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鉄道車両の「転職」がもたらした物とは?

−長野電鉄に見る「中古車両による体質改善の効果」とは−



TAKA  2007年08月06日




小田急10000系から長野電鉄1000系へ ロマンスカーの再就職は大成功!?


※本記事は「 TAKAの交通論の部屋 」「 交通総合フォーラム 」のシェアコンテンツとさせて頂きます。


 元々「終身雇用」が一般的な日本の雇用形態ですが、バブル崩壊後リストラの進展により終身雇用制が実質的に崩壊して、その様な雇用流動化により出て来た新しい雇用形態「転職」「再雇用」等々の言葉は、今や誰もが知っていますし非常に身近な言葉となってしまっています。
 日本では、人間に関しては「一度身を置いたら其処で終わる」と言う形態が一般的でしたが、これが物になるとチョット変わってきます。特に高額な「車」等の物品に関しては新品も沢山出回っていますが、2年毎(新車は3年)の車検等の法定点検時に新車に買い替え同時に中古として売却して、中古車を望む人々に再度流通してゆく「転職・再就職」的な流通システムが一般的な制度として成立しています。
 その様な世の中一般の動きの中で、交通業界とて例外ではありません。例えばバス業界では中古車両を転売する為の業者間のネットワークが存在していて、大都市圏で排ガス規制やバリアフリー規制等で走れなくなったバスを地方に転売して、大都市圏のバス会社には「中古として売却することで一定の資金回収」地方の中小バス会社には「比較的程度の良い中古を買うことでの車両代替」を図ることが出来て、全体のレベルの底上げに貢献しています。

 この事は鉄道業界でも一緒で、バス業界ほど全体としての中古市場のパイが小さいので、バス業界ほど中古市場での取引が活発では有りませんが、それでも「地方民鉄が中古車両を購入しての車両更新」と言う名の地方私鉄での「車両の再就職」は頻繁に行われています。又鉄道業界の場合は、中古車両の供給者である大手民鉄の子会社が積極的に中古車両を改造の上地方会社に転売と言う事を行っています。実際中古市場で主流を占める京王3000系に関しては京王電鉄子会社の 京王重機整備 が販売を行い、東急7000系・8000系等に関しては東急グループの 東横車輌電設㈱ が改造の上販売を行っており、比較的大きなビジネスとして成立しています。
 又受け入れる方の中小事業者にとって「大手民鉄から中古電車を買う」と言う事は、苦しい経営で少ない資金の中で効率的に設備更新を行うためには「必要不可欠」と言える事です。中古車両が少ない交流電化・ディーゼル車を使う事業者の場合新車を買う事例が多いですが、経営が苦しいものの大手民鉄で中古の出物がある「地方の民営直流電化中小私鉄」では、殆どの会社が「如何なる形であれども」中古の車輌の導入を行っています。実際「地方の民営直流電化中小私鉄」で「中古車両を導入せず自社新造で対応」と言う会社は静岡鉄道・遠州鉄道位であり、それほど地方では「中古車両の購入」が一般化しています。
 その中古車両の購入で体質改善を図っている好例が、中小民鉄でも大きな規模を誇る長野電鉄です。今でも全社で59両の車輌を持つ比較的規模の大きい地方民鉄ですが、昔は「 OS1・OS2 」と言った個性的な自社製造車輌も保有していましたが今では自社製造車輌は 2000系 2編成だけに減り、大部分が大手民鉄の中古車両に変わっています。
 この様に長野電鉄は「大部分の車輌が大手民鉄の中古車両」になっていますが、長野電鉄は、1981年の長野〜善光寺下間地下化の時に東急5000系を 2500系・2600系 として29両一括導入して地下化によるA-A基準への適応と体質改善を図り、1998年の長野オリンピックに備えて1993年に営団3000系を 3500系・3600系 として37両が一気に投入されてOS1・2500・2600系を代替すると同時に車種統一を図る等、中古車両を上手く使っての「体質改善」を図っています。
 その長野電鉄が近年又大手民鉄の中古車両を購入して、体質改善を図ろうとしています。今回は今まで 交通総合フォーラム の常連の方々に「長野の素晴らしさ」を伺っており一度訪問してみようと思った事と(仕事で昔上田までは良く通った事があるが、長野は殆ど訪問した事が無い)、又長野電鉄に私の馴染みのある車輌が東京から「転職」した事もあり、一度訪問して「長野電鉄の状況」を見てみようと思い、訪問してみました。今回はその訪問を基にした「長野電鉄とその車輌の姿」について書いてみました。

「長野電鉄の概要」
営業距離・路線名称・区間57.6km・長野線(長野〜湯田中 33.2km)屋代線(須坂〜屋代 24.4km)・長野〜朝陽6.3kmのみ複線。その他は全て単線
駅  数36駅・有人駅18駅(屋代駅は「しなの鉄道」の管理駅) 無人駅18駅
電 圧・軌 間直流1,500V・1,067mm
車 両・社員数59両(1000系 8両 2000系 6両 3500系・3600系 33両 8500系 12両)・159人
輸送人員・輸送密度8,619千人・3,782人/日
営業収益・営業費用2,265,980千人・2,288,992千人
※参考資料:レールファン長電「 長野電鉄について 」・数字で見る鉄道2006

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●長野電鉄の中心的車両「転職三兄弟?」

 日本の地方中小民鉄の中では「比較的大規模」と言う事が出来る長野電鉄ですが、その長野電鉄の輸送の根幹を支える車輌は大部分が在京大手民鉄・地下鉄からの購入中古車両で占められています。
 長野電鉄の車輌は全部で59両ですが、その内9割近い53両が購入中古車両で占められています。しかし長野電鉄の場合、「中古車両だから古い」と言う訳では有りません。今の主力車輌である3500系・3600系は営団日比谷線3000系として製造されたのが1961年〜1971年であり車齢45年〜35年であり、導入が進められている8500系は東急8500系としての製造初年は1975年であり車齢は35年未満、A特急用として導入した1000系の元である小田急10000系は製造が1987年・1988年で何と車齢が約20年とかなり若い車輌が主力となって居ます。

  
左:元小田急10000系ロマンスカーだった1000系 中:元東急8500系だった8500系 右:元営団3000系だった3600系

 この様に長野電鉄は悪く言うと「中古車両の吹き溜まり」と言う感じがしますが、実際は変な先入観念で見なければ「地方私鉄で良くこれだけ近代的車輌で固められたな」と感嘆する世界です。
 確かに東京で見れば「使い古して廃止された車輌」とも言えますが、東京ほど過酷な使い方をされる訳ではないですし、しかも長野電鉄主力の3500系・3600系・8500系は腐食しないステンレス車輌です。台車等の機器は車体より寿命が長く「車体更新」で機器のみ再利用と言う例も多々有る様に鋼製の車体より寿命が長い事を考えれば、台車・機器等は未だ現役で有ると言えます。その様な事から考えると長野電鉄が買った車輌は「未だ全然再就職問題なし」と言う状況である事は間違いありません。
 しかも中古車両ですから当然安価です(小田急が10000系譲渡時は無償譲渡。長野電鉄は短編成化の改装・運搬費を負担)。中小私鉄の場合新車を購入となると比較的財力があっても更新がままならないのは他の私鉄を見れば明らかです。その様な懐事情の中でしかも保有車輌が多いと言う中で「安価で上手く車輌の体質改善を行った」長野電鉄の中古車購入戦略は非常に上手く行っていると言えます。


●長野電鉄の新しい顔1000系ゆけむり号に乗って

 今回7月21日の土曜日に長野を訪問しましたが、今回の長野訪問の最大の狙いは「再就職したロマンスカーを見に行く」と言う事でした。今までも小田急ロマンスカーでは3000系SE車が大井川鉄道に移籍した事がありますが、その例以外は基本的に廃車になって居る3000系・3100系が譲渡された事は無く、連接車である等の特殊要因も有り小田急ロマンスカーが他社線で余生を過ごす事は有りませんでした。其れが今回 長野電鉄への10000系の譲渡 です。ロマンスカーが再就職でどの様な第二の人生を送るのか?これを見る為に日帰り強行軍で長野へ行く事にしました。

 今回は長野まで車で行き、上信越道須坂長野東ICで下車して架け替え工事が進んでいる村山橋で撮影をした後、須坂駅前に車を置き普通電車で信州中野に移動後に郷土食堂で昼食を取りそこから電車で湯田中へ移動し駅前温泉 楓の湯 で温泉に入り一休みすると、14時半前になり長野方面に戻るのに丁度いい時間になります。此処でゆけむり号の展望席を押さえて長野市内へ戻る事にしました。
 下りのゆけむり号は14:22湯田中着です。その直前に温泉を出て駅舎に向かうと丁度見慣れた1000系車輌が入線して来ました。駅周辺で見ると下りのゆけむり号は1泊観光に良い時間である事も有り40名以上のお客さんが降りてきます。其れに対し長野へ向かう上り列車は改札口で乗車を待つ人は私を含めて5人程度、観光客が利用するには時間が中途半端と言えどもチョット寂しい利用率です。
 発車10分前には乗車の改札が始まります。頑張って一番最初に並んでいた私は当然展望席を押えます。「ロマンスカーの展望席」に乗ったのは「十数年前の新入社員研修の現場見学帰り(10000系)」「 ロマンスカーVSE初乗り時 」以来3回目です。「良い大人になって展望席に座るのも恥ずかしい」と言う気持ちもありますが、やはり緑の美しい善光寺平を走るロマンスカーの展望車は又格別でした。幾ら年を取っても綺麗で素晴らしい景色には感激するものです。ロマンスカーの展望席が何故人気なのか改めて分かる気がしました。

  
左:1000系ゆけむり号@湯田中  右:新造時の「ブルーリボン賞」の記念記章が誇らしげな1000系展望席


  
左:其れなりに乗っている「ゆけむり号」車内@長野  右:すれ違うロマンスカー1000系車両と通勤型の8500系車両@須坂

 結局ゆけむり号の湯田中発車時点での乗車は10名程度でその内真ん中2両は乗客ゼロで全員が前後の展望車に集まると言う「如何にもロマンスカー」と言う状況になりました。このゆけむり号はA特急で湯田中〜長野間で停車駅は信州中野・小布施・須坂・権堂の4駅です。このまま「展望車以外は空気輸送か?」と一瞬不安がよぎりましたが、それは途中駅の状況を見ましたら杞憂で終わりました。展望車で見ていた限り信州中野で約15名・小布施で約10名・須坂で約10名の乗客が乗り千曲川を渡る段階で乗客は40名を越えそれなりの乗客が居る状況になりました。
 驚くべきは観光地である湯田中・小布施では「如何にも観光客」と言う人々が乗ってきましたが、信州中野・須坂では「如何にも地元客」と言う人たちが乗って来て(もっと驚いたのは中学生が乗って来た事だ・・・)信州中野→小布施・須坂や須坂→権堂と言う短距離利用がそれなりに存在する事でした。これは「特急料金100円」と言う事が大きいのでしょう。確かに「特急料金100円」でリクライニングはしない物の特急として中の中の設備の車輌を利用できるのなら短距離利用も有るでしょう。その点でも1000系ゆけむり号の存在は大きいと言えるでしょう。
 少なくとも「小田急ロマンスカーの中古車」で有るのは事実ですが、その事実以上に「観光客輸送に最善の車輌を持ってきた」と言う事の方が意味は大きいでしょう。元々特急に使っていた2000系の代替がロングシートの8500系ではチョット問題ありです。其れに対しグレードアップが著しい1000系ならばサービス改善で客を引き付ける事でしょう。将来的には小田急でも流行の「朝夕の通勤時への定員制の特急運転」への投入を含めて1000系導入は長野電鉄に色々な選択肢を与えたと言えるでしょう。


●長野電鉄の主力?近郊輸送を中心に全線で活躍する一般車両

 ゆけむり号で長野まで出て来た後、今度は長野電鉄の長野近郊輸送を見てみる事にしました。本来は「長野電鉄の朝ラッシュ輸送は凄い」と言うお話を聞いていたので(参照:KAZ様「 「通勤」ラッシュのある街−長野市の朝− 」)平日朝ラッシュを見たかったのですが時間が取れず、土曜日の夕方の状況になってしまいましたが、それでも長野電鉄の長野近郊輸送の片鱗が見れたと言えます。

 ゆけむり号で長野駅に到着し、長野駅周辺を散策し長野大通りを権堂まで歩き、権堂からは本郷→信濃吉田と長野電鉄の長野近郊の駅を見て周り、信濃吉田→北長野を歩き北長野→長野をJRを一駅利用して長野に戻り、長野17:43発のB特急で須坂に戻る事にしました。
 先ず最初は権堂から本郷まで長野電鉄の普通列車を利用する事にしました。地下の権堂駅に入ると造りも雰囲気も「日比谷線の駅かな?」と言う感じです。ホームこそ短い物のそれ以外は大都会の駅とは何も変わりません。長野電鉄は昭和56年に都市計画に基づいて長野〜善光寺下間の地下化を行って居ますが、路線後が活用された長野大通りの存在や近代的な車輌が走る地下線の存在など、長野の都市形成に大きな役割を果たした事は現地を見ると良く分かります。
 権堂では長野から来た8500系の電車には30名強/両の客が乗車していました車輌に、新たに15名強/両の客が加わり車内はさらりと座席が埋まるほどの乗客になりました。16:30と言う時間から見ると夕方ラッシュには早いですしなんせこの日は土曜日です。その点から考えてもこの利用率は驚きです。少なくとも「何故長野に20m4ドア3両編成が導入されるのか?」と言う疑問に答えが見えた気がします。長野市内・郊外での長野電鉄の利用率はかなりの物であると推察しました。

  
左:20m4ドア車の輸送力が頼もしい?地下駅で多くの客が8500系列車を待つ状況は大都市並み@権堂駅  右:長野寄りでは車内の感じは東急線と変わらない?@権堂


  
左:3500系と近代的な駅舎の姿は長野の都市化の象徴?@信濃吉田  右:2両編成では輸送力不足?ラッシュ前でも立ち客が出る長野電鉄長野口

 続いては本郷駅周辺をブラブラした後、再開発地区内に有る信濃吉田駅に移動するために再び長野電鉄の下り列車に乗ります。今度は来たのは3500系の2両編成です。単純に長さだけを見たら3500系は18m2両編成で前に乗った8500系は20m3両編成ですから36m:60mで前に乗った列車の6割しか有りません。この差は車内の状況に如実に出ていました。1本前の8500系車輌では居なかった立ち客が3500系では10名/両近く出て居ます。車内はさながら「東京の昼間」と同じ状況です。
 長野のベットタウンである本郷・信濃吉田周辺ではかなりの乗降があります。各駅とも数名〜10名の乗車が有る物の特に本郷・信濃吉田では20名近くの降車があり、2両目では立ち客が殆ど居なくなります。この状況を見る限り地下線区間を含む長野電鉄長野口では大都市さながらの利用が有ると言う事が出来ます。
 信濃吉田駅前は再開発ビルに長野東急百貨店のスーパーが有り、しかも駅前等ではマンション建設が行われており「典型的大都市近郊の駅」と言う感じです。その為もありJR北長野駅に近い駅でありながらこれだけの利用が有るのでしょう。本郷〜信濃吉田間は沿線人口も十分張り付いていてしかも住宅地として成熟している地域ですから、長野電鉄に取り「ドル箱」と言える地域である事は間違い有りません。

 この状況を見る限り、傍目から見ると「輸送力過剰かな?」と思わせる8500系導入ですが、これが必然であった事は良く分かります。部分的ですが3500系2両編成では輸送力不足になる状況が有る事は間違い有りません。そうなると「3600系が有るではないか?」と言う事になりますが、3600系の3両編成は3編成しかない、しかもラッシュ時の輸送力を考えると3600系より8500系3両編成の方が輸送力が有ります。混雑時際混雑列車だけ3500系2編成4両の列車を送り込んでおけば、それ以外の時間帯の長野〜須坂間は8500系3両編成が丁度良い輸送力になるのではないか?と感じました。
 その点からも「大都市近郊輸送的な輸送に耐えられる」と言う点で、大都市輸送の主役であった元東急8500系の導入は有る意味「今考えられるベストの選択」だったのかもしれません。逆に言えば8500系がベストな程長野電鉄の近郊輸送は大都市的な輸送が行われていると言う事ではないか?と改めて考えさせられました。


●「鉄道活性化・近代化」としての中古車両譲渡の効果とは?

 今回長野電鉄を訪問しましたが、話には聞いていた物の此れほど都会的な輸送が成立しているとは思いませんでした。 長野市 自体は人口383,316人と県庁所在地の人口から見れば「中の中」と言う規模です。東京近郊で見れば「中規模な自治体一つ」の規模しか無い街の規模です。又長野電鉄長野線沿線の須坂・小布施・中野・山ノ内の 各自治体の人口 を足しても124,919人です。その内すべてが長野電鉄の沿線人口ではないですから、長野電鉄の沿線人口は( 長野都心部5地区+三輪・吉田・柳原・朝陽各地区の人口 が91,118人から推測して)12万〜15万人程度であろうと推測出来ます。
 この様な「東京の大手民鉄の中規模沿線自治体一つ分」しか沿線人口が無い長野電鉄ですが、実際に行われている輸送形態は「大都市顔負け」の都市輸送であり、その実情は驚くべき状況であると言えます。この様な鉄道輸送形態が何故出来たか?と言う事に関しては「 長野市の都市計画で居住系は鉄道沿線に集める等の誘導 」が行われたのは大きいでしょう。確かに長野電鉄に乗ると地上に出た本郷から千曲川を越えた先の須坂までの間は比較的住宅の多い車窓が続きます。又千曲川東岸地域からの輸送は「須坂から千曲川を越える橋が少なくメインルートの406号線村山橋が狭い片側1車線でネックになっていた」と言う車には不利な条件もあり、鉄道が非常に良く使われてきたと言うことが有ったのだと思います。

 しかしそれ以上に大きいのは「長野電鉄が都市型輸送に耐えられる体質を持っていた」と言う点に有るでしょう。長野電鉄は大正15年の須坂〜権堂間・昭和3年の権堂〜長野間開業時点から長野〜信濃吉田間を複線で開業しており、その後戦後比較的早い昭和31年には信濃吉田〜朝陽間の複線化も実現しており、長野都市圏輸送の受け皿としてのインフラを整えて居ます。その上前にも述べたようにこの後のイベント時(長野〜善光寺下間地下化・長野オリンピック)を奇禍として車輌の入れ替えによる体質改善を図り、今や地方中小民鉄としては驚愕に値する都市圏輸送を行うまでになりました。
 この様な長野電鉄の都市的な輸送形態の構築に大きな役割を果たして来たのは、間違いなく「大手民鉄からの再就職車輌」である事は間違いありません。地方中小民鉄の場合「中古車輌を引っ張ってくる」と言う事自体は珍しい事ではありませんが、長野電鉄の場合は「未だ寿命のある車齢30年前後の比較的若い車輌」を中古車両で引っ張ってきて投入する事で、都市圏輸送に耐えられるレベルの車輌を保有する事が出来たと言うのが大きなプラス要因であったと言えると思います。元々長野電鉄が東急(初代)5000系を導入した時に、もっと東急には旧型の車輌が有ったにもかかわらず長野市内の地下鉄線使用に耐えられる比較的車齢の若い5000系の譲渡を受け長野電鉄の車輌の現代化を一気に達成した事が大きな意味を持ったと言う事が出来ます。

 加えて今回の小田急10000系ロマンスカーの譲渡を受けた事で、今まで中古車両の導入で改善されてきた長野都市圏輸送だけでなく、「落ちる所まで落ちてしまった」湯田中・志賀高原方面への観光輸送にロマンスカー車両導入で大きな活力を与える事が出来た事は、今までの「都市圏輸送用車輌の導入」とは又別の「観光輸送の強化」と「イメージアップ」と言う意味で大きな効果が有ったと言う事が出来ます。
 確かに長野電鉄を支えている根幹は「長野都市圏輸送」です。その視点から言えば長野〜須坂〜信州中野間だけ存在すれば鉄道として十分機能する事は間違いありません。しかし長野県は全国有数の観光県であり、高速道路網の発達で「車で来る観光客」だけに主眼を当てると言う施策でも活性化を図る事は出来ますが、折角東京〜長野を短時間で結ぶ長野新幹線と言うインフラもあり、公共交通でのアクセスの条件も良いのですから、長野電鉄が大きな努力を図り 2000系 を導入して観光輸送を活性化させイメージアップを図った「初志」を思い起こす事も必要で有ると言えます。
 実際長野電鉄はA特急では「特急料金100円」を徴収していますが、この特急料金収入も馬鹿にはならず1998年の段階で「特急料金収入は約8,000万円(鉄道ピクトリアル1998年4月増刊号「甲信越・東海地方のローカル鉄道」より)」と言う収入があるのですから、この収入は大切にしなければなりません。又特急料金を取る以上は其れなりの設備が無ければなりません。そうなると特急料金を取るに相応しい車輌の導入は必要不可欠であったと言えます。その点から見ても小田急10000系ロマンスカー導入は良いタイミングで導入を図ったと言えます。

  
左:小田急10000系早期廃車の元凶?ハイデッカー対応のステップ  右:中古車両も長野では大歓迎@登場後8ヶ月経過後も「ゆけむり登場」の看板が有る長野電鉄長野駅


  
ロマンスカーは鉄道に人を引き付ける「華」か? 左:「ゆけむり号」の前で記念撮影をする親子連れ  右:「ゆけむり号」から大挙降車する観光客


 小田急10000系ロマンスカーは正しく「程度の良い出物」であった事は間違いありません。小田急ではより旧式の7000系LSEが未だ現役で有る事を考えると「一番古い車輌から廃車」と言う訳で無く10000系は「未だ十分現役で働ける車輌」であると言えます。実際問題50000系VSE導入時に廃車にされた車輌が長野電鉄に譲渡されて居ますが、この車輌は「ハイデッカー故にバリアフリー対応が取りにくい」と言う理由で早期退役を余儀なくされたと言う話です。その点にだけ目を瞑れば何も問題が無い車輌であり、未だに十分現役であると言えますし、小田急線でも未だに現役にある10000系は観光客等にも人気の有る車輌です。その様な「未だ働き盛りの車輌」で、しかも「観光客に人気の有る車輌」を導入できた事は正しく「ラッキーだった」と言う事が出来ます。
 この様に「華の有る」車輌が存在すると言う事は、特に観光輸送などの不定期輸送が大きな割合を占める鉄道にとっては大きなプラスになります。実際小田急から長電へ10000系を「都落ち」させた50000系VSEを小田急電鉄が導入した事による「 新型ロマンスカーが箱根観光に与えた効果 」は大きな物があります。其れと同じ効果が1000系ロマンスカーゆけむり号導入で長野電鉄と湯田中・志賀高原観光にも期待できると言う事です。
 実際今回のゆけむり号試乗で、小田急の駅の状況ほどではありませんが、湯田中駅や車内で鉄道マニアだけ出なく観光客・子供連れが展望席の前で写真を取ったり展望席で写真を取るなど「車輌その物に興味を示す」事が散見されました。この様な光景は「華が有る車輌」で無ければ見る事が出来ません。その「華のある車輌」の有る意味象徴がロマンスカーなのです。それが長野電鉄に輸出されたのですから、長野電鉄だけでなく沿線の観光に与える影響は大きいと言えますし、登場後約8ヶ月も経ったゆけむり号のポスターが長野駅だけ出なく各駅に掲示され未だにアピールに努めているのも「長野にロマンスカーが走る」と言う事に対する「波及経済効果」への期待が高いからに他なりません。それだけ「ロマンスカー」と言う中古車両導入のもたらした物は大きいと言う事が出来ます。

 これは正しく表題に有る通り「鉄道車輌の転職」が上手く成功し体質改善を図れた好例であると言えます。鉄道車両は輸送に関する機具のうち比較的寿命が長い機具であると言えます。しかし鉄道車両の償却年数は13年で有る事を考えると、大手民鉄には現状でも「償却の終わった資産としての車輌」では有るが「大都市ほど酷使する環境で無ければ十分活用可能」で「中小民鉄の保有車輌よりサービスレベルが上の車輌」と言う未だ「再就職可能な車輌」が多数存在しています。特に近年技術革新の進化に伴い新技術採用によるランニングコスト削減のために償却年数+αの比較的短い期間で車輌の更新を行う事が増えて居ます。今回東急→長野電鉄に譲渡された8500系は正しくその例に当てはまると言えます。
 しかしこれらの車輌は只単純に「廃車」してしまうには余りに惜しいと言えます。技術革新の早い電装系の機器に関しては更新が必要かもしれませんが、台車などは未だ十分使用可能な物も多いですしステンレスカーの場合腐食が少ないので車体も十分使用可能と言う例も多々有ります。この様に未だ寿命がある車輌を活用する事が重要であると言えます。中古車両ですからその再生に新車並みのコストを掛けては意味がありませんが、コストパフォーマンスに合う程度の投資をして再利用をする事は、資源の有効活用と効率的な投資と言う視点からも非常に重要であると言えます。


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 今少子化の進展と団塊の世代の退職を控え人間社会でも「退職者再雇用・高齢者雇用」と言う動きが出て居ます。これらの比較的年齢を経ている人は、年齢が高い事もあり無理をして最前線で働かせる事は困難ではありますが、(子供が独立している等の事情で)比較的低コストで雇用可能ですし、今まで社会で活躍して来ている実績があるので安心して雇用が出来ます。ですから時と場所を選んで適材適所の配置をしてあげれば社会に取り大きな戦力になる事は間違いありません。特に弱小の中小企業にとっては大企業と若年者を争って30年間1人雇用するより、ある程度の歳の人たちを定年後の再就職と言う形で1.5人5年〜10年と言うスパンで雇い入れて、給与も6割程度で経験を生かしながら若者の3分の2程度の仕事量で働いてもらう方が中小企業としてはメリットが有る可能性が高いと言えます。
 このような事は鉄道車両にも言えるのではないでしょうか?本州JR3社や大手民鉄ではJR東日本901系の登場以降、「 技術革新の速さに対応するため比較的安価で造り償却が終わった段階で比較的速く廃車にして新しい電車を造る 」と言う動きが加速しています。しかしその廃車の段階で簡単に「ハイ廃車します」では余りに勿体無いと言えます。その時の電車の寿命は未だ人間の50歳代位の筈です。未だ「第二の人生」を十分歩めるレベルの筈です。その段階での廃車解体は勿体有りません。
 東武8000系の様に「自社内で改修・更新を行い長く使う」と言う方策も有りますが、やはり京王3000系・東急5000系・東急7000系・東急8000系の様に「地方私鉄での第二の人生」を送らせる事で地方私鉄全体のレベルアップを図る必要が有ると、長野電鉄での中古車両の「第二の人生」で活躍する姿を見て改めて感じさせられました。


☆(余禄)やはり「信州の蕎麦」は美味い!

 今回信州長野を訪問するに当たって、「長野フリーク」の多い 交通総合フォーラム の皆様に「どこか長野で美味しい店有りませんか?」とメールした所、皆様から色々なお店をご教授頂き「それでは久しぶりに長野でグルメをしようか?」と気合も入ったのですが、(悲しいかな)やはりダイエットが頭から離れず信州名物でしかもヘルシーな蕎麦を食べる事にしました。
 蕎麦に関しては「信州中野の郷土食堂が美味しい」と言うメールを頂いていましたので、今回丁度信州中野は通るので須坂→湯田中間を移動する間に、途中下車して信州中野〜中野松川間一駅歩いて郷土食堂に寄ってみました。
 店としてはかなり規模も大きく2階も有り大人数は入れます。しかし訪問したのが丁度1時過ぎで昼を少し外した時間だったので店も空いていて落ち着いて食べれました。肝心な蕎麦は写真の通りしめじ天ぷら蕎麦と笹寿司を頼みましたが、ダイエット中の私にはチョットボリュームが多かった感じでした。しかし蕎麦はコシが有り喉越しも良く非常に美味しい蕎麦でした。東京などで食べる蕎麦とはチョット違い小千谷・長岡の「 へぎ蕎麦 」に近い感じでしたが、この蕎麦「 富倉そば 」と言う飯山市富倉地区で供される珍しい蕎麦だそうです。繋ぎに小麦を使わない事が独特の感じを出している様です。
 信州の蕎麦と言えば、昔サラリーマン1年生の頃仕事で上田に通った時に食べた「 刀屋 」の蕎麦位しか知りませんでしたが、今回は珍しく美味しい蕎麦を食べることが出来て「又長野に来る理由が出来た」と言うほどの収穫でした。私の問い掛けに答えて下さった交通総合フォーラム長野フリークの皆様有難うございました。
 (参考サイト: 信州のそば処

  
左:信州中野の「 郷土食堂 」  右:しめじ天ぷら蕎麦と笹寿司



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