このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
我が家の愛犬1号 翼くん ーー 成犬 −− |
満3歳(人間換算26歳)の春。(私の白河市転勤直後) 青年の意気盛んさ(=生意気さ)か?口が少し歪んでいる。 ![]() | ||||
![]() 何探してる?10円玉?餌? それとも、怒られた? この頃の翼くんは、(オカマなので) 最初、雄犬と、仲良く話しするが (本当は自分は雄だと気付き、) 突然、喧嘩を始めていた。 | ||||
満6歳(人間換算38歳)。(私の2回目の会津赴任2年目、石部桜にて) 翼を抑えてる長男は、小学3年。(顔は解りづらいのでNetにUPしても良いだろう!) 思いのままに走り回りたい!斜め体勢の翼くん。元気盛んです〜。 ![]() 翼くんが小さいけど、石部桜もこれ以上は切り難い。 | ||||
![]() 君が遊んだ公園(↓)、その時のままだ。 ![]() | ||||
満10歳(人間に換算54歳)頃だろうか? 中年になり、頬がこけてきた。 だが、まだ、闘志満々で、伏せながら、何かを狙っている。 翼くんの得意技!飛んでる蜂を食べるべく、見構えている? (食事はちゃんとやってるのだから、止めなさい!) ![]() | ||||
平成14年9月、私と妻と翼とで、裏磐梯の不動滝へドライブした。 大塩温泉から桧原湖北端に通じる旧道の、大塩側入口に停車し、 翼くんのトイレ休憩を取った。 ![]() (遊びの一環として?) 元気に、車に飛び乗った。 我々は、これ幸と、即、発車した。 不動滝は、グランデコスキー場駐車場から下っても行けるが、少し下側から 登るコースを選んだ。登山口の駐車場(10台弱)に駐車し、20分程登ると、 不動滝の下に着く。滝壷付近で浴びる水しぶきは、とても爽やかだ。
帰り道、登山道入口の駐車場で、車に乗せようとしたが、翼は乗らない。 グランデコへの道との分岐点で、10数分自由にさせたが、まだ乗らない。 しょうがない、小野川湖の北縁まで歩いてやった。小野川湖北縁には、 数軒のペンションとキャンプ場がある。道端には、夏の花 オオハンゴンソウ (右端写真、反魂:死者の魂を呼び戻す)が、まだ、咲き誇っていた。 暫く遊ばせても、ま〜だ乗らない! あ〜、もう妥協してくれよ〜! 「これが、最後だぞ!」 妻に、「小野川湖沿いに車で5分下った所で待つ 様に」言い、もう一回だけ歩いてやった。 妻と車の待っていた路肩の広いコーナーで、御乗車願ったが、乗らない。 乗車拒否の翼くんと、もう車に乗りたい我々の戦いが、暫く続いた。 初めて見た、こんなに強く抵抗する翼くんを。 眉間と、鼻背全面に皺を寄せて、拒否している! 私が、翼の苦手な水をひっかけると、翼は、地べたに伏して、微動だにしなく なった。 (あ〜っ!しょうがない、夜中までかかっても、若松まで歩くか〜?) あきらめた私が、チェーンを引いたが、てこでも動かない。 妻が引くと、しょうがなさそうに立ち上がった。 ドライバー交替し、私が車を運転、民宿街が始まるあたり(4分弱走行)で、 私は待った。妻は歩きながら、ず〜っと言い聞かせたという。 翼は、そのポイントで、やっと、しぶしぶ、車に乗った。 (翼くんは、高原が気持ちが良いので、わがままを言っていると、私達は、 思っていた。しかし、今にして思えば、まだ目立たないが、自己の体力の 低下を感じ、”こんな旅行は、これが最後かもしれない”という気持ちが、 心の奥底にあったのかもしれない。) | ||||
平成15年3月初め、早くも真っ暗闇になった頃、長男が翼の散歩に行った。 翼は、20mも歩かず失神したと言う。知らせを受けた私は、急遽、帰宅した。 私が帰宅した時、翼はいつも通り、元気で、嬉しそうに尾を振った。 でも、抱き上げると、息が荒い、心拍数も多い。 風邪をこじらせ肺炎になったかと思い、人間の風邪薬(抗生剤・消炎剤)を 数日飲ませたが改善しない。動物病院に連れて行くと、フィラリアだと言う。 寒いと、末梢の血管が収縮し、心臓に負担がかかるのだと言う。 当分は、屋内に住まわせる事にした。 また。獣医は、「既に成虫になった寄生中を殺すのは危険で、当分は、 利尿剤・強心?を飲ませ、春になったら、新たに寄生する幼生フィラリアを 殺す薬を飲ませましょう」と言う。その方針に従った。 フィラリア!翼1歳時に、去勢した際、そんなポスターを見たような・・・。 | ||||
4月に入り、暖かくなると、翼の体調は大分良くなった。 日中の暖かい時間に、外(元の彼の居住地)で、しばし、まどろませた。 柔らかな陽だまりと、そよ風と、彼が長年過ごしてきた居住空間は、 彼にとって、懐かしく、また、心地良さげであった。 平成15年5月 ![]() 長女は、翼の急を知らされるも、就職内定〜 初出勤の頃で、なかなか帰省出来なかった。 5月の連休に、少し休んで帰って来た。 長女が携帯で撮影した その時の翼君(→)。 (横144ピクセルだが、216ピクセルで表示した。) 少し白が強くなったが、結構元気だ。 | ||||
6月中旬、(マイクロフィラリアを殺す薬は定量に届きつつあったが)、翼の体調は、 また悪化した。また、完全な屋内犬になった。 6月22日頃から、それまでより居間から遠い、玄関の扉近くに居る様に なった(自分の死期を悟り、ひねたのだろうか?)。 6月28日から、打って変って、玄関の板の間に座る様になった。 (完全に死を覚悟し、最後に家族のそばに居たくなったのだろうか?) 平成15年(2003)6月30日(月曜日)。 朝、私の出勤の時、手足を伸ばして、ピンと立ち、背中を撫でろと言う。 私は、「翼は、まだ頑張れそうだ」と思いながら、彼の背中を撫でた。 15:00、チョット外出する妻を、翼は、頭だけで見送った。 16:00、妻が帰宅すると、翼は玄関の土間に倒れ、息絶えていた。 知らせを受けた私は、まだ仕事は残っていた・・が、 たかがペット、たかが犬だが、家族の死と同様であり、 急ぎ帰宅した。 抱き上げると、翼の体には、まだ温もりがあった。 しかし、頭が!まるで胴体と繋がっていないかの様に、無抵抗に、 急激に回旋し、垂れた。 その時、私は、戻す事の出来ない現実を、認めざるを得なかった。 13歳3ヶ月(人間換算67歳弱?)。 早いと言えば早いだろう。フィライアの予防をしていれば、もう少し長生き できただろう。でも、現役の一番元気な時は生き切ったという事で、 勘弁して欲しい・・・・・・・・。 | ||||
その日の内に、磐梯町の動物霊園・慈愛園で荼毘に付した。 (霊園の方の読経は、とても上手だった。)、
49日間 別れを惜しんだ後に、私の実家の空き地に、埋葬した。 | ||||
翼くん! 物理的な生命体としては、君は、もう、居ない。 しかし、 君は、我が家の子育て期と伴に生き、いつも、優しい安らぎと、 人生に立ち向かう勇気と激励を、我々に与え続けた。 そして、最後のその日にさえも! 君は、誇り高き男であった。 君は、昨日までと 何ら変る事なく、 明日からの時間も 我々と伴に生きている! |
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |