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通学需要主体の「典型的地方ローカル線」の姿とは?

— J R 久 留 里 線 —



TAKA  2007年10月11日



人気の無い駅でひっそりと発車を待つ木更津行き列車@上総亀山

 突然の話で恐縮ですが、私は「 TAKAの交通論の部屋 」の様な交通に関するHPを書きながら、実を言うと私自身は鉄道が好きで有るつまりは「鉄ヲタ」で有るとは自分では思って居ません。確かに世間一般の基準から見れば十羽一絡げで「鉄道を趣味にしている」と言う要は「鉄ヲタ」であると思われているのでしょうが、私自身はHP等で書いていたり旅行したりしているのは「 趣味では無い道楽だ 」と思って居ます。(実際趣味と道楽如何違うのかも説明は難しいが・・・)
 それはやはり私の中学・高校・大学と言う学生時代(今から15年〜20年前)に鉄道を趣味にする事は「ネクラだ」と言うイメージで見られていたので、学生時代に「鉄道趣味」で何かをしたかと言えば、鉄道雑誌は色々買ってずっと読んでいた物の、小学生時代に「鉄道好きの同級生とブルートレインを見に行った」「鉄道模型を少し揃えた」とか中学生時代に「小学生の弟と国鉄謝恩フリー切符で旅行した」位しか表立っての活動はしておらず、私が「鉄道は好きだ」と知っている人は多くても、実際は「隠れ鉄道マニア」状態でした。それだけ「鉄道マニア」のイメージに抵抗感が有ったのです。その影響を受けている事も有り、今でも「鉄道」に関しての行動は公的には隠そうとする心理が有るのも事実です。

 しかし近年その「鉄道趣味」への偏見的見方が急速に変わりつつ有るのかもしれません。実際「鉄ヲタ」と言う否定的表現がある一方、「女性の鉄道趣味者」が増えてきたり鉄道趣味を扱いつつ一般人に読まれる本が出るなど、その様な点から考えると徐々にでも「鉄道趣味」と言うものが世間の人々に肯定的に受け止められる様になってきたのかもしれません。
 その象徴が「 鉄子の旅 」と言う漫画なのかもしれません。鉄道マニアを題材にした漫画でそれなりに売れていると言う話は聞いて居ましたが、TV東京の夜のニュース ワールドビジネスサテライト で「 鉄道ファンに異変? 」「 鉄・鉄子 急増のワケ 」と2回取り上げられたのを見た上で、偶々暇つぶしの為にコンビニで「My First Big「鉄子の旅」」を買って読んで「鉄子の旅」と言う漫画を読み、「なるほど時代が変わりつつあるな」と感じさせられました。
 そう言う訳で今回は私の「関東鉄道めぐり」も「鉄子の旅」の影響を受けて久留里線を取り上げる事にして見ました。久留里線は「 鉄子の旅第一話 」で取り上げられた路線で、私が買った「My First Big「鉄子の旅」」でも乗って居ました。
 確かに久留里線は、房総の衰退しつつある都市である木更津と房総の城下町で観光資源もある街久留里を結ぶ路線で有り、鉄道的に見ても水郡線・烏山線・八高(北)線と並んで「JR関東圏の数少なく残された非電化ローカル線」であり、しかもタブレット閉塞が残っていたりキハ37形・キハ38形と言う希少車が運転されているなど、確かに鉄道趣味的にも「心を揺さぶられる事」は間違い無いと言えます。
 そう言う訳で今回8月30日の木曜日、偶々午後の予定がキャンセルになり平日で有るにも拘らず「11時日本橋で打ち合わせ」以降ポッカリ予定が空いてしまいました。本来なら「会社に戻って内業」と言う所ですがこの日は雨が想定された為「会社の全現場休業」でありしかも「自営業者の特権」で予定が無ければ突然休む事も出来て、しかも(始めて買った)青春18キップが 長野旅行ハイブリッド試乗 で使用しても未だ余っており、「空いた日の時間の有効利用&青春18切符の有効利用」を兼ねて久留里線を訪問して、「鉄子の旅」で取り上げられるほどの久留里線に関して、「TAKAの鉄道論」的にチョット違う視点から見たいと思います。


 ☆取りあえず久留里を目指してみよう (木更津14:31→久留里15:14)

 今回久留里線を訪問したのは8月30日の木曜日、大体長距離遠征は土曜日に集めるようにしている私にしては珍しい木曜日の地方訪問になりました。日本橋で仕事の打ち合わせ後「たいめいけん」で食事をして、内房線直通の列車を狙い新日本橋12:57発の君津行きグリーン車に乗り木更津に着いたのが14:15、東京都心から約1時間20分です。確かに内房線には東京〜木更津間を約55分で結ぶ特急さざなみ号が有る為上手くすみ分けていると言う事も有るのでしょうが、アクアラインに東京〜木更津を1時間で結ぶ高速バス(1,300円)が有る事を考えると快速の速度はチョット見劣りする感じがします。
 取りあえず18キップの特権を生かし、木更津での乗換の約15分を生かして駅の外の市街地を見る事にします。基本的には木更津の市街地は木更津駅〜木更津港の間の駅東側に広がって居ますが、 アクアラインの開通等による影響 や郊外店舗の出店などで中心市街地は衰退しており、2001年には「 地価下落日本一 」になるほど、東京から1時間の街であり工業地帯であるにも拘らず街自体は大幅に衰退している事は全国的に知られて居ます。実際駅前から市街地を覗いて見ても人は少ない感じですし、商店街も賑わいに欠ける感じです。又駅前の「木更津そごう」の跡のビルには食品系スーパーと100円ショップがテナントと言う状況で有り、木更津駅周辺の中心市街地としての活力は完全に失われている事は間違いないと言えます。


  
左:久留里線の起点で内房の中心都市木更津の市街地  右:元は「そごう」だったのが今は「スーパー」に変身@木更津


  
左:木更津駅での乗降風景  右:久留里行き列車車内@木更津〜祇園間

 駅前を見た後、再び駅構内に入り久留里線のホームに向かいます。久留里線のホームは内房線の下りホームと向かいあわせで使用しており事実上1面1線の棒線です。只駅の南東側には久留里線専用の車両基地である「幕張車両センター木更津派出」が有り、久留里線の車両は其処で全部管理されています。久留里線の場合「JR東日本の千葉県内路線で唯一残る非電化路線」の為、わざわざ木更津に車庫を抱えて車両を管理しています。
 ホームに降りると、暫くすると丁度木更津着の列車が到着します。この列車の折返しが私が久留里まで乗り列車になります。到着列車からは20〜30名程度の乗客が降りてきます。利用者のメインは学生ですがこの日が未だ夏休み期間中で有る事を考えると部活関係の学生の利用でしょう。又久留里行き列車に入れ替わり乗る乗客も学生がメインです。木更津市自体複数の公立高校や 拓大紅陵志学館暁星国際 等の高校が有りますが、拓大紅陵・志学館は久留里線沿線を含む広範囲にスクールバスを走らせているし暁星国際は有る意味特殊な学校なので、久留里線利用の高校生の大部分は公立学校の高校生であると言えます。
 折返しの久留里行きの2両編成の列車も30名程度の利用客が乗り出発します。時間も中途半端で有る事を考えてもそれなりに乗っていると言えますが半分以上は部活帰りの高校生と言う事から見ると、実際通学時間帯を除く普通の平日の日中は寂しい程度の利用客しか居ないのでは無いかと予測出来ます。実際木更津自体は求心力のある街とは言えませんし沿線に産業立地が有るわけでは有りません。その点からも久留里線は通学需要主体の路線で有る事は容易に予想出来ます。
 木更津を出るといったん北に向かいますが直ぐに内房線と離れて、其処からは一路東に向かい進んで行きます。沿線は田畑と住宅地の混在した風景が広がり数キロ程度に無人駅が1駅有ると言う長閑な状況になり、正しく「典型的ローカル線」と言う線路を40km/h〜50km/h程度の速度で列車は進んで行きます。基本的には途中駅でチラホラ乗客が乗って来ますが、それ以外は木更津で乗った客が各駅で三々五々降車していくと言う乗客の流れです。


  
左:祇園駅での乗降風景  右:横田駅での上下列車交換風景


  
左:民家の庭先のような駅風景@俵田  右:久留里駅での乗降風景

 途中の横田は木更津〜久留里間で唯一の交換駅で、此処で上下列車が交換します。横田で交換した上り列車も「下り列車よりかは少しは乗っている」と言う乗車率程度です。久留里線は木更津・横田・久留里・上総亀山以外は無人駅ですが、拠点駅の木更津以外は何処も「一昔のローカル線の駅」と言う感じの駅でマニア的には「ノスタルジーを感じる」駅であると言えます。しかしその様なローカル駅にはホームには屋根が無いですし簡素な待合室があるだけで切符の券売機も有りませんし、(有る意味当然?かもしれないが)Suicaにも対応して居ません。千葉の場合内房線君津以南・外房線大原以南や成田・成東以遠が未対応と言う点から考えれば久留里線がSuica未対応なのは有る意味仕方ないと言えますが、八高北線でもSuicaが使える事から考えれば幾らローカル線でもそれなりの利用客が有るのですからサービス向上のために努力をすべきであると言えます。その様な改善の必要性はSuicaだけで無く駅設備・車両等のそれ以外のサービス面でも言える事だと思います。
 木更津から約40分でこの列車の終点久留里です。木更津〜久留里間は22.6kmですが所要時間は43分も掛かって居ます。木更津起点で見れば決して早く無い内房線千葉〜木更津間も35.1kmを39分程度で結んで居ます。又木更津からバスで40分と言うと羽田空港(羽田空港〜木更津は35〜40分)まで行ってしまいます。その点から考えると交通機関として久留里線を見れば明らかに「速度が遅すぎる」と言う事が出来ます。「通学主体のローカル線だから速度向上のメリットは無い」とも言えますが、それでもこの遅すぎる速度はチョット酷すぎると言えます。
 結局の所多少途中で乗車して来た客を合わせて、約15名強の乗客が久留里まで乗っていました。又その乗客の大部分は高校生でした。これが久留里線の実体なのでしょう。折返しの列車を待つ利用車の大部分も高校生です。この高校生は久留里駅に近い所に有る 君津青葉高校 の生徒かもしれません。こう見るとやはり「久留里線は公立高校への通学が主需要の路線」であると言えるのかもしれません。これは東京近郊の住宅地化しつつある木更津方の沿線や街としては小規模すぎる沿線の拠点の街 久留里 の状況等を見れば仕方ないのかもしれません。この点は久留里線を象徴する状況で有ると言う事が出来ます。


 ☆上総有数の城下町にして歴史のある街久留里を散策する

 さて久留里では次の上総亀山行き列車に乗り換えるのに1時間強時間が余るので、久留里の街中を散策して見る事にします。
 久留里は元々戦国時代から 久留里城 が置かれ、真里谷武田氏・里美氏が此処に拠点を置き大多喜と並ぶ上総南部での重要拠点として武田氏・里美氏・北条氏などで激しい勢力争いの中で街を形成して行きます。その後徳川家康の関東入り後は大須賀氏・土屋氏・黒田氏が久留里城に入り、久留里は大多喜・鶴舞と並び上総支配の重要拠点及び房総を貫く久留里街道の沿道の街として栄えて行きます。又土屋氏が城主の時には 新井白石 が仕えていた事が有るなど、非常に長い街の歴史を感じさせる話も有ります。

  
左:簡素な久留里駅駅舎  右:久留里街道(国道410号線)沿いの市街地

 又久留里の街は「 上総掘り 」と言う独特の井戸掘り技術で掘られた井戸が多数有り名水の街として有名です。「名水の街」となれば有名な物は「蕎麦」と「酒」です。今回も本当は昼過ぎには久留里に入り「 安万支 」で蕎麦を食べようと思って居ましたが、営業時間内に辿り着けず果たす事が出来ませんでした。又名水の街久留里だけ有り久留里には藤平酒造・須藤酒造・吉崎酒造と言う3つの酒蔵が有ります。蕎麦に日本酒となると名物の構成が秩父に似ていると言えますが、久留里の場合残念ながら秩父ほど有名では有りません。
 しかし観光的には知名度の低いとも言える久留里の名産品ですが、その大元になっている「名水」に関しては街中に有る井戸で飲む事が出来ます。実際私も街道沿いの「高澤家の井戸」で飲みましたが、ヒンヤリとしていて「ミネラルウォーターより全然美味しい水」でした。又その様な美味しい水ですから、この井戸水を汲みに来ていた人も居ました。久留里自体は歴史もある街ですから、この様な水・蕎麦・日本酒を上手く生かして観光に力を注げば面白い事になるのでは無いでしょうか?これらの組み合わせが房総にはそんなに無いですから観光的には売りになる気がします。

  
左:久留里市街地に有る造り酒屋  右:名水の里の象徴 自噴井戸


  
左:久留里の象徴 久留里城天守閣  右:久留里城から見た久留里市街

 今回私はこの1時間の「乗換タイム」で久留里城を目指す事にしました。房総の山間の城なので「山城だから山の上なんだろうな」とは思って居ましたが、駅前にタクシーが見当たらなかったので「何とかなるだろう」と気軽な気持ちで久留里城天守閣を目指す事にしました。
 久留里城天守閣は久留里街道を1kmほど歩いた後脇道に入って行きます。脇道には言った後はトンネルを越えてその先は山のてっぺんを目指して只ひたすら坂を上って行きます。脇道に入ってから700〜800m進んで「もう登れない・・・」と思った時に建物が見えてきます。これが「 久留里城址資料館 」です。そこから暫く歩くと森の中に天守閣が見えます。これが久留里城の天守閣です。天守閣自体は黒田氏の時代に建てられて居ましたが、現在の天守閣は昭和54年に完成した復元天守閣で昔の物より大きな天守閣となって居ます。
 今回は此処で既に「上総亀山行き列車発車まであと30分」と言う状況になってしまい、しかも携帯電話は圏外でタクシーも呼ぶ事が出来ない状況なので、正しく「長く見る余裕の無い状況」になってしまったので、資料館・天守閣内部の見学は諦めてそのまま久留里駅に急いで戻る事にしました。
 しかし公共交通で久留里城に観光で行くとなるとこれは大変であると改めて感じさせられました。久留里でも「 地域資源を生かした街づくり 」を行って居るそうですが、久留里の最大の資源は「歴史の根付いた観光資源」と言う事になるでしょう。しかし東京からのアクセスは別にして久留里に来てからの「地域内の足」的な観光に使える公共交通が有りません。久留里の街自体は小さいので「不要だ」とも言えますが、周辺に久留里城や亀山湖等の観光資源もあるのですから、それらに対しても公共交通が気を配る事が久留里の観光の発展に必要であると言えるのではないでしょうか?


 ☆折角だから全線乗ってから帰ろうか?(久留里16:22→16:40上総亀山16:56→18:06木更津)

 久留里駅に戻ってくると丁度上総亀山行きの列車が到着した所でした。正しく「滑り込みセーフ」です。折角間に合ったのでこの列車で終点の上総亀山まで行き、久留里線全線に乗った上で起点の木更津に折り返す事にしました。
 久留里から乗った上総亀山行きは2両編成でしたが、到着の久留里で学生を中心とした多数の降車客が降りて乗ったのは私一人で結局の所2両編成に5〜6人の乗客で上総亀山に向かいます。途中駅で人が降りて最終的に上総亀山まで来たのは4人で、その内私ともう一人は「列車に乗って上総亀山に来る事が目的」と言う人達だったので、実際の所上総亀山まで普通に利用した人はわずか2名と言う寂しい状況でした。
 上総亀山の駅は行き止まりの終着駅で駅周辺には数件の店と疎らに人家が有りますが、鉄道の終着駅としては人口の定着が少ない感じです。これでは「利用車が数人」でも仕方有りません。しかし駅舎は改修はして居ない物のトイレは新築されているなど駅自体は「終着の有人駅」と言う事も有るのか最低限の整備はされて居ます。

  
左:人家の疎らな上総亀山駅で出発を待つ木更津行き列車  右:余りに少ない鉄道利用客を空しく待つ地元のタクシー@上総亀山


  
左: 鴨川日東バス 運行のローカルバス 亀山・黄和田・西条循環線   右:木更津行き列車車内@久留里

 又此処は久留里線の終点では有りますが、周辺に亀山湖等の観光地もあるので「此処から先の地方交通」と言う事も有り駅に小さなタクシー会社が併設されていて駅ではタクシーが待って居ます。又此処から久留里街道を南下すれば鴨川に出れる事も有り、「房総横断鉄道」の名残と言うと大げさかもしれませんが、鴨川日東バスにより亀山〜鴨川間のバスも運行されていてこの時にはその区間運転のバスが駅で客を待っていました。しかしこのバスは乗客ゼロで出発して行きます。山間の地方ローカルバス路線と言う事も有り利用率は極めて低いようです。その様な事も有り 10月1日からはバス路線が再編 され房総横断ルートは分断され 亀山周辺では君津市のコミュニティバス に運行形態が改められました。亀山自体駅前に少々の店がある程度で集客力の有る拠点では有りませんし、久留里線〜鴨川日東バスが房総横断ルートとして有効とも思えません。その様な事が影響しているのでしょう。
 17時近くに成り日暮れも近く成ってきたので、私は駅の周辺を見た後折返しの列車に乗り木更津へ戻る事にしました。しかし駅周辺に何も無い上総亀山から列車に乗る人は殆ど皆無です。実際乗ったのは私ともう一人の「久留里線に乗る事を目的に来た人」の2人しか乗客は居ません。車内に日常目的の乗客が乗ってきたのは高校生が乗ってきた久留里からで、その様な状況は久留里で交換した上総亀山行きも同じ状況です。
 このような状況から見れば、久留里〜上総亀山間は殆ど利用されていないと言う事が出来ます。実際久留里〜上総亀山間では山並みが深くなり沿線にも家が減ってきます。その様な人口密度ですから久留里線を支えている高校生の利用も期待は出来ませんからこの様な状況なのでしょう。ただこの状況では如何なる公共交通機関もその能力を発揮する事は困難であると言えます。その点は考えなければ成らないと言えます。

  
左:通学対応で増結の下り列車@久留里  右:横田駅に侵入する通学輸送力対応の4両編成下り列車


  
「旧式で前近代的機械?それともノスタルジーを感じる機械?」 左:タブレット交換風景  右:タブレット用の機械 (どちらも横田にて)

 久留里からは帰宅の高校生が乗って来て6〜10名/両程度の乗客が乗るようになり、鉄道として最低限の利用客が居るように成りました。しかし夕方の列車と言う事も有り久留里や途中駅から普通の利用客も三々五々乗ってきました。高校生が少ないのは夏休みと言う事も有るのでしょう。これが木更津から久留里へ向かう下り列車だともっと高校生が利用するのでしょう。実際通勤利用には早い久留里で交換した列車も3両編成でしたし途中の横田で交換した下り列車は4両編成でした。これらの列車は空席が目立って居ましたが夏休みが終われば高校生で溢れるのでしょう。そう言う意味ではやはり久留里線は「通学路線」と言えます。
 横田では交換の為上り列車が下り列車をも待つ事に成ります。その間に日本でももう殆ど残って居ない「 タブレット閉塞 」方式の姿を見る事にします。昔は何処の駅にも有ったタブレットを引き出す閉塞機が駅舎の中に有り、列車交換に伴い駅員がタブレットを交換していました。今や「鉄道記念物」レベルの骨董品であると言えますが久留里線では未だに現役です。このタブレット閉塞が「危険だ」と言う事は有りませんが現在ではもっと安全で簡単で合理的なシステムが存在しているのもこれ又事実です。只タブレット閉塞→電子的閉塞に切り替えても合理化できるのは限定的です。(横田の駅員ぐらい?)しかしタブレット閉塞機等の部品交換等のメンテナンスも今後どんどん困る事は明らかであると言えます。しかし久留里線は公共交通として安定的に運営されなければ成りません。その様な側面からも前近代的な設備は更新される事が必要で有ると言えます。

  
左:木更津行き列車車内@祇園  右:折返し列車は輸送力列車で2両増結で4両運転@木更津

 私の乗った列車は最終的に木更津に着いた段階では15名/両位の利用客に成り、高校生の数も減り普通の乗客・通勤客と思しき人達が半分を越える状況になっていました。上りで見ると久留里は君津市ですが馬来田以東が木更津市で東横田・横田は袖ヶ浦市に成ります。木更津には私立高校等も有り学生の足が長いと予想出来ますが久留里には県立高校しか無い為に学生の足が伸びないその穴を木更津への一般利用客が生めていると感じました。
 木更津に着くとホームでは10名〜20名位の上り列車の利用客が待って居ます。その比率は一般客+通勤客と部活帰りの利用客が4:6程度でした。東京・千葉からの通勤利用客から見ると18時10分頃と言う時間帯は少し早すぎるので夏休みを過ぎればこの状況から高校生が上積みされて利用率が伸びるのでは?と思います。その様な需要が有るからでしょう。この列車も木更津で2両増結されて4両編成で運転されます。この様に見ると久留里線はやはり「高校生の通学需要」主体のローカル線であり、只普通の地方ローカル線より比べると東京圏ぎりぎりの場所に有るローカル線で有る分利用客は多いなと改めて感じさせられました。


 ☆今の久留里線の実体が示すものは?

 今回駆け足ですが房総のローカル線と言える久留里線を訪問してきましたが、たしかに久留里線は地方ローカル線ですが、未だ「TAKAの交通論の部屋」で訪問した関東の非電化ローカル鉄道である鹿島鉄道・わたらせ渓谷鉄道・茨城交通等の民鉄ローカル線に比べると、未だ「鉄道としての能力を発揮している」鉄道と言えます。今回は通学需要の少ない夏休み中の平日の訪問でしたが、未だ「4両編成の列車で輸送を行う状況」と言う物が存在していると言うのは、一応「鉄道としての本領を発揮している」と言えるでしょう。
 しかしその様な「鉄道としてのそれなりの能力を発揮している」と言える久留里線も、片方ではご他聞に漏れず「競合輸送機関」との競争に晒され、需要の減少・不安定化に悩まされているのも又事実であると言えます。此処で結論に変えて今久留里線を取り巻く厳しい状況について考えて見たいと思います。

 ・久留里線の輸送の太宗を占める高校生なのだが・・・

 今回の訪問記で見た通り、久留里線を支えている需要の太宗は通学需要に有る事は間違い有りません。それ自体地方ローカル線では「何処でも見かける状況」であり、「ローカル線の実体は車の利用出来無い人の交通手段」と言うのが大部分の地方ローカル線の今の現実の役割で有る事を考えると久留里線も又その例外で無く、東京から近い中規模都市木更津を起終点としている為に沿線人口が比較的多い分、車を利用出来ない交通弱者・通学者と言うローカル線の利用客の絶対数が多い故に、未だ久留里線は存廃の瀬戸際を彷徨っているローカル線に比べて利用されていて傍目から見ると「安定しているローカル線」と映ります。
 しかし今や日本全国何処ででも少子化が進んでいて、特に少子化だけで無く人口減少も激しい地方では子供だけで無く高校生も減って居ます。今や子供・高校生の人口が増えているor横這いなのは東京等の大都市近郊だけであると言え、その様な学生人口の減少は千葉県でも東京の通勤圏の最遠部である木更津のその又先に有る久留里線沿線も例外では有りません。まして学生と言えども比較的人口の有る地域では小・中学生は地元の学校に徒歩or自転車で通う事が多い為、ローカル線等の公共交通を利用する通学需要は高校生だけに限られてしまいます。しかしその高校生が減少しているのが全国的な傾向です。この傾向は久留里線沿線も変わりが有りません。
 その需要の根幹の高校生が減少して来ていると言う現実は、久留里線の将来に暗い影を落とすと言えます。今や久留里線は「高校生通学」の為の専用路線と言っても過言では無い状況で有ると言えます。その様な状況の中で需要の太宗を占める高校生の総数が先細りとなると、久留里線の利用客全体が先細りと言う事になります。これは「今すぐ存廃の危機になる」と言う事では無い状況にしても、将来に対して久留里線の存続を保証する事が出来ないと言う事になります。

  
左:「確かに列車は来ないが・・・」線路を歩く高校生利用客  右:「確かに空席は多いのだが・・・」ロングシートに寝転ぶ久留里線利用高校生

 しかも日本全国何処でも「高校生」はこの様な物なのかもしれませんが、久留里線でもご他聞に漏れず高校生の利用態度が社会全体の常識的モラルから考えて「正しくない」と言える状況が今回の久留里線の利用でも散見されました。
 まあ現実問題として「利用者の大部分が高校生」と言う現実が有れども、一般利用者から見ればこの様な高校生の態度が見て許容出来る物でも無いと言えますし、特に車内でのモラル的に好ましく無い態度は一般の人達が利用していて良い気持ちのする物では有りません。これでは普通に鉄道以外の交通機関(車・バイク等)を利用できる人は鉄道から逃げ出してしまいます。実際問題「態度の悪い高校生」に我慢して鉄道を使わなくても「快適な個室」の車を利用した方が快適に移動出来てしまい、一般の利用者は車等に逸走してしまい久留里線には高校生・車の利用できない年寄や子供等の交通弱者しか残らなくなり「仕方無く利用する交通機関」になってしまう事は間違い有りません。
 公共交通を利用するには「最低限守らなければならないルール」が存在するのは言うまでも有りません。それは利用者の過半を占めている高校生で有れども守らなければならないものです。現実として「モラルの悪い高校生」は一部にすぎず大部分の高校生はその様な事が無く久留里線を利用していると言えども、一部の高校生の悪しき態度が一般客に不快な思いをさせ車に逸走させ将来的には久留里線の寿命をも縮め兼ねないと言う事が出来ます。
 この改善には教育と高校生自身の自覚が必要なのかもしれませんが、何にしても「モラルに反し」「人に不快感を与える行動」が決して好ましい事では有りません。これは社会と学校が一体となり状況の改善に当らなければ成らないのかもしれません。しかし社会全体にとっても必要な事で有ると言えます。

 ・久留里線を取り囲む厳しい輸送実体は?

 久留里線を取り巻く厳しい状況は「高校生に影響される輸送状況」だけでは有りません。久留里線沿線はほぼ全線で国道410号線が並行して走って居ますが、国道410号線は片側1車線の道路で決して「良い道路」とは言えない道です。ですから道路自体が強い競争力を持っている訳では無いので、その点で言えば本来は久留里線は「極めて激烈な自動車との競争に晒されている」とは言えない状況です。
 しかし現実として「久留里線沿線から久留里線を利用して千葉・東京に向かう人」は殆ど居ないと言うのが現実であると言えます。実際木更津で久留里線の乗降・乗換風景を見ていると高校生は内房線と乗り換える人を見ましたが一般客では殆ど見ませんでした。何故この様な状況になってしまったのか?それは一つには「千葉・東京へは木更津で乗り換えて行かなければならない」と言う乗換抵抗と内房線自体の利便性が低いと言う問題が有ります。しかしそれ以上に「遠距離客を根こそぎ持ち去る競争相手」が存在している事が大きな要因であると言えるのでは無いでしょうか?

  
左:久留里線のライバル?高速バスアクシー号・カピーナ号バス停@久留里  右:久留里街道を走る千葉行きカピーナ号

 その競争相手が国道410号線を走り房総を縦断して東京・千葉を結んでいる高速バスの アクシー号 (東京駅〜安房鴨川駅)・ カピーナ号 (千葉駅〜安房鴨川駅)の2系統の高速バスです。このバス路線はアクシー号が20往復・カピーナ号が9往復運転されて居ます。そして久留里線との関係ではアクシー号が小櫃・俵田・久留里の3バス停でカピーナ号が馬来田・小櫃・俵田・久留里の4バス停で久留里線の駅と競合しています。
 実際久留里線が久留里駅からの上り木更津方面行き本・木更津から久留里方面へ下りがどちらも17本と言う頻度を考えると、千葉行きカピーナ号は頻度が半分程度と劣りますが東京行きアクシー号は頻度で勝る事になります。しかも千葉行きはずっと下道を行きますが東京行きはアクアライン経由なので、木更津でも内房線が高速バスに対し競争力を失っている状況で有りしかも久留里線が不便で競争力が劣る久留里地区では対東京ではアクシー号が決定的に優れた競争力を保有している事になります。
 この様な状況であり、木更津に近い所以外は久留里線が対東京・千葉と言う遠距離輸送では久留里線は全く競争力を持ち得ない状況に有ると言えます。又木更津駅が近ければ17往復の久留里線を利用せず車で直接木更津駅に乗り付ける事になるでしょう。そうなると久留里線は木更津が「地方都市」としての最低限の求心力が有る以上、木更津対沿線と言う「線内輸送」に関してはそれなりに利用されているとは考える事は出来ますが、線を跨いで首都東京や県都千葉へ向かう需要は高速バス等に奪われてしまい壊滅状況になっていると言えます。
 この様な久留里線を取り巻く厳しい競争関係がより一層久留里線から一般客を逸走させ、その結果利用客は「沿線に住んでいて通学している限り逸走しない」高校生が主体になり、高校生の減少で需要が先細りになると同時に「高校生ばかりになりモラルの悪さも手伝い一般客が避けて逃げていく」と言う需要の逸走が起こりどんどん利用客が減って逃げれる利用客は便利な他の交通機関に逸走すると言う現象が発生していると言えます。


 今回大都市近郊の地方ローカル線として久留里線を見てきましたが、久留里線自体は地方ローカル線の基準で見れば「利用されているローカル線」で有ると言う事は出来ます。実際問題今の時代では「通学ラッシュ時に4両編成運転が行われるローカル線」と言うのはかなり少なくなっていると言えます。需要の太宗が高校生で有れども4両編成が必要なほど利用されている事から考えれば、久留里線は「かなり利用されているローカル線」と言う事が出来ます。
 しかし久留里線自体は「比較的利用されているローカル線」と言えども、サービスレベル自体は決して高く有りません。実際JR千葉支社で唯一残された非電化ローカル線ですし、車両もキハ30系・キハ37系・キハ38系が主力ですが、キハ37系が車齢24年でキハ38系が改造後約20年と言う様に、傍目から見ると「決して古くはない」とも言えますが、JR東日本では発足後地方ローカル線に キハ100系 系列の新世代気動車を積極的に導入しており、その点から見れば久留里線は利用客数から見て比較しても「明らかに近代化が遅れてしまっている」と言う事が出来ます。それは車両面だけでは有りません。鉄道記念物的な閉塞システムと言えるタブレット閉塞など、久留里線には前近代的な「昭和の時代」と言える施設や設備が多数残って居ます。
 この様な前近代的な状況で、しかも不便で有るとなると正直言って他の交通機関に逸走できる人達は、既に逸走してしまっていると言えます。実際利用客数や沿線の人口等を考えても久留里線は「ローカル線全体の基準」から見れば潜在的に活躍する能力があると言う事が出来ます。しかし今までの放置プレイが祟り今や「高校生と交通弱者の専用路線」と化してしまっています。正しく久留里線は困難への悪循環に入ってしまって居ると言えます。
 確かに久留里線の場合、就学人口自体の減少等の需要の太宗を占める通学需要への逆風に加え、高速バスの優勢等一般客が逸走していく等、逆風が吹いている事は間違い有りません。しかしこの逆風の原因はそれだけで無いと言えます。比較的旧型の車両に旧式の輸送システムと言うハード面の改善の遅れに加えて、JR東日本の社員にも「現状への改善心」が足りないのではないかと感じます。車内を改札しても上記の写真の様な高校生の姿も注意しませんし、高校生に利用モラルの向上を訴えるような事もしません。その様な消極的な姿勢が今の様な状況を招いてしまったと言えるのではないでしょうか?JR東日本千葉支社の「特殊な事情」が有るのは知っていますが、それでも社員も会社も放置プレイが目立つような気がします。久留里線は苦しい地方ローカル線では有りますが、本来ならもう少し潜在力がある鉄道で有ると言う事が出来ます。その様な鉄道を「今の姿にしてしまった人がいるのではないか?」とチョット感じました。モラルを失い荒んだ高校生の車内での姿はその様な害の影響がもたらした物なのかもしれません。




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