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(2)改良・近代化が急速に進む長尾線・志度線を訪問して
「1」急速に改良・近代化が進む長尾線を訪問して(高松築港9:33⇒10:09長尾10:33⇒10:39学園通り10:59⇒瓦町11:24)
この日は前座の琴平線仏生山往復を終わらせた後、9時にJR高松駅で
交通総合フォーラム
で御馴染みのとも様・KAZ様と合流し、3名でコトデンを中心に高松周辺を見て廻る事となりました。私自身高松は愚か四国も初訪問でありほとんど土地勘もなかったので、お二人に御同道頂きいろいろな事がわかり非常に有意義に廻る事ができました。
この日も何の切符で廻ろうか?という話が御両名から出ており、私はとも様から「
くるり〜ん切符
」を勧められていたのですが、結局前日に記念にIrucaを買っていたのですが、よくよく考えてJR切符が東京〜松山往復の為宇多津⇔高松間がはみ出しておりその処理をかねて「くるり〜ん切符」をJR高松駅で購入して、Irucaを使い切った後この日1日の移動に利用しました。コトデン再生に人を出し協力したJR四国との協力の第一弾が「くるり〜ん切符」との事ですが、確かに高松だけでなく観光地の屋島・琴平も押さえた切符の存在は非常に便利であるといえます。将来的には既にICカードを持つコトデン・伊予鉄に加え土佐電気軌道・JR四国を加えた4社で各社ICカードが利用可能になるとの事ですが、地域交通の利便性向上のためにはこの様な協力は積極的にすべきですし、そのような協力関係を組めるようになったコトデンの変化は率直に評価すべきであると感じました。
左:[1]高松築港駅に入る600形 右:[2]終点長尾駅の駅舎
JR高松駅からコトデン高松築港駅まで歩き、まず最初はコトデン長尾線に乗り長尾まで進む事にします。2両編成の長尾行き車内は高松都心区間を出た後も座席が半分を少し欠ける程度の利用客があり休日午前中の下り列車である事を考えるとかなり利用されている感じです。しかし途中で何本か交換した上り列車はこちらの列車よりかも見た目若干乗っていた感じです。
もともと長尾線は長尾寺への参拝鉄道として作られた路線で明治45年開業と古く長尾街道の街道筋に作られた路線であり、沿線にはほとんど人家が絶える事が無くかなり沿線人口があることが容易に想像されます。又長尾線自体瓦町〜長尾間14.6kmに16駅と比較的駅間が短く駅数が多く、正しく「地方の郊外電車」という感じです。又途中の水田駅の前後では国道11号線に絡む連続立体交差化事業が行われていて、琴平線の三条〜大田間の連続立体交差化工事と並んで今コトデンで具体化している大型改良工事が行われています。どちらの工事もコトデンの破綻に絡んで休止している
高松琴平電鉄連続立体交差事業
の様に破綻の影響を受けたのかもしれませんが、コトデンの路線インフラの改良にもなり道路混雑も解消されるものであり公共性の高い事業ですから早く実現してほしいものです。
左:[3]長尾駅に入線する600形 右:[4]長尾駅近くに有る「
大川自動車
」本社
長尾線自体が14.6kmの比較的短い路線であり、多少田園風景が広がってきて左手に平野にポツリと立つ白山が見えてくると終点の長尾です。長尾は長尾寺の門前町という事もあり長尾線沿線の中でも比較的開けている駅で利用者数も917人/日と「中の上」に位置しています。駅舎は木造でレトロな感じで付帯の建物も空き店舗のようになっており駅前も寂れた感じです。
しかし長尾自体は「それなりの地域の交通拠点」になっているのかもしれません。駅前には個人タクシーに毛の生えた規模ですがタクシー会社があり駅からちょっと歩いた所には地域のバス会社である大川自動車の本社があり
高松〜引田線
と
さぬき市コミュニティバス
が2路線の計3路線が長尾駅直近の大川バス本社前に乗り入れています。
けれどもコトデンとバスの接続はほとんど意識されておらず、加えてコトデン長尾駅と隣接のJR高徳線造田駅は直線距離で2kmほどですがコミュニティバスしか連絡手段が無くその本数も7本/日でオレンジタウン駅・志度駅に向かうバスも4本/日しか有りません。長尾〜高松間はコトデン長尾線と大川バス引田線は競合路線でしかもコミュニティバスの運行者が大川バスという事もあるのでしょうがネットワークの構築という意味で鉄道とバスの連携がイマイチの感じがしました。
左:[5]2002年に新設された学園通り駅 右:[6]学園通り駅の駐輪場・P&R用駐車場
長尾の駅周辺と大川バス本社を見た後、3人で「如何しようか?」と話し、徒歩orタクシーで造田・オレンジタウン・志度駅へ向かう等色々検討した結果、取り敢えず長尾線で戻ろうという事になり、長尾線に乗りながら運行本数も多いので途中下車をかねて(あわ良くば高徳線・志度線方面へのバスが有るかと期待して)長尾線で最新の駅である学園通りで降りてみる事にしました。
学園通り駅は地元三木町の請願で出来た駅で、コトデンでは琴平線の学園通り駅に次ぐ新しい駅として2002年にコトデンでは46年ぶりに新設された駅です。この駅は隣接敷地に「ショッピングモール ベルシティ」が有り、駅の周りにもロードサイド型の店が多く車での人の往来の多い場所に出来ています。
コトデンの駅自体は非常に簡素なものの、大型ショッピングセンターに隣接している事に加えて
町営のP&R用の駐車場
及び駐輪場が整備されており、三木町のコミュニティバスも全路線乗り入れており、三木町の交通の拠点として整備されております。これは三木町が「公共交通アクセスがコトデンしか無い(後は大川バス引田線だけ)」状況下で、公共交通の拠点を構築しようという意思の下に計画してコトデンに長い間かけて働きかけて実施した駅であると推測は出来ます。
今でこそ「ショッピングセンター隣接の駅・P&R駐車場のある駅・コミュニティバスの拠点となっている駅」は珍しくありません。しかしこの駅が5年前に建てられた事・コトデンには他にこの様な拠点性の高い駅がほとんど無い事を考えると、学園通り駅の素晴らしさが分かります。ある意味新駅建設の意見のある「youmeタウン」に比較的近い所の「琴平線三条〜大田間新駅」もこの様な可能性がある駅といえます。この様な新駅の立地を探し利用客増加に結びつける事が重要なことであると感じます。
「2」長尾線の「おこぼれ」で車両更新が進む志度線に乗って(瓦町11:32⇒琴電志度12:04)
学園通り訪問の後、協議の結果「次は志度線と高徳線で志度を往復しよう」という事になり、瓦町まで戻りそこから志度線に乗り換えて志度を目指す事にしました。(これでコトデンは全部乗った事のなる)
瓦町に着くと志度線に乗り換えになりますがこれが一苦労です。元々今のターミナルビル完成前は瓦町駅に琴平・長尾・志度の3線全部が乗り入れており、高松築港には琴平線の他に瓦町でスイッチバックして志度線が乗り入れていました。それがターミナルビル建設で志度線が分断され高松築港乗り入れは長尾線に変わり今の形態になりました。その不便さをフォローする為に連絡通路には「動く歩道」も完備されてはいますが、やはり乗り換えは時間もかかり難儀です。
なぜこの様な形態になったのかは分かりませんが、高松築港乗り入れ自体は高松へ向かう平行路線のある志度線より長尾線のほうが全体の利便性向上の為には好ましく理解できますが、駅を離し路線を分断した事で高徳線への逸走を最低限に食い止めるべきだった高松築港・片原町方面への乗換えが不便になり、路線を分断したことで志度線は車両管理の為今橋工場を復活させるなどマイナス面が多くなっています。大規模な変更を伴う工事は難しかったのでしょうが、せめてホームはあの場所で我慢しても連絡線だけでも造れれば今橋工場閉鎖のコストダウンと連絡線建設のコストアップが相殺でき、しかももっと柔軟な車両運用が出来たといえます。
そのような理由で孤立化した志度線は「チョット取り残された」感じのする路線です。琴平線と繋がっている長尾線は大型車が投入されて近代化が完成していますが、大型化が実現していない志度線は長尾線から押し出されてきた旧名古屋市交の600形が主力になっていて旧型車も現存している状況です。瓦町で見る限りそれなりの利用者はいる感じですが、それでも何か「一歩落ちる」感じです。
左:[7]瓦町駅の琴平線・長尾線ホームと志度線ホームを結ぶ連絡通路 右:[8]志度線の主力600形
左:[9]琴電志度駅に停車中の600形車両 右:[10]琴電志度駅の年期の入った木造駅舎
志度線は高松の市街地を右に左に縫いながら今橋・松島二丁目・沖松島と進んでいきますが、沖松島を出るとイキナリ左手には河口と広い土地が広がり沖松島〜春日川〜潟元の間で詰田川・春日川・新川の3本の川を渡ります。この3本の川を渡るとすぐに琴電屋島の駅になります。琴電屋島ではそれなりに乗客が降り明らかに「空いたな」と感じます。
何故「空いたな」と感じるかはこの先へ進むと良く分かりました。屋島も確かに源平合戦の古戦場という観光地でありそれなりの市街地が広がっていますが、高松から見ると3本の川で「連続性が切れた」と感じますし、加えて高松〜屋島〜志度間にはコトデン志度線の他にJR高徳線・国道11号線(志度街道)がほぼ並行して走っており、しかも屋島以東は3本ほとんど近接して走っていてしかもコトデン志度線は片側に市街地がほとんど無い海側を走っている為、利用者が少なく屋島で一段利用者が落ちる事が原因であるといえます。
コトデン屋島を出ると八栗など多少賑わいのある駅を通りますが、一部折り返し電車のある大町駅を過ぎると完全に瀬戸内海・志度街道・高徳線「猫の額」程度の土地を志度に向かい進みます。その途中何故か志度線だけは海岸線を忠実に沿って房前ノ鼻では大きく迂回をしたりしており、非電化の高徳線と比べても「鉄道のとしての機能を発揮していないな」と感じさせます。コトデン破綻時に「志度町は最後までコトデン支援支出を渋った」と聞きますが、確かに志度町内ではコトデンは「有用な交通機関」とはいえない状況にあり支援を渋られたのもある意味当然と言えます。
最終的に志度で降りたのは私たち3名を除くと数名という状況であり、「寂しい状況」である事は間違いありません。又八栗〜志度間はほとんど乗降が無くほとんど車か高徳線に逸走している感じです。その高徳線との駅舎にもレベル差が現れている感じで、コトデンの駅舎は(ペンキで化粧しているが)木造で有るのに対しJR駅は駅前広場付橋上駅舎です。運行本数こそコトデン3本/時:JR1〜2本/時(+特急1本/時)と差が付いている為コトデンが利用される事も多いのでしょうが、JRが増発した場合コトデンは不要になってしまう可能性があります。とも様・KAZ様と話していた時も「八栗から先は要らない」旨の話しが出ましたが、正しくその通りだと思います。この区間に関しては取捨選択が必要かもしれません。
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(3)経営破たんと破綻からの再生がコトデンにどのような変化をもたらしたか?
へ続く 」
「
「破綻からの再生」が地域にもたらした効果とは?
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