このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

堂場山どんぐり探勝路(2)




堂場山手前は緩やかで、ピークは今一つ分かりにくい。
「今通り過ぎた所が堂場山山頂だったんだ〜。」と思うくらいだ。



一旦、急斜面を、湖近くに下りる。そして少し登ると、岬は目の前だ。


岬の手前にあった木。

 ヒトツバカエデ(一葉楓、マルバカエデ

 楓とは思えぬハート形の葉、根元の側脈から、
 主脈に直角方向に幾つかの側側脈がある。

 土佐〜日向楓、支那水木も似た葉だが、分布地域が
 違い過ぎ。ガマズミの葉は、卵形(ハートではない)で、
 樹高も、5m未満。オオカメノキの葉は、ほぼ、まん丸。


湖に突き出た半島の先端(岬)に着いた。



写真では真っ白に飛んでしまったが、木々の間に桧原湖が見える。
湖を渡ってくる風は、爽やかだ。

                      総 括

1.コースタイム
  撮影時間・岬での軽食休憩こみ全行程時間は、2時間10分だった。
  (岩山城跡で引き返せば、半分くらいですむ。)
  地図には、片道30分とあるが、30分では、自然鑑賞時間が無い。
2.手軽にミズナラ・ブナの森林浴が楽しめ、Good。




堂場山入口〜金山集落

一旦車に戻り、歴史巡り探勝路(小谷城)に向かう。
桧原湖の西岸から北岸に回る。

 山集落手前の山に道標がある。
 ”戸山城(穴沢氏の北縁の城)南大手登口”とある。
 道は、(入る人も少なく?)獣道レベルだ。
 
 (真っ直ぐ北へ、
  山頂を目指せば良い様だ。)

 
 (↓)金山集落の西縁に、桧原歴史館がある。桧原の歴史、金採掘で使わ
 れたトロッコの車軸(金鉱の発見は1600年代初め)やレールが展示してある。

 それに拠ると、現在の桧原湖あたりは、
 磐梯山噴火前も、湿原で農業に適さず、
 木地師が少し住んでいただけらしい。

 1486年、葦名盛高の命により、(街道に
 出没する盗賊退治と伊達氏侵入の備え目的に)

 穴沢俊家が中の七里に配置された。
 穴沢氏は、すぐに桧原を開いた様だ。

桧原歴史館の目玉は、
ボタンを押すと、湖底に沈んだ(関所や宿場を兼ねた)桧原宿が見えてくる
ジオラマだろう。桧原宿は、桧原湖の北西角に有った様だ。



(入場料100円は払った。目立った所には”撮影禁止”とは書いて無かった。)


記念館を出て、桧原湖北西角を見てみる。左写真中央上は堂場山の半島。
桧原宿は、左写真のカーブミラーと、右写真の湖に突き出た部分(大山祇神社)
の間に有ったんだ〜〜!




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