このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

三斗小屋宿跡〜同温泉〜沼原 (2)



三斗小屋宿跡から三斗小屋温泉までの登り(マップでの所要時間 1j時間 20分)は、
 普段、何もしていない私には、結構キツかった。
この際、根曲がり竹(熊笹)の”竹の子”でも見つけ、かじりながら登ろうか・・・?

などと、左右をキョロキョロ見ていると、太い竹の子も見つけたが、
 温泉近くで、 銀竜草(↓)を 発見!

 ギンリョウソウ (銀竜草)
  姿を竜に例えて付いた名。
  葉緑素を持たず、落ち葉等を養分にして育つ。

  従って、(熊笹等の)日陰で発見できる

  似た感じで、茎の先に複数の花をつけるのは、
  シャクジョウソウ(錫杖草)と言うらしい。

ヤマオダマキ (山苧環)

 つづら折れの登山道を見上げると、
 黄色い花を囲む赤紫の5枚の蕚、
 花柄の方に、鋭く反り返った5枚の蕚、
 ヤマオダマキだ。

 温泉に着いたら、たくさん、栽培?
  してあった。

 この”苧”(おだ)と言う字、単独では、
 ”からむし”と読むらしい。
 三斗小屋温泉に着いた。大黒屋と煙草屋という
 旅館があった(大昔は5軒あったらしい)。

 登山道は、その中を、右へ進む。記念に入浴して
 いこうと思っていたが、”休憩入浴はしてない”と・・!!!!
少し気分が悪いので、少し通り過ぎてから、
昼食を取った。霧(雲)の切れ間に、流石山が
見えた。大峠方向は、霧が濃い!

暫しの休憩の後、沼原に向かった。
この後、私にとっての大事件が(後述)!
 三斗小屋温泉〜沼原への道は、
 予想外に(平坦ではなく)小さなUP・
 DOWNが、あった。

 沼原近くで、また霧が濃くなった。
 ダケカンバ林?も絵画的だった。
 
 

 沼原(NUMAPPARA)湿原に着いた。
  霧は更に濃く、
   幻想的でさえあった。

 左手奥に湿原の案内坂と東屋が
  ある。


 せっかくだから、少し、鑑賞して行こう。



カンボク(肝木


入口の林で咲いていた。アジサイの様な花をつける
木も多いが、これは、葉が3列し、カンボクだ。
木は爪楊枝や止血の薬に使われた。
 
 コバイケイソウ
(小梅蕙草)

 コバイケイソウ(白)と
  ニッコウキスゲ(黄)は
   最盛期だった。

 アヤメは終わっていた。

そのまま、尾根筋を東に下ると、板室温泉だ。
(私、一旦、駐車した深山湖へ向かった。)
 (←)板室(いたむろ)温泉。

 温泉沿いの川の水は、澄んでいる(↓)。




猛反省!(・・・してないかも・・・・?)
今回の山行は、反省点がの様にあった。


その1、所要時間
(ループとは、沼原湿原から周回するコース=
駐車場〜登山口〜深山分岐を含まないコース)

駐車場〜登山口休憩〜深山分岐休憩〜三斗宿跡休憩〜三斗温泉休憩
マップXX30分X20分X1時間20分X
30分X25分15分23分30分1時間4735分
 .
〜沼原湿原休憩〜深山分岐休憩〜登山口〜駐車場総計
マップ1時間50分X55分X20分Xループ内 4 h25m
ループ外 0 h 50m
合計  5 h 15m
2時間+1時間30分305分25分30分ループ内 4 h 40m
ループ外 1 h 50m
落し物   1 h 00m
休 憩    1 h 55m

合計   9 h 25m


登りが弱い!
三斗小屋宿跡〜三斗小屋宿温泉、マップより30分弱オーバーだ。

何と言っても、反省すべきは、自分の日常生活である。
普段から、肺炎起因菌をニコチン&タール&アルコール消毒し、
腹部には、10数Kg の”大リーグ養成重り”を巻いて体を鍛え!
男は直登だ〜!
曲がりくねった階段は登らず、直登のエレベーター ONLY!

むべなるかな・・・・。


その2 落し物。

車のキーを薄手のジャンバーのポケットに入れた。
登り始めると、暑い。
ジャンバーを脱ぎ、ザックの後の紐の所に挟んだ。

昼食(三斗小屋温泉)までは、ジャンバーはあった。
昼食を終え、沼原湿原に向けて、1時間程歩いた所で、
ジャンバーが無いのに気付いた。

安物のジャンバーなので、ジャンバーだけならあきらめるが・・・。
車のキーが無いと、帰宅できない。
すでに疲れていたが、必死で戻った。

幸い、30分戻った所に、ジャンバーはあった。
都合、1時間は、余計な山歩きをした事になる。
”特に重要物の収納には、もう少し注意せねば”と、
これは、猛反省した。



その3 ルートの選択。

沼原湿原(車で行ける)から周回すれば、
現状の私の体力でも、(落し物をしなければ)
3時間弱少なくて済んだ!
(30分の休憩はそれぞれ意味あり)



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