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L R T と は 一 体 何 な ん だ ろ う ?

− 江  ノ  島  電  鉄 −




TAKA  2006年09月04日





湘南の海を見ながら鎌倉高校前駅に入線する現役最古参の300系 ●



 東京人が「江ノ電」と聞くと、「江ノ島・湘南・鎌倉・海」と言う言葉が連想されます。東京圏に住む人の内多数が1回は鎌倉・江ノ島地域に行った事があり(其の大部分が遊びだろう)「江ノ電に乗った事があるor国道134号線の車の中から江ノ電を見た事がある」と言う形で江ノ電に触れた事があるはずです。
 実際江ノ電沿線には「鎌倉-鶴岡八幡宮・長谷-鎌倉大仏・稲村ガ崎と七里ガ浜-サーフィンのメッカ・江ノ島-江ノ島展望台・江ノ島水族館・海水浴」等々非常に観光地が多く、夏場の休日などは各所に観光客が溢れ、江ノ電もさながら観光電車となります。
 しかし私はよく江ノ電を利用しますが、もう10年以上「観光」で江ノ電を利用した事が有りません。私の仕事の得意先が江ノ電の江ノ島駅の脇にあるので「江ノ電=仕事でスーツで乗る電車」となっています。ですから去年の夏などは観光客が溢れる夏の日曜日に「只一人スーツで乗る」と言う浮いた事までしています。
 そう言う訳で特に私の「公」の立場で江ノ電は良く利用するのですが、今鉄道の話の中で「いまいち納得のいかない話」があります。それは「江ノ電がLRTで有る」と言う分類です。私自身「LRT=路面電車」とは思っていませんが、江ノ電は 富山ライトレール の様に、世間一般的観点ではLRTと認知されている交通機関では無いと考えます。
 ではなぜLRTと分類されるのでしょう。確かに江ノ電は「鉄道」と言うにはチョット違う独特の雰囲気を持っています。其の点では「単純に鉄道と分類」するのは違和感が有るといえます。その様な点を含めて今回は私は何度も訪問した事の有る「江ノ電」を取り上げて「LRTとは何か」について考えてみたいと思います。


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 ☆ 「江ノ電」とはどんな電車なのか?

 先ずは江ノ電(正式名称は江ノ島電鉄㈱)はどんな鉄道なのでしょうか?其処から物事は始まると言えます。
 江ノ島電鉄は明治35年に藤沢〜江ノ島間が開業し、明治43年に藤沢〜鎌倉間全線が開業した軌道で、日本でも6番目に古い電気鉄道(開業103年経過)です。その後横浜電気→東京電灯→江ノ島電気鉄道と経営母体が変わり、戦後小田急グループの傘下に入り(現在筆頭株主は小田急電鉄)現在に至っています。又昭和19年に軌道法による軌道から地方鉄道法による地方鉄道に変更されていて「名実ともに鉄道」になっています。この時期に京浜急行(昭和18年※当時は東京急行)京成(昭和20年)京王(昭和20年※当時は東京急行)も軌道法下の軌道から地方鉄道法下の地方鉄道へと変更になっています。
 開業以来全線単線で運行されており、「鵠沼・江ノ島・峰ヶ原信号所・稲村ガ崎・長谷」の各駅で交換が出来るようになっています。(12分間隔運転の場合、交換施設をフルに使う)又今の路線に新設・廃止は有りませんが、昭和24年に鎌倉駅が小町→鎌倉駅西口に移動しており、藤沢駅も藤沢駅前南部地区土地区画整理事業完成と江ノ電第一・第二ビル(江ノ電百貨店→小田急百貨店藤沢店)完成に伴い藤沢〜石上間が高架化され、現在の路線形態になっています。
 又車両も近年更新が進んでいて、昭和54年の1000系導入以来計画的に車両新造を進めており現在では冷房化は100%完成しており、300系2編成を除き昭和54年以降の新造車になっており又1000系初期の4編成(新造車なのに何故か釣掛駆動)を除いて新性能化も完成しています。又近年の新造車は10形レトロ電車等デザインにも工夫が凝らされています。

 (江ノ電の概要)
項目営業キロ1日当たり輸送人員定期比率車両数平均乗車㌔表定速度運行本数運行間隔停留所数営業係数
江ノ島電鉄線10.0km38,800人/日33.2%28両(連接車)3.5km17.7km/h88往復/日昼間12分毎15箇所84

 
「参考資料」 ・ 江ノ島電鉄HP  ・「路面電車新時代 LRTへの軌跡」 (服部重敬 著)  ・「路面電車ルネッサンス」 (宇都宮浄人 著) 
       ・グラフ 江ノ電の100年(江ノ島電鉄) ・鉄道ピクトリアル96年4月増刊号-関東鉄道のローカル私鉄-


 ☆  江 ノ 島 電 鉄  訪 問 記

 今回その様な疑問がわいたので、日常仕事で利用していて馴染みの有る江ノ電を改めて見てみる事にしました。
 とは言っても家からは近くない湘南を走る電車なので、偶々8月18日に藤沢市内で仕事が有り終わったのが夕方である事を利用して、夕方〜夜になってしまいましたが今度は全線1度での訪問をしてみる事にしました。
 (写真は特記なき場合は06年8月16日撮影、※印は04年7月11日 ○印は05年11月26日 ●印は06年9月2日撮影の物を使っています。)

 江ノ電の旅先ずは藤沢から出発です。この日は同じ藤沢市内に用事があったのでそれを終わらせてから小田急線で藤沢に向かいました。小田急藤沢駅はJRの脇に有りますが、江ノ電の藤沢駅はロータリーの向かい側にあります。この2線同じグループなのに藤沢〜江ノ島間で平行している(出来た当時は関係なかった)ものの、鵠沼・江ノ島共に微妙に離れているので上手く住み分けが出来ています。
 江ノ電藤沢駅はロータリーの向かい「小田急百貨店藤沢店(元の江ノ電百貨店)」が入っている江ノ電第一ビルに有ります。この駅は1974年の藤沢〜石上間高架化完成・藤沢駅前南地区土地区画整理による江ノ電第一ビル完成に伴い現行位置に移転されたものです。今の江ノ電藤沢駅は江ノ電第一ビル・第二ビルの2階の1画を占めていて正しく「鉄道の小規模ターミナル」と言った感じです。

   

左:江ノ電藤沢駅の入っている「江ノ電第一ビル」  右:江ノ電藤沢駅と最新鋭の500形

 ホームでしばらく待つと折返し鎌倉行きの電車がやって来ます。車両は最新鋭の500形です。「1編成しかない車両に最初にヒットとはラッキー」と思いながら写真を1枚撮った段階であっという間に出発です。藤沢駅は単線で藤沢〜鵠沼間が1閉塞の為すぐに折り返さないと12分ヘッドが維持できません。そういうわけで早々に電車に乗って出発となります。
 車内は満席で立ち客がチラホラと言う状況です。4両編成だから良いですが、これが2両編成であるとかなり厳しいものが有ります。12分ヘッドで平日夜ラッシュ直前でこの利用客ですから、LRTと呼ぶにはチョット厳しい普通鉄道の輸送量はあるといえます。

   

左:藤沢〜石上間の高架軌道  右:車内風景@鵠沼

   

左:江ノ島駅に停車中の500形  右:江ノ島〜腰越間の併用軌道を走る10形 ○

 取りあえず江ノ島駅で500系の写真を取った後、お土産のシラスを買いながら(腰越のシラスは本当に美味しい!行った際はぜひ買ってください。特に腰越漁港入口脇に臨時で出る漁師の店のシラスは絶品です)腰越まで歩く事にします。
 上の右側の写真に写っている魚屋でシラスを買った後、併用軌道の道路上に出るともう次の電車が江ノ島方面からやっててきます。狭い曲線を左右に曲がりながら江ノ島の旧市街の道に電車が入ってきます。

   

左:江ノ島〜腰越間の併用軌道を走る2000形 ○  右:併用軌道区間と夏祭りの山車 ※

 この区間江ノ電は数年前(確か4〜5年前だった筈)に軌道の全面補修工事をしているので、樹脂軌道ほどまで先進的ではないですが極めて整備が行き届いていて、電車に乗っても車で走っても不快なことは有りません。其の点江ノ電は計画的にいろいろなインフラにてを入れているようで地方鉄道のような「ボロボロの設備」と言う物は殆ど有りません。其の点では「利益の出ている鉄道」の強みだと言えます。
 但し流石に江ノ島の旧市街地を走る路線で山と海と旧市街地が迫っているところなので、此処だけは専用軌道建設が出来なかった訳もわかります。その様な事もあり道路幅員も軌道が走る割には狭く電車と車は併走できず、電車が来ると写真のように車が脇に止まる状況になります。此処だけを切り出してみると「昔の名鉄の犬山橋」と似た感じですが、「路面電車」と言っても違和感無いと言えます。

   

左:鎌倉高校前に到着する江ノ電 ●  右:鎌倉高校前駅と国道134号線

   

左:鎌倉高校前駅舎と江ノ島 ●  右:夏の海の江ノ島と1000形@峰が原信号所 ※

 併用軌道を散策してから腰越で再び江ノ電に乗ります。次は湘南の海岸に面した駅で「関東の駅百選」に選ばれている鎌倉高校前で途中下車をして見ます。鎌倉高校前は海沿いにある駅で風光明媚ですが、駅前にはマンション1棟と墓地と国道134号線と湘南の海があり駅からチョット離れたところに鎌倉高校が有るだけで商店も何もない、利用客は多いもののある意味非常に寂れた駅です。
 その為いつもは無人駅ですが、駅に降り立ち海や小動岬と其の先に有る江ノ島を見ながら、佇んでいると言うのもなかなか良いものです。観光路線である江ノ電の中で「駅そのもので観光できる」と言う数少ないスポットであります。
 しかしこの駅で見ていると、国道134号線の混雑はかなりの物が有ります。元々江ノ島周辺から東京に向かうには国道134号で湘南海岸〜鎌倉市街を通り、横浜横須賀道路朝比奈ICに抜けるか、国道467号線で藤沢を経由するか、鎌倉山〜大船経由で横浜新道か横浜横須賀道路に抜けるしか道が無いので、非常に混雑するのは何時もの釣行の帰りの具合で分かっていますが、それにしても酷い物です。その為に「鎌倉・江ノ島は電車で」と言うイメージがあり江ノ電に乗客が集まるのでしょうが、江ノ電が行っている 江ノ島パーク&レールライド七里ガ浜パーク&ライド由比ガ浜パーク&ライド 等、車の混雑に対応したパーク&ライドが行われていますので、江ノ電のより一層の利用促進の為にもこれらの方策の深度化も考えるべきでしょう。

   

左:稲村ヶ崎駅 駅舎  右:稲村ヶ崎駅前の商店街

 鎌倉高校前の次は稲村ヶ崎で途中下車をして見ます。稲村ヶ崎は鎌倉高校前〜七里ガ浜間で海岸沿いを走っていた江ノ電が、極楽寺の切通し越えの為に内陸に入りつつある場所に位置します。その為か駅の周りは「湘南」と言うか「山の麓」と言う感じが強くします。
 駅の周りをふらっとしてみましたが「稲村ヶ崎」と言うイメージの割には田舎の風情のする感じです。駅が海岸線からチョット入っている事もあるし、後ろはすぐ山で七里ガ浜の住宅地も裏から一山超える形になるので駅周辺にはそんなに店や人が集まらないのかもしれません。チョット見た感じでは湘南と言うより「普通の田舎の駅」と言う感じです。

   

左:極楽寺車庫 ○  右:江ノ電唯一のトンネル「極楽寺トンネル」 ○

 稲村ヶ崎から再び江ノ電に乗ると極楽寺の車庫が見えてきます。此処は本社・留置線がある江ノ島と並んで江ノ電の運転上の拠点です。この車庫はまだ出来てから数年の新しい車庫と言う事もあり、建物もきれいで非常に近代的な感じがします。その点は周辺にある極楽寺の駅と明治時代の開業時点からのレンガ積みの極楽寺トンネルと言う歴史を感じさせる重みの有る施設と比べると違和感を感じます。
 この車庫では過去に05年の4チャンネル24時間テレビの スペシャルドラマ「小さな運転士 最後の夢」 の舞台となり有名になったところです。このドラマは難病の子供が「江ノ電の運転手になりたいと言う夢」を江ノ電を始めとする周囲の努力・協力で亡くなる3日前に極楽寺の車庫構内を運転させてあげると言う事で実現させてあげたと言うノンフィクションのドラマです。
 私もこのドラマを見ましたが、正直言ってまさか鉄道会社が「難病の子供の夢」で有れど「構内であれど無免許の子供に電車を運転させる」と言うリスクを背負う事を行うとは最初は信じられませんでした。このドラマが無ければ世の中でこの話は有名にならなかったでしょうから、江ノ電は「売名行為」ではなく「真から賛同して」リスクを負ったと言う事で間違いないと思います。このドラマを見て「鉄道会社が鉄道マニアに色々な事をする」のも良いのですが、その様な特定層だけでなく「鉄道に夢を持っている一般の人」に「何とか一度で良いから夢を達成させてあげる」と言う事で「世間に感動を与える」と言う事も広い意味で必要ではないかと痛感させられました。その点では「難病の子供に亡くなる前に夢を叶えさせた」と言う美談で世間への江ノ電のイメージを良くしたと同時に、一般の人へも「鉄道への夢」と言うものを感じさせたと言う点で非常に意味があったといえます。

   

左:車内風景@長谷  右:観光客で賑わう鎌倉駅の乗降風景 ●

 極楽寺車庫を過ぎて極楽寺トンネルで稲村ヶ崎を超えるとと鎌倉の市街地になり長谷の駅になります。長谷は鎌倉市街地の西の端になりますが、鎌倉大仏などの観光名所も多く観光客が多数乗降します。その為長谷〜鎌倉間は藤沢〜江ノ島間並みに利用客が多くこの区間を乗ると何時も立ち客が居るイメージです。江ノ電はこの両端区間の利用客が多く、真ん中の湘南の海沿いの区間の利用客が比較的少ないと言うのが特徴の一つであると言えます。
 長谷を出ると家並みの間を縫って江ノ電は進みますが、終点鎌倉はすぐ其処です。江ノ電の鎌倉駅は元々は横須賀線の東側の小町に有りましたが、昭和24年に専用軌道化の上鎌倉駅西側の今の位置に移設されています。江ノ電鎌倉駅は江ノ電鎌倉ビルと言う小さな駅ビルに隣接する形で作られており、改札⇔ホーム間に何件もの店があり其処でフラット買い物が出来るのが魅力です。(江ノ電鎌倉ビル1階テナントが駅構内通路にも販売口を作り売っている。肉屋や総菜屋など庶民的な店も多いのがポイント。形を変えた効率的な駅ナカ店舗と言える)
 単線棒線の藤沢駅に比べ、鎌倉駅は2面2線になっていて昔は鎌倉⇔長谷間の区間運転も行われていたようです。(今は無い筈です)その事からも鎌倉〜長谷間の流動の多さが分かります。鎌倉駅は夏休み期間・春〜秋の休日などは朝から夕方まで観光客でにぎわっています。この観光客の多さは関東では箱根登山鉄道と江ノ電ぐらいでしょう。そういう意味では江ノ電は特異な地方鉄道と言えるのかもしれません。


 ☆ 何故江ノ電は「LRTと分類」されてしまうのだろうか?

 今回全線乗り通しと言う形で、久しぶりに江ノ電をゆっくりと見てきましたが、やはり「LRT」と呼ばれるには違和感を感じます。では何で「江ノ電はLRT」と言う分類が成立するのでしょうか?一つには江ノ電の「路面電車的雰囲気」が有るといえます。
 其の象徴が「江ノ島〜腰越間500mの併用軌道」であると言えます。昔はもっと併用軌道が多かったのですが、鎌倉駅付け替え等の地方鉄道法基準適合に向けての改良工事で面目を一新し、旧漁村地帯で山も迫っているので土地入手困難な江ノ島〜腰越間のみが改良できずに併用軌道で残っています。
 それ以外の所は、人家の中を急曲線で縫ったり、第4種踏切とすら言えない様な「線路に面した玄関」や「ガードレールだけで線路と仕切られた道路」等も存在し、路面電車的な雰囲気を出しています。この様な軌道として生まれ地方鉄道の基準に合わせて改良してきたが鉄道になりきれなかった点が、江ノ電をLRTと言わせる要素の一つと言う事になると思います。

   

左:江ノ島駅近くの併用軌道入口 ○ 右:江ノ島〜腰越間 併用軌道状況(1)

   

左:江ノ島〜腰越間 併用軌道状況(2) 右:人家密集地区を走る江ノ電@腰越〜鎌倉高校前 (通過後に隣接住戸の人が軌道横断してる) ●

   

左:道路と近接の江ノ電(七里ヶ浜〜稲村ヶ崎間 手前に踏切と言え無い路地が有る)○  右:稲村ヶ崎駅そばの踏切(店の玄関・路地は有るがとても踏切と言えない)

 この様な写真の場所は正しく「路面電車の雰囲気を残した場所」と言う事が出来ます。只実際路面を走っている区間の江ノ島〜腰越間のみ「道路と併用している鉄道」として「地方鉄道法特認」を受けて居ます。その点ではこの区間のみは鉄道ではなく軌道だと言えますが、それ以外の所は「単線自動閉鎖・ATS完備・高性能高床車両&高床ホ−ム・15m連接車2編成連結4両運転」と言う、LRTと言うよりチョット小さい普通鉄道と言うレベルの運行がされています。
 実際地方鉄道法もしくはその後進の法律である鉄道事業法で全線の一部分だけ路面を走行している鉄道と言うのは江ノ電以外にも存在します。現存しているのは上記の江ノ島電鉄江ノ島〜腰越間と熊本電鉄藤崎宮前〜黒髪町間だけですが、一寸前までは大手民鉄でも存在しました。それはかなり有名ですが、平成12年まで存在した 名鉄犬山線の犬山橋の併用軌道 です。
 熊本電鉄の場合は「 国道3号線軌道への移設・改軌・LRT化 」を発表していますので、LRTを目指していると言う点で「近い仲間かな?」と感じる点も有りますが、幾ら併用軌道が有るからと言って全線26.8kmの内全長223mの犬山橋とその前後区間だけが併用軌道の名鉄犬山線をと面電車やLRTだと思う人は誰も居ません。其れなのに全線10.0kmの内僅か500m程度が併用軌道の江ノ島電鉄が何故LRTと分類されるのでしょうか?

 ☆ LRTとは一体何なのだろうか?

 では一体LRTとは何なのでしょうか?LRTの定義付けについてマクロの側面で見ると、国土交通省道路局は「LRTの導入支援(次世代型路面電車システム)」と言う文章の中でLRT(次世代型路面電車システム)とは「 低床式車両(LRV)の活用や軌道・電停の改良による乗降の容易性、定時性、速達性、快適性などの面で優れた特徴を有する次世代の軌道系交通システム 」と述べています。又弊サイトとリンクを頂いていますとも様の「 交通とまちづくりのレシピ集 」では「 LRTとは何か? 」と分かりやすく纏められて居ます。加えて参考資料の「路面電車新時代」では[LRTがどの様な都市交通システムを指しているのか、その定義は国や文献によって異なっており明確でない][LRTは都市計画と結びつき、生活と一体化して便利さを兼ね揃える事により機能を発揮するよう、装置性を持って整備される都市交通システム][わが国では路面走行を前提とし、又残っていた路面電車が旧態依然としていることから、その差別化を図る為、近代化した路面電車をLRTと定義付けた]([]内は路面電車新時代より引用。以下も同じ)とLRTについて定義付けています。 富山ライトレール 等の国内の成功事例を見れば、これ等のLRTについての定義付けは私も的を得ていると思いますし正しいと思います。
 しかしミクロの点で見ると定義付けにブレが出てきます。「路面電車新時代」では[路面電車と分類される基準は「路面を走行する電車」「路面より乗降できる車両で運行」「軌道法に基づいて運行」と言う3点][車両の規格や構造、運行形態を考慮して「かつて路面電車であり、今もその面影を残す江ノ島電鉄」「普通鉄道であるが、路面電車と同じタイプの車両を使用している筑豊電鉄、広島電鉄宮島線」も路面電車と分類する場合が有る]と書いて有りこの基準で路面電車・LRTを分類しています。確かに前者の路面電車の分類は正しいと思いますが、後者の抽象的分類が入ると定義に違和感が出てきます。
 江ノ島電鉄・筑豊電鉄・広島電鉄宮島線は定義の3点の内1つしかクリアしていない、しかも一番普通鉄道との差の分かりやすい車両で分類している筑豊電鉄・広島電鉄宮島線はまだ違和感が無いのですが、路面を走行するだけで分類された江ノ島電鉄の場合一部の区間以外は正しく普通鉄道その物であり「何で路面電車・LRTなの?」と言う違和感が出てくるのだと思います。しかも「昔は路面電車だった」「面影が残る」と言う抽象的表現を根拠にLRTを分類すると物事の本質を見誤る可能性が有ると言えます。

 この様な違和感は正しく「定義ずけの曖昧さ」に起因していると思います。少なくとも「路面電車=LRT」と言う訳では無い物の、走行空間で分類されてる訳では有りませんし、加えて車両で分類されている訳でも有りませんし、法律で分類されている訳でも有りません。少なくとも何か1本のライン引きをしないと「何が何でもLRT」になってしまいます。
 具体的には一番分かりやすいのが「 交通とまちづくりのレシピ集 」の「 狭義LRT 」の定義で有ると思います。LRTの定義にこれを据えて、それに当てはまらない物で「軌道法下で路面を走る普通鉄道より低床の車両(ノンステップの低床LRTほど狭義でない)で運行される電車」を「路面電車=トラム」と分類・定義するのも一つの手で有ると言えます。(そうすると路面電車車両で運行される鉄道(筑豊電鉄・広電宮島線・福井鉄道)を如何定義するのかが難しい・・・)
 どちらにしても問題は、「軌道法が当てはまらなくなって来ている」パターンが多くなってきている点です。日本の軌道法は元々完全なトラム対応で造った筈が、阪神が大阪〜神戸間に官鉄平行線を引く為に拡大解釈して以来「路面走行が有っても無くても軌道法特許で認められた鉄道は軌道」と言う定義になり、トラムだけでなくMRTも軌道になってしまった歴史的経緯が有ります。その中で戦時中に管理上の問題から軌道法の概念に合わない鉄道を軌道法→地方鉄道法への切替をして矛盾の解消をしていますが、その時も統一して切替が行われず京成(1945)・京急(1943)・京王(1945)・江ノ電(1944)等関東各社は戦時中に地方鉄道に切り替えてますが、京阪(1978)・阪神(1979)など関西系は昭和50年代に切り替えてます。又その時に殆どが専用軌道で併用軌道が浜大津周辺の996mしかない京阪大津線(京津線・石山坂本線)が地方鉄道法に切り替わっていない等(少なくとも併用軌道主体の京阪三条〜御陵間3.9km廃止の97年段階で地方鉄道に切り替えるべきだった。そうすれば800系運行の「特認」は不要だった)軌道と地方鉄道の分類に一貫性が無い状況になっています。
 両線を知っている人に「江ノ電は鉄道事業法管轄下だから普通鉄道・京阪大津線は軌道法管轄下だからトラム」と行っても、「一体如何違うの?」と思うでしょう。これは鉄道事業法と軌道法で法の趣旨程実体が上手く分けられない点に有ります。この様な矛盾を解消しつつ、LRTを普及させる第一歩として「LRTとは何か」と言う定義付けをする必要が有ると思います。其れと同時に軌道法をLRTに適合するように改正する必要が有ると思います。(そうしないとLRT導入で「特認」の雨霰になりかねない)そうすればLRT法に適合とすれば1つの路線で「軌道法と鉄道事業法を分界する境界点」を設けずとも、「定義に当てはまる物はLRT→LRTはLRT法で一括管理」と言う流れが出来ると思います。
 そうすればこんなに混乱しなくても問題なく「LRTとは何か?」と言う事に誰もが迷わず応えられる様になります。法で定まれば違和感も矛盾も感じなくなるでしょう。「LRT推進!」と旗を振りトラムにLRTの補助金を出す前に誰もが納得するLRTの定義を法で定めるべきです。そうすれば「LRTとは一体何なのだろうか?」と言う様な疑問を感じなくて済む筈です。

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 江ノ電自体は、私も複数回訪問しており今までも写真を取っていた通り「何時かは関東鉄道めぐりで取り上げよう」と思っていました。私自身仕事で年数開は江ノ電を利用しますし、仕事(=接待)で行く釣りはホームグラウンドが腰越漁港の為、車でも年に数回は出かけます。
 なのであの併用軌道もごく普通に使用していました。しかし実際に岡山・高岡・富山などでLRT(もしくはLRV)に触れた上で、本を呼んで「江ノ電はLRT」と言われると違和感を感じます。確かに都営荒川線・東急世田谷線の様に全線完全専用軌道だが誰が見ても「トラム(路面電車)だ」と感じる路線も有ります。(実際軌道法管轄下ですし・・・)只江ノ電は「誰が見ても路面電車とは言わないだろう・・・」とその様に分類している本を読んで感じました。
 実際ある意味ボーダーライン上でしょう。江ノ電は都市計画に完全に組み込まれた鉄道でなくても、乗客減への対応策として鎌倉などの自治体と協力してパーク&ライド等も実施しています。そういう意味では「自治体と協力して先進的な取り組みをする鉄道」とは言えます。

 この様な事から今回江ノ電を例に挙げて、LRTの定義について考えてみましたが、大本は述べた様に「定義が定まっていない」点に揺らぎが有るといえます。だからこそ鉄道事業法管轄下の普通鉄道の江ノ電がLRTと言う分類にされるのでしょう。
 元はと言えば「軌道法で都市間軌道を作りそれが鉄道に昇格してしまった」と言う阪神が作った抜け道から、都市以外にも軌道が成立してしまった事に矛盾の元が有るといえます。今から思えば鉄道と移動をごっちゃ混ぜにして直通させたと言う点でLRTの先取りともいえますが、この矛盾が大きな所では解消されてはいる物の小さな所では今のLRTの定義を混乱させていると言えます。
 そういう意味では今回痛感しましたが、やはり早急なるLRTの定義づけが必要で有るといえます。それが有れば今回私が当たったような混乱にはならなかったでしょう。其の点でも江ノ電は色々な意味でLRTのあり方を再認識させてくれたと言えます。


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 ※ お ま け 写 真 集

 9月2日の土曜日、正しく夏の最後の休日と言える日に江ノ島に行ってきました。目的は腰越漁港からの釣りへの出港です。今回の釣りの目的は「ワカシ」釣りで、潮も良く気候も最高でしかもビールが美味い上に大漁で文句なしの釣行でした。
 今回は事情があり珍しく電車での釣行で、帰りは大漁のクーラーが重くしんどかったですが、いい気分と「大漁」ならば多少の事は苦になりません。確かに大きなクーラーBOXを持っての階段等大変な側面も有りますが、車を気にせず酒も飲めて移動中に眠気と戦う必要が無いという公共交通のメリットを改めて感じた次第です。
 そう言う訳で、今回は「おまけ写真集」として釣りの船の上で取った、「海からの江ノ島周辺の風景」を掲載してみたいと思います。余興ですがお楽しみください。

   

左・右:海側から見た江ノ島と江ノ電経営の江ノ島展望台 ●

   

左:2016年東京オリンピックヨット競技会場予定地「 小田急ヨットクラブ 」 ●  右:(夏最盛期より少ないが)レジャー客で賑わう腰越海岸 ●





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