このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

保存動輪C58115 その1

C58115動輪(その1)宮崎県 高千穂新線 夢見路公園に保存 やまてつ様御提供(この項すべて)

高千穂〜高森の未成線区間を利用した公園に片側のみ保存展示されている。なおもう片方は最終地であった大分運転所(区)に保存されている。画像は こちら


横から見ると片側だけの面白い構造となっている

「夢に終わった」高千穂〜高森の未成区間であるが、その実現に向けて歩んだ先人の方々の苦労を想い、後世に記録するための記念碑としてこの動輪がモニュメントのシンボルとなっている。
※後方に見えるのはかつて熊本県菊池で保存されていた48647。こちらも元・お召し列車牽引機である。

側面に埋め込まれた115号の履歴 簡潔だが重厚な文章
刻印はC58115 L(左側)とはっきり読める
正面の記念碑文

C58115

昭和14年(1939)2月、汽車会社製(製造番号1695)。新製後すぐに九州直方区に配属され、試験運用も兼ねて筑豊本線などで運用される。その後機種交換などもあって昭和20年に豊後森区に移動、久大本線に活躍の場を移す。この間の昭和29年7月頃、C58形式としては初めての小倉工場式切取除煙板(門鉄デフKー7形 関分類)を装備し、昭和30年代には大分に移り主に豊肥本線大分口で使用され、41年の秋には日豊・久大本線で「お召し列車」の牽引も行った。その後は次第に活躍の場は狭まり末期には付近の小運転と周辺の西大分入換などの仕事に従事し昭和47年7月31日付で廃車となった。


エピソード

同機のひとつ上の兄機114号は晩年まで陸羽東線などで活躍し、宮城県の岩出山に保存されている。一方共に直方に新製配置された弟の116号は早くに九州を離れ高山本線や沼津入換などで生涯を過ごした。なおふたつ上の兄113号が京都府舞鶴に、その上の112号が志布志に、また4つ下の119号が北海道北見市にとC58の110番台は115の動輪の他4両もの保存機があることが特筆される。


大分のお召し装備クインテット
昭和30年代に大分に集まったC58はそのほとんどが当地のC58引退までメンバーは変わらなかった。そして昭和41年(1966)の秋に行われた大分国体の際には同区のC58もお召し列車牽引の栄光に浴し、その任に当るC58105・115・277が本務機に指定され美しく整備され磨きあげられた。またの残りの112・350も予備機として同様に整備され、5両揃って大分の扇形蔵に並んだ美しい姿がファンの記録によって残されている。
さらにこの5両のC58はいずれも門鉄デフを装備(105=Kー10、112=Kー9、115=Kー7幅広、277=Kー7、350=Kー7)した美しいスタイルでまさに九州のカマらしい「5両の飛翔するC58」を実感させるものがあった。
当時の運用は以下の通り
昭和41(1966)年10月  日 日豊本線 別府〜佐伯 C58115+C58277
昭和41(1966)年10月  日 久大本線 C58277
昭和41(1966)年10月25日 久大本線 大分→由布院 C58115
昭和41(1966)年10月28日 豊肥本線 赤水→熊本 C58105
※なお112号はこれ以前の昭和35年(1960)10月に熊本区に貸出されて豊肥本線でお召し列車を牽引した実績を持っていた。(その当時は門鉄デフは未装備)またC58105の動輪は大阪共栄興業内に展示されている。 画像はこちら
またこの仲間のうち112と277は大分から志布志に移動しともに門鉄デフのラストナンバーグループの後を継いで九州のC58の掉尾を飾りともに保存された。(112志布志、277小林市)


現役時代のC58115

大分運転所に憩う115号 47年3月

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