このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
−地名・駅名の由来− | ||||
野呂間電鉄沿線には、変わった地名が数多く存在しています。このページでは、その地名の由来を紹介します。 −御曽井(おそい)− 御曽井の街は古くからこの地方における農林産物や手工業製品の集散地として大いに栄えました。あまりにもいろいろなモノが集まる便利な土地のため、古代には徴税のための国府が置かれ、中世にはいわゆる「市」も立ちました。御曽井の地名自体も、物が集まるという意味の「そろい」が転じたものだと言われています。 −具厨(ぐず)− 源平の戦いの後、とある平家の落人とその家族がこの地まで逃れてきました。ろくな食事も、夜露をしのぐ場所もなく、その落人たちが苦渋していると、この土地の人々が彼らに食事を差し出し、彼らを家に招き入れたそうです。具厨の地名はその故事にちなみ、モノを差し出すという意味の「具」と、食べ物を作るという意味の「厨」を合わせたものだと言われています。 −丹生(にぶ)− かつてこのあたりでは、野呂間川での砂鉄取りが盛んでした。その砂鉄の色が「にびいろ」だったために、この地域一帯は「にび」と呼ばれていましたが、いつしかそれが転訛して「にぶ」となり、それに丹生という字をあてたものが地名になったようです。 −又里橋(またりばし)− 又里橋は御曽井の街から野呂間川を1里(約4キロメートル)さかのぼった場所に架けられた橋で、「里を跨ぐ橋」という意味からこの名がつけられました。 −土呂井(とろい)− 古代、川の流れが遅くなる箇所を「とろ」といいました。埼玉県の長瀞はもちろん、神奈川県の鶴見も「とろみ」が転じたものという説があります。この土呂井の地も、ちょうど野呂間川の流れがゆるやかになる地点で、地名もその川の流れに由来するものと考えられています。また、この一帯は「土呂井渓谷」と称され、そのゆるやかな川の流れと紅葉は古くから御曽井地方の名物として人気を博してきました。 −湯栗温泉(ゆくりおんせん)− 湯栗温泉郷の開湯は戦国時代と言われ、戦闘で傷ついた武将や兵士達が傷を癒すため、たびたび訪れたといいます。この温泉郷には、湯から上がった武士たちがげんかつぎに栗を食べてから帰っていったという逸話が残されており、それが湯栗温泉の名前の由来になったと言われています。そのため今でも栗は、湯栗温泉の名物として湯治客に親しまれています。泉質はナトリウム塩化泉で、切り傷、うちみ・ねんざ、筋肉痛などの回復に効果があります。 −野呂間(のろま)− 野呂間地域一帯は江戸時代に木材の伐採拠点として開かれて以来、林業の町として栄えてきました。野呂間の地名の由来は、伐採した木材を運ぶ筏の乗り手が集まる場所「乗間」がいつの間にか転じて「野呂間」になったという説、「具厨」で触れた平家の落人がこの地で亡くなり、その「呪い」が転じて「野呂間」になったという説、また、山の斜面を意味する「のり」に挟まれた地ということで「のりま」だったものが「野呂間」に転訛したものなど諸説があり、いまひとつはっきりしていません。 | ||||
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