このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください





桃は何故枯れてしまったのだろうか?

−桃花台新交通の鉄道事業の失敗の要因を見る−



TAKA  2006年12月26日





桃花台東でUターンするピ−チライナー(夢と化した高蔵寺延長用の構造が良く分かる)


 「 新交通システム 」と言えば、概念こそ色々な広がりを持つ物ですが基本はモノレール・ライトレール・案内軌条式鉄道(AGT)・ガイドウェイバス・磁気浮上式鉄道・スカイレール・IMTSなどの交通機関で、基本的には「鉄道>新交通システム>バス」と言う図式が成り立つが、イメージ的には「鉄道ほど大きくは無いが最新の交通システム」と言うイメージを持つものです。
 その様な新交通システムですが、開業してからわずか15年で経営不振で廃止に追い込まれると言う寂しい実例が登場しました。それは本年9月30日に廃止された「桃花台新交通」です。桃花台新交通は愛知県小牧市の桃花台ニュータウンの交通手段として1991年に小牧〜桃花台東間が開業した新交通システムですが、赤字による経営不振・資金不足により本年9月30日で廃止される事になりました。
 今地方鉄道においては色々な所で「廃止」問題が発生しています。しかし元々近年作られ都市内や都市近郊を走る新交通システムに、開業してからわずか15年で廃止と言う例が出てくるとは正直なかなか想像がつきませんでした。しかしその様な事が残念ながら桃花台新交通では現実となってしまっています。当初建設時には建設省(現:国土交通省)のインフラ補助も受けて今でも「 名古屋圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画 」で未開業の桃花台東〜高蔵寺間が「平成20年度までに整備の推進を図る事が妥当」とされている路線が、何故建設からわずか15年余りで廃止になってしまうのでしょうか?
 建設時には建設省インフラ補助第一号に認定されそれ以前の新交通システムより恵まれており、ましてや純粋民間経営で何も補助を受けていない山万ユーカリが丘線等に比べると極めて恵まれた鉄道であると言えます。その様な恵まれた鉄道で有りながらわずか15年で「100億円にもなる解体費」と「国土交通省への38億円の建設時補助金の返還の可能性」と言う「廃止に伴うリスク」が有りながら、今回廃止される事になりました。
 では「桃は何故枯れてしまったのでしょうか?」恵まれた補助を受けながら何故桃花台新交通は廃止されてしまったのか?今回廃止直前の06年9月16日に現地を訪問する事が出来たので、その訪問に基づき桃花台新交通廃止の要因を考えたいと思います。

 「桃花台新交通 主要指標 (数字でみる日本の鉄道2003・2005・2006より)」
年度営業キロ駅数平均駅間距離輸送人員輸送密度営業収益営業費用営業損益客車走行㌔職員数
H13年7.4km7駅1200m812千人1,646人/日221百万円652百万円▲431百万円1256千km45名
H15年7.4km7駅1200m1,255千人2,648人/日249百万円465百万円▲216百万円1263千km40名
H16年7.4km7駅1200m1,303千人2,776人/日258百万円491百万円▲233百万円1257千km41名

 (参考HP) 桃花台新交通㈱HP   愛知県地域振興部交通対策課HP   小牧市HP   桃花台線に関して (小牧市HPより)
       以久科鉄道志学館   御壕をめぐる攻防〜名古屋鉄道瀬戸線略史 (以久科鉄道志学館より)
       桃花台新交通 (wikipedia)  桃花台新交通桃花台線 (wikipedia)  桃花台線のあり方に関する提言 (桃花台線のあり方検討会)
       財団法人桃花台センター   あおい交通HP

 (参考文献) ・名鉄百年史(名古屋鉄道) ・鉄道ピクトリアル06年1月増刊号「名古屋鉄道」
        ・数字でみる日本の鉄道2003・2005・2006

 * * * * * * * * * * * * * * *

 ■ 桃花台新交通を訪問して (06年9月16日)

 「桃花台新交通廃止」との話を聞いたのですが、名古屋こそ何回か訪問していますが桃花台新交通は一度も訪問した事が無かったので「何も見ずして語る訳にも行かない」と思い、9月15日〜16日で浜松へ仕事の関係で出張があったのでそのついでに名古屋・三重・滋賀方面に足を伸ばす事にして、その時に廃止直前の桃花台新交通を訪問することにしました。
 出張先の浜名湖から豊橋まで移動して豊橋で仕事の関係者と別れてJR東海の混雑している新快速に乗り、金山で地下鉄名城線・平安通で上飯田線〜名鉄小牧線直通小牧行きに乗り、名鉄小牧線の小牧駅にたどり着いたのは16日の午後4時過ぎでした。さすがに休日の4時過ぎなので名古屋北部にある中核の街兼名古屋のベットタウンである人口152,341人の小牧市の玄関口である名鉄小牧駅も人は閑散としています。
 名鉄小牧駅前は名鉄が地下化された上に名鉄ホテル・スポーツクラブが有り、駅の東西には駅前広場が整備され東口にはバスも発着しています。又イトーヨーカドーがキーテナントの「ラピオ」も駅近くに有り、駅周辺には大都市のベットタウンで人口約15万の街に相応しいそれなりの集積が存在しています。


左:桃花台新交通 小牧駅   右:閑散とした小牧駅改札口

 桃花台新交通の小牧駅は丁度名鉄小牧駅ビルと駅東口バスロータリーの間に高架で駅舎が造られています。小牧駅は桃花台新交通の取って他の大量輸送機関との実質唯一の接続駅ですが、隣接はしている物の名鉄→地下・桃花台新交通→高架と言う形になっているので、ホームtoホームだと3フロア分の高低差が有り、一部エスカレーター等は有りますが今回の様に名鉄→桃花台新交通と言う形で上りの乗換をするとかなりしんどい物が有ると言えます。
 休日と言う事も有り名鉄小牧駅・東口駅前広場も閑散としていましたが、桃花台新交通の小牧駅はそれ以上に寂しいほど閑散としています。改札口のフロアには数人しか居ません。取りあえず桃花台東までの250円の切符を買い桃花台新交通の改札を通りホームに上がると一転して20名程度の人が居ますが私の様な「御名残乗車」の人が半分近く居る感じで、地元の日常利用と言う感じの人は半分ぐらいです。その点から考えると桃花台新交通が廃止になった理由と言うのは判る気がします。


左:小牧駅ホームの状況   右:特徴的な片方向クロスシートの車内


左:小牧駅の折り返し用ループ線   右:桃花台新交通小牧駅と地下の名鉄小牧駅の上に建つ駅ビル

 暫くすると桃花台方面から小牧行きの列車が到着します。到着した列車から10名/両程度の客が降車して来ます。桃花台新交通は新交通システムとしても小さめの車両4両編成で大体15分毎の運転になっています。その輸送力で(この日が休日と言う事を勘案しても)この程度の乗客しかないのであれば普通は経営的にはかなり厳しい状況で有るのは当たり前で有ると言えます。此処にも「廃止の要因の一旦」が見えると言えます
 小牧行き列車が終点小牧駅でお客さんを降ろすとそのままホームを出て行きます。桃花台新交通の場合折返し線が有る訳ではなく小牧駅(及び桃花台東駅)のホームの先にループ線があり、そこで方向転換をして運転をしています。欧州の路面電車では見かける形態ですが日本では非常に珍しいと言えます。確かにこの方式だと車両で「ドアが片方でOK」「運転席が前方だけでOK」と言うメリットは有りますが、インフラ的には大きなループ線が必要になります。果たして車両のコスト削減でインフラの増をペイできたのか?このループ線折り返し方式を導入した事に建設時の「コスト感覚」に疑問を感じざる得ません。
 その様に批判的に考えつつ、列車に乗り込みループ式折り返しの特徴である「運転席の無い最後部」に陣取り、風景を見ながら桃花台東を目指す事にします。車内は写真に有る通り全体で10名〜15名程度の利用客で遭いも変らず寂しい感じです。此処から先は桃花台に向けて減って行く一方なのでしょう・・・。


左:名鉄小牧線と並行して走るピーチライナー(小牧〜小牧原)   右:対向列車とすれ違う(東田中〜上末)


左:田園地帯の広がる上末駅周辺   右:一戸建て住宅の並ぶ桃花台ニュータウン(桃花台西周辺)

 ピーチライナーは小牧を出ると東名高速道路の下を潜る為に一度地上に降りその後高架になる名鉄小牧線の西側を並行して走り最初の駅小牧原に着きます。小牧原も名鉄小牧線と乗り換え可能ですが実際は小牧乗換えが多いようです。小牧線に小牧折り返しがあり小牧原では本数が減るのに加えて駅が完全平行でないのが原因でしょう。小牧原を出るとピーチライナーは勾配を上り名鉄小牧線をオーバークロスして新交通システム導入スペースのある国道155号線バイパスを桃花台に向けて東進します。でも構造的には小牧では名鉄の東側を走るピーチライナーが小牧原では西側を走り高高架で名鉄小牧線をオーバークロスするというのは無駄が有ると言えます。もう少しすっきり作れなかったのでしょうか?
 小牧原を出て国道155号バイパスを桃花台ニュータウンに向けて東進すると、ニュータウンの途中に東田中・上末と2つの中間駅が有ります。この地域沿線には住宅ではなく工場や空き地が広がる地域であり、市街地の小牧・小牧原や完全なベットタウンの桃花台ニュータウン内の各駅とは異なる雰囲気です。しかし東田中駅近辺は極東開発工業・三菱重工業等の工場で、上末駅周辺は未だに空き地が広がっていて桃花台線の需要にプラス要素にはなって居ません。それは桃花台線にとっては大きなマイナスで有ったと思います。


左:ニュータウン内の風景(桃花台センター〜桃花台東)   右:ループ線を折り返してくるピーチライナー(桃花台東)


左:桃花台東駅の状況   右:閑散とした駅前ロータリー(桃花台東)


左:乗客が降りても閑散としている桃花台センター駅   右:夜の闇に列車だけが浮かび上がる@桃花台センター東

 上末を出て暫くすると国道155号線から離れて、北側に進行方向を帰ると桃花台西駅になりいよいよ桃花台ニュータウンに入ってきます。この地域は区画された街区に一戸建てが整然と並んでいて、「いかにもニュータウン」と言う感じです。只桃花台新交通はニュータウン内の幹線道路上に敷設されている為に、住宅街の中でも幹線道路沿いに有るロードサイド店が数店有るのは確認できます。
 桃花台西を出て又交差点直上で90度曲がり東に進行方向を帰ると、暫くして地下に入り桃花台ニュータウンの中心である桃花台センター駅に到着します。流石に桃花台ニュータウンの中心である駅だけ有り、小牧で乗って以来殆ど動きが無かった乗客が大挙して降車して(と言っても10名に行かない程だが・・・)車内は数名になって益々閑散としてしまいます。この傾向だけを見ると桃花台線の利用の大部分は小牧〜桃花台センター間の2点間輸送に特化されているのかも知れません。
 桃花台センターを発車して、数百m走った先の一戸建ての住宅街の地域で地上に出ると左に桃花台線の車庫が見えて、その先の中央高速を越えると終点の桃花台東に着きます。(トップに載せている)写真を取る為にホームの突端に立ってみると、折り返し用の巨大なループ線と将来の高蔵寺延伸用の路線構造の一部を見ることが出来ます。ここでもし高蔵寺延伸が実現していた場合、大曽根・金山・名駅直結の中央線にアクセスが出来ると同時に行き止まり路線から通り抜けの出来る路線に変身が出来て状況が変っていた可能性は否定できないと思います。しかし「中央線を目指す流動に小牧に接続する桃花台新交通は合わない。だから高蔵寺延伸が救世策だ」と言う考えは「高蔵寺経由はどちらにしても遠回り」と言う点から無理が有ったと思います。その様な点から考えると「小牧〜桃花台ニュータウン〜高蔵寺」を結ぶ構想の桃花台新交通には、ルート的に当初から無理が有ったのかもしれません。
 桃花台東駅周辺は駅前に広場があり駅周辺に数棟のマンションが建っていますが、駅のホームから見ると街中に商店も見えませんし人の姿も殆ど見えません。人が見えるのは降車客と乗車街の客が重なり5〜6名の人が居るホームだけです。この後帰りは桃花台東で降りて高速桃花台BSから高速バスで名鉄バスセンターまで帰ったので夜7時位に桃花台東駅周辺を歩きましたが、駅の照明とマンションの部屋の電気と少ない街灯以外は殆ど照明もなく人影も乏しい正しく「寂しい状況」でした。この状況は桃花台東だけでは無いと言えますが、幾ら休日であれどもニュータウンの内部がこの様な閑散とした状況ではニュータウンアクセスに軌道系公共交通が成立するほどの需要がない事は明らかです。その点からも「桃花台新交通廃止の理由」が見えてくると言えます。

■ 桃花台ニュータウンの町並みを見て(06年9月16日@桃花台センター)

 さて取りあえず本来の目的のピーチライナー試乗が終わったので、取りあえず「ニュータウンの町並みでも見てみようか」と思いましたが、前にも書いた様に桃花台東では駅前にマンションが有るだけで店も何も無くお茶をする場所も有りません。浜名湖を出てから此処まで何も飲まず食わずだったので「街を散策しながら何か休憩をする場所が欲しい」と思い、取りあえず「センターと言う以上は街の中心だろう」と言う推測の下で再度ピーチライナーで桃花台センターへ戻る事にしました。
 ピーチライナーの桃花台センター駅は桃花台ニュータウン内の幹線道路沿いに有り、駅は地下になっていてその上の地上に駅舎が建っている形態です。駅の隣には中部地方が本拠のスーパー「ユニー」の一形態である「アピタ」を核テナントとしたテナントビル「ピアーレ」が有り、その脇にコミュニティバス・タクシー・キス&ライド用の小さなバスターミナルが有る形で、比較的こじんまりと纏まった拠点となっています。
 又桃花台センター駅の道路を挟んだ街区は比較的新しそうな(多分立てられたのは90年代前半?)中層マンションを主体とした中でシンボル的な高層マンションが1棟有る街区となっており、流石にニュータウンの中心街だけ有り一戸建て主体の駅間の地域とは異なり高度利用がなされています。


左:桃花台センター周辺の町並み   右:桃花台センター駅とアピタ桃花台店


左:自動車客狙いのローサイド店   右:アピタの入るテナントビル「ピアーレ」内部

 取りあえず桃花台センター駅の回りを歩いてみると駅の周辺は「ピアーレ」と桃花台センター駅が有る中核区画を中心に比較的中層マンションが多い地域になっていますが、中核区画の隣の区画はロードサイド型の店舗・レストラン等が数店舗並んでいてこの区画が一番賑わっている感じがします。又周辺の道路も休日の夕方と言う事も有ってかなり車の通行量が多い感じがします。桃花台ニュータウン自体が「車が主体のニュータウン」となっているのかもしれません。
 駅の回りを歩いた後、一服できる店を探す事を兼ねてテナントビル「ピアーレ」の中に入ってみます。ピアーレの内部はモール形態の専門店街の区画と「アピタ」が入っている区画に分かれていてその上に駐車場が有る形になっています。又ピーチライナー桃花台センター駅と駅の脇の小さなロータリーからは簡単にアクセスできる形態に成っており、他のショッピングセンター等の施設と比べても決して立地や建物の形状が悪い施設では無いと言えます。
 しかし訪問したときには「ピアーレ」の内部には閑古鳥が鳴いていました。取りあえず専門店街一階の吹き抜けの所に有るロッテリアに入り人の流れを見てみます。ロッテリアは丁度専門店街の真ん中に有りますが、一階の吹き抜けの周りにはチラホラ人が居ますが、吹き抜けから見える2階には殆ど人が居ませんし隣のアピタの店内も殆ど人が見えません。休日の夕方のショッピングセンターで有るのにこの状況では寂しい限りです。街の中全体を見ても休日の夕方なのに人出が少なく感じます。桃花台ニュータウン自体が街の活気を失っているのでしょうか?


左:桃花台センター駅脇の小さなバスターミナル   右:あおい交通の運営する 小牧巡回バス

 ショッピングセンターの中で一息ついた後、駅の降車客を見ながら桃花台センター駅脇のバスターミナルを覗いて見ることにします。桃花台センター駅は小牧からの列車が着くたびに改札口から数人〜10人程度の客が降りてきますが、殆どは歩道橋等を歩きマンション街に消えて行きあっと言う間に駅やロータリーの周辺は閑散としてしまいます。
 バスターミナルにはタクシーとあおい交通運営の小牧巡回バスが発着しており、私が居た時には丁度小牧巡回バスが来ていましたが利用者は殆ど居ない状況です。このロータリーは閑古鳥が鳴いていますが其れもその筈ロータリーに乗り入れているのはタクシーと小牧巡回バスがメインで、春日井行きのあおい交通バスや桃花台〜名鉄バスセンター間の高速バス等のメインのバス路線がこのロータリー発着ではなく周辺の路上発着になっています。
 少なくとも桃花台センターで見る限り、桃花台センターは交通拠点として「便利ではない」と言う事が出来ます。このとき最終的にこの日の宿が名駅の近くだったので名駅へのアクセスとして「春日井行きのあおい交通バス→名鉄バスセンター行き高速バス」の順番でバス停を探したがなかなか見つからず、最終的には桃花台センターからバスに乗るのを諦めピーチライナーで桃花台東に移動して中央道桃花台BSから高速バスに乗りましたが、桃花台ニュータウン内で名古屋に行くアクセスの出発地点がバラバラで交通の拠点が実質的にない事は非常に不便であり、交通の拠点がショッピングセンター近接地点に無いからこそ桃花台ニュータウンの商業拠点である「ピアーレ」が閑散としているのでは無いかと感じました。少なくともこの前「 関東鉄道めぐり 」で訪問したユーカリが丘の街づくりと比べると、計画性の無い街づくりで賑やかさも無いなと感じさせられました。

■ 「なぜ桃は枯れたのか?」桃花台新交通失敗の要因を分析して

 この様に桃花台新交通は「極めて利用されていない新交通システム」で有る事は、統計上の数字を見ても明らかですし、実際訪問して見て「廃止間際と言えども余りに利用者が少ない」と言う事は強く感じました。
 実際現実問題としてこの利用客で「新交通システムと言う軌道系交通システムを維持するほどの需要量は無かった」と言うのが桃花台新交通廃止の最大の理由で有った事は間違い有りません。大都市でありながら車社会が根付いている名古屋でしかも道路・高速道の整備が進んでいる桃花台地域で有る場合、自動車交通が発達しているので公共交通はピーチライナー代替後の整備されたバス路線が有れば十分だったのでは無いかと感じます。その事は桃花台新交通廃止後に設定された代替バス等の利用状況が示していると言えます。(参考資料: 桃花台線廃止後のフォローアップ調査委員会資料

 しかし桃花台新交通はバス以上の利便性が有った事は間違い有りません。上記引用の資料を見れば桃花台線廃止後に新設・増発バス路線に流れただけでなく、元桃花台線利用客の約27.7%に当たる1,000人/日が公共交通機関以外(主に自動車)に転移している実情を見れば、「バスで公共交通は維持されているが、100%代替はされていない」と言うことは明らかです。
 その点から見れば、桃花台線の廃止は主に桃花台ニュータウンを中心として公共交通のサービス低下と言う形で影響を与えると言えますし、イメージ的にも桃花台ニュータウンに「桃花台線が廃止されたニュータウン」と言うイメージがつく事はマイナス要因になると同時に、そのイメージと不便さからニュータウンの新陳代謝に必要な新規流入人口の減少と言う形でニュータウンの今後の持続的な成長に大きなマイナスを引き起こす可能性があります。
 そう考えると「軌道系を維持する需要量が無かった」と言う現実はあれども、上記の様な「廃止の副作用」を考えると折角造られた公共交通で有ったのですから、何か維持する方策は無かったのか?と今になると考えさせられます。
 実際桃花台新交通が廃止されてから期間が経ち、今になって「こうすれば良かったのではないか?」と存続の方策を考えても「死んだ子の齢を数える」様な物ですが、失敗は繰り返すべき物では有りません。なので今回は「存続のスキーム」を考えるのではなく、主題に有る通り「何故桃は枯れたのか?」と言う様に「何故廃止に至ったのか」と言う桃花台線失敗の要因について分析をして見る事で、将来に対し何か教訓になる物を残す事が出来ればと考えています。

 ○ 桃花台新交通単独での運営に問題あり?(山万ユーカリが丘線との比較)

 まず言える事は「桃花台新交通単独の運営に無理が有る」と言う点です。実際無理が有ったからこそ今回のような「廃止」と言う結末が訪れたと言えますが、予めこの様な状況を予知してセーフティーネットとまでは言えなくても桃花台線を支えるスキームを造れなかったのか?と考えさせられます。
 ニュータウン開発のスキームと言えば元々桃花台ニュータウン自体が計画では約10,400戸・40,000人と言う計画で愛知県により建設されたニュータウンですが実際の入居者が27,785人に留まった為に加えて、需要予測が色々な問題から結果的に過大になっており、実際の利用者数が特許申請時・運賃認可申請時の数字に遠く及ばなかった為に赤字が垂れ流しになってしまったと言う事が、直接的な桃花台新交通の破綻の理由で有ると言えます。
 しかしもう少し考え方を替えて、「公共交通機関はニュータウンのツールである」と言う考え方で桃花台ニュータウンに絡ませて桃花台新交通のスキームを作ることが出来なかったのか?と感じるのは私だけでしょうか?

 実際上記のの様な「公共交通機関をニュータウンのツール」と言う考え方で上手く総合的に運営する事で、単体では赤字のニュータウン内公共交通を成立させていると事が有ります。それが弊サイトであるTAKAの交通論の部屋の「 関東鉄道めぐり 」で取り上げた山万ユーカリが丘線とユーカリが丘ニュータウンです。
 ユーカリが丘線とユーカリが丘ニュータウンに関しては上記の記事内で色々と書いていますが、桃花台新交通とユーカリが丘線は規模等は違いますが運行システムは一緒・どちらもニュータウンのアクセス手段として作られ鉄道単体で見るとどちらも万年赤字と言う所は似ている環境に有ると言えます。その中で桃花台新交通は廃止される事になりユーカリが丘線は地域の足として運営され続けています。果たしてこの差は何処から来るのでしょうか?


左:ニュータウンの足として活躍するユーカリが丘線(地域センター)   右:廃止されたピーチライナー(桃花台東)

 この差の大部分は「山万が事業者としてニュータウン全体で必要なインフラを支えるスキーム」をユーカリが丘ニュータウン建設時にすでに作り上げていた点が非常に大きいと言えます。ユーカリが丘の場合山万と言う不動産会社の一つの財布の中でニュータウン造成からユーカリが丘線建設費までが出されていてその財布に入る金の主力はニュータウンの分譲収入である為、結果的にユーカリが丘線の建設費は不動産分譲収入に一部込みになっていて資金的裏付を得ている上に、運営費に関しては山万と言う事業者が鉄道から駅前商業施設の賃貸まで一貫して行っている為に運営費の赤字をユーカリが丘線をニュータウンでの各事業のインフラとして必要不可欠なツールと言う考え方で内部補助で賄い、ユーカリが丘線単体で見ると赤字でも山万の「ユーカリが丘事業」全体で見ると事業として成立するスキームを作り上げている点が「今までユーカリが丘線が維持されてきた」理由で有ると言えます。
 それに対して桃花台新交通は、ニュータウンの開発者が愛知県で桃花台新交通の建設費は「都市モノレール整備の促進に関する法律」に基づくインフラ補助第1号として補助が拠出されたのに加え、裏付はない物の「 ピーチライナーの建設費の一部に桃花台ニュータウンの建設費が流用されている (=結果的に分譲費に上乗せされている)」と言う話も有り、建設費的には運営主体の当初負担は民間単独で作られたユーカリが丘線より遥かに少なくなっていると言えます。
 しかし運営主体が第三セクターの「桃花台新交通㈱」は桃花台線の運営だけを目的に作られ、運営開始後の桃花台線の収支に対するフォローのスキームが無い状況で、過大な需要予測と事業の申請時の収支計画だけが残り其れを基にした経営が行われ、最終的に県・小牧市に依る融資等の補助が行われましたがそれでも立ち行かなくなり廃止されることになりました。
 今更ながらの話ですが、もし桃花台新交通と桃花台ニュータウン建設時に、県が「役所的発想による開発」を行わず、山万がユーカリが丘で行ったような「民間的発想」に基づくニュータウン全体でニュータウンのインフラを維持するスキームを造っていれば又別の状況になっていた可能性が有ります。具体的に言えばピーチライナーの運営主体である桃花台新交通㈱と桃花台センターのショッピングセンターのピアーレやニュータウン内の駐車場等の管理等を行う(財)桃花台センターを一つの組織として内部補助をしながら運営していれば、今の桃花台新交通㈱の経営状況はもう少し改善していたかもしれません。(只桃花台新交通㈱→営業損益▲233百万円・(財)桃花台センター→当期収支12,593千円でとても内部補助の原資としては不足ともいえるが・・・)
 現実問題として「これだけでは足りない」のは明らかですが、「足りる・足りない」と言う話の前に、この様なスキームを考えられなかった「お役所的発想の造成」と言う開発事業そのものに問題が有ったのは明らかです。これが民間の不動産会社や鉄道会社が行えば、「トータルで収支を見る・副業で稼ぐ」と言う発想は普通に出て来る物であると言えます。其れがなかった事が、「なぜ桃は枯れたのか?」と言う事の一つの回答になると思います。


 ○ 桃花台新交通を枯らしたのは名古屋市の「市営モンロー主義」?(名鉄小牧線・上飯田連絡線と桃花台新交通の関係)


上飯田で「38度線」の様に聳え立つ名古屋市交の壁を示す駅看板

 桃花台新交通の失敗を語るのにもう一つの問題は「名古屋都心アクセスの悪さ」と言う問題が有ります。桃花台ニュータウンから名古屋都心へのアクセスは「桃花台新交通で小牧経由名鉄小牧線」「バスで春日井経由JR東海中央線」と言うルートがメインですが、名古屋の中心街栄へのアクセスと考えると小牧経由・春日井経由とも2回の乗換が必要であり非常に不便で有ると言えます。(名駅の場合は春日井経由だと乗換1回で済む)しかも2003年3月の 上飯田連絡線 開業前には小牧経由の場合上飯田〜平安通間を徒歩連絡で有った為非常にアクセスは不便であると言う事が出来ます。
 この様な点から考えると、「桃花台新交通はアクセスが不便な名鉄小牧線に接続する小牧側からでなく、JR東海中央線に接続する高蔵寺側から建設すべきだった」と言う事も出来ますが、桃花台新交通建設時の経緯(桃花台自体が小牧市域で小牧との接続は無視できない・県から相談を受けた名鉄が新交通システムを提示するなど名鉄が深く関与・小牧市や名鉄が出資)から考えると、現実問題として建設ルートは高蔵寺から建設ではなく今の小牧から建設のルートしか考えられない事は又事実で有ると言えます。
 そうなると問題は「何故小牧線は上飯田で停まっていて、名古屋側ターミナルには公共交通が接続していないのか?」と言う問題が出てきます。実際上飯田線が開通した平成15年度には名鉄小牧線→8,408人/日桃花台線→907人/日利用者が増加したと言う状況(出典:愛知県交通対策課HP 路線別1日当り輸送人員 より)から、名鉄小牧線が名古屋側で鉄道系輸送機関と名古屋都心方面で接続していないと言う事が、両線の利用者の増加と沿線開発に大きな足かせとなった事は明らかです。もし1971年の市電御成通線廃止以降名古屋都心への軌道系アクセスが無くなった名鉄小牧線に市電に変る軌道系の都心アクセスが有れば桃花台ニュータウンや小牧市を筆頭に名鉄小牧線沿線の開発に大きなプラスになったはずです。
 少なくとも「ニュータウン開発の規模縮小」と並ぶ桃花台新交通の足を引っ張った要因の一つに「都心アクセスの悪さ」が有りその原因は「名鉄小牧線に軌道系都心アクセス手段が無い」と言う事が有る事は明らかです。では何故市電廃止後に軌道系都心アクセス手段が出来なく名鉄小牧線だけが上飯田で中途半端に止まってしまったのでしょうか?この事が桃花台新交通の首を絞めた事は間違い有りません。その点について現地の訪問記を交えて考えて見たいと思います。

 ☆ 市営地下鉄上飯田線・名鉄小牧線訪問記(9月16日15時半〜16時頃)

 今回「桃花台ニュータウンの足」である桃花台新交通を訪問するに当り、桃花台新交通の都心アクセスを担う名鉄小牧線を見なければ「片手落ち」になると言う感じも有り、しかも「桃花台新交通苦戦の理由は都心アクセスの悪さに有り」と言う話も有ったので、今回桃花台新交通の「前座」として市営上飯田線〜名鉄小牧線の平安通〜小牧間を試乗して見る事にしました。
 実際名鉄小牧線は一昨年年末の北京旅行時に名古屋へ夜行高速バスで入り時間調整で名駅〜犬山〜味美〜名古屋空港と言うルートで空港にアクセスした時に名古屋から見ると逆ルートから小牧線を利用した事が有りますが、都心から順方向の平安通経由での利用は無かったので、今回偶々JR東海道線新快速を金山で降りて名城線を利用したので名古屋都心から見て一番メインのアクセスルートを経験してみる事にしました。

 そういう訳で金山から地下鉄名城線に乗り大曽根の一つ手前平安通に着いたのは3時半近くでした。流石に名古屋市内の地下鉄の駅でしかも名城線と上飯田線の接続駅だけ有り私の乗った名城線外回りの電車からは1両10名近い人が降ります。その降車客のうち半分以上の客が名城線外回りホームから直接作られている上飯田線への連絡通路へに向かいます。
 乗換通路を行く人の流れについて行き名城線ホームから一段下の上飯田線ホームに降りて行くと、すでにホームには名鉄小牧線から直通してきた20m4ドアの名鉄車両が停車しています。停車中の車両の車内を見てみると10名/両程度の乗客が乗っている感じです。この段階で乗車している人の大部分は名城線から乗り換えてきたのでしょう。取りあえずこの電車に乗って市交上飯田線と名鉄小牧線の接続駅である上飯田に向かう事にします。


左:名城線と上飯田連絡線の連絡通路(平安通)   右:上飯田連絡線と名鉄車両(平安通)


左:上飯田駅周辺の状況(北側を見る)   右:上飯田駅周辺の状況(南側を見る)

 平安通から一つ目の駅上飯田は元々は地上に有る駅で上飯田線に乗りいれる前は名鉄上飯田ビルの中に駅が有りました。北から来た名鉄小牧線は名古屋の北辺の境である庄内川を越えてすぐの所に名古屋側のターミナルとして上飯田駅を此処に作りました。上飯田は1944年〜1971年の間上飯田〜平安通〜大曽根間に有った市電御成通線により都心にアクセスがありターミナルとして機能していましたが、市電廃止後都心のアクセスを失い名鉄小牧線の都心アクセスは上飯田からバスor徒歩のアクセスしか手法が無くなった事が名鉄小牧線の停滞を招く事になります。
 今は味鋺〜上飯田〜平安通間が地下化されこの区間を「 上飯田連絡線㈱ 」が第三種事業者として路線を所有し、味鋺〜上飯田を名鉄が第二種事業者・上飯田〜平安通を名古屋市交が運営する形になっています。その為上飯田の駅は名鉄上飯田ビル内から駅前通の地下に移りました。今回過去のターミナルを一度見てみようと思い上飯田で一度降車して駅の周囲を見てみることにします。
 地下の駅からコンコースを出て、地上に出てみると道路の東側に大きく名鉄上飯田ビルが建っています。又駅の回りを見ると商業施設が有る感じはしますが小牧線が平安通まで直通した影響が出ているのか名鉄ビルを始め商業施設に活気が見られません。元々上飯田は名古屋周辺地域では比較的栄えていた街で今でも名鉄上飯田ビルやダイエーなどの大規模店舗が多いのですが、これらの店舗は地元のマンション等の定住している人が相手のようで、今や「上飯田がターミナルで有った」と言うのは完全に過去物語となっているようです。幾ら発展が遅れていた名鉄小牧線でも上飯田で見る限りその影響力は大きかったようです


左:名鉄上飯田ビルと上飯田駅入り口   右:名古屋市交と名鉄の乗務員交代(上飯田)


左:小牧線列車車内(上飯田)   右:地下の小牧駅で折り返す小牧線列車

 上飯田の駅の周りを一回りした後再び地下の上飯田駅に戻り、今度は名鉄小牧線で桃花台新交通に乗る為に乗換駅の小牧を目指すことにします。ホームに下りると暫くすると小牧行きの列車が来ます。名鉄小牧線は上飯田〜犬山間のうち都心よりの上飯田〜小牧間が複線になっているので、一部列車は小牧で折り返しになっています。愛知県北西部の中心都市犬山市(74,747人)と名古屋市間は名鉄も犬山線と小牧線が走っていて都心アクセスの差から犬山線が主流になっているために、小牧線の場合名古屋市街(平安通・上飯田)〜小牧間の輸送がメインになっているようです。
 上飯田の駅のホームで良く見ていると、運転手の交代を行っています。確かに平安通〜上飯田間は第二種事業者が名古屋市交ですから、運転手は名古屋市交の職員で有る事は有る意味当然の事です。しかしこの一駅間の運転のために専門の運転要員を確保している事は果たして効率的なのでしょうか?実際非効率的で有るようで 名古屋市交は名鉄に運行を委託 する話も有るようです。上飯田線の場合「上飯田〜平安通〜新栄町〜丸田町」間で路線の計画を持っているからこそこの様な運行形態を取るのでしょうが、名古屋市交は其処までする必要が有るのでしょうか?
 上飯田で改めて乗った列車も写真に有るように大体10名/両程度の乗車率です。4両編成で運転と言う事を考えると幾ら休日であれども利用率は高いとは言えません。しかし上飯田を出た後途中の各駅では多少の乗降は有るものの微減の状況で小牧まで推移していきます。小牧線の走る春日井・小牧地域は西側に旧名古屋空港・空自小牧駐屯地等が広がる事も有り車窓から見ても市街化が比較的進んでいない感じがします。そんな感じで電車が淡々と進む内に地上から地下に入り、この列車の終点であり桃花台新交通の乗換駅である小牧に到着します。小牧では殆どの人が先を目指す為に乗り換える訳ではなく小牧の駅の改札口を目指します。そういう状況から見ても小牧線の中心区間は小牧までなのかもしれません。

 ☆ 名鉄小牧線を孤立させ、桃花台新交通の首を絞めて枯らした原因は?

 この様に1971年の大曽根方面へのアクセスである市電御成通線の廃止以来名古屋中心市街地への軌道系アクセスを奪い上げられた名鉄小牧線ですが、その要因に「市営モンロー主義」による「名古屋市交通局の権益」が38度線や万里の長城のように立ちはだかった事は間違い有りません。市営地下鉄上飯田線こそ今は上飯田〜平安通1区間ですが、路線の権利的にはこの区間を含む上飯田〜平安通〜新栄町〜丸田町間で「名古屋市交が建設すべき路線」として「 名古屋圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画 」で明記されています。
 その為に名古屋市交が建設を進めないと名鉄小牧線の都心アクセスは作れない状況に有り、その極めて不便な状況を打破する為に上飯田連絡線が上飯田連絡線㈱により上下分離方式で建設され、平成15年にやっと今の不便な状況が解消されましたが、名鉄100年史を紐解くとその前にもっと劇的に名鉄小牧線の不便を解消する機会が過去2回有った事が載っています。その様な機会が有りながら何故今まで不便な状況が放置され、名鉄小牧線は孤立させられ桃花台新交通は立ち枯れされてしまったのか、歴史を紐解き去ってしまったチャンスを検証しながら考えて見たいと思います。

 名鉄小牧線の都心アクセス問題に深く関わる名古屋鉄道と名古屋市の関係に関しては、小牧線ではなく瀬戸線の視点から和寒様が「 以久科鉄道志学館 」で「 御壕をめぐる攻防〜名古屋鉄道瀬戸線略史 」で詳しく述べられていまして、私もこの記事を読んで「名鉄と名古屋市交の深い歴史的関係」を知り、それから桃花台新交通について色々考ええ居た時にインスパイアを受け、名鉄百年史を入手して読み直し今回のこの一文を書いています。
 詳細は和寒様の記事の内容に譲るとして、名鉄瀬戸線の場合名古屋市との激しい攻防の上でやっと都心である栄町乗り入れを果たしますが、瀬戸線の様に「既得権益」である大曽根〜堀川間の都心区間が有った為に名古屋市交に大きな譲歩をしつつも万難を排し都心である栄町直通を果たしその後の大発展を果たしますが、小牧線の場合上飯田で市電と接続していた為交渉の譲歩に使う都心直通線を持たなかった為瀬戸線のような譲歩の末の直通と言う事もできず、上飯田で孤立と言う状況で今まで放置され続けて来て、瀬戸線と比べると正しく「名と暗」の暗のまま、地域丸ごと周囲の名駅直通の名鉄犬山線・JR東海中央線と比べて著しく発展から取り残されて今の状況を現出しその煽りを桃花台新交通も受ける事になります。
 実際名鉄百年史を紐解き名鉄小牧線の視点から見ると、小牧線の都心乗り入れのチャンスは過去に2回有ったと言えます。どちらも名古屋市交に絡む話ですが、昭和24年2月18日付の「名古屋市高速度鉄道建設に関する協定」と昭和29年5月31日付の「名古屋市高速度鉄道建設に関する協定について」で、前者では小牧線に関しては「分水橋(上飯田〜味鋺間の庄内川付近)で相互に車両乗入」が明記されていますし、後者では「大曽根にて連絡し瀬戸線・国鉄線・小牧線・市高速線を連絡する総合駅をつくる」と言う案が提示されています。

 ・名古屋市高速度鉄道建設に関する協定
名古屋市(以下甲と言う)名古屋鉄道株式会社(以下乙と言う)及近畿日本鉄道株式会社(以下丙と言う)との間に名古屋市交速度鉄道(以下高速線と言う)建設について次の協議をする。
 1.車両の相互乗り入れについて  イ、高速線線路網は添付図面の通りとして工事完成後乙の会社線とは名古屋駅、大曽根駅、分水橋駅、新川橋駅において、丙の会社線とは八田駅においてそれぞれ相互に車両乗入をするものとする。
 ロ、高速線の設備は相互乗り入れが出来るようにするものとし、その設計及び工事負担割合については別途合議の上決定するものとする。
 ハ、他線に乗入すべき車種及び区間については別途協議する物とする。
 ニ、線路其他設備の使用料については乗入車両数及乗入運転区間等算定の上別途協議する物とする。
 2.連帯運輸について
 イ、甲乙及丙は高速線運輸開始後連帯運輸をなす物とする。
 ロ、連帯運輸をなす場合その接続駅名は次の通りとする。
   名古屋駅、金山、熱田、八田、新川橋、分水橋、大曽根、下小田井
 ハ、接続の施設及び工事負担割合については別途合議の上決定する物とする。
 3.高速線建設資金の調達について
 イ、高速線建設資金の調達は市債によるを原則とするが、その調達に関しては乙及丙は出来るだけの援助をなす物とする。
 ロ、乙及丙においてこの資金の一部を負担する場合は別途協議の上定める物とする。
 4.高速線第一期工事完成の場合の乗入及び連帯運輸関係について
 イ、車両の相互乗り入れ駅は市役所裏、名古屋駅とする。尚金山付近における乙の会社線乗入については別途協議する物とする。
 ロ、連帯運輸の接続駅は名古屋駅、市役所裏、金山とする。
 ハ、高速線第二号線運転車両の修理は乙に委託するものとしその料金は別途協定する。
 5.将来丙が期間変更する場合はこの協定に関わらず別途協議する物とする。
 この協定を証する為本書三通を作成し甲乙及丙において各々一通を保有する物とする。
 昭和24年2月18日
 名古屋市長 塚本 三
 名古屋鉄道株式会社々長 神野 金之助
 近畿日本鉄道株式会社々長 村上 義一

 ・名古屋市高速度鉄道建設に関する協定について
 標記の件に関する昭和28年11月30日発交工第75号書簡の回答として昭和29年5月27日貴社千田副社長より口答を以て当市交通局長に御申入れの要点は
 1.東西線の相互乗入れの取止めは了承
 2.南北線については瀬戸線との関係を明確にしておき度い
 の二点と了解いたしますが、瀬戸線と当市高速度鉄道路線との連絡については次のように各種の案が考えられますが、何れも早急に決定いたし難いので、瀬戸線との関係は後日協議いたすことゝしてこの際相互乗入れの取止めについて御諒承得たく至急御返事を願いたい。
 1.栄町まで並行乗り入れ
 2.市役所裏にて連絡
 3.大曽根にて連絡 こゝに瀬戸線、国鉄線、小牧線と市高速線とを連絡する総合駅をつくる

 ※以上2点は名古屋鉄道百年史481・482・484ページより引用

 もしこの案の内「名古屋市交速度鉄道建設に関する協定」に基づいてこの協定添付図面の路線が完成していて名鉄各線や近鉄名古屋線と乗入が出来ていたら今の名古屋市の都市内交通はどれだけ変っていたでしょうか?名鉄各線の地下鉄乗り入れによる都心直通が実現し、新名古屋駅の混雑も解消されていたでしょうし、瀬戸線・小牧線が都心アクセスに苦労する事も無かったでしょう。
 しかしこの計画は名鉄と近鉄が28年8月6日の名古屋市会高速度鉄道特別委員会に招致されて意見聴取された時に建設資金調達の問題で協力の確答を行わず、これに基づき特別委員会で①建設は早急に実施②地下線とする③広軌第三軌条式を採用④市有市営の経営形態とする事が決定され、狭軌・架線集電の名鉄各線とのこの段階での直通運転は不可能になり、此処で「小牧線の分水橋経由での地下鉄乗り入れによる都心直通」は完全に挫折します。
 此処でこの協定を挫折させたのは「名鉄と近鉄が資金拠出を確約しなかった事」が致命的と言う事になりますが、和寒様が掘り下げられた「名古屋鉄道と名古屋市の確執( 報償契約市内線市営化 )」と言う流れで、名古屋鉄道は名古屋市に「煮え湯を飲まされた」と言う感じが有るために、名古屋鉄道にしてみれば「資金調達に出来るだけの援助」としか協定に書いていないのに市会特別委員会で「資金拠出の確約を求められた」場合、過去の二の舞になることを恐れ抵抗を示す事は間違い有りません。つまり当初の郊外線の地下鉄乗入を含む高速度鉄道建設案は名古屋市による市営化実現の過程での確執が尾を引いて潰れたと言っても過言では有りません。
 加えて名鉄は名古屋市が「名古屋市高速度鉄道建設に関する協定について」で乗入中止の代案として示した3案の内、瀬戸線堀川〜大曽根間の権益を死守する為に「栄町への並行乗入」を選択し、最終的に昭和53年に瀬戸線栄町直通を果たし瀬戸線を飛躍的に発展させます。実際瀬戸線では1日当たりの利用者数が昭和50年51,030人→昭和55年78,260人(出典: 愛知県交通対策課HP路線別1日当り輸送人員 より)と利用客が爆発的に増え、名古屋市との交渉の結果大いなる犠牲を払い死守した瀬戸線都心直通の効果で「瀬戸線の発展」と言うメリットを引き出しています。
 しかし爆発的に発展した瀬戸線の影で割を食い発展に足かせが嵌ったのが名鉄小牧線です。「名古屋市高速度鉄道建設に関する協定について」で提示の3案の内名鉄は1番目の案を選択しましたが、これは瀬戸線の立場から見るとベストな選択でしたが小牧線の立場からすると3番目の案つまり「大曽根乗入・総合駅建設」で有った事は間違い有りません。瀬戸線にしろ小牧線にしろ大曽根でJR東海中央線と名古屋市交地下鉄線に接続できれば、瀬戸線・小牧線共に1回の乗換は必要ですが栄・名駅への軌道系アクセスを整備できて、両方均等な発展をする機会が生まれた可能性が有ります。
 実際問題として本当なら1案+3案の選択もしくは大曽根での地下鉄乗入を市に認めさせる事がベストですが、名古屋市の強い姿勢から見ると其れは困難だったでしょう。その中で苦渋の選択として未だ上飯田に市電が乗り入れていた時代なので、名鉄は「瀬戸線の大曽根以西を何とかして救う」決断をしたのでしょうが、この案を提示した名古屋市にもう少し「名鉄を追い詰める」だけでなく、将来の市電の行方を見据えながら「市内交通と域外からの流入を上手く融合させたプラン」を提示できれば小牧線の発展性は大きく変っていたかも知れません。元々の計画では「他方向からの高速度交通線(地下鉄線)乗り入れ」と言う極めて進んだ計画を作る事が出来た名古屋市なのですから、その後の対応に関しては歴史を見る限り名古屋市は極めて名鉄の行う域外から名古屋市への鉄道輸送に対して極めて非協力的で有ったと感じます。

 この様な歴史の流れから考えると、上飯田にアクセスする市電廃止後も名鉄小牧線を上飯田に押し込めたのは、「名古屋市交の市内交通への強い権益意識」つまり「名古屋市交の市営モンロー主義」では無いかと感じます。少なくとも当初の「名古屋市高速度鉄道建設に関する協定」が事実上破棄された後、名古屋市交は「名鉄を今の場所から一歩も進めさせないぞ」と言う意志で対応し、その唯一の例外が名鉄が既得権益を持つ瀬戸線栄町乗り入れであり、それ以外は東京に比べると遅ればせながらの地下鉄直通運転で対応していたのが現実で有ると思います。
 その中で瀬戸線は栄町乗入を果たし、犬山線と豊田新線は地下鉄乗入により名古屋都心部へのアクセスを確保しますが(発展著しい犬山線は都心・名駅二つへのアクセスを確保する)、唯一小牧線だけは都心アクセスに見放され都心ターミナルの上飯田から名城線の平安通まで1km以上の徒歩連絡orバスでの都心方面アクセスに頼る事になり、これが足枷となり小牧線沿線の発展は周囲に比べ一層遅れる事になります。元々名古屋の町自体が名古屋上の南に広がる街で北側は外堀として機能した庄内川があり発展が遅れた地域で有るのに加え、その発展しづらい地域を走るのに都心アクセスすら不十分な名鉄小牧線です。これでは発展が遅れても致し方有りません。
 この小牧線の「見捨て策」により、都心アクセスの不便さの煽りを受けたのが都心アクセスが極めて弱い名鉄小牧線に接続せざる得なかった桃花台新交通と言う事になります。変な喩えかもしれませんが「名古屋市交にいじめられた名鉄。その犠牲者が小牧線。犠牲者の影で耐え切れず自殺したのが桃花台新交通」と言う事もできるかもしれません。
 「歴史にIFは無い」と言う事を承知の上で敢て述べれば、もし小牧線が早い時期に地下鉄線乗入・大曽根乗入如何なる形でも都心アクセスを形成していれば、これだけ小牧で接続する桃花台新交通が苦戦したとは考えられません。もし有望であれば桃花台へ単線ででも名鉄が直接乗り入れる等のもっと積極的な方策を取っていた可能性(建設費全体では複線新交通システムより単線在来鉄道の方が安いし輸送力は有る)も有りますし、桃花台ニュータウンの開発自体がこんなに惨敗せず計画に近い開発が出来た可能性が高いと言えます。昭和〜平成初期の時代に名古屋中心部に1時間以内で辿り着ける軌道系アクセスが有るニュータウンが惨敗すると言う事は私にはなかなか考えづらいものが有ります。
 その様な事から考えると、間接的原因では有りますが非常に大きな要素として「桃花台新交通を枯らしたのは、根元(都心アクセス)で押さえつけた名古屋市交に有る」と言う事が言えると思います。これは極めて外部的要因で桃花台新交通としては「どうする事もできない」物であると言えますが、要因としては大きな割合を占めると言えます。結果的に言えば「名鉄小牧線を孤立させ、桃花台新交通の首を絞めて桃を枯らしたのは名古屋市交では無いか?」と言う事が出来ると考えます。

 * * * * * * * * * * * * * * *

 今回桃花台新交通が廃止してからかなり時間が経ちましたが、改めて「廃止された鉄道の状況とその背景」を探りたいと思いこの様な一文を書いてみました。時期的にはチョット「期を逃した」とも言えますが、私的には「廃止後少し時間を置いてゆっくり考えたい」と思ったので、丁度良い感じのタイミングでこの文を書けたと思っています。
 又その時間を置いた事で色々な事を調べる時間が取れ、その結果が「桃花台新交通を枯らしたのは、根元(都心アクセス)で押さえつけた名古屋市交に有る」と言うなかなか出て来ないと自負する結論になったと思います。実際桃花台新交通が接続する名鉄小牧線の都心アクセスの悪さで、バスで春日井に逸走する流れが有ったのは良く知られていますが、実際「では何故小牧線は都心アクセスが悪いの?」という話になると、明快な答えが無かったような気がします。
 今回その話に和寒様の「 御壕をめぐる攻防〜名古屋鉄道瀬戸線略史 」にインスパイアを受けたと言え、色々な点から別の視点で焦点を当てる事が出来たのは、私にとって非常に価値が有ったと思います。その事に関しましてこの紙上を借りてになりますがヒントを頂いた和寒様には御礼を申し上げたいと思います。

 この度廃止された桃花台新交通は有る意味「非常に早く寿命が尽きた鉄道」と言えます。しかし近年作られた鉄道(特に郊外鉄道やニュータウン鉄道)に関しては第三セクターの鉄道を中心に同じ様な苦戦をしている鉄道は沢山有ります。
 その原因となると、建設費や償却費負担の重さ・需要予測を大幅に下回る利用客・都心アクセスルートの悪さ等々色々な要因が有る事は事実です。その中で「第二・第三の桃花台新交通は無い」とは残念ながら言える状況には有りません。本当に近年作られた鉄道はその点に関して色々考慮と対策を行っている結果苦戦の度合いが低いと言えますが、桃花台新交通の作られた時代に作られた鉄道には現在も苦戦して居る鉄道は複数存在します。
 今回の桃花台新交通に関しては「すでに廃止された路線」を取り上げた為、「こうすれば生き残れた」と言う点にも有る程度検討を加えましたが、それ以上に「当初の計画の大元で有った足枷・作りきれなかったスキーム」に焦点を当てる事で、世の中に出回っている通り一遍の結論ではなく周囲がなかなか注目しない苦戦の原因に焦点を当てる事で、世の中に「別の考え方」が有ることを示す事を目的に今回この文を書いてみました。
 その違う焦点の結果が「桃花台新交通を殺した要因の一つが名古屋市交の市営モンロー主義」と言う有る意味突拍子も無い結論になりました。(本人は至って真面目に到達した結論です)しかし「世の中には色々な考え方が有る」と言う見方で本文を読んで頂き「その中でTAKAの様な考え方も有るな」と思って頂ければ幸いに思います。




※「 TAKAの交通論の部屋 」トップページへ戻る




このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください