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何故行政は「リスクを取る事」が出来ないのか?
−新幹線「(仮称)南びわ湖駅」建設問題の経過について考える−
TAKA 2006年09月07日
前にも「
新幹線の駅は本当に要らないのか?
」取り上げましたが、7月2日の滋賀県知事選挙で東海道新幹線「(仮称)南びわ湖駅」建設工事の凍結・中止を公約した嘉田現知事が当選した事により、すでに着工された「(仮称)南びわ湖駅」建設工事が中断される方向で動き出しています。(現在までの動きは「
滋賀県の新幹線新駅問題
」を参照してください)
地域の長年の悲願であった工事でありやっと着手する事が出来た工事が、県知事選挙の結果と言う名の「民意」により圧殺されつつある状況の中で、「新幹線新駅の促進協議会」では県知事と地元で対立が見れるなど紆余曲折の経過を辿っています。
そのことを踏まえ、反対派知事当選・新幹線新駅凍結現実化が表に出てから、約2ヶ月経過したので私の思う所を踏まえて、改めて「新幹線「(仮称)南びわ湖駅」建設問題の議論」について考えると同時に、思う所について述べて見たいと思います。
☆ いくら公約で有れども始めから「中止有りき」で良いのか?
今回の問題ですが、嘉田現知事の意志は強い様で滋賀県はJR東海・地元との合意を取り付けて居ない段階で、すでに「中止有りき」で走り出しています。
滋賀県は9月1日付で「新幹線新駅問題対策室」を作り、「▽新駅工事の一時中止のJRへの要請活動▽新駅の経済波及効果など経済アセスの再検討▽凍結に向けた法的課題の検討」を行う方向で動き出しています(
8/31毎日新聞
)。
これ自体は「知事の政策実現の為の組織作り」であるので、県職員人事は知事の専権事項であることを考えれば、公約実現の為に嘉田カラーを出すと言う意味でも当然の事であると考えます。其処まではいいのです。
しかし表向きは「一時中止・再検討」と言っていますが、滋賀県庁の中ではすでに「(仮称)南びわ湖駅建設は中止」と言う方向で動き出している雰囲気があるといえます。今回2ヶ月を振り返り調べる事があり、
滋賀県HP
の
交通政策課のページ
に行って見たら「目が点」になりました。何と2ヶ月前には有った「(仮称)南びわ湖駅」建設アピールのページが消えていました。
いくら知事が「凍結・中止」を打ち出したと言えども、正式に決まったわけでは有りません。まして「負担分支払い」を表明する事で促進に賛成の意思表示をする自治体が複数出ている段階で、いきなり滋賀県のHPに言ってみたら「(仮称)南びわ湖駅とは何ですか?」と言う感じで何も載っていないと言うのは如何な物でしょうか?すでに此処で「凍結・中止有りき」と言う姿勢が見え隠れします。
このような姿勢では纏まる話も纏まりません。確かに嘉田現知事「凍結・中止」と言う民意を受けたのは間違いありません。しかし「(仮称)南びわ湖駅」建設は現在進行中のプロジェクトであり、JR東海や地方自治体の「凍結・中止」への同意を取り付けていない状況です。その段階で滋賀県だけ「旗を降ろす」行為は好ましい物ではないと感じます。この様な姿勢は表明しなくても根底の意識としてあれば色々な所で出てくると思います。そうしたら相手が態度を硬化させる事は間違いありません。そうなるといろいろな意味でマイナスが出てくると言えます。それを防ぐ為にも「先ずは凍結・中止有りき」ではなく、「選択肢の中から凍結・中止を説得する」と言う姿勢が必要ではないかと感じました。
☆ 今更需要予測をやり直して意味があるのか?
9月5日付京都新聞
によると、「滋賀県議会の生活文化・土木交通常任委員会の協議会」で「10月中をめどに▽10月中をめどに約500万円をかけて再検証する▽2005年度国勢調査など最新のデータを活用し、人口や観光で訪れる客数の動向を予測する▽調査方法は前回の調査を踏襲する▽再検証結果については、根拠を示す と言う内容で経済効果を再検証する」との話が出ています。これは果たして意味の有る話なのでしょうか?
嘉田知事は「多くの経済施策では上位、中位、下位の予測を出す」として、一つしかない従来の試算に疑問を示して居るとの事ですが、確かにこれは経済学者であれば言う話です。(昔の逸話でイギリス首相チャーチルが「私が大蔵大臣の時に10人の経済学者に諮問をしたら11の答えが返ってきた。「経済は複数の事象が絡み合うから答えは一つにならない」と良い一人だけ2つの答えをした人間が居る、それがJ.M.ケインズだった」と言った逸話が残っている」)しかしその様な事を言ったら「預言者」か「タイムマシンの保有者」でなければ将来を予測する事が出来ません。そういう意味では何回需要予測をしても「絶対の正解」は出て来ない筈です。
まして予測をしたコンサルの代表者はその協議会で「「ほかの請願駅を見ても、これほど精密な調査をしているところはなく、調査方法は国土交通省と同じ」とした上で、利用者予測については「ほぼ外れることはない」と強調した。」(9/5京都新聞)との事です。実際に行った人間が(多分現在可能な範囲での手法を取り入れ可能な限りの高精度で行い、人為的な操作はしていないと言う意味で)「ほぼ外れる事はない」と言ったのでしょう。其処まで断言するものに何で再調査をする必要が有るのか?と言う気がします。
最新のデータを用いての再調査でしょうから、当然異なった数字が出てくるでしょうが、コンサルの代表者が「これほど精密な調査をしているところはなく」「ほぼ外れることはない」と強調しているのですから、大幅な差が出ることは可能性として低いと言う事が出来ます。(下方に大幅な差が出た場合、操作が行われた事を疑う必要性もでてくる)その様な状況の中で改めて5000万円の税金を投入しての再調査に「もったいない」と言う感じを抱くのは私だけでしょうか?その再調査の有用性に大いに疑問であると言えます。
☆ 行政はプロジェクトにリスクを取ることは出来ないのか?
この様に今更「需要予想で揺れる」と言う事は、しかも只単純に「推進」「凍結・中止」の間だけで議論していると言う事は、自治体はリスクを取ることが出来ないと言う事を示しています。果たしてこの様な事が正しいのでしょうか?
確かに血税をつぎ込んでのプロジェクトで損失を出す事は今の時代「税金の無駄遣い」と厳しく指弾されます。無駄遣いは正しい事では有りません。しかし幾ら予測をしてもコンサルは預言者でないので前述の様に狂いは出てくるものです。その狂いに起因して「無駄遣いのプロジェクト」が発生する可能性は否定できません。
しかしその誠意を持った努力の先に発生する「無駄遣い」を恐れていては何も出来ません。公共事業とて「費用対効果」を問われる時代でありその効率性を計ると同時に、地域間競争の中で他の自治体より魅力が有る街にするには積極的に費用対効果の良いプロジェクトを行う必要が有ります。この相反する内容に対して、一定のリスクを取らなければ物事は出来るものでは有りません。
民間企業では良く「向こう傷は問わない」と言う勇ましい表現を聞きますが、これは「(只単純に無謀なだけでは駄目だが)計算と熟慮の上取ったリスクの結果の失敗までは問わない」と言う意味で言われる言葉です。これは役所でも当てはまるのではないでしょうか?
この意気は「新幹線新駅の促進協議会」参加の滋賀県以外の自治体で、栗東・守山・野洲等「負担分支払いの意向」を示す事で「新駅建設推進」を表明している自治体に足りないものではないでしょうか?事此処まで来たら、栗東市長の、「新駅は県の事業の中で位置づけられている。現在の(建設費用)240億円の枠の中では、県が負担しないと不可能な数字」(
9/2毎日新聞
)と言う発言は弱気に聞こえます。栗東市長とて10月15日告示の市長選挙で民の審判を受ける立場で今は動けないのでしょうが、そこで栗東市民が「建設促進」の市長を当選させると言う民意を示した場合は、自治体とて「向こう傷を負う覚悟」の決断をする事が、新幹線駅建設の経済効果とリスクを天秤に掛けた中で必要であると考えます。
具体的には滋賀県が抜けても成り立つスキームを考えるべきです。実際「滋賀県の建設費支出は7年間で116.97億円」です。その支出を滋賀県が拒否するのなら「滋賀県以外の「新幹線新駅の促進協議会」参加自治体で第三セクター設立」各自治体の居室金を資本金として負担して、其処が建設費を全額負担して建設は続行する。滋賀県分の費用は第三セクターが自治体から無利子融資で借り入れで負担する。その償還は駅利用客から利用料を取る(約8,938人/日の利用として300円の利用料を取れば年間約978百万円*約12年間で滋賀県負担分をクリアできる。※利用者数は県HPが消滅したので9/5京都新聞の数字を引用。)と言う方策(駅利用者から利用料を取ると言うのはチョット突拍子もないですが、空港利用料と同じ考えです)も考えられます。
又栗東新駅建設に対しJR東海が受益者負担を増やす理由があるとは思えませんが、(私も鉄道関係者でない素人なので詳しくはないが、今は全車両最高速度が同じなので、栗東に退避駅を作りのぞみ退避をする必要性は薄い筈。JR東海の運転上のメリットは、関が原の雪対策で運転整理上の駅が欲しいと言う位だろう)それでもJR東海の負担増ではなく工事原価低減(VE)という点で交渉の余地はあるかもしれません。その様な交渉も行ってみるべきです。
その上で「地元にとっては成果の有る事業なのだから滋賀県が逃げても地元でリスクは取る」「滋賀県が金を出さないなら結構。その代わり税収増の受益も得るな!全部リスクを負った地元によこせ!」と言う意思で万難を排して事業を進める位の意図はないのでしょうか?地元の民意が推進ならば推進派の関係自治体にそれ位の強い意志を求める必要が有るといえます。
☆ 新幹線新駅建設が「受益をもたらす事業」である事を再認識すべきでは?
今回地域の利便性が高まる新駅建設事業に何故反対が集まるのか疑問に思っていましたが、その解答のヒントがインターネット上に出ていました。とある所で『東京からの企業誘致について新幹線駅近くという宣伝文句が効くだろう。」というのは岐阜の路面電車の廃止間際の反対で「駅から何分と不動産の広告に書けると宣伝効果が全く違う(だから廃止反対)というのと失礼ながらあまり変わらない論理レベル』と言う発言があったのです。これを呼んで「何で滋賀県民は新駅建設事業に反対したのか?」と言う事への理解のヒントになりました。滋賀県民もこのコメントと同じ過ちをしている可能性があります。
確かに「(仮称)南びわ湖駅」建設工事は税金が投入される事業です。その点においては公共事業であるといえます。又高速道路の様に「通行料で償還」と言うのもルール付けされていません。ですから「只単純に税金を投入するだけ」と言うイメージがあるから「税金の無駄遣い」と反対したのであろうと推察します。しかしこれは物事の一面しか見ていません。
この事業では県・周辺自治体を含めて235.25億円の税金が投入されます。この税金は確かに一方通行で投入されるように見えますが、将来を見渡して考えれば必ずしもそうでは有りません。直接的には駅舎と付帯施設の固定資産税の増加や・JR東海の法人事業税の増加の可能性と言う税収増も有りますし、間接的には周辺土地の地価上昇により固定資産税の増加も見込まれますし、新幹線新駅立地により企業が進出すればその企業からも固定資産税・法人事業税が入りますし、其処で雇用が生まれればその所得税も入ってきます。その様な間接的な点まで含めて考えれば県・沿線自治体の税収増は非常に大きく、試算では「開業10年後で経済波及効果は約3,770億円、県・市町村税収入増は約113億円」と出ていますが、これは今新駅に約235億円投資をすれば将来これだけのリターンが有るということを示しています。
今回の一連の動きでは「税金投入」の側面ばかりが注視され、経済効果・税収増と言うリターンの側面が軽視されているからこそ簡単に「凍結・中止」と言う話になるのだと思います。普通の民間企業であればこれだけリターンが大きければ心が動かされる話です。
つまり公共事業とは「受益をもたらす事業」である事が一番大切なのです。一番良いのは投資に見合うリターンが現金(利益)で帰ってくる事です。しかしその様な事業単独で利益の出る物に関しては民間が手を出すでしょう。(仮称)南びわ湖駅もJR東海単独で投資コストを回収できるのなら既に着手していた筈です。96年に駅位置決定していたのですから少なくとも2003年10月1日のダイヤ改正以前はのぞみを運行しながら100系が残存していた時期ですから、JR東海の自己負担が多くてもこの場所に待避線付の駅を作る積極的動機が有ったと言えます。それでもなかなか手を上げなかったと言う事は「民間が駅を作ってもペイしない」という可能性が高いといえます。
その様に民間で出来ないとなると官の登場になりますが、それでも無制限に作って良い物ではありません。現金で直接ペイしなくても、「投資に見合う社会的便益が存在する」必要性があるといえます。所謂「
費用効果分析
」で1以上の成績が出る必要性が有るといえます。加えて幾ら自治体と言えども赤字財政下では税収増に結びつく公共事業に投資的経費を優先して配分しないと財政的には将来が厳しくなります。つまり今の財政的に厳しい時代では「地域が望み費用対効果が高くしかも税収増に結びつく」公共事業を優先しなければならないのです。
その様な公共事業に求められるものは何か?そうなると「地域の雇用が確保でき法人事業税増が望める企業誘致に有利な物」「地域自体が繁栄し地域の価値が上がる物(地域の価値が上がる事と地価が上がることは近似であると言える)」「地価が上がり開発が促進され固定資産税収入が増えるもの(本当は増価税が有ればもっと速やかに税で回収できるのだが)」と言う様な効果をもたらす公共事業が望ましい公共事業ということになります。
岐阜の場合は正しく「公共事業として自治体が金を出しても費用対効果が合わない」から最終的には存続を断念したと言えるのではないでしょうか?鉄道が廃止されて「駅徒歩○分と不動産広告に書けない」と言う事は地価が下がると言うことです。地価が下がっても個人であれば減損は関係ないので売らなければ問題ありません。しかし地価が下がれば固定資産税評価基準の大本である地価公示価格が下がることになります。それは地方自治体にとれば痛手です。他にも色々な鉄道廃止のマイナスがあります。岐阜の場合その廃止の副作用のマイナスより投資負担と赤字補填のほうが多くなると考えたから廃止されたと考えることが出来ます。
ですから新幹線新駅建設と言う公共事業で「東京からの企業誘致について新幹線駅近くという宣伝文句が効くだろう。」と言う事は、下賎な話ではなく公共事業を考えるにあたり費用対効果をあげて企業誘致で地域を活性化させ税収を上げて投資的経費を回収すると言う点で非常に重要なことであると言えます。それが理解されていないから「受益の多い」有用な公共事業が「税金の無駄」と捕らえられ「凍結・中止」の方向に向かってしまうのです。
これは関係自治体や関係者のアピールの拙さが有ったのではないでしょうか?多分知事選挙で落選した国松氏も「便利になる新幹線駅建設に反対するはずがない」と高をくくっていた可能性はあります。しかし世の中は変わり一般大衆も変に頭がよくなり公共事業の有る一点だけを見つめて「無駄では?不要では?と言う様になりました。(これは青島前東京都知事・田中康夫前長野県知事等のパフォーマンス知事がもたらした弊害と言えます)このような流れに対抗して「真に正しい事を実行」するにはメリット・デメリットを含めた正確かつ上手な一般大衆へのPRが必要と言えます。それが上手く言っていれば(仮称)南びわ湖駅建設もこんな形で「受益の多い有用な事業が凍結・中止」と言う事にならなかった筈です。実際に有ったネット上の意見を見てこの様なPRの重要性を改めて感じさせられると同時に、そのPRの失敗が(仮称)南びわ湖駅建設工事の現状に響いているのではないかと感じました。
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この様に今回問題発生から2ヶ月経った(仮称)南びわ湖駅建設の「凍結・中止」問題を改めて見直してみましたが、色々な意味での問題が浮き彫りになってきたと言えます。今回の問題で出てきたポイントは(1)知事が選挙で公約を掲げそれで当選したことですべての利害関係者との協議・調整・協調を無視して一人歩きしてしまう状況(2)無駄を止める為として行う無駄の存在(3)リスクを取り事業スタートへ思い切ってふんぎることが出来ない自治体の限界(4)事業のアピール失敗がもたらす偏見による間違えた住民の反乱と言う点に絞られたと言うことが出来ます。
まさかの知事選挙の結果から2ヶ月、滋賀県にもたらされたのは「停滞と混乱」であったと言えます。その為(仮称)南びわ湖駅建設も再開してもJR東海に足元を見られ要求は通らない状況になっていますし、中止すれば2度と新幹線の駅は出来ずに新幹線駅による地域の発展の機会が無くなる事を意味します。(仮称)南びわ湖駅はJR東海葛西会長が「東海道新幹線最後の新駅」と言った駅です。その駅がこの様な形でつぶれてしまえばもう「新駅建設の目は無い」と言うことが出来ます。この貴重な機会を無駄にして何と「もったいない」事をしたのでしょうか?その行ったことの「もったいなさ」を滋賀県知事・滋賀県民は十分考えるべきです。このツケは将来地域の衰退・地域間競争の敗北と言う形で帰ってくると言えます。「天に唾をする」と言う諺がありますが、滋賀県民が選択した事は正しく諺のような行為であったのではないかと感じるのは私だけなのでしょうか?
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