 目 
 







 次 

  五十音順。 ★:私も知ってる 〇:その筋では結構 ☆:ゆかり

.会津の有名人(全国・世界で頑張った人)[明治以降] 

 1-1. 政・財・官 界

  ☆
秋篠宮紀子妃(皇室 池上四郎(会津藩士の子で大阪府警部長・
           大阪市長(大正時代に10年間)を務めた)の曾孫。(旧姓川島)

  ☆ 井深 大 (技術者・実業家)
1907年日光生まれ、ソニー創設者

  ★ 伊東正義  (政治家) 1980.06より約1ヶ月、総理大臣代行
  〇 遠藤敬止  (財界人)
1851年生まれ、鶴ヶ城址を買い取った人
  ★ 川島廣守 (官僚・団体役員)1922年生まれ、プロ野球コミッショナー

  ・
北原雅長  (官吏・政治家・歴史学者) 長崎市長、「7年史」執筆
  ・ 日下義雄  (官吏・政治家) 
1886年長崎県令
  〇柴 五郎 (軍人)1860年生まれ、陸軍大将、詳しくは こちら

  ☆秩父宮勢津子妃
(旧姓・松平 /皇室)1909〜1995、 歴史ページ参照
  ・出羽重遠 (軍人) 1856年生まれ、海軍大将

  ★ 松平勇雄  (政治家) 1907生まれ、福島県知事
  ☆ 松平恒雄  (外交官・政治家) 
1877年生まれ、松平容保4男

  ◎ 山本覚馬 (政治家・教育者)
同志社英学校開設、京都府議会初代議長
  ★ 渡部恒三  (政治家) 
1932年生まれ、衆議院議院副議長 等

 1-2. 学術・教育

  ・井深梶之助(教育者・慈善家)1853?若松生まれ、15歳で
                     戊辰戦争に参戦。後に明治学院総理となる。
  ・小西重直 (教育学者) 新城新蔵の後、3ヶ月、京都帝国大学総長

  
小室直樹  (経済・社会学)1932年生著作「ソビエト帝国の崩壊」・・
  〇 新城新蔵  (天文学者・教育者)
天文物理学、京大総長
  ・高峰秀夫(教育者) 1854年若松生まれ、明治期、東京女子高等師範学校長

  ★ 野口英世  (基礎医学) 1876年生まれ、梅毒や黄色病の研究
  〇 松本信一  (医師・教育者) 京大皮膚科教授、日本医学会会頭
  ◎ 山川健次郎 (
理学博士・教育者)東京大学総長、「会津戊辰戦史」編

 1-3. スポーツ

  ・阿部和香若松市出身、自転車競技で1984年ロサンゼルス・オリンピック出場
  
大八木弘明(陸上コーチ)生まれ1958頃?河東町、会津工業高校、
                     マラソン藤田敦史(東村)の、駒大以来のコーチ

  〇 西郷四郎  (柔道家) 
1866年生まれ、姿三四郎のモデルになった。

  〇佐藤敦之(マラソン)
 1978年若松生まれ、会高-早稲田大-中国電力、
    ’00年3月、琵琶湖マラソンで歴代学生最高(2h09m50s)初の10分↓、 こちら

  〇シュガー佐藤 (女子プロレス)1978年、若松市生まれ、 こちらこちら
  ・ 平松省二  (プロ野球・投手) 
1971年生会津農林→→日本ハム

  ・武藤志津夫 下郷町出身、1991年世界剣道選手権個人戦金メダル
  〇 諸積兼司  (プロ野球・外野手)
 1969年生まれ。学石→千葉ロッテ
  ・若嶋久三郎 (大相撲力士) 明治初期(M14?)、大関

 1-4. 芸術・芸能

  〇 有馬しのぶ  (漫画家) 
代表作:モンキーパトロール、町の愛憎くん
  〇石原信一 (作詞家) --、
本郷町?、「越冬つばめ」等
  ★ 春日八郎 (歌手
代表曲:赤い夕日の終列車,お富さん,別れの一本杉

  〇 きよ彦  (着物デザイナー) 1950年生まれ
  ★ 斎藤 清  (版画家) 1907年生まれ。
  ☆ 早乙女貢  (歴史小説家) 
1926生まれ、祖父が会津藩士

  ★
笹川ひろし  (漫画家・演出家) 1960頃〜現在 活躍
  ★ 佐藤  慶
(俳優) 1928年会津若松市生 若松市役所→俳優, こちら , こちら
  〇塩原恒夫 (
フジTVアナ)1963年、若松市生まれ。競馬中継等、他 こちら

  〇高橋ヒロシ (漫画家)
坂下町出身、作品「クローズ」等で活躍中、 こちら
  ◎ 高羽哲夫  (映画カメラマン)  1948年松竹入社
  〇舘 美津男 (
Cocteau Twinsやデーモン小暮のギタリスト)若松市出身、 こちら

  ☆冨永一郎(漫画家)
母が田島出身、ちょっとエッチでコミカル。 こちら
  〇長嶺ヤス子
(フラメンコ・ダンサー) 1960年青学中退しマドリッド留学、
               本郷町(本人は若松市と言ってる)、公式HPは、 こちら

  ・馬場祥江 若松市生まれ、1956年ミス・ユニバース日本代表

  〇 松坂智幸  (シンガーソングライター) 
1973年会津若松市生。
    
                    代表曲は、”大嫌い”、”She"、 こちら
  〇 村野守美  (漫画家) 1941年生まれ

  〇 室井光弘  (小説家) 「 おどるでく 」で、第111回芥川賞受賞
  〇弓田 亨 (洋菓子製造、指導) 現在活躍中、詳しくは、 こちら
  〇 若松賤子 (しずこ) (小説家・翻訳家) 「小公子」邦訳

 1-5. 実務(凡人も職業に出来るもの)

  ☆ 井深八重  (看護婦) 会津藩士の孫、ライ病患者の看護。


2.会津の有名人 (全国・世界で頑張った人)[幕末以前] 
  ★山鹿素行 (儒学者・兵学者) 1622生まれ、詳しくは こちら
  ★ 天海大僧正
(僧・政治顧問)九星術を修め,徳川家康の政治顧問

. 会津の有名人 (会津圏で頑張った人) 
  〇 瓜生岩子  (慈善家) 1829年生まれ
  ○ 横山 武  (政治家) 1965年鶴ヶ城天守閣再建時の若松市長

.福島県の有名人(若干名+リンク)
  福島県関連の有名人に関しては、 が詳しいです。
  是非、ご覧下さい。ここでは、若干名のみ挙げときます。

 ★ 河野広中 (政治家・自由民権運動) 1849年生まれ
 ★田部井淳子(登山家) 本人のHPは こちら
 ★円谷英二 (特撮映画監督) 詳しくは こちら
 ★円谷幸吉(マラソン) 詳しくは こちらこちら


このページは、下記の書籍を参考にしました。著者の方に御礼申し上げます。

「ふくしまの20世紀」 福島民報社 編、福島民報社、2001年1月20日発行.
「20世紀ふくしま傑物伝」 高瀬喜左衛門ら著、財界21、2001年7月10日発行.
また、関連するHPや、YAHOO掲示板も、多数参考にしました。

1. 会津の有名人(全国・世界で頑張った人)[明治以降] 

 1-1. 政・財・官・学会

井深 大  (技術者・実業家)  1907年、日光町生まれ。会津藩士の曾孫。
  ソニー創設者の一人。第2代ソニー会長。89歳で他界。
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伊東正義  (政治家)
  農水省・局次長より政界入り。
 1979年、大平内閣で官房長官、大平首相死去に伴い、1ヶ月強、臨時首相代理。
 1980年、鈴木善幸内閣時外務大臣。
 1989年、竹下内閣辞任時、自民党総務会長の職にあり、総理に推されるも辞退
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遠藤敬止  (財界人)
 1851年、会津下級藩士の長男として生まれ、戊辰戦争でも戦った。
 1873年、慶応大学卒。銀行関係の講師を務め、1878年七十七銀行頭取。
 1890年、鶴ヶ城址を二千五百円(当時は大金)で落札、松平家にさしあげた。
 1904年没、詳しくは こちら(HP「梅薫夜風」) 等。
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川島廣守  (官僚・団体役員)   1922年、会津若松市生まれ。。
 1963年5月〜67年3月、警視庁公安部長、71年1月より内閣官房内閣調査室長
 1973年11月〜76年5月,内閣官房副長官。
 1984年、プロ野球セリーグ会長、1998年、日本プロ野球コミッショナー。
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北原雅長  (官吏・政治家・歴史学者)
 ---、会津藩家老神保俊孝の次男で、北原家の養子となる。
 1889年(M22年)、長崎県令日下に抜擢され長崎市長となり、上水道を完成さす。
 1904年(M37年)、京都守護職時代からの7年間を記した「7年史」執筆。”会津藩が
  賊軍と呼ばれるいわれ無し”と、反政府側から戊辰戦争をとらえ公表した初本。
  晩年は浜松に隠棲し、歌道に精進。
   ・・夢とのみ思いすてたる古(いにしえ)を、うつつに書くぞ、悲しかりける・・
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日下義雄  (官吏・政治家)
 ---、会津藩御殿医 石田元道の子として生まれるも、長州藩日下家の養子と
 なり、洋行後、第一銀行重役等を経、
 1886年(M19年)、長崎県令となる。この時、北原雅長を長崎市長に抜擢す。
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小室直樹  (経済・社会学) 1932年東京 生
 
5歳時、父が他界し、母の故郷柳津町に移住、
 会津高校ー京都大学理学部数学科卒
 大阪大院経済学科、ミシガン大、MIT、ハーバード大で、経済・社会・統計学を、
 研究し、東京大学法学、政治学研究科入学、やがて、小室ゼミが自然にできる。
 著作「ソビエト帝国の崩壊」「アメリカの逆襲」他多数。詳しくは こちら
等。
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新城新蔵  (天文物理学者・教育者) 1873年若松市生まれ(高校は安積中学)
 現代天文物理学を用い、古代中国の天文学の迷信(丙午等)を否定。
 1929(S4)〜1933年京都帝国大学総長。 詳しくは、 こちら
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野口英世  (基礎医学)   1876年(明治9年)、猪苗代町生まれ。
 貧農に生まれ、左手の指が癒着する大やけどを負い、苦学しながら、
 世界的な医学研究者として活躍した事は、あまりに有名。
 梅毒スピロヘータの純粋培養に成功。研究対象である、黄熱病に、
 自ら感染し、1928年殉死。

 英世の時代は、光学顕微鏡であった為、その後の電子顕微鏡的研究により、
 否定された(英世の)研究結果もあります。しかし、その事によって、逆境から
 世界的研究者として活躍した英世の偉大さが揺らぐものではありません。
  記念館のHPはこちら
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松平勇雄  (政治家)
 1907年容保の次男健雄(T7年分家、伊佐須美神社宮司)の次男として生まれる。
 1966行政管理庁長官。1976.9〜1988.9福島県知事。
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松平恒雄  (外交官・政治家)
  1877〜1949. 松平容保4男。秩父宮勢津子妃の父。
  駐米大使、駐英大使、宮内大臣を経、1947年(S22年)参議員議長。
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松本信一  (医師・教育者)   1884年(M17)、若松市生まれ。
 京都大学卒業後、1919年京都大学皮膚科学教授。
 1940年、京都大学名誉教授、大阪医科大学学長、1955年日本医学会会頭。
  詳しくは、こちら
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山川健次郎  (理学博士・教育者)
 1854年、会津藩家老山川家の三男として生まれる。
 戊辰会津戦争時、白虎士中2番隊に編入されるも、15歳のため除隊される。
 会津落城時、重臣の評議の結果、長州人奥平謙輔を頼り越後口より脱出。
 1869年、奥平と伴に上京、前原一誠の書生となる。エール大留学の後、
 1989年、日本初の理学博士。
 1901.6〜1905.12 東京帝国大学総長。
 1909年 明治専門学校(九州工業大学の前身)を創設、総裁となる。
 1911.4〜1913.5 九州帝国大学初代総長。
 1913.5〜1921.9 東京帝国大学総長。
  (1914.8〜1915.6 京都帝国大学総長兼任)
 1914年 男爵位を授かる。

 会津幕末史に関して、松平家からの資金援助で、会津人古河末東が編集
 主任となり数年を経て脱稿に至るも、不十分な点あり。大正11年、有志が
 松平邸に集まり、山川が編集責任者となり、反復討論・修正を重ね、
 昭和7年、「会津戊辰戦史」が、発刊された。この中で、新政府軍を"西軍"、
 幕府・東北列藩・会津藩を"東軍"と呼んだ。

 (裏話)日新館は、漢学が中心で、算術は、金を扱う商人用のもので、卑しい
   という考え方でした。(数学+αの)物理が専門の健次郎が、17歳まで
   掛け算九九を、知らなかったそうです。
  詳しい経歴は、こちら (九州大学のHP)
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山本覚馬  (政治家・教育者)
 1828年 会津藩砲術家の長男として生まれる。1892没。
 江戸屋敷勤務時、佐久間象山や勝海舟の教えを受ける。藩内で近代砲術の
  必要性を説くも、重臣の反対で、自宅謹慎、やがて大砲頭取に任ぜられる。
 蛤御門(禁門)の変で負傷し、12年後に失明。
 鳥羽・伏見の戦いで薩摩藩の牢に幽閉される。牢の中で、失明とリュウマチの
  痛みに耐え、将来の日本について書いた「菅見」が、薩摩藩小松帯刀や、
  岩倉具視の目にとまり、1869年、京都府顧問となる。
 1975年、新島襄に共鳴、自分の土地となっていた薩摩藩邸跡を提供し、新島
  と伴に、同志社英学校開設。
 1979年、京都府議会初代議長。

 経歴は こちら や、 こちら 。その考えの柔軟さ、闘魂!感動です。
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渡部恒三  (政治家)  昭和7年、南会津生まれ。
 S44、衆議院議員初当選。S58.12 厚生大臣。H1.08 自治大臣。H3.11通産大臣。
 H8.11 衆議院議員副議長。 公式Pは こちら
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 1-2. 芸術・スポーツ・芸能

有馬しのぶ  (漫画家) (1980代〜活躍) 会津若松市出身。
 代表作:モンキーパトロール、町の愛憎くん、等
 1987年 東映映画 「本場ぢょしこうマニュアル 初恋微熱編」の原作
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春日 八郎 (歌手)    1924年、会津坂下町生まれ。
 代表曲は、”赤い夕日の終列車”、”お富さん”、”別れの一本杉”・・
  記念館のHPは、こちら
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きよ彦  (デザイナー)   1950年、西会津町生まれ。
 京都友禅呉服問屋"千總"より、「きよ彦・花」ブランド設立。
 (噂では、子供の時はスカートを履き、女の子とだけ遊んでたらしい。)
  略歴は、こちら
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西郷四郎  (柔道家)
 1866年(大政奉還の年)、会津藩士の子として生まれ、維新後、元会津藩
   筆頭家老西郷頼母の養子に入る。
 17歳で上京し、開設したての講道館に入門、153cm、53Kgの小兵ながら、
 「山嵐」等の技で、活躍、講道館の四天王と言われる。小説「姿三四郎」の
 モデルと言われている。晩年は病気療養のため尾道で過ごし1922年他界。
 伝記的漫画や小説の紹介は こちらこちら
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斎藤 清  (版画家)  1907年、会津坂下町出身。
 1951年、戦後日本人初のサンパウロ日本人賞受賞。他、多数の海外展で受賞。
 晩年を柳津町で過ごし、柳津名誉町民となる。  作品の一部・経歴はこちら
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早乙女貢  (小説家  1926年、満州・ハルピン生まれ。祖父が会津藩士
  1969年、「僑人の檻」で第60回直木賞受賞。
  1988年、「会津士魂」で第23回吉川英治文学賞受賞。
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笹川ひろし  (漫画家・演出家)    会津若松市生まれ。
 手塚治虫のアシスタントを経、タツノコ・プロ創立者の一員となる。
 1960年 「ハクション大魔王」(フジTV)監督
 1971年 「いなかっぺ大将」監督 / 1976年 「タイムボカン」総監督。
  「宇宙戦艦ヤマト」、「天才バカボン」等の絵コンテも担当。
  監督作品は、こちら
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高羽哲夫  (映画カメラマン)
   湯川村生まれ、会津高校卒後、1948(s23)年松竹入社、1995年他界。
 撮影した作品は、「男はつらいよ」の寅さんシリーズ、「学校」
 「幸せの黄色いハンカチ」等。詳しくは、 こちらこちら
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平松省二  (プロ野球選手・投手)
 1971年、湯川村生まれ。会津農林→ヨークベニマル→日本ハム(ドラフト5位)
 通算成績: 28 試合登板、通算防御率 4.18、0勝2敗。詳しいデータ−は、 こちら
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村野守美  (漫画家)
 1941年、大連生まれ。その後会津に住む(現在は東京都杉並区)
 1961年、”弾丸ロッキー”、”少年夏季増刊号”でデビュー。
 代表作:”草笛”シリーズ、”垣根の魔女”、”ほえろブンブン”、”職人尽百景”
 1969年、虫プロの”千夜一夜”の原画担当。1983年、”ユニコ魔法の島へ”の原作、監督。
  GAROに掲載された漫画はこちら。
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室井光弘  (小説家)
 1959?年生まれ、s48会津高校卒、慶応大学文学部卒後、文学活動。
 1994年、「 おどるでく 」で、第111回芥川賞受賞。
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諸積兼司  (プロ野球・外野)   1961年、会津若松市生まれ。
 学法石川→法政大学→日立→千葉ロッテマリーンズ(1994、ドラフト5位)
 2000年までの通算成績: 534安打、4 本塁打、打率 0.273
 詳しい成績は こちら
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若松賤子 (しずこ) (小説家・翻訳家)
 1864年、会津藩士の子として生まれるも、7歳で横浜の商人の養子となる。
 ミス・ギダの学校(フェリス女子短大の全身)卒業後、母校英語教師になる。
 1890年「小公子」邦訳。  詳しくは、こちら
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 1-3. 実務

井深八重  (看護婦)  1987年、台北生まれ。会津藩士の孫。
  看護婦として、「小公子」邦訳のために一生を捧げる。
  1966年、国際ナイチンゲール賞受賞。   経歴等はこちら
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2.会津の有名人 (全国・世界で頑張った人)[幕末以前] 

天海僧正 (天海大僧正) 
 1536.01.01 高田町で葦名一族舟木景光の長男として生まれる。名は隋風。
 足利学校に学び、延暦寺や園城寺で修行。武田信玄に仕えた。
 信玄没後、葦名盛氏の請で黒川城稲荷の別当になる。磨上ヶ原で敗れた
 葦名義弘と伴に、江戸崎(霞ヶ浦南岸)に移住。川越の仙波無量寺の豪海
 に師事し、「天海」と改名。豪海没後、その法統を継ぎ学問所とした。
 
 九星術も修めた。家康に注目され、家康の命で、信長に焼き討ちされた
 延暦寺を復興した。また、駿府で、家康の相談役となった。仙波無量寺に
 戻り、喜多院と改めた。朝廷と幕府の融和に努めた。家康没時、崇伝と
 葬祭を論じて勝ち、東照大権現の神号を朝廷に奏請。秀忠・家光にも仕え、
 日光東照宮と上野寛永寺を造営、黒衣の宰相と称せられた。
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3.会津の有名人 (会津圏で頑張った人)

瓜生岩子  (慈善家)
 1829年、喜多方市の油商に家に生まれも、その後数々の悲運に遇う。
 戊辰戦争では、敵味方無く看護す。
 1869年、希望を失った会津藩士の子弟のため、幼年学校設立。
 1893年、若松市に済生病院を作り無料で治療。
 1895年、福島市に福島育児院(現 福島愛育園)設立。
 詳しくは こちらこちら
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横山 武 (政治家)
 昭和30年代〜昭和40年代初め、会津若松市長。
 1959年(S34)会津市制60年祭で、鶴ヶ城天守閣の再建を公式表明。
 1965年竣工式。 こちら に、その辺の事情すこしあり。
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4. 福島県の有名人

河野広中  (政治家・自由民権運動)
 1849年、三春藩の郷士の三男として生まれた。
 16才で水戸天狗党への参加をはかり、18才の時白河城を占領し、棚倉城を落とした。 
 西軍の参謀板垣退助に面接して、三春藩の無血帰順を交渉する一行に加わった。
 明治大正時代に、自由民権運動を叫び、普通選挙運動の総帥として活躍。
 衆議院議長を経て1915年(T4年)には大隈内閣の農商務相に就任するなど活躍。


HP管理者の私的総括的雑感
     --- 今回、会津の歴史・有名人をまとめてみて思った事 ---

 河野広中等の項を見ると、広中は、新発田藩と同じく、会津藩や奥羽列藩同盟に
とって裏切り者です。しかし、見方を変えると、時代の流れを見る目があり、領民を
思っていた、とも受け取れます。少なくとも、徳川一族が上層部を占め、封建〜幕藩
体制・厳格な身分〜階級制を維持する派の頭目たる会津藩上層部の下では、
広中の様な階層から、広中の様な人物は、輩出しなかったろうと思いました。
 言い換えれば、江戸幕府下の大藩”会津藩”の権力機構が敗れたのは、
大きな時代の流れの必然であったと、思いました。

 維新後、会津は賊軍の頭目として差別されました。(いつの時も、勝てば官軍
だから。)その中で、いや、むしろ、それをバネとして、頑張った人が多数いた事に
感激しました。中には宿敵・長州藩の世話になった人もいます。裏切り者と思う方も
多いとは思いますが、これらの方が、会津出身の人を、引き上げたり、世話したり
したのも事実です。

 昭和43年3月より55年3月まで、会津若松市長を勤めた、高瀬喜左衛門さんは、
参考文献の中で、「戊辰戦争後の会津人の生き方は三通りあるように思われる。
新政府に反抗した人、政府について新しい道を開いた人、世をすねた人、と三通り
である。   ・・会津は、二の矢、三の矢が続かない傾向がある・・。
維新史だけにしがみついて自己満足している時代は終わった。」
と述懐されています。正に、その通り! 痛い所を突いていると思われます。

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