このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください



民間企業が「気合いを入れて造った」博物館がもたらす効果とは?

− リニューアルオープンした東武博物館を見て感じた事とは? −



TAKA  2009年 09月 14日


  
今回のリニューアルの目玉 戦後初の特急車5700系の「猫ヒゲ」への復元


☆ ま え が き

 「博物館」と一言で言っても、日本国内にはありとあらゆる分野の展示をする博物館が有ると同時に、運営者も公的な博物館・企業が造った博物館・個人が造った博物館など主体が色々な博物館が有ります。
 しかしながら「博物館」という物は、大部分は入場料を取り展示して有る色々な物を見せる施設ですから収入が挙がる物ですが、実際問題として企業が博物館を営む場合博物館を造り維持する経費と博物館への入場者の収入を天秤に掛けると、普通経費の方が掛かり事業ベースとして採算に乗る物では有りません。
 博物館に関して「ビジネスライク」に考えると上記の様な事が言えると思いますが、それでも博物館(及びそれに類する施設)を運営して居る企業は沢山有ります。
 翻って、交通の世界特に鉄道の世界では、色々な博物館が有ります。今JR東海で名古屋に「 JR東海博物館 」を造る話が出て居ますが、JRでは北海道を除く各社が博物館を持って居ますし、関東民鉄では東京メトロが「 地下鉄博物館 」東急が「 電車とバスの博物館 」東武が「東武博物館」を持って運営しています。

 その中で、今回東武博物館がリニューアルオープンしました。東武博物館は1989年に東武鉄道の90周年記念事業として造られた博物館で、今年開業20周年を記念してリニューアルが行われ7月22日にオープンしました。
 リニューアルオープンからは少々時間が経過した物の、8月14日に近くで用事が有りそのついでに時間が有ったのでリニューアルオープンした東武博物館を訪問して来ました。私自身東武博物館は前に一度訪問した記憶が有る物の「何時行ったか?」も思い出せない状況なので、実質的に「始めての訪問」に近い状況で訪れました。
 東武博物館のHPを見ると、かなり立派な博物館です。此れだけの博物館を造り・運営し・リニューアルするとなると、東武鉄道がかなりの費用を投じて居る事は間違い有りません。  以前JRの運営する 鉄道博物館を訪問 しましたが、今回東武鉄道の運営する東武博物館を訪問して、「民鉄の運営する博物館」の姿を見て上述の命題を考えて見る事にしました。

 「参考資料・サイト・文献」 ○ 東武鉄道HP  ○ 東武博物館公式HP  ○ 東武博物館 (wikipedia)
               ○東武鉄道百年史(東武鉄道発行社史) ○鉄道ピクトリアル1997年・2008年臨時増刊号「東武鉄道」


☆ リニューアルされた「東武博物館」に保存されて居る車両群

 さて7月22日にリニューアルオープンした東武博物館ですが、今回のリニューアルオープンに際して東武博物館は「より、実際に『見て・触って・体験できる』博物館を目指して」「東武鉄道の"いま"と"むかし"を、より体験できる」というコンセプトを据えてリニューアルを行って居ます。
 又展示の車両面では、今までの展示車両に加えて「戦後初の特急車5700系の登場当時の半流線形への復元」と「東武最初の電気機関車ED101型101号の(近江鉄道より譲渡を受けての)展示」と言う2点が、展示車両面におけるリニューアルの目玉のポイントとなっています。

  
創業当時の蒸気機関車 左:B1形 5号機 (屋内展示)  右:B1形 5号機 (屋外展示)

 東武鉄道は1899年に北千住〜久喜間を開業後、1907年の 鉄道国有法 に基く民営鉄道国有化をすり抜けると同時に1907年の利根川橋梁完成・足利市延伸と1910年の伊勢崎延伸による現在の伊勢崎線の完成で東京〜両毛地区を結ぶ路線の骨格が完成し、関東北部の大私鉄となる基礎を築きます。
 その東武鉄道の「地域間鉄道」としての初期の輸送を支えたのが蒸気機関車で、現在展示して居るB1形です。東武鉄道の路線網的には現在もそう変わる物では有りませんが、「昔は蒸気機関車で都市間輸送をしていた」という大手民鉄は東武鉄道と南海電鉄ぐらいで、このB1形の存在は東武鉄道の「長い歴史」を体験させるのに重要な意味を持って居ます。

  
電化当初に活躍した車両群 左:デハ1形5号  右:ED101形101号(近江鉄道より譲渡を受け新展示)

 明治時代には「蒸気機関車による地域間輸送鉄道」で有った東武鉄道を、東京近郊の都市圏鉄道の役割を持たせる事になったのが、1924年(大正13年)の浅草〜西新井間電化です。その後東武鉄道は積極的に電化を進め1927年(昭和2年)には伊勢崎線の電化を完成させます。(その頃までに利根川橋梁区間を除く浅草〜館林間の複線化も完成)
 この電化完成により、東武鉄道は東京北部での近郊輸送も行う体制が整い、関東大震災以降の東京の郊外への拡大による沿線住民増とそれによる利用者増加を吸収し、東武鉄道を真の「都市鉄道」に進化させる基礎を築く事になります。
 そういう意味では「第二の創業」と言える「伊勢崎線電化」当時の車両を展示すると言う事は、東武鉄道の歴史を「体験」するには非常に重要な事で有ると言えます。

  
東武鉄道「中興の祖」と言える車両群? 左:戦後初の特急車5700系  右:戦後貨物輸送の近代化に貢献したED5010形5015号

 東武鉄道とって「利根川架橋完成による足利市延伸・伊勢崎線電化」に続く「第三の創業」と言えるのは、太平洋戦争後の昭和30〜40年代の「大規模な輸送拡充」の時代でしょう。この時期に東武鉄道は「日光への観光輸送」「貨物輸送の近代化(無煙化)」「地下鉄乗入と複々線完成による増加した通勤輸送への対応」を行い、近代化を達成し大きな発展をします。
 その輸送拡充・近代化の立役者となった車両も展示されて居ます。その目玉は「華の有る」日光輸送に従事した5700系・1720系DRCと言った特急車ですが、同時に(この時期は未だ重要なウエイトを占めた)貨物輸送の近代化に貢献したED5010形と東武鉄道が持っていた軌道の近代化に貢献した日光軌道線の200形連接車も保存されて居ます。

  
屋外に展示の車両 左:東武特急車の一時代を築いた1720系DRC  右:存在は薄いが・・・。日光軌道線の200形連接車(路面電車)

 展示車両を見ると基本的にはバランスが取れてポイントを抑えて居ると思いますが、本当の意味で「東武鉄道の歴史を感じる」と言う点では、昭和30年代〜40年代の「通勤輸送の拡充」に関して、車両面で東武の通勤輸送の基礎を築いた通勤車両の展示が無いのはチョット片手落ちの気もします。
 しかし「通勤車両の展示」となっても、昭和30〜40年代の東武鉄道通勤車両を展示するとなると、30年代の主力通勤車 7300系7800系 や日比谷線直通用の 2000系 や今でも現役の 8000系 となり、どれも東武鉄道の歴史から見れば「展示の価値」は有ると思いますが、普通の人から見れば残念ながら地味な存在になります。
 日本の鉄道において「通勤輸送」は非常に重要な存在です。しかし博物館の中で「展示出来る物が限られて居る」現状では、蒸気機関車のような「歴史的に古くて貴重」な車両や特急車のような「華の有る存在」の車両を展示するようになってしまうのは致し方ないのかも知れません。
 実際東武鉄道も(wikipediaによれば)「7870系2両のみ保存を前提に保管」された事も有るそうですが、結局解体されたようです。此れは東武博物館だけで無く鉄道博物館等でもいえる事では有ると思いますが(地下鉄博物館はチョット違うか?)、地味でも重要な「通勤輸送」について貢献した車両群に対しても展示の「配慮」が必要なのでは無いか?と思います。


☆ 車両以外にも色々な物が有る「東武博物館」の展示品

 「鉄道の博物館」である東武博物館は、展示のメインが鉄道車両で有るのは当然ですが、「より『見て・触って・体験できる』博物館」「東武鉄道の"いま"と"むかし"をより体験できる」という東武博物館のリニューアルのコンセプトに沿って、鉄道車両以外の鉄道運営に必要な鉄道設備・運転設備等を見たり・感じたり体感でき、昔から今の東武鉄道の姿・歴史を感じる展示施設も色々と揃って居ます。
 此処では、前述の展示の鉄道車両に続いてこれらの「色々と学べる」展示施設について見たいと思います。

左:走る電車の下部が見れる「ウォッチング・プロムナード」 中:「関東平野を走る東武」を造ったジオラマ 右:運転シュミレーター

 私が訪問したのが夏休みと言う事も有り親子連れなど子供も多かったので、博物館の施設の中で「置いて有る」だけの車両の展示より「動いて居る・体験できる」展示物の方が子供達を中心に人気が高かった様に思えました。
 特に人気が有ったのは、やはり何処の博物館でも人気の有る「運転シュミレーター」と「模型のジオラマ」でした。どちらも今回のリニューアルでグレードアップされて居る事も有り、規模が大きくなったりリアリティが増したりして居ました。その為か多くの親子連れや子供が来て居ました。

鉄道のシステムを分かりやすく説明して居る展示群 左:通信関係 中:電気関係 右:軌道・保守関係

 それに対して、「鉄道設備の概要」や「東武鉄道の歴史」を解説した展示群は、人の注目がイマイチの感じがしました。
 鉄道施設関連の展示物は「安全に走るシステム・電気の仕組み・ポイントとシグナル・線路の立体化・電車の走る仕組み」の5つの分野に分かれており、歴史関連については「車両の移り変わり・都市の発展と線路のひろがり」という2つの分野に分かれて居ます。写真にも有る通り鉄道施設物関連の展示物には模型や実物等を用いた分かり易い展示がメインとなっており、歴史関連は写真や年表での展示がメインとなっています。
 本当の意味で「如何にして鉄道は運営されて居るか」と言う事を学んで貰う事は、鉄道に対して正しく理解をしてもらう為には重要な事です。そういう意味では「鉄道の博物館」として考えると地味でもこういう展示物は重要ですし、又「東武鉄道への理解を深めてもらう」という点では、今までの流れを説明する資料は重要と言えます。その点ではポイントを上手く抑えて居るかな?と感じました。

左:軌道のレールの規格を案内するのは珍しい? 中:東武の今までの車両群を年表で表示 右:一緒に東武の社史も年表で表示




☆ (あとがきに替えて) 民間企業が収益性の低い「博物館」を造り運営する効果とは?

 私も今まで鉄道系の博物館には何回か訪問した事が有ります。それを踏まえた上で今回東武博物館を訪問したのですが、今回リニューアルされた東武博物館は、「チョット足りないな〜」と思う点が有るにしても全般的には「一民鉄企業が造った博物館」としては、かなり充実した施設で有ると言っても過言では無い施設が揃って居ると感じました。
 東武博物館自体は、東武鉄道の創立90周年記念事業として整備された施設ですし、今回のリニューアルも東武博物館開設20周年(と言う事は東武鉄道設立110周年)を記念して行われた事業ですが、東武鉄道自体は「歴史の有る鉄道企業」と言う事も有るのかこの様な「会社の歴史を残す事業」に関しては非常に熱心に取り組みます。
 実際これほどのレベルの「一般の人々に見せる博物館」を持って居るのは関東では東急と東武だけですし、何処の会社でも周年を記念して造る事が多い「社史」も関東の他の民鉄各社が作った「社史」に比べると東武鉄道の「東武鉄道百年史」は非常に立派な物を作って居ます。

 確かに「会社の歴史を後世に残す事」は非常に重要です。何処でも言える事ですが「過去の歴史の上に現在が有り、現在の先に未来が出来る」と言う事です。未来に向かって進む為にも過去の歴史を学び現在の状況を知る事は非常に重要な事で有ります。
 東武鉄道の場合、鉄道関係の色々な著書も書いて有る東武博物館館長の花上嘉成氏が熱心な事も有るのでしょうが、実際問題大企業の中ですから「個人の力」で此れだけのプロジェクトが実現出来る物では有りません。
 と言う事は、社内に推進者が居ると言う事は大きな弾みになるのでしょうが、それ以上に東武鉄道と言う会社自身が、企業活動として上述の様な「自社の歴史を残し広く社会に知らしめる」活動に熱心であると考えて間違い無いでしょう。

 最初に述べたように、博物館を運営する様な活動は基本的に「採算ベースに乗る事業」では有りません。企業活動として見れば博物館運営は収益を追及出来る投資先とはとても言えません。では何故企業はそれでもこの様な施設を造ったり歴史を残す事業を行うのでしょうか?
 一つは「人々に自社が行って居る事を詳しく知ってもらう」という意味が有ります。普通の人達が「鉄道会社は鉄道を運営して居る」と言う事は知って居ますが、「どんなシステムでどのように運営されて居るか?」と言う事まで知らないのが実状です。有る意味それは当然です。鉄道はインフラ産業で有り実際に鉄道を動かして居る運転手・車掌・駅員の他に多くの人が係わり、実際に有る施設がその様な意味が有り機能して居るのか?まで知って居る人は関係者以外は少数です。その様な状況の中でこの様な博物館を造り「分かりやすく鉄道について知らせる」という事は、会社の行って居る事業のアピールと理解を深めてもらう為に重要で有り、その事が「利用者が会社への理解を深める」事で廻り回って帰ってくる事になります。
 二つ目は「企業グループの中でも鉄道事業への理解を深める」事に貢献する事になります。実際鉄道会社は今や多種多様な事業を行う巨大なグループとなって居ますが、中核となる鉄道事業について関連企業になると知らない事の方が多くなります。実際私も鉄道会社の系列企業に勤めた事が有りますが、関係の薄い部所に居ると親会社で有る電鉄会社の鉄道事業について「鉄道会社は鉄道で客を運んで居る」と言う事以上を知らない事が増えてきます。それでは企業集団として全体を見回すと好ましい事では有りません。その様な自体を防ぐには「企業集団の社員全体に鉄道事業とはどんな物なのか?」という事を学ばせる必要が有ると言えます。そういう意味では「実物が見える施設」として社員教育の側面からも、この様な「素人にも分かり易い博物館のような施設」が有る事は意味が有る可能性が有ると言えます。

 実際問題、東武鉄道も一つ目の「普通の人々に自社の鉄道事業を理解してもらう」事を主眼として東武博物館を造った事は間違い無いでしょう。多分二つ目の「社員教育に活かせる」と言う事は殆ど認識して居ないのでは?と感じます。
 しかし、確かに博物館は「現金」という有形の収益を生むのは厳しい施設で有る事は間違い有りませんが、それでも造った物が「有形の収益」である現金収益を生み出さなくても会社に貢献する為に「無形の収益」を含めた可能な限りの収益を上げる必要が有ります。
 その為にも、東武鉄道は此れだけの素晴らしい施設を作った以上、一般の人々への啓蒙だけで無く、鉄道会社の企業グループとして「今少々足りない物?」と言える社員教育と企業グループ社員の事業への理解の深化と求心力の維持の為にこの様な立派な施設を使い、企業として最大限に活用して施設を生かして次の施設の活性化に活かせる「善の循環」を生み出して東武博物館を「永続される物」として欲しいと改めて感じました。




※「 TAKAの交通論の部屋 」トップページへ戻る



このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください