このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


五十人山(2)




マイクロウェーブの鉄塔・小屋の手前で、山頂直下の草原を俯瞰する。

山頂直下の草原は、
広い。50人どころか、
200人以上休めそうだ。
(写真中央右はトイレで、
私は、その直ぐ右あたりを
登って来た。)


草原の向かいにも、ピー
クがあり、湯ノ平へは、
このピークを経由する
らしい。
(実は、写真中央左からも
湯ノ平に下りられ、その途
中に、持藤田からのルート
との合流点が有る様だ。)


(三角点の有る)山頂到着。
真っ直ぐ向こう(南西方向)に、常葉鎌倉岳が見える。




五十人山山頂から見る常葉鎌倉岳は、絶品だ。
午後だったので、逆光になり 写真に詳細が写らないが・・・
それでも尚、素晴らしい存在感のある 山容だ。




鎌倉岳の直ぐ北に、移ヶ岳が見えるはずだ。
写真右のピークだろう。

東方向には、午前中に登った手倉山が見える。遠望では頂が分かりにくい。
左端が赤白色の送電線鉄塔のあるピーク、左1/3が三角点のあるピーク、
そこから尾根筋を少し下った(写真中央付近)所が、岩場の頂だろう。




南東方向の、正に
阿武隈高原!の
眺望も良い。

この頂の草原の上
で、何時間でも・・
まどろんで要たい。


軽昼食休憩をとっていると、14:30になってしまった。
さてさて、そうそう まどんでも居られない。
頂上直下の草原を越え、反対側のピークに向かった。


反対側のピークの手前、西北西側には(↓)、龍子山(暗い三角)の向こうに、

  残雪の安達太良連峰〜
  吾妻連峰が、薄っすらと
  見える。

北西方向にも、薄っすら残雪の頂が見えた。蔵王だろうか?

反対側のピークには大岩と祠がある。
案内板に拠ると「延歴年間、坂上田村
麻呂が蝦夷地平定の折、山頂の大石
に侍従五十人を座らせ戦略を練ったと
伝えられ、(大石には)坂上田村麻呂之
霊と印刻されている」らしい。

(つまり、五十人山の名前の由来は坂上田村
 麻呂の蝦夷平定にあると言う事。)


大石の周りには、幾つかの踏跡があり、どれが湯ノ平への下山路か分かり
にくかった。
大石の南西を巻く様に(外寄りに)行くと、整備の良い登山道が現れた。

 が、・・・・・



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