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「 黄 色 」 は 「 オ レ ン ジ 色 & 紅 白 色 」 に 勝 て な い の か ?

− 西 武 鉄 道  拝 島 線 −


TAKA  2008年02月04日




「仲良く並ぶが実際は?」 黄色の西武拝島線とオレンジ色のJR青梅線 @拝島



 ☆ ま え が き

 大都市圏の鉄道路線では、良く「競合路線」の存在が取り上げられます。関西の京阪間・阪神間の競合等は有名ですし、関東でも京浜間の競合も歴史の古い競合区間です。現在では特に関東では昔からの競合路線に加えて、湘南新宿ラインなどの「既存路線を利用した新しいルート」の開業に依り、新たな競合関係も発生して色々な所で競合関係が発生しています。
 今回はその関東の競合路線の中の一つで有る西武拝島線を取り上げます。西武拝島線もご他聞に漏れず競合関係の有る路線の一つで有り、西武拝島線と直通運転をしている西武新宿線を含めた拝島〜西武新宿間と南側を走るJR青梅線〜JR中央線の拝島〜新宿間で競合をしています。しかし拝島⇔新宿間のピンポイントでの競合関係で有るのに加えて、拝島はJR青梅線・五日市線・八高線と西武拝島線が乗入れるジャンクションですがJR拝島駅が 26,398人/日(乗車人員・150位) ・西武拝島駅 28,887人/日(乗降人員・33位) という規模で有り、加えて大きな街で無い事も有り目立たない競合関係となっています。
 しかし西武拝島線の視点から見ると状況は簡単ではありません。確かに直接的競合関係は拝島⇔新宿間だけですが、実際はその直接競合関係だけで無い複雑な関係が絡んで居ます。
 小平市の高校(今は移転して玉川上水)を卒業し、今は仕事で多摩地域に多く出没する私に取り、西武拝島線は非常に身近な路線です。今でも(車移動がメインでも)時々利用しますし、全駅乗降した経験を持って居ます。しかし最初に利用した1980年代後半〜90年代初頭の時代から見ても開発の進んだ地域も多数有りますが、同時に今でも風景の変わらない地域も多数有り、昔から「有望路線」と云われながら未だに「幹線」というレベルまで成長できずに居ます。
 西武拝島線は何故成長出来ないのでしょうか?この原因には「直接競合関係だけで無い複雑な関係」が絡んで居るのは明らかです。という訳で今回は「関東鉄道めぐり」では珍しく「馴染みの路線」を取り上げる事にしました。西武拝島線が何故「有望路線」という期待を裏切り続けてきたのか?表題の『「黄色」は「オレンジ色&紅白色」に勝てないのか?』という謎掛けを含めて考えたいと思います。


 ☆ 西 武 拝 島 線 訪 問 記 (1月24日午後)

 1月24日は午前中立川で打ち合わせが有り、午後がその資料纏め以外は完全にフリーな状況でした。自営業の為「会社=自宅」の為、資料纏めに会社に帰ると言う事は帰宅するという事で、立川で昼食後「そのまま帰るのも勿体無いな」と思い、チョット捻って立川から自宅の練馬まで拝島・小平経由で帰る事にしました。
 立川からJR青梅線で拝島に着くと、自由通路を通り西武線に乗り換えます。拝島駅は 近年交通結節点改善事業 で橋上駅舎化されJR・西武共に駅舎が整備されて居ます。しかし駅舎は綺麗になっても東口は栄えて居ませんし、西口は区画整理・再開発が進まず雑然としたままです。拝島は多摩北部の交通結節点(鉄道も4路線が乗り入れ、道路は16号線・五日市街道・新奥多摩街道の交点)ですが街が開けて居ない為に通過点となっています。拝島駅周辺の開発は「横田基地の存在」や「昭島と福生の市境にありどちらも睨み合いになっている」という事が原因で進まないと聞きますが、交通結節点としてのポテンシャルから考えると勿体無い話です。
 色々な店の出ている駅ナカ&自由通路を見ながら、西武線に乗換る事にします。西武線ホームに降りると丁度西武新宿行き急行が止まっているので写真を取り早速乗車します。私の高校時代には、昼間は西武新宿〜拝島間の普通しか走らなかった事から考えると驚くばかりです。

  
左:拝島駅で出発を待つ西武新宿行き急行  右:単線と複線が繰り返される拝島線@西武立川


  
左:部分複線の部分で離合する下り列車@西武立川  右:五日市街道を越える立体区間を行く@西武立川〜武蔵砂川間

 拝島を出発すると、直ぐに単線になり横田基地への貨物線と平面交差をした後、青梅線と離れて一路東を目指します。暫く走ると次の駅は西武立川です。
 西武立川は「立川」と名前が付いていながら閑散とした駅です。確かに立川市に有る事は有りますが、多摩の拠点駅として賑わうJRの立川駅とは大違いで、駅の廻りは空き地が多く店無く乗降客も約7,300人/日で西武鉄道の駅の中でもビリから数えた方が早いレベルです。「同じ立川市にでもこんなに違うのか!」というのが率直な感想です。
 西武立川を出ると複線になり、此処で上下列車と交換しながら陸橋で五日市街道を越えて、次の駅武蔵砂川になります。この駅は立川市に有るものの、東京で唯一の「駅無し市」の武蔵村山市に一番近い駅で有ると同時に、元々多摩地域でも最大級の工場で有った日産村山工場の玄関口として機能していた駅です。しかし日産村山工場は「日産リバイバルプラン」で閉鎖され、今は一部「 イオンモール武蔵村山ミュー 」等が出来て開発されていても大部分が空き地となっており、その事も有り西武立川と同じ様に乗降客数は低迷しています。
 実際問題東京都内で有りながら都心からかなり離れています。下の武蔵砂川駅のホームの下を良く見ると・・・何と東京都心部には何もない数日前に降った雪が未だに残って居ます。この事からも西武拝島線が「東京都内といえどもどの様な所を走って居るか?」という事が分かります。

  
左:昔は日産村山工場の玄関口だったが今は・・・@武蔵砂川  右:学校が複数有り多摩都市モノレールとの乗換も出来る拠点駅 玉川上水


  
左:青梅街道と立川通りの交点に有り地域の拠点で有る東大和市駅  右:東大和市〜小川間の住宅地を行く拝島線

 武蔵砂川を出ると再び単線に戻り地上に降りた後、直線を真っ直ぐ東に進み、拝島線でも有数の拠点で有る玉川上水に着きます。玉川上水は元々芋窪街道との交点に有り、立川通りとの交点に有る東大和市駅と並んで、立川を結ぶ南北道路との交点に有る乗換駅です。東大和市駅は立川通りを走る西武バスで立川と結ばれて居ますが、玉川上水では芋窪街道上に多摩都市モノレールが開業し、定時性の高い中量交通機関に寄り立川と結ばれる様になったため、玉川上水は今や乗り換えの拠点駅として注目されて居ます。
 しかも玉川上水には国立音大・拓大一高・都立上水高校という大学・高校が有るのに加え、村山団地等の大団地がある為にこの駅を目的とする乗降客も多く、1日の乗降客数も約35,000人を数え西武鉄道の支線の中間駅の中で最大の乗降客数を数えます。又玉川上水には2面3線の駅構内と車両基地が有り運転上の拠点にもなっています。その様な旅客流動・運転上の区切りがある為、一部玉川上水で折り返す列車が運転されており、実際此処から一気に乗客が増えます。
 玉川上水駅を出て車庫の脇を走ると次は東大和市駅です。玉川上水〜東大和市間の北側には西武鉄道の車庫の後ろに新しいマンション群が広がって居ますが、ここは元々は日立航空機の工場で此処への引き込み線が、戦後上水線として旅客化されたのが拝島線の始まりです。
 東大和市駅は東大和市の玄関口で有ると同時に、青梅街道・立川通りの交点に有り、立川とこの地域を結ぶ西武バスのターミナルとなって居ると同時に西武線との乗換拠点になっています。その為玉川上水と並んで乗降客は多いですが、玉川上水の3分の2程度の乗降客数しかありません。これは東大和市の場合(離れては居るが)東側は小川・東村山駅等の駅勢圏が被さって居る事も有りますが、西武バスで立川に流れる客が多い事も影響しています。これも西武拝島線の微妙な状況の影響が有るのかもしれません。

  
左:西武最古の路線国分寺線とのジャンクション小川駅  右:西武多摩湖線とのジャンクション萩山駅


  
左:西武新宿線とのジャンクション小平駅  右:小平駅に停車中の拝島発西武新宿行き急行列車

 東大和市の次の駅は小川になります。小川・萩山・小平と西武国分寺線・多摩湖線・新宿線との接続駅が続き、西武の「多摩ネットワーク」の間を縫うように走ります。その中で拝島線は一番新しく出来た路線と言う事も有り、拝島線は各線に接着する形で駅に入る為、今までの直線主体の良い線形から一転して「右へ左へ」右往左往すると同時に、各駅では平面交差を抱える形になります。この様な所にも「新参者の拝島線」という歴史が見え隠れします。
 小川では「西武の多摩ネットワーク内支線」の中でも主役格の国分寺線から乗ってくる客と国分寺線へ乗り換える客で乗降半分ずつという感じですが、萩山では多摩湖線の西武遊園地からの列車は小平まで直通するため殆ど乗降が有りません。しかし小平に着くと流石に「高田馬場・西武新宿へ先着の急行」という事も有り、小平の乗降客+新宿線からの乗換客が多数ホーム上で待っていました。流石に小平は「拝島線の各駅よりも多い乗降客数(35,973人/日で玉川上水より45人/日多い)」だけ有ります。
 今回は目的地が練馬なので、小平で西武拝島線の旅を終わらせて、西武新宿線下りに乗り換えて所沢経由で自宅へ帰りました。


 ☆ 全線開業から40年経過するが・・・。未だに郊外化の途上の西武拝島線の現状

 私に取り高校生時代の80年代後半〜90年代前半には時々利用していた西武拝島線でしたが、「拝島の駅が綺麗になった」「玉川上水の駅に多摩モノレールが乗入れて綺麗になった」「小川〜東大和市間の区画整理が終わり住宅が増えた」という事以外は、約20年経過しても「殆ど変わらないな〜」と感じました。
 有る意味西武拝島線沿線は開発が進んだ東京の中でも数少ない「他の地域と比べて開発余地が残る地域」で有るといえます。その様な地域はJR五日市線沿線・拝島線沿線などにも残っては居ますが、東京に近く都心直通が多いという点で、西武拝島線沿線は住宅等の開発が進んで「西武の第三の核となる路線」と昔はいわれていました。しかし現在の「人口が大幅に増えない時代」では、今以上の劇的な開発が進むとは思えず、西武拝島線の利用客が大幅に増える事などは殆ど夢物語と化して居ます。
 では何故この様に開発が進まなかったのでしょうか?
 実際は西武拝島線沿線でも「西に行けば行くほど開発が進まない」状況になっています。東大和市・玉川上水周辺は村山団地・けやき台団地・東京街道団地等の大規模団地が昭和40年代以降建設されており、これらを核に沿線にはかなりの人口が定着しています。しかし玉川上水までは進んできた開発の流れが工場地帯になる武蔵砂川地域が壁となり、武蔵砂川・西武立川地域では日産村山工場を核とした工場地帯としての開発が進んでも住宅としての開発が進まず、日産村山工場という核工場が抜けた段階で地域全体も開発が今イチの状況になっています。其処に今のトレンドの「住宅の都心回帰」が拍車をかけて、この地域の開発の足枷となっています。

  
左:駅前に西武鉄道所有の広大な空き地が広がる西武立川駅  右:多摩都市モノレールとの乗換駅で学校も複数有るのに駅前には墓地が・・・@玉川上水


  
左:駅前にマンションがあるが商店等は殆どない武蔵砂川駅  右:拠点駅なのに駅前には商店が殆どない?@拝島駅北口

 又この地域では「駅周辺に有る巨大施設」が西武拝島線沿線の開発を妨げて居ます。その大型施設とは玉川上水駅北側の立正佼成会の霊園・武蔵砂川駅北側の日産村山工場跡地・拝島駅北側の米軍横田基地です。これらの集客力と拠点性のない大型施設の存在が西武拝島線沿線の開発の大きな足枷になって居ます。
 これらの施設は、立正佼成会霊園が出来たのが昭和26年・日産村山工場が昭和37年操業開始・横田基地の大元の福生飛行場が出来たのは戦前の話ですから、これらの施設が出来たのは昭和43年の西武拝島線全線開業の前に成ります(小川〜玉川上水間の開業は昭和25年・電化は昭和29年・新宿直通運転開始が昭和37年)。という事から考えると、西武拝島線はその開業当初から自社路線の固定客になる北側の住民を定着させる為に大きな意味の持つ北側駅前開発に大きな制約を抱えていた事になります。
 加えてこの大型施設の問題点は「鉄道利用者が少ない施設」で有る事です。(イベント時以外に)霊園に日常的に来る人は居ませんし、日産村山工場は移転更地となり駅寄りの地域は 宗教法人真如苑が施設 を造る事になりました。これも応現院と多摩モノレール・立川バスの様に定期外輸送にプラスになる効果は期待出来ますが、沿線人口の定着の効果は全く期待できません。米軍横田基地の存在は沿線人口定着に「最大級のマイナス」で有り、 横田基地官民共用化 が実現して西武拝島線にアクセス輸送の役割が来ない限りは輸送的にもマイナスの存在でしか有りません。この様な施設の存在が西武拝島線の沿線人口定着に取り大きなマイナスで有る事は間違い有りません。
 この様な大きなマイナス要因が有るために、西武拝島線沿線は「西武新宿から拝島まで約50分」という立地に有るにも拘らず、特に玉川上水以西では沿線の郊外化・人口増加・鉄道輸送増加が未だに起きないのは、その様な開発阻害の大きな要因が有る事が原因で有ると考えられます。

  
西武拝島線の利用率は如何? 左:拝島出発時点 中:東大和市出発時点 右:萩山出発時点

 その様な事も有り、西武拝島線の利用率は昼までは冴えない物が有ります。ラッシュ時こそは混雑して居るものの(その為拝島発の急行が6時台6本・7時台3本・8時台4本ある)、昼間は本数が急行2本・普通2本と減るにも拘らず、上記の写真の様に「平日昼間でしかも一番前の車両」という悪条件ですが、それでも拝島出発時点では誰も乗ってきません。乗客が乗ってくるのは玉川上水・東大和市からで、小平に着く頃にやっと「乗客が増えてきたな」と感じられる位のレベルです。
 今や昼間にも新宿発の急行乗り入れが有り10両編成が拝島まで乗入れる等、私の高校時代の約20年前の西武拝島線とは大幅に進化したように見えます。しかし利用率と言う点ではその時代と大きくは変わっていないといえます。確かに西武拝島線沿線では多摩都市モノレールの開業など大きな変化が有りましたが、上記の様に沿線の開発についての制約が変わらない事に加えて、多摩都市モノレールの存在でも変わらない西武拝島線に立ちはだかる存在が有るからです。以下において結論に変えてその「立ちはだかる存在」について考えてみたいと思います。


 ☆ 「新宿直通」の西武拝島線でも中央線(&青梅線)と立川(&立川アクセスの立川バス)の求心力には勝てないのか?

 その「西武拝島線に立ちはだかる存在」とは何でしょうか?その答えは謎掛けのような表題の「「黄色」は「オレンジ色&紅白色」に勝てないのか?」という言葉に有ります。表題の黄色⇒西武拝島線・オレンジ色⇒JR青梅線&中央線・紅白色⇒立川バスです。今回の西武拝島線を取り上げましたがこの3者は西武拝島線沿線の地域で有る立川市北部・昭島市北部〜西部・武蔵村山市・東大和市西部の北多摩西部地域の交通のメインプレーヤーです。
 今回の表題は「黄色とオレンジ色と紅白色の三国志」ともいえる、西武拝島線・JR青梅線&中央線・立川バスの関係を示すために考えました。ではその三国志の状況は現在果たしてどの様になっているのでしょうか?
 まずこの地域の交通を考える段階で「絶対的な存在」といえる物が2つ有ります。その絶対的存在とは東京直通で物凄い求心力を持つJR中央線と多摩地区最大の都市で拠点で有る立川の存在です。この絶対的存在と微妙な関係に有る西武拝島線は必然的に苦戦を強いられる事になります。以下においてその関係について考えたいと思います。

 先ずは西武拝島線とJR青梅線・中央線の関係を考えたいと思います。多摩地区の鉄道路線図を見ると西武拝島線及びその直通先の西武新宿線とJR青梅線及びその直通先のJR中央線は起終点の拝島と新宿でしか交わらず。その間は数キロの間隔を開けて平行しています。その為この2路線間の競合関係は拝島⇔新宿間という限られた2地点間で見られてきました。しかし西武拝島線&新宿線に取り「駅勢圏を守る防壁」と思われてきた数キロの距離が実をいうと殆ど機能して居ない事が西武拝島線の苦戦を招いています。
 実際JR中央線と西武新宿線の間では、「JR中央線の駅勢圏が西武新宿線の駅勢圏の南側を侵食する」事例が発生していますし、それだけでなくバスと有機的に機能する事で、関東バスの高円寺〜練馬線や西武バスの武蔵境〜ひばりが丘線・武蔵小金井〜滝山団地線など「西武新宿線の北側からも乗客を獲得する」事例が発生しています。その様な事例が西武拝島線沿線でも多数発生しています。
 西武拝島線沿線の場合、立川バスの路線が西武拝島線を越えて武蔵村山地域の乗客をJR青梅線&中央線に運んで居ます。昭島駅からは拝島線西武立川駅の脇を通りグリーンタウン武蔵村山・IHI・三ツ藤・箱根ヶ崎への各路線が走り、西武拝島線を通り越してJR昭島駅へ乗客を運んで居ます。又立川駅からは瑞穂営業所・三ツ藤・武蔵村山市民会館・箱根ヶ崎への各路線が武蔵砂川駅周辺を(駅を通らずに)通過して西武拝島線沿線の客を立川に運んで居ます。しかも沿線最大の団地村山団地からは立川バスの村山線が立川へ乗客を運んでいます。
 その様な状況は西武拝島線がもう少し存在間を大きくする玉川上水・東大和市でもかなり存在します。玉川上水では多摩都市モノレールが東大和市では西武バスの立川発着各路線がせっせと中央線の拠点駅立川に乗客を運んで居ます。
 この状況は昔から変わって居ません。多摩都市モノレールが無く立川駅前がバスで大渋滞をしてい私の高校時代でも、立川バス(特に村山団地線等の玉川上水経由路線)や西武バス(東大和市経由路線)が西武拝島線沿線からせっせと乗客を運び、朝夕は立川駅前にはバスの乗降客で溢れていた状況を見ていました。要は昔からこの地域では中央線の影響力・求心力が極めて強く「西武拝島線パッシング」という状況が存在していたのです。
 その様な「西武拝島線パッシング」が「沿線開発の遅さ」と並んで、西武拝島線苦戦の要因となった事は間違い有りません。

  
「黄色」の西武拝島線の敵? 左:オレンジの青梅線&中央線の求心力は絶大? 中:求心力の強い多摩の拠点立川 右:伏兵?拝島線沿線⇒中央線と青梅線に乗客を運ぶ立川バス@イオンモール武蔵村山ミュー

 加えて「西武拝島線パッシング」を助長する要因が、JR中央線と青梅線のターミナルで有り、多摩都市モノレールや多数のバス路線が乗り入れをして、西武拝島線から奪った客を運び込んで行く目的地で有る「立川」の求心力の強さです。
 昔は「多摩の中心」といえば「立川と八王子の並存」という状況でしたが、今や「多摩の中心は立川一点」という状況になっています。立川には伊勢丹・高島屋の百貨店2店に加えて、ルミネ・グランデュオ・ecuteというJR系専門店と地元系の専門店が2店有るなど、多摩地区最大級の商業集積を誇って居ます。しかも立川基地跡地に多摩地区の官公署の出先機関が集まり、名実共に「多摩最大の拠点」となっています。
 それに対して西武拝島線の各駅には東大和市を除いて駅前に商店街どころか商店すら殆ど無い状況です。西武拝島線沿線の大型商業施設は車アクセス主体の東大和市の イトーヨーカドー ・立川市けやき台団地の ケヤキモール ・武蔵村山市の日産工場跡地の イオンモール武蔵村山ミュー だけであり、西武拝島線から見ると直接的には効果を発揮しない商業施設です。この西武拝島線沿線の商業集積の弱さが、沿線の住民を立川バス・多摩都市モノレール・西武バスで立川へと流す事になるのです。
 何故開業から此れだけ期間が経過しても西武拝島線沿線の駅前に商業集積が高まらないのか?といえば、前に取り上げたような「駅前に有る大型低利用土地の存在」であります。その様な存在が西武拝島線各駅の廻りに集客に寄与する商業集積を阻害し、その結果商業集積も多くしかも利便性が高い中央線のターミナルで有る立川へ、西武は虐め線沿線の住民を流失させる原因となって居ます。

 この様に見ると「如何に頑張っても西武拝島線は現状を打破できない」といえます。それは「黄色とオレンジ色と紅白色の三国志」で、黄色(西武拝島線)はオレンジ色(JR青梅線・中央線)と紅白色(立川バス)に勝てない事を意味します。今の状況を見ると黄色が頑張っても現状の「西武拝島線パッシング」の状況を変える事は困難といわざる得ません。
 しかも西武拝島線沿線の駅前で劇的に開発が進む事が考えられない中で、隣接の立川の開発が此れからも進み、立川の拠点性は益々増すばかりです。その状況から今後西武拝島線パッシングで立川を目指すという流れが依り一層加速する可能性も有ります。加えて立川を拠点として「西武拝島線沿線から立川と青梅線・中央線へ客を流す事がビジネス」としている立川バスも、多摩都市モノレール開業で芋窪街道経由各線の乗客が奪われて以来、その基幹路線は立川〜武蔵村山方面路線に変わってきており「西武拝島線駅勢圏から客を如何にして立川に流すか?」を真剣に考えて新たな施策を打ち出す可能性もあります。そうするとより一層西武拝島線が苦戦させられる可能性も有ります。
 正直言って西武拝島線が今後大幅に発展する可能性は残念ながら非常に低いといえます。その中で競合交通機関への対応策を考えながら、「西武拝島線パッシング」を如何に食い止めて、西武拝島線を今後どうして行くか?西武鉄道に取り今後この路線を生かす可能性を追求するならば、如何なる方策かを取らなければなりません。現状維持か?今後発展を狙うか?西武拝島線は今岐路に立って居るのかもしれません。




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