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我が家の愛犬1号 翼くん
ーー 成犬 −−





満3歳(人間換算26歳)の春。(私の白河市転勤直後)
 青年の意気盛んさ(=生意気さ)か?口が少し歪んでいる。




同年8月頃か?
 何探してる?10円玉?餌?
  それとも、怒られた?

この頃の翼くんは、(オカマなので)
最初、雄犬と、仲良く話しするが
(本当は自分は雄だと気付き、)
突然、喧嘩を始めていた。


満6歳(人間換算38歳)。(私の2回目の会津赴任2年目、石部桜にて)
翼を抑えてる長男は、小学3年。(顔は解りづらいのでNetにUPしても良いだろう!)
思いのままに走り回りたい!斜め体勢の翼くん。元気盛んです〜。



翼くんが小さいけど、石部桜もこれ以上は切り難い。


 (←)君が駆けた山河、
  君が遊んだ公園(↓)、その時のままだ。




満10歳(人間に換算54歳)頃だろうか?
 中年になり、頬がこけてきた。
  だが、まだ、闘志満々で、伏せながら、何かを狙っている。
 翼くんの得意技!飛んでる蜂を食べるべく、見構えている?
  (食事はちゃんとやってるのだから、止めなさい!)




平成14年9月、私と妻と翼とで、裏磐梯の不動滝へドライブした。

大塩温泉から桧原湖北端に通じる旧道の、大塩側入口に停車し、
  翼くんのトイレ休憩を取った。
 少し登って小用を終えた翼君は、
 (遊びの一環として?)
 元気に、車に飛び乗った。
 我々は、これ幸と、即、発車した。


不動滝は、グランデコスキー場駐車場から下っても行けるが、少し下側から
登るコースを選んだ。登山口の駐車場(10台弱)に駐車し、20分程登ると、
不動滝の下に着く。滝壷付近で浴びる水しぶきは、とても爽やかだ。


帰り道、登山道入口の駐車場で、車に乗せようとしたが、翼は乗らない。
グランデコへの道との分岐点で、10数分自由にさせたが、まだ乗らない。

しょうがない、小野川湖の北縁まで歩いてやった。小野川湖北縁には、
数軒のペンションとキャンプ場がある。道端には、夏の花 オオハンゴンソウ
(右端写真、反魂:死者の魂を呼び戻す)が、まだ、咲き誇っていた。

暫く遊ばせても、ま〜だ乗らない! あ〜、もう妥協してくれよ〜!
「これが、最後だぞ!」 妻に、「小野川湖沿いに車で5分下った所で待つ
様に」言い、もう一回だけ歩いてやった。

妻と車の待っていた路肩の広いコーナーで、御乗車願ったが、乗らない。
乗車拒否の翼くんと、もう車に乗りたい我々の戦いが、暫く続いた。

初めて見た、こんなに強く抵抗する翼くんを。
眉間と、鼻背全面に皺を寄せて、拒否している!
私が、翼の苦手な水をひっかけると、翼は、地べたに伏して、微動だにしなく
なった。

(あ〜っ!しょうがない、夜中までかかっても、若松まで歩くか〜?)
あきらめた私が、チェーンを引いたが、てこでも動かない。
妻が引くと、しょうがなさそうに立ち上がった。
ドライバー交替し、私が車を運転、民宿街が始まるあたり(4分弱走行)で、
私は待った。妻は歩きながら、ず〜っと言い聞かせたという。
翼は、そのポイントで、やっと、しぶしぶ、車に乗った。

(翼くんは、高原が気持ちが良いので、わがままを言っていると、私達は、
 思っていた。しかし、今にして思えば、まだ目立たないが、自己の体力の
 低下を感じ、”こんな旅行は、これが最後かもしれない”という気持ちが、
 心の奥底にあったのかもしれない。)


平成15年3月初め、早くも真っ暗闇になった頃、長男が翼の散歩に行った。
翼は、20mも歩かず失神したと言う。知らせを受けた私は、急遽、帰宅した。
私が帰宅した時、翼はいつも通り、元気で、嬉しそうに尾を振った。
でも、抱き上げると、息が荒い、心拍数も多い。

風邪をこじらせ肺炎になったかと思い、人間の風邪薬(抗生剤・消炎剤)を
数日飲ませたが改善しない。動物病院に連れて行くと、フィラリアだと言う。
寒いと、末梢の血管が収縮し、心臓に負担がかかるのだと言う。
当分は、屋内に住まわせる事にした。

また。獣医は、「既に成虫になった寄生中を殺すのは危険で、当分は、
利尿剤・強心?を飲ませ、春になったら、新たに寄生する幼生フィラリアを
殺す薬を飲ませましょう」と言う。その方針に従った。

フィラリア!翼1歳時に、去勢した際、そんなポスターを見たような・・・。

4月に入り、暖かくなると、翼の体調は大分良くなった。
日中の暖かい時間に、外(元の彼の居住地)で、しばし、まどろませた。
柔らかな陽だまりと、そよ風と、彼が長年過ごしてきた居住空間は、
彼にとって、懐かしく、また、心地良さげであった。

平成15年5月

 長女は、翼の急を知らされるも、就職内定〜
 初出勤の頃で、なかなか帰省出来なかった。
 5月の連休に、少し休んで帰って来た。

 長女が携帯で撮影した その時の翼君(→)。
 (横144ピクセルだが、216ピクセルで表示した。)
 少し白が強くなったが、結構元気だ。
6月中旬、(マイクロフィラリアを殺す薬は定量に届きつつあったが)、翼の体調は、
 また悪化した。また、完全な屋内犬になった。

6月22日頃から、それまでより居間から遠い、玄関の扉近くに居る様に
 なった(自分の死期を悟り、ひねたのだろうか?)。
6月28日から、打って変って、玄関の板の間に座る様になった。
 (完全に死を覚悟し、最後に家族のそばに居たくなったのだろうか?)

平成15年(2003)6月30日(月曜日)。
 朝、私の出勤の時、手足を伸ばして、ピンと立ち、背中を撫でろと言う。
 私は、「翼は、まだ頑張れそうだ」と思いながら、彼の背中を撫でた。

 15:00、チョット外出する妻を、翼は、頭だけで見送った。
 16:00、妻が帰宅すると、翼は玄関の土間に倒れ、息絶えていた。
 知らせを受けた私は、まだ仕事は残っていた・・が、
 たかがペット、たかが犬だが、家族の死と同様であり、
 急ぎ帰宅した。

 抱き上げると、翼の体には、まだ温もりがあった。
  しかし、頭が!まるで胴体と繋がっていないかの様に、無抵抗に、
   急激に回旋し、垂れた。
 その時、私は、戻す事の出来ない現実を、認めざるを得なかった。

13歳3ヶ月(人間換算67歳弱?)。
 早いと言えば早いだろう。フィライアの予防をしていれば、もう少し長生き
 できただろう。でも、現役の一番元気な時は生き切ったという事で、
 勘弁して欲しい・・・・・・・・。

その日の内に、磐梯町の動物霊園・慈愛園で荼毘に付した。
(霊園の方の読経は、とても上手だった。)、



H16.06.19、ここの撮影ついでに、彼を見送ったであろう野草も撮影した。
こちら!


49日間 別れを惜しんだ後に、私の実家の空き地に、埋葬した。


翼くん! 

物理的な生命体としては、君は、もう、居ない。

しかし、
君は、我が家の子育て期と伴に生き、いつも、優しい安らぎと、
人生に立ち向かう勇気と激励を、我々に与え続けた。

そして、最後のその日にさえも!

君は、誇り高きであった。

君は、昨日までと 何ら変る事なく、
明日からの時間も 我々と伴に生きている!




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