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(2)「現在編」"This is revolution !?" 富山ライトレールは路面電車をLRTに昇華させたのか?



 「1」富山ライトレール(ポートラム)富山駅北〜岩瀬浜間訪問


 午前中に富山地鉄富山市内線を見学した後、引き続き4月29日に開業した富山ライトレール(ポートラム)を試乗する事にします。元々JR時代の富山港線は一度訪問(参照: 富山港線訪問記 )しているので、此処からLRTに変るとどの様になるのか?期待と興味を抱きながら富山ライトレールを訪問して見ることにします。
 富山市内線の電停の有る富山駅南口からは地下道を経由してポートラムの始発駅富山駅北の有る富山駅北口広場へ向います。前に通った時にはホームレスが居て暗く人通りが少ないイメージがしましたが、今回は所々にホームレスが居るのは変りませんが人通りが多くなった気がしました。この地下道歩くと南北間で数分掛かりますが、今回は地下道に人出が多い分北口が近く感じました。
 北口に出ると向って左側に新しく出来たポートラムの富山駅北の電停が見えます。周りを見ると04年の時と比べ富山ライトレールの存在以外変った所はそんなに無いのですか(高架化工事が始まっていたがそんなに目立たなかった)広場に人出が増えた感じがします。これは間違いなく「富山ライトレール効果」でしょう。
 富山ライトレールは駅前広場からメイン街路のブールバールに伸びています。ブールバールでは左側に寄せて軌道が設置されていて、ブールバール・富山駅北構内の軌道は芝生が生やされています。これを見ると何か日本でなく欧州の都市にでも居るような感じです。

     

左: [1]富山駅北電停と富山駅北土地区画整理事業地内再開発ビル(後ろのビルは北陸電力)  右: [2]富山駅北電停と芝生軌道

     

左: [3]"シンボルロード"ブールバールと富山ライトレールの芝生軌道  右: [4]ブールバールの芝生軌道を走るポートラム

 暫くすると芝生軌道を走りポートラムが向ってきます。富山駅北電停には既にポートラムの到着を待つ人々が集まっています。人数にして30名程度の人が待っています。その人々は大別すると普通の利用者・観光orライトレール試乗をする一般の人・カメラを持ったマニア度の高い試乗客・競輪客に4分され、その比率は3:1:0.5:0.5と言う感じでした。
 ポートラムが到着して降車客が降りるとそれらの人たちが続々と乗りこみます。定員80名・座席定員28名のポートラムに写真[5]の様に80%近い乗客が居ましたので、最終的には60名近い人が乗車していたと思われます。
 今この時間はポートラムは 運賃半額100円運賃 で運行されています。これだけの人が乗っているのであれば100円運賃でもペイするでしょう。多分富山市内線の半額の運賃でも乗客数でカバーし富山市内線並みの収入を確保している可能性が有ります。今の成果を見る限り利用客のかなりの割合が100円運賃に引かれて利用しているなら、期間終了後も「条件付」で何らかの形の割引継続をしても良いと思います。

     

左: [5]ポートラム車内(富山駅北→インテック前)    右: [6]ポートラム(競輪場前→岩瀬浜)

 富山駅北を発車後、新設のインテック前・奥田中学校前では乗降が有りませんでしたが、其処から先の駅では各駅とも乗降が有ります。只乗車より降車が多かったのでだんだん車内の客は減っていきます。終点の岩瀬浜以外で降車客が一番多かったのは以外にも地元利用客の多い駅でなく臨時客が多い 富山競輪 開催中の競輪場前でした。
 富山競輪ではアクセス手段として臨時バス富山駅行き送迎バス代わりに 専用ICカードを作りアクセス手段としてポートラムを推奨 しています。これは公共交通利用促進と言う点では良い事ですが、実際問題として競輪場利用客は柄がイマイチ悪いと言う点が有ります。その為駅が近くても地元との隔離の意味で送迎バスを運行している例もあります。その様な地元から浮いた客をライトレールに誘導するのも「一長一短」なのかな?とはポートラムに乗っていて思いました。(実際車内で柄が悪く異様な雰囲気の競輪客が居た)

     

左: [7]富山ライトレール岩瀬浜駅    右: [8]岩瀬浜駅 駅前広場状況

 富山競輪の客が降りて着席定員+αの乗車率になった段階で、富山ライトレールで一番風景の綺麗な岩瀬運河を越えると終点の岩瀬浜です。岩瀬浜は富山港線時代は木造の駅舎が有り、「海に近い場末の寂れた駅」と言う感じで近くに 岩瀬カナル会館回船問屋旧家街岩瀬浜海水浴場 等の観光地が有る雰囲気ではありませんでしたが、駅周辺の整備事業で旧駅舎が解体され、キス&ライドが出来る駅前広場とポートラム乗り場と隣接したバス停等が整備され明るい感じの駅前広場に見違える様になりました。
 夏の明るい日差しが駅前広場の明るさを強調しているのかもしれませんが、海水浴場を控えている駅ですから明るい方が良いに決まっています。富山市と富山ライトレールが岩瀬浜の観光地としての集客性を考えてこの様な形で整備したのであれば、その慧眼に感服します。

     

左: [9]岩瀬カナル会館    右: [10]岩瀬運河(富山港から岩瀬橋方向を見る)

 せっかく此処まで来て観光もせず折り返すのも何だったので、岩瀬運河を渡るポートラムの写真(表紙の写真)を取った後、岩瀬運河を富山港口まで散策し岩瀬カナル会館に寄って見ました。
 岩瀬運河は「只の整備された川辺」と言う感じでもう少し「観光客が楽しめる演出」が欲しいなと関しましたが、岩瀬カナル会館は御土産屋やレストランも有り表では磯焼きもしている等「海辺の観光地」と言う感じが出ていて良かったです。ポートラム岩瀬浜駅からも近く駐車場もそれなりに有り岩瀬運河に面した所には船の係留所もあり色々なアクセスに対応しているのは面白いと言えます。強いて言えば海産物で有名な富山の海べりの観光地ですから、「海産物直売所」みたいな施設が充実していれば御土産も買えて賑やかさも演出できて良いのではと思いました。(只岩瀬浜は漁港で無いので寺泊・氷見みたいな感じにするのは困難か?)


 「2」富山ライトレール(ポートラム)岩瀬浜〜奥田中学校〜富山駅北間訪問

 岩瀬浜散策をした後、岩瀬浜駅に戻りポートラムで富山駅北に向けて戻りながら、今度は車内が比較的空いていたので(それでも岩瀬浜段階で30名位は乗っていたが)行きに混んでいて良く見れなかった、富山ライトレールの優れたLRTの各種インフラと奥田中学校〜富山駅北間の新設軌道区間に注目してみることにしました。

     

左: [1] 東岩瀬駅旧駅舎と富山方面新ホーム    右: [2]富山ライトレールと平行の県道30号線

 ポートラムの特徴は富山港線が運休した後、普通鉄道施設をLRT用に作り変えた点にあります。インフラ面でのその象徴はホームの低床化作り変えに有ります。合わせての低床LRV導入によりトータルでホームから車内へのアクセスしやすくなり利便性が向上しました。
 その象徴みたいな構図が東岩瀬の駅に有りました。東岩瀬では旧駅舎が残ったまま、御蔵町踏切を挟んでポートラム用の低床ホームが作られています。写真[3]を見れば明らかですが、普通鉄道の富山港線時代のホームと今の富山ライトレールのホームの高さを見比べればどれ位乗りやすくなったかは一目瞭然です。
 東岩瀬の様に対比して見ると、今までこれだけの高さを登ってホームに上がっていたのか!と改めて感じさせられます。しっかりと階段・スロープなどが整備されていればホームの高さぐらいは苦にはなりませんが、それでも低床ホームの方が使いやすいのは明らかです。東急世田谷線や都営荒川線では「ホーム嵩上げによるバリアフリー化」を行いましたが、東岩瀬のような比較で見てみると出来るのなら富山ライトレールの様な「低床化によるバリアフリー化」の方が良いと言えます。

 富山ライトレールは富山港線使用区間は基本的に駅部以外の軌道に殆ど手を入れていません。[2]の写真の区間では県道が平行していますが、ポートラムは自動車に負けない速度で走ります。運転席の速度形を覗くと大体60km/h位は出ています。路面電車としては考えられない速度(軌道法の上限は40km/h)ですが、都市近郊の普通鉄道と考えれば驚くべき物では有りません。しかし軌道は悪く無い物の速度を上げると走りながら「ピョンピョン飛び跳ねる」感じになります。
 これは軌道に起因する原因と言うより車両の特性のような気がします。この車両はLRVですから高速走行には向いていないのかも知れません。(可能性としては低床化の為台車はコンパクトに設計されているので、バネの余裕が多少足りないのかもしれない)乗っていた人々(マニアではなかった)も気が付いてヒソヒソ話をしていたので、今後不満が出る前に対策を検討した方が良いかも知れません。

     

左: [3]城川原駅と富山ライトレール車庫   右: [4]ライトレール開業に伴い整備された駐輪場(城川原駅)

 富山ライトレールの丁度中間のところに拠点駅である城川原駅が有ります。此処は富山ライトレール本社だけでなく車両基地も有り、富山ライトレールの中核を形成している駅です。
 隣接の車庫の中には3編成のLRVが停まっていました。たぶん15分毎であれば3編成で十分なのでしょう。そうなると昼間は7編成中3編成は遊んでいる事になります。今は路線が短いのでこうなるのでしょうが、車両運用は効率化したいものです。そのためにはやはり富山市内線との連絡・運用共通化が重要になってくると言えます。規模が大きくなりスケールメリットが生かせるというのは重要な事です。そういう意味からも富山市内線との連絡を考えるべきかも知れません。
 城川原駅で交換待ちをしている間視線をそらしてみると、下りホームの脇に富山ライトレールの本社と写真[4]の様な新しく整備された駐輪場が見えます。駐輪場は規模の大小が有りますが旧富山港線区間の各駅では整備が行われていました。この周辺は神通川と北陸本線に挟まれている上にフラットな地形なので富山港線各駅から自転車でアクセスが出来ます。その点で自転車置場整備は的を得ていると言えます。
 本来ならP&R用の駐車場整備なども行いたいのでしょうが、「先ずは出来る所から」と言う事での意味でもこの駐輪場整備は重要であると言えます。地道にでもこの様な整備を行いながら地域の人たちが使いやすい富山ライトレールにして行く必要が有ると言えます。

     

左: [5]新設された交換駅 粟島(大阪屋ショップ前)   右: [6]奥田中学校前電停で交換風景

 城川原を出た後、ポートラムは住宅街と工場街の中を抜けて生きます。この先粟島と奥田中学校前で交換施設が新設されています。特に粟島はインテック本社前と並んで「 命名権売却 」を行った駅です。粟島の場合括弧書きでスーパーの名前が入っていますが、それでも「色々な所から増収を図る」と言う意味では先進的なことをしたと思います。この富山ライトレールの「命名権販売」と言う手法が有るならば、東京メトロの「副駅名の百貨店名をタダで付ける」と言うのはタダで宣伝をしているような物で勿体無いと言えます。

     

左: [7]撤去工事が進む旧富山港線    右: [8]新設併用軌道を富山駅北へ向けて進むポートラム

 奥田中学校前で一度ポートラムを降りて此処からは新設軌道に沿って歩いて富山駅北まで進む事にします。此処から北側の旧富山港線の線路は既に架線・軌道の撤去が終わっています。一部はJR高架化工事に転用と言えども「随分早い撤去工事だな?」と思わずには居られません。
 此処から先の道路(綾田北代線)も幅員が広くは有りません。歩道を取り片側1車線+単線軌道+片側1車線を取るのがやっとの幅員です。只右折レーンが取れる余裕が有るので右折車が軌道敷に入る可能性が低いので、その点は運行上大きなプラスです。
 この区間は流石に軌道区間だけあり信号が多数あります。特に南北方向の幹線道路の信号が3箇所有ります。特にブールバールに入る交差点の信号は道路右左折が絡むので、待たされる傾向が有ると言えます。どうも流石に合計6箇所有る信号に電車優先信号導入までは行えなかったようです。只富山ライトレールの定時制を阻害する最大のリスクはこの区間の信号ですので、是非電車優先信号導入を図って欲しい物です。

     

左: [9]右折レーン確保のためにS字カーブを描く富山ライトレール軌道    右: [10]併用軌道上に新設のインテック前電停

 インテック駅前東側では、写真[9]の様に交差点間で右折レーンを取る為に軌道を曲げる事もしてます。この様な柔軟な対応が幅員の狭い道路で車と路面電車の共存に役立つと言えます。新設の軌道だから出来たという側面も有るでしょうが、右折車の軌道侵入は何処でも悩まされる問題です。(この日富山市内線では何回か有った)その改善のために軌道関係だけでなく交差点改良とからませ対応する必要が有ると言えます。
 路面上に有る新設電停のインテック前は粟島と同じく「命名権売却」で付けられた駅名です。富山駅北口再開発地域から見るとチョット外れた場所にありますが、流石に新設で造られた電停だけ有り設備は万全です。スロープ・屋根・風除け壁など施設は整っていて使いやすい電停で有ると言えます。道路幅員が極端に広くなくてもこのレベルの電停が置けるのですから、他の場所・都市でも工夫してこのレベルの電停を積極的に整備して欲しい物です。(スペースが確保できたのはこの区間が単線な事が大きい。他の複線の場所に導入するとなると「電停区間の単線化」などの更なる工夫が必要になるだろう)

 今回1往復ですが、富山ライトレールを試乗して見て驚いた事は、インフラが鉄道関係だけでなく駅前広場・駐輪場等を含めて総合的に整備されていて、冴えなかったローカル線がLRT化で大化けし非常に便利な交通機関になったと言う点です。
 正しく驚くべき事で有ると言えますが、富山ライトレールが優れている所はそれだけでないと言えます。確かに今まで見てきたようにハード面でも富山ライトレールは「日本初の本格的LRT」と高らかに宣言できる素晴らしい物ですが、私はそれ以上にソフト面での配慮された対応が富山ライトレールを「真のLRT」にしていると言えます。
 今回表題に"This is revolution !?"と言う言葉を用いましたが、正しく富山ライトレールはハード・ソフト共に"revolution"と評しても良いほどのレベルまで達しつつ有ると言えます。以下で他の路面電車の都市でも応用できる"revolution"のソフト面を見てみたいと思います。


 「3」富山ライトレールは一体何が"revolution"なのだろうか?

 富山ライトレールの"revolution"のもう一つの本質はそのソフト面に有るとも言えます。

 その「ソフト面」の本質の最大の物は地方自治体の積極さに有ります。特に「森 富山市長の積極性」は特筆できると思います。
 富山ライトレールの場合旗振り役の富山市が市長が陣頭に立ち、市の都市計画コンセプトであるコンパクトシティ実現の為の重要なツールとして、富山ライトレール・富山地鉄富山市内線・富山市内線環状化計画のLRT3点セットを整備する事で公共交通を充実させ、広域散村型の道路交通から軸に密集させた公共交通に交通の主体を転換させてコンパクトシティ実現の一つの方策にしようとして居ます。
 その為も有り富山ライトレールの社長を兼任する森 富山市長は、LRTは「コンパクトシティ実現の鍵の一つ」と考えている様で 市長の記者会見 等でも富山ライトレール・市内線環状化構想などについて積極的に発言されていて広報に勤めています。
 この市長のLRTに関する積極的アピールは非常に効果が大きいと言えます。地域の自治体のトップがやる気を出して旗を振って市民にアピールしたからこそ、富山は日本のLRTの先頭に躍り出る事が出来たのです。市民団体がいくら動こうと組織力と予算を持つ地域自治体が動かないとプロジェクトは進みません。
 (他にも要因は有りますが)この森 富山市長のやる気が有ったからこそ、富山は一気に富山港線LRT化を実現させ、ネクストプロジェクトの市内線環状化構想を打ち出せたのです。これが市民団体が先頭に立って居たらここまでは行かなかったでしょう。それは先行していた筈の岡山・高岡の状況や撃沈した岐阜を見れば明らかです。その様に考えれば富山ライトレール実現の最大の立役者は森 富山市長と言う事になります。
 (実際富山港線と富山市内線を直結させる構想を市長に示したのは「萩浦地区自治振興会長も務める亀谷義光氏」であり、亀谷氏が森市長の前で講演した中で「富山港線を路面電車と接続して公共交通を南北一体化すべきだ」と訴えたのを、市長が県知事を動かして実現へ向けて動きだしたと言うのが真相のようです。しかし講演で聞いてから数日で県知事まで同意を取り付けた森市長の行動力は素晴しいの一言で有ると思います。[参照:読売新聞富山版「 個を磨く−新しい北陸像を求めて<1>次世代型路面電車LRT 」1/1])

 有る意味その姿勢の象徴とも言える施設を富山駅北口で発見しました。富山駅北口のオーバードホールの一階ロビーの中に有る「公共交通街づくりインフォメーションセンター」です。この施設は旧富山港線の歴史から始まり富山ライトレールを主体とした公共交通と街づくりに関しての簡単な説明・資料・模型等が啓蒙用に展示して有ります。
 内容的には「ふ〜んそんな物か」と言うレベルとも言えます。マニア的な知識が有る人であれば知っている事が展示されているだけとも言えます。しかし幾らか昔から市内線が有ったので「路面電車は知っている」と言う人は多くても、LRTに関して知っている人は多くないでしょう。そういう人たちの啓蒙用にこの様な施設を作った事自体が「LRTの必要性を世間にアピールする」と言う姿勢・意味と言う点から重要で有ると言えます。

     

左: [1]公共交通街づくりインフォメーションセンター案内看板    右: [2]"オーバードホール"内の公共交通街づくりインフォメーションセンター内部

 その様な啓蒙活動に加えて、今富山では一つの実験が行われようとしています。富山ライトレールが採用したICカードPascaを用いた「限定的信用乗車」の実施です。
 信用乗車に関しては、森 富山市長が富山市のHPでも自ら書かれている"ほっとエッセイ"で7月に「 信用乗車とは 」と言うエッセイを掲載して、信用乗車の意味・必要性をアピールをしています。又市長の記者会見で「 ポートラム降車口の分散化について 」と言う後部ドアへのICカードリーダー設置による一部信用乗車実施について発表がされています。
 私も事例に詳しくないので、これが日本初の「信用乗車」だと断言する事は出来ません。車掌が付いていたり集金人が付いていての後部ドアからの降車と言う事例は有るでしょうが、ICカード限定と言えども人や自動改札などで確認のされない改札の実施は私の知る限り無いと言えます。その点殻見れば「私の知る限り日本初」の(ICカードと言う限定的の)信用乗車実施の事例と言う事になります。
 富山ライトレールは「乗降客が多ければ今の日本的ワンマン収受は行き詰る」と言う困難に、車掌と言う人員投入で対応する日本的やり方でなく、「信用乗車」と言う欧米的やり方で対応する事になります。これは大きな実験です。欧米のやり方が日本でも通じるのか?これが成功すれば日本的ワンマン収受システムに風穴を開けて、新しいシステムが成立するかもしれません。そういう意味でも今回の富山ライトレールの動きは画期的な施策であると思います

     

左: [3]ポートラムのICカード Pasca    右: [4]信用乗車に備えて増設されたカードリーダー

 加えて富山港線LRT化で整備された岩瀬浜・蓮町の駅前広場等のインフラを活用し、「LRTを軸・バスなどでフィーダー」と言うコンセプトで、富山市が旗を振り(平成18年度は)実験運行と言う形で 富山港線フィーダーバス が運行されています。
 ルートは蓮町から神通川を越えて四方神明町へのルートと、岩瀬浜から海岸線沿いを通って浜黒崎海水浴場への2ルートですが、富山ライトレールが神通川と北陸本線に挟まれた地勢の中で、公共交通のエアポケットになっている海岸沿いと神通川の西側に公共交通のメリットを広げると言う意味で上手くツボを押さえたルート取りだといえます。
 但し「試験運行」と言う事もあり、どちらのルートも富山ライトレールに2本に1本接続の30分毎運転で使用しているバスもツーステップの普通のバスであり、運行本数・バリアフリーの側面で改善の余地も有ります。その様な事も有り富山ライトレール訪問時に岩瀬浜でフィーダーバスを見たときには数人の乗客しか乗っていませんでした。
 しかし改善の必要が有れども、富山ライトレールを培養しその効果を広める為には必要なバス路線で有ると言えます。今は予算の絡み等が有ってこの様な形になったのでしょうが将来的には問題点を改善して富山ライトレール並みに使いやすいフィーダーバスになって欲しい物です。

     

左: [5]岩瀬浜駅での富山ライトレールとフィーダーバスの対面接続    右: [6]富山港線フィーダーバス


 富山ライトレールが何故"revolution"なのかと言えば、正しく訪問で見た「LRTとしての設備の優秀さ」と「ソフト面での努力」の二つが上手く絡み合っている成果に加え、「行政主体のプロジェクト」のメリットを生かし富山ライトレール各駅での「自転車駐車場設置事業」や蓮町・岩瀬浜の「駅前広場整備事業」等の交通環境整備事業や、「岩瀬まちづくり事業・岩瀬まちづくり啓発事業」や「高齢者向優良賃貸住宅促進事業」等の街づくり事業が行われ、都市計画とLRT事業が一体となった街づくりが行われたと言う点に有ると考えます。
 この様な優れた都市内交通のLRTと色々な地域の都市計画が一体となって整備される事になったのは何故でしょうか?これはやはり関係自治体の富山市が積極的に前面に立って事業を進めてきた効果で有ると思います。
 前述の様に「森 富山市長」が積極的なアピールをするなどの行動を筆頭に、富山市がLRT化計画のプラン造り・市民への啓蒙の為の「インフォメーションセンター」の設置・LRT計画の具体化・関連事業の実施・将来に向けた市内線環状化計画等々、富山市の都市としてのコンセプトとして掲げた"コンパクトシティ"に向けてまっしぐらに事業を進めていて、その一過程の完成形がコンパクトシティの足に相応しい公共交通としての富山ライトレールと言う事になります。

 つまりこの富山ライトレールの"revolution"は、自治体の優れたコンセプトとリーダーシップにより、都市計画の一環として都市計画と融合した公共交通機関として、人々に優しく利用しやすい公共交通機関のLRTが富山ライトレールとして作られたと言う点であると思います。
 この様に考えれば富山ライトレールは正しく"revolution"であると言えます。経過から見ると其れは自治体である富山市が起こした"revolution"と言う事が出来ます。LRTの世界でも一時期市民団体の活動が注目を浴びた時期も有りますが、実際問題として市民団体の活動も必要ですがそれ以上に自治体のリーダーシップが必要で有る事を今回の"revolution"は示したと言えます。
 富山の場合、官がプランを作り旗を振り実現して行く、市民は其れを補佐する形で参加すると言う官主体の"revolution"が行われたと言えます。実際市が主体となり事業は行われていますが、市・事業者・市民が其れをサポートする「 富山港線路面電車化支援実行委員会 」が造られ、募金を集める等の色々な形で市主体の事業に地域や市民団体が参加するスキームが造られています。つまり富山ライトレールは官が主体となり市民と協力して作られた"revolution"であると言う事だと思います。
 LRT導入であり何であり、世の中を動かす為の"revolution"には何が必要か?を示していると言えます。やはり市民団体では"revolution"の推進力として不足している事は今の色々な場所での状況を見れば明らかです。そこで如何に官を巻き込むか、つまり如何にして半官半民の"revolution"もしくは官製"revolution"に持ち込むかがLRTの完成と言う"revolution"にとって重要であるかを富山ライトレールの"revolution"は示していると言えます。

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