このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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風来坊の生涯学習・市民講座
大学や役所が主催する 生涯学習講座、市民公開講座、教養セミナーなどに参加し、
いろいろな事をちょっとづつ学んでいます。

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■ 住吉大社セミナー 2018  



・2018年2月9日(月)  『「翁・白楽天」解説付公演 』
    講師: 山中 雅志 氏(やまなか まさゆき) 観世流能楽師・山中能舞台 
演目:住吉大社所蔵の翁面を使い、神式にのっとった「面掛式」での『翁』と、『白楽天』
 
 

  ※ 貴重な体験をしました!!



・2018年3月5日(月)  『慶応三年大坂城ディナー』
   講師: 徳川 康久 氏 (とくがわ やすひさ) 徳川慶喜家分家当主
   演題:「慶応三年大坂城ディナー 」
         〜第十五代将軍による英国公使一行との晩餐〜
・慶応三年の幕府による英国公使パークスとの晩餐会献立についての話
・メニューは日本側の資料 品目のみ残っている。
・横浜の外国人居留地にあるホテルに丸投げしたようだ、
・幕末ですでに世界に通用する晩餐会を催したことに驚き、。
 さらに肉やワインの品揃えが多種で、びっくり!


・明治二年の駿府謹慎にともなう徳川慶喜家と慶喜分家の成立の話。
・徳川家では将軍への敬意をこめて「けいきさま」と呼ぶとのこと。
・殿様の子女は過保護を防ぐために近隣の民家に預けられたこと。
   興味深く聴かせていただきました。
     ありがとう ございました。




・2018年4月9日(月)  『南朝の歌壇と「新葉和歌集」について』
   講師: 深津 睦夫 氏(ふかつ むつお) 皇學館大学教授

『新葉和歌集』とは
  南北朝時代に成立した和歌集で、撰者は宗良親王。
  勅撰集に準じられた(准勅撰和歌集) 20巻。 1420首。

・北朝歌壇の藤原為定撰の『新千載和歌集』が,南朝者の作品を一切とらなかったために,     南朝関係者の作品だけを対象として選んだものが『新葉和歌集』です。

・時代背景としての、南朝北朝の関係の解説。

・後村上天皇が住吉行宮(津守邸の正印殿)に7年滞在。

・住吉、淡路島の歌 数件紹介されました。
 ※ 歌の解説より、南北朝時代の複雑な時代背景の解説が多かった。

     


※参考   【 住吉行宮址 】 (津守邸の正印殿)の写真
   http://www.geocities.jp/marimba605/meiji/mts-12.htm




・2018年5月21日(月)  『戦国時代最初の天下人・三好長慶と住吉・堺 』
    講師: 天野 忠幸 氏(あまの ただゆき) 天理大学准教授 

三好長慶は、戦国時代の武将で畿内・阿波国の戦国大名。摂津国守護代。
  細川政権を崩壊させ、室町幕府将軍・足利義晴、義輝を京都より放逐し、
  三好政権を樹立する。
  その後は足利義輝、六角義賢らと時に争い、時に和議を結び、
  畿内の支配者として君臨した。
  織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に先んじて事実上の天下人となった。

   信長:将軍追放7年、改元と京都支配、桐御紋 祐筆楠正成
   秀吉:長慶が公認したキリスト勢力の取り込み
   家康:南朝新田源氏の正当化と将軍 

 <余禄>三好長慶は、父元長の菩提を弔うため、堺に南宗寺を建立した。
     2014/7/6 南宗寺 「三好長慶の像」が建てられた。

     



・6月11日(月)  『神事とともに残る住吉大社の自然・生きもの 』
    講師: 長谷川匡弘 先生(はせがわ まさひろ) 大阪自然史博物館学芸員

  ・都市の発展とともに、湿地が少なくなった。(10%以下)
    そして外来種が多くなった。

  ・住吉大社の卯の花を訪れたハチ
     ウツギ  コダカウツギヒメハナバチ

  ・御田の植物
     カワジシャ   ハマヒエガエリ
 
             <コダカウツギヒメハナバチ>
       




・2018年9月10日(月)  『歌学と住吉』 〜近世を中心に〜
    講師: 西田昌宏 先生(にしだ まさひろ) 大阪府立大学  高等教育推進機構 教授

  1 近世までの「すみとし」をめぐって
      忘れ草・松・浪・住吉の神

  2 近世の歌学書の記述する「すみとし」
     住吉、玉津嶋、  中に人丸

   『住吉名勝図会』の紹介


    「住みよしの 浦のみるめも わすれねば かりにも人に またとはれぬる」

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2017年

◆ 古地図に見る すみよし
主催 :住吉文化事業実行委員会

日時 :2017年  平成29年2月18日(土) 午後1時〜4時半
場所 :住吉大社吉祥殿

古代地形をつなぐ道、大坂と全国を結ぶ中世・近世の街道、近代の都市に見る道路網。
古代、中世・近世、近代という3つの時代に区分し、
住吉の「みち」はどのように変遷し、人々の暮らしと「まち」はどう結びついてきたか?
歴史の流れの中に「まち」空間を配置し、立体的に考察する。
発掘成果、古地図、絵図、文献、航空写真など多彩な「地図」資料を駆使しながら、
住吉の「みちとまち」の系譜を読み解く。

講師
1)積山 洋 氏(考古学)(大阪文化財研究所学芸員)

2)本渡 章 氏(地図研究)(作家。『大阪古地図むかし案内』など著書多数)

3)水内俊雄 氏(都市社会地理学)
   (大阪市立大学大学院文学研究科教授、同大学都市研究プラザ教授)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1)積山 洋先生
 
 「住吉と水陸の道」
    ・難波津:5世紀前半 法円坂倉庫群の発見、発掘
    ・住吉津
    ・榎津(えなつ)
       :山之内遺跡  5世紀後半 古墳時代の集落
       :遠里小野遺跡 7世紀 楼閣風大型建物 (塀の幅95m位)
    ・磯歯津道(しはつみち) 7世紀末 天武朝に建設された。
    ・難波大道 7世紀中期に建設。今池遺跡発掘。(9世紀には埋められた)
    ・榎津から飛鳥への古道
        磯歯津道、大津道、丹比道、竹内街道

2)本渡 章先生
 
「古地図に見る住吉への道」

  ・四天王寺と住吉大社の中間、『阿倍野』の所領を巡って中世から度々対立していた。
  ・江戸時代の古地図を多数紹介された。
  ・住吉エリアの地名の解説。


3)水内俊雄先生
 
 「みち・まちの系譜を読み解く」

  ・近世の絵地図そして航空写真を多数紹介された。
  ・最近の行政区画で、
     帝塚山(住吉区、阿倍野区)
     粉浜(住吉区、住之江区
  ・神社、氏子、行政区、学区、、、行事がやりにくい!






■ 住吉大社セミナー 2017  



・2017年3月13日(月)  『住吉開帳 〜翁の源流〜 』
    講師: 八木意知男 先生 (住吉大社教学顧問) 

謡曲「翁」・・・以前の翁のお話。  



・2017年5月22日(月)  『天下人二世 豊臣秀頼の実像』
   講師: 北川 央 先生(大阪城天守閣館長)

関ヶ原合戦の後、家康は征夷大将軍になり、
秀頼は摂河泉66万石の一大名に転落・・・
それは事実か???・・・を解説された。


秀頼が幕府の一大名でなかった。
 ・関ヶ原後、知行安堵を行っていない。
 ・豊臣家の蔵入地を没収していない。
 ・方広寺鐘銘事件後の家康からの提案を受け入れていない。
 ・大坂冬の陣に際し、家康は天皇に秀頼討伐の綸旨を求めたが出なかった。
   そもそも綸旨が必要だったのは、「秀頼が幕府の一大名でなかった」証拠。

家格について
・秀吉は公家の家格に倣い、武家にも「家格制」導入した。
   ・豊臣本家は五摂家に相応する「摂関家」に位置付け。
   ・徳川・毛利・上杉・前田・小早川などは「清華家」とした。

徳川幕府による全国支配を貫徹するには、豊臣家を滅ぼし、
この家格制の概念を壊して、徳川家頂点に立たなければならなかた。


大阪の陣は、『秀頼が幕府の一大名でなかった』から起こったのである。

<参考>
「摂関家」近衛 ・九条 ・二条 ・一条 ・鷹司 の5家。
  摂政・関白に昇進できる家。

「清華家」 久我・三条・西園寺・徳大寺・菊亭・花山院・大炊御門の7家。
  摂関家に次ぐ家柄。太政大臣まで昇進できる家。

※非常に興味あるお話、有難うございました。


・2017年6月26日(月)  『住吉大社と阪堺線』
     講師:「未来へつなごう!堺チン電の会」事務局 井渓 明 先生 
         ( 堺市立みはら歴史博物館 館長代理・学芸員である 井渓 明先生 )
【阪堺電車の歴史】
  ・明治30年に大阪馬車鉄道株式会社が設立され、
   天王寺西門駅から東天下茶屋駅まで、
   軌道を走る客車を馬が牽引する。
   現在の東天下茶屋駅の場所の記念碑が教えている。
  ・その後の発展の詳細な年表が配布、解説された。
  ・昭和31年 綾ノ町、御陵前間2.5Km 道路拡幅し中央への軌道移設

【阪堺電車の堺市内の電停毎の名所について】
  ・スライドにて説明

【阪堺電車最近の話題】平成25年以降

  ・堺トラム 「茶ちゃ」 「紫おん」 「青らん」
  ・宿院電停改修
  ・上町線天王寺駅前付近の拡幅、線路移設、緑化


・2017年9月11日(月)  『住吉派の絵師 如慶と具慶』
    講師: 下原美保 先生 (鹿児島大学 教授)

【住吉派の絵師とは、】
  ・江戸時代前期の大和絵の一派。
  ・江戸幕府の御用絵師を務めた如慶が住吉派の祖。
  ・その子具慶が江戸幕府の奥絵師となって、京都の土佐派と並び称された。
  ・幕末まで世襲された。

具慶の代表作 「箱崎八幡宮縁起」の写真が紹介された。


ブログに少し詳しく、、、画像も〜〜 

住吉大社セミナー 2017年9月

「住吉派の絵師 如慶と具慶」




・2017年11月20日(月)  『明治天皇と大阪 〜聖蹟を訪ねて〜』
    講師: 打越 孝明 先生 (明治神宮国際神道文化研究所研究員)

★江戸時代末期の歴史背景
  ・1967年 14歳で明治天皇即位 大政奉還 王政復古
  ・1968年3月 大阪行幸  10月東京遷都
★明治天皇の大阪行幸 6回行われた。(こんな多い例は他に無いそうです)
  ・明治元年3月 (45日間) 明治天皇の大阪行幸と第1回観艦式
    【天皇が京都御所を離れたのは500年ぶり】
    【明治天皇は、初めて海を見、感激されたようです】
  ・明治 5年 (7日間)
  ・明治10年 (7日間)
  ・明治20年 (2日間)
  ・明治31年 (7日間)
  ・明治36年 (19日間)

★明治天皇の記念碑(大阪)を巡る
  写真で紹介された。  
 「碑が建っているだけで、ほとんど解説板が無いのが残念 」と解説されました。



★私のHPに、大阪市内の明治天皇の記念碑 掲載しています。
  <デジカメ風来坊>
    http://www.geocities.jp/marimba605/meiji/list-mts.htm
   笑覧くださいませ。


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2016年

■ 住吉大社セミナー 2016  
主催  住吉大社
場所  住吉大社 吉祥殿


・2016年3月2日(月)  「住吉大社のご祭神は如何なる神様か」
    講師:勝俣 隆 先生 (長崎大学 )

住吉大社の三神は、 オリオン座の三ツ星

底筒男命(そこつつのおのみこと)
中筒男命(なかつつのおのみこと)
表筒男命(うわつつのおのみこと)
  「筒」とは「星」の事です。

オリオン座の三ツ星は、
  真東から昇り、真西に沈む、そして
  昇ってくる時には、縦になって一つずつ出て来るんだそうです。


   

   ・ブログ 「ひもろぎ逍遥」様より、拝借




・2016年4月18日(月)  「神功皇后伝説の成り立ち」
    講師:塚口義信 先生 (堺女子短期大学 名誉学長)
神功皇后の話は『古事記』『日本書紀』に記載されているが、
  ・津田左右吉博士は、
    応神天皇以前はその実在を疑問視する説を。
  ・直木孝次郎氏は、
    斉明天皇と持統天皇が神功皇后のモデルとの説を。
近年は、このような説が大勢をしめているようですが・・・

★講師の塚口先生は、
  7、8世紀にすべてが机上創作ではなく、
  元になった伝承があり、それを元に「改変」されたと解説された。

 ・三韓征伐の経緯は『記』『紀』に記載されている
 ・朝鮮や中国の歴史書にも関連するかと思われる記事がある。
 ・新羅が降伏した後、百済と高句麗も相次いで日本の支配下に。
 ・稲荷山古墳出土の鉄剣名文の記載

このようなお話だったように思います。


・2016年5月2日(月)  「鯨塚・鯨文化から日本人の心をさぐる」
    講師:細川隆雄 先生 (愛媛大学 農学部 教授)

   ・縄文時代からクジラを食べていた日本人
        縄文時代の貝塚から、たくさんの鯨類の骨が出土している。
   ・鯨塚(くじらづか)とは、岸に打ち上げられた鯨を祀った塚のことで、
       日本独特の慣わしである。
       仏教形式の墓石。江戸、明治期の物が多い
   ・日本人は、天からの恵みである鯨への感謝、特に畏敬の念。
   ・全国各地の鯨塚のスライドショーを見せてくださった。



・2016年6月20日(月)  「古代の国家祭祀と住吉大社」
    講師:岡田莊司 先生 (國學院大學 神道文化学部 教授)

    ◆神社はなぜ滅びてしまわなかったのか。神社が受け継がれてきた要因は何か。
      (1)神社が地域と一体となって続いてきたこと。
      (2)天皇が祭り主として続いてきたこと。(新嘗祭など
      (3)古典を学ぶ「学問」の営みが続いてきた。(古事記・日本書紀・延喜式など)
      (4)神仏習合
      (5)人を神に祀る(最初が神功皇后・菅原道真・徳川家康など
      中世から近代にかけて、
      日本人は、「古代を原点」として、各時代の神道を作り出してきた。

    ◆国史に記載された住吉大社ご祭神
       ・日本書紀  荒魂(あらみたま)は、穴門の山田邑に。。。
       ・日本書紀  和魂(にぎみたま)は、大津の淳中倉の長狭に、、、
       ・日本後紀  住吉、香取、鹿島3神社 20年毎の式年遷宮



・2016年7月25日(月)  「祭礼図に描かれた住吉祭」
   講師:黒田一充 先生 (関西大学 文学部 教授)

   ・住吉祭の行列を描いた絵画、屏風絵が10件ほど紹介された。
      (私は 堺市図書館所蔵の屏風絵しか知らなかったが・・・)
        配布の図やスライドが不鮮明で、ちょっと理解しずらかった。


 ・渡御の神輿が大和川に入る理由が解った・・・

   明治30年、大和橋は工事中の木造の仮橋で、
   200名が神輿を担いで渡るのは危険なため、
   浅瀬を選んで川中を渡った。  
      〜〜そうです (納得)




・2016年8月8日(月)  「真田幸村と大坂夏の陣の落人たち」
   講師:鶴崎裕雄 先生 (帝塚山学院大学 名誉教授)

  〜〜史料をいかに読むか〜〜
    ・「駿府記」:家康の動静の編年風記録
    ・「三河物語」(大久保忠敬)より
    ・「おきく物語」 淀殿に仕えたお菊の回想談を、孫の医師からの伝聞
    ・「河内屋可正日記」   などが紹介された。



・2016年9月5日(月)  「住吉大社と歌道ー古今伝受を中心にしてー」
   講師:小髙道子 先生 (中京大学 国際教養学部 教授)

   古今伝受とは、勅撰和歌集である古今和歌集の解釈を、秘伝として師から弟子に伝えたもの。

  水尾上皇は八条宮から伝受をうけ、以降この系統は御所伝授と呼ばれる。



・2016年10月24日(月)  「住吉大社と叡尊ー中世神仏習合の様相ー」
   講師:佐伯俊源 先生 (種智院大学 人文学部 教授・西大寺清浄院 住職)

   叡尊(えいそん 鎌倉時代中期の真言律宗の僧
    ・平安遷都で、西大寺は衰退していったが、
    ・鎌倉時代中期に、「叡尊」は、密・律の根本道場として奈良西大寺を復興した。
    ・住吉にも数回訪れ、住吉神宮寺などで転読、授戒などを行っている



・2016年11月21日(月)  「ヤマ・サト・ミサキの神々ー神社信仰の原風景を探るー」
   講師:櫻井治男 先生 (皇學館大學 文学部 特別教授)

    ・住吉について
       サトと人、カミいます浜辺、海辺のスポット、神南備山〜〜
    ・ヤマの信仰と神社
    ・海辺とミサキの神社
    ・つながる自然環境と聖所
    ・サトの風景と鎮守の社



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2015年

◆ 高校野球100年記念シンポ
高校野球100年記念シンポジウムが8月5日(水)、大阪市中央公会堂で開催された。
  「 新たな夏、プレーボール 」

相棒が事前申し込みしていたのだが、抽選に当たったので、二人で聴きにいった。
午後 1:30〜3:30 約2時間
高齢者の参加が多かったが、現役の高校生も来ておられた。


・第1部で、ノンフィクション作家の佐山和夫さんが「日本人と高校野球」と題して講演。
・第2部では、パネルディスカッション「僕らのあの夏」  
   ・荒木大輔さん(東京・早稲田実)
   ・宮本慎也さん(大阪・PL学園)
   ・仁志敏久さん(茨城・常総学院)
  甲子園で活躍した3名が、高校時代の思い出、高校野球への思い などを・・・


・事前収録のビデオメッセージが放映された。
    ・長嶋さん(元巨人監督) と
    ・王さん (ソフトバンク球団会長)


※ 素晴らしい中央公会堂で、懐かしいお話が聴けて、暑い中 行ってよかった!!




■ 住吉大社セミナー 2015  




・2015年2月2日(月)  「古代の住吉大社と相撲の起源について」
    講師:東京大学 教授   新田一郎 先生

・相撲の経緯
・横綱の起源
・住吉大社に関連する横綱の話もありました
 ・住吉大社で相撲会(すもうえ)、近江国のハジカミ力士の故事

 ・「住吉名勝図会」の宝の市での相撲の様子


※史実に基づいた貴重なお話であり、
   解説が丁寧で非常に解り易かった。
     有難うございました。

<余禄>
  3年前から住吉大社では、大阪場所の前に「横綱 土俵入り」が奉納されています。
  今年は、3横綱の土俵入りが見れそうですね。


・2015年3月9日(月)  「帝塚山と住吉の文学的風土」
   講師:八木孝昌先生(帝塚山学院参与)

※住吉に出現した郊外型、学園都市型文学が生まれた経緯について、

 ・住吉、帝塚山界隈は、明治の後半になっても、貧村であった。
    明治末期の人口は3000人余り
 ・ところが大正時代になって、商工業の発達、大阪市の急激な膨張、
    交通網として、上町線、高野線が開通
 ・市内の実業家、富豪が邸宅や別荘を帝塚山周辺に建て、
    従来の耕作地や荒れ地が理想的な宅地となって、
    住吉村の人口は、1万人を超えてきた。
 ・大正期に文教地区にもなった。
   (A)大阪高等学校(阪大の前身:現阪南団地の場所にあった)
   (B)女子専門学校(女子大の前身:万代池の側にあった)
   (C)府立住吉中学校(現住吉高校
   (D)帝塚山学院
このようにして 帝塚山周辺は文化都市となっていった。


住吉帝塚山派の作家たち
  ・藤沢桓夫・長沖一・庄野英二・庄野潤三・石浜恒夫・阪田寛夫




・2015年4月6日(月)  「難波津を出港した女帝たち」
     講師:猪熊兼勝 先生(京都橘大学 名誉教授) 

※ 魏志倭人伝、後漢書など中国の記録
※ 新羅、高句麗、百済などの記録
※ 日本書紀の記録

これらの資料をもとに、克明にまとめられた外交関係年表で解説された。

卑弥呼 (3世紀)
  ・西暦238年、魏の皇帝から「親魏倭王」金印。
  ・その他、魏志倭人伝には倭国との多くの交流が記載されている。

神功皇后 (4世紀)
  ・神功皇后は、仲哀天皇の后で応神天皇の母である。
  ・神功皇后の新羅征討
     <日本書紀には、卑弥呼と魏の交流の話が記載されていない?
     <卑弥呼の時代と神功皇后の時代は120年(干支は二周)の差がある?

斉明天皇 (7世紀)
  ・斉明天皇は、瀬戸内海を船で・・・朝倉宮(九州)
  ・白村江の戦い

そして、これらの交流記録に、
   「難波津を出港」、「難波津に着く」・・・の記載がみられる。

※ 理解不十分ですが・・・    興味あるお話、有難うございました。



・2015年6月8日(月)  「中世大阪 と 住吉社の津守神主」
     講師: 生駒孝臣 先生 (関西学院大学) 
〜〜明治の初めまでずっと住吉大社の神主を務めてきた「津守氏」のお話〜〜
・古代における津守氏は、住吉社の社官を務める一地方豪族

・平安時代に中央貴族の一員に、
    そのころ活躍した3人の神主   <住吉大社境内に祀られている>
薄墨社(うすずみしゃ)斯主社(このぬししゃ)今主社(いまぬししゃ)
39代 津守国基43代 津守国盛48代 津守国助

・鎌倉末〜南北朝時代、後村上天皇がここで没するまで「南朝の行宮」
・明治になって、神主の世襲が認められず、
70代以上続いた「津守家」の世襲は解消
    津守家は役職とともに広大な屋敷を失った。


※詳細は、ブログ を〜〜
    http://ffuu.seesaa.net/article/420800981.html



・2015年7月6日(月)  「手水舎のウサギ」
     講師: 八木意知男 先生 (住吉大社教学顧問) 

住吉大社の御鎮座(創建)が神功皇后摂政十一年(211年)
卯年(うのとし)、卯月(うづき)、卯日(うのひ)であることから
うさぎは住吉大社の神使(おつかい)とされているそうです。
   ===『住吉松葉大記』===


今回のお話、「うさぎ 」「うのはな」 「相生の松」に関する話

1)うさぎ   兎 卯 兔
   玉兎・・・月・・・月は陰・・・水を支配する・・・田植え

   卯の花のが咲く→→→「田植えの準備をしましょうよ!」というとなのだ。

2)持統天皇の『春すぎて 夏来たるらし 白妙の 衣ほしたり 天の香具山』
   香具山に白い衣をいっぱい干すわけないんですよ!
   初夏に咲く卯の花の比喩で、
   「真っ白な卯の花」が香具山に咲き乱れて、「ああ! 今年も夏が来たんや!!」

3)相生の松とは、
   黒松と赤松の2本の松が寄り添って生え、1つ根から立ち上がるように見えるもの。
   謡曲『高砂』では、高砂の松と住吉の松とが相生の松であるとし、夫婦和合をうたっている。
   住吉大社の第三本宮と第四本宮の間に、「相生の松」が描かれている図がある。

         【 手水舎 】
     


・2015年8月3日(月)  「伊勢斎王と難波の三所禊」
  講師:  渡辺 寛 先生 (皇學館大学 名誉教授)

昨年11月の同先生のご講演 「伊勢斎王と難波の三所禊」があったが、
その際「出典を明記しなかった」ことが、先生としては不本意で、
今回 再度のお話。  (復習になって よかった!)

1 「江家次第」(ごうけしだい)巻第12 斎王帰京次第
     伊勢→難波の三所禊→入京  10日間の様子が克明に記載されている

2 「日本三代実録」 元慶5年(881)正月15日・19日の条
     難波宮に赴き、三處祓 ・・・

3 「日本書記」神武天皇即位前紀 戊午年の条
     『難波』の初見。
     難波之碕  浪速亦浪花  訛って「難波」

4 「古事記」 応神天皇段
     難波津

5 「古事記」 仁徳天皇段
     長柄船之堀江  墨江之津

6 「日本書記」応神天皇28年9月の条
     武庫水門

7 「日本書記」 神代上
     住吉大神  安曇連

8 「日本書記」 神功皇后 摂政元年2月の条
     難波 務古水門(武庫) 廣田(広田神社) 活田(生田神社) 長田
     和魂(ニギミタマ) 大津淳(ヌ) 長峽(ナガオ)

9 「住吉大社 神代記」 長柄船瀬本記
     遣唐使 長柄船

12 「万葉集」19-4245
      ・・・難波尓久太里 住吉乃 三津尓舶能利 ・・・ 
        (ナニワニクダリ スミノエノ ミツニフナノリ)


・2015年9月7日(月)  「説話集における住吉大社」
  講師:  里中智子 先生 (京都女子大・武蔵野大 非常勤講師)

【説話】とは:
  ・時代や登場人物がある程度特定されていて、
  ・史実や伝承に則った上で話が展開し、
  ・最後に作者や編者の批評や感想などが付くもの、
 なのだそうです。

一方【源氏物語】などは、今で言う「小説」で、フィクションです。


・最古の説話集として有名なものに【日本霊異記】
・日本三大説話集とは 【今昔物語】 【宇治拾遺物語】 【古今著聞集】 です。


今回は【古今著聞集(ここんちょもんじゅう)】の中に出てくる住吉大社の話しを通して、
   ・住吉大社は航海の安全を願う神様として有名ですが、
   ・そのほかにも軍神・祟り神・現人神(人の姿で出てくる)などの側面があります。
   ・中でも和歌の神様として古くから信仰が篤く、
      この【古今著聞集】にも住吉明神に和歌を奉納する話が数多く出ている。



・2015年10月5日(月)  「お蔭参りー上方の参宮現象を中心としてー」
  講師:  吉川竜美 先生  (伊勢神宮 権禰宜)

江戸時代に起こった伊勢神宮への集団参詣。
60年周期、 数百万人規模の人々が伊勢神宮・・・「おかげまいり」3回あった。

 ・「御師」という神職が、各地でお札を配って宣伝活動をした。
 ・さらに御師が道中の手配や宿泊のお世話したそうです。


伊勢参宮の賑わい
   広重の浮世絵  【伊勢参宮 宮川の渡し】 
    (講座のレジメより)
   
  




・2015年11月9日(月)  「和歌に詠まれた四季」
  講師:  冷泉 貴実子 先生  

旧暦は、月の満ち欠けを基とする太陰暦でした。
和歌に見られる太陰暦の季節感と年中行事が、日本の文化に大きな影響を与えました。
代表的な和歌15首を見ながら、日本の美を考え、古典の魅力を紹介された。

<備忘録>記憶に残ったことを列挙しておきます

うすくれない・・・  桜
あさみどり ・・・  柳


年の始めの花  春の花  梅
年の終わりの花 秋の花  菊・・・(小菊)

春は霞む、夏は涼しく、秋は澄む、冬は冴ゆる と言うそうです。

七夕の日は、半月を御船にして天の川を渡るというなど、
和歌の世界ではなんともロマンチックな世界が繰り広げられる。
 (現代では梅雨時で、、、どうもいかん)


春の霞  春の月は「おぼろ月」

有明の月  25日頃の細い月が、明け方に、

夏は 卯の花・・・ほととぎす

秋は もみぢ・・・鹿 (でも鹿の声を聴いた人はいるのかなぁ〜と)


・紀 貫之
  袖ひじて むすびし水の こほれるを  春立つけふの 風やとくらむ

・藤原 定家
  ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば  ただ有明の 月ぞのこれる

・藤原 敏行
  秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども  風の音にぞ おどろかれぬる

・藤原 俊成
  けふはもし 君もや訪ふと ながむれど  まだ跡もなき 庭の雪かな


※ ゆったりとした語りで、丁寧な解説で、聴き易かった。
  有難うございました。  



◆ ミュージアム連続講座
難波市民学習センターで行われた「ミュージアム連続講座」を聴講した。

市内の博物館の先生方が講義されるもので、
今回は「大坂の陣から400年」という節目の年にちなんで、
3週にわたり(6話)の連続講座でした。
 第1回目(1月30日):「大坂の陣と「大阪」再論!」

   仁木 宏 先生(大阪市立大学大学院文学研究科教授)
      ★16世紀「大阪」論 −秀吉は何故、大坂を選んだのか

   宮本裕次 先生(大阪城天守閣 研究副主幹)
      ★「大坂の陣」の意味を考える


 第2回目(2月6日):「うつわで語る豊臣時代の暮らしともてなし」

   松尾信裕 先生 (大阪歴史博物館 研究主幹)
      ★大坂出土の桃山陶磁

   重富滋子 先生(大阪市立東洋陶磁美術館 学芸員)
      ★秀頼公さま、お成り


 第3回目(2月13日):「屏風絵から読み解く」

   黒田慶一 先生(大阪文化財研究所 主任学芸員)
      ★エッゲンベルク城豊臣期大坂図屏風と征倭紀功図巻

   知念 理 先生(大阪市立美術館 主任学芸員)
      ★大坂の陣と洛中洛外図屏風


   毎回1時間半の講義を、二人の先生が連続で話される・・・
   ちょっと慌ただしい感じでしたが、新たな体験が多多あり、
   有意義な時間を過ごすことができました。


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2014年 




■ 住吉大社セミナー 2014

主催  住吉大社
場所  住吉大社 吉祥殿

・2014年2月24日(月)  「古代の住吉大社と相撲の起源について」

   講師 :龍谷大学 教授 平林章仁 先生
1)住吉神と住吉津
   『古事記』神代記の紹介

2)住吉津と津守連氏
   『日本書記』神功皇后摂政前紀の紹介

3)住吉大社の相撲会
   藤原定家の『熊野御幸記』の紹介

4)相撲の起源、伝承
   『日本書記』 垂仁天皇紀の紹介

<参考> 2013年から春場所の直前に、
   住吉大社第一本宮前にて、両横綱の土俵入りが奉納されています。
       


2013年  初めての「土俵入り」の様子
http://ffuu.seesaa.net/article/339853718.html

・2014年3月17日(月)  「住吉大社と与謝野晶子の周辺」

   講師:立命館大学 教授 田口道昭 先生
・与謝野鉄幹、与謝野晶子、山川登美子

・晶子が書いた住吉大社のお渡りの様子


・2014年4月21日(月)  「芭蕉の住吉詣」

     講師:大阪城南女子短期大学 教授 小林 孔 先生
芭蕉の最後の旅となった『芭蕉の住吉詣』について、

  ・なぜ大坂に来たのか? 弟子達の確執の仲裁では無いようだ・・・

  ・大坂に入って 何処に逗留したか?
    一般に言われる生玉さんではなく、長町6丁目付近だぁ〜

芭蕉、蕉門の手紙や文献・地図を使って、詳しく解説された。

   <参考>  芭蕉の最後の旅に関連する「句碑」まとめ集

・2014年5月19日(月) 「古代の海の道と住吉」
       
     講師:立命館大学 教授 片平博文 先生
・神社の位置や方位、参道の方位などを、現在の地図上において考察、推考する。

・兵庫の長田神社、生田神社の考察


・2014年6月9日(月)  「住吉の伝説と浮世絵」
       
     講師: 立命館大学 教授 赤間 亮 先生    
浮世絵(錦絵)の紹介でした。

住吉大社関連の錦絵は、「浪花百景」(長谷川貞信 画)等を知っていて、
  以前から集めていていたんですが・・・
今回、新発見がありました。
  「滑稽風俗浪花名所」「滑稽浪花名所」というのもあるんだ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−

★大阪府立図書館 『 錦絵にみる大阪の風景
  http://www.library.pref.osaka.jp/site/oec/nishikie-meisho.html

★大阪市立図書館 デジタルアーカイブ
  『 Webギャラリー
  いままでに展示されたWebギャラリーの一覧
  http://image.oml.city.osaka.lg.jp/image/themes/themeold.html

これらを見れば、江戸後期から明治初期にかけての、
大阪の錦絵や写真を観ることができますよ

=====反橋で転倒している絵===========
大阪市立図書館
<過去のWebギャラリーの一覧>の中に、
 「図会(ずえ)・絵はがきにみる大阪」<2013年04月01日 〜 2013年06月30日>
   http://image.oml.city.osaka.lg.jp/image/themes/theme1290.html

 ◆「滑稽風俗浪花名所」 十日戎 【画:作者】耕渓
   その4に「住吉之図」・・・反橋で転倒している図、見つけました。
    (講演資料 P3右上の図です)


※無断転載禁止なので、ご自身でアクセスし ご覧くださいませ。




・2014年7月7日(月) 「海の祭祀と古墳」

    講師: 兵庫県立考古学博物館 館長 石野博信 先生
・日本と韓国の出土品の類似

・福岡の宗像大社の沖津宮(沖ノ島)の例

・韓国にも「前方後円墳」が点在する。


・2014年8月4日(月)   「住吉開帳」

     講師 :八木意知男 先生(住吉大社教学顧問)
・お寺で秘仏を公開することを「ご開帳」というが、神社ではあまり使わない。
・似たものとして、「虫干し」「虫払い」がある。
   住吉大社や神宮寺では7月7日に、書物、衣服の「虫干し」が行われていたようだ。
   正印殿ではやはり7月7日に、正印の確認が行われた。
    

<備忘録>
  ・正印殿 (しょういんでん)とは、住吉大社の神印を納め置いたところ。

  ・正印殿は、住吉大社宮司の津守氏の邸内にあった。

  ・南北朝時代、後村上天皇はたびたび住吉大社に行幸し、正印殿を行宮にした。

           



・2014年9月8日(月)  「住吉大社の浦島伝説と一寸法師」

    講師:立命館大学 三浦俊介 先生
浦島伝説
  ・「日本書記」の紹介
  ・「万葉集」の紹介
  ・「日本昔話大成」の紹介

一寸法師
  ・「お伽草紙」の紹介
  ・「日本昔噺」の紹介

<参考> 2年前に新造された「種貸社」。 住吉大社の末社の一つですね。
最近、その周囲も綺麗に整備され、立派な石の鳥居もできました。
ここに、一寸法師の解説板、お椀の船が置かれています。
  
 手水も・・・一寸法師が。

・2014年10月20日(月)  「さまざまな住吉物語」
       
     講師: 立命館大学 特任教授 中西健治 先生
『住吉物語』とは、

中納言の姫君が、継母の計略を知って住吉の尼のもとに逃れる。
 (要するに継子いじめ)
姫君を慕っていた中将は、姫君を探し求め、長谷観音に祈って、住吉で姫に巡り合い、
共に帰京する。  めでたし、めでたし。


・「源氏物語」や「枕草子」に、この『住吉物語』書名が現れので、
   住吉物語の原型は平安時代に成立したとみられる。

・「一寸法師」や「小男の草子」の一部が下地になっているようだ。

・『住吉物語』の写本、絵入り版本、奈良本、嫁入り本など、
   さまざまな形態で200種類ほど残っている。

・長谷観音の霊験で姫に合えたんだから「長谷物語」となりそうなのに、???
   神は住吉大明神、仏は長谷寺観音なり・・・という記載もあるそうな。

・最近の活字注釈本 3件・・・岩波、笠間、小学館。

・写本されていく度に、いろいろ脚色が加わり、内容も変質していくそうです。


・2014年11月10日(月)  「伊勢斎王と難波の三所禊」
       
     講師: 皇学館大学 名誉教授 渡辺 寛 先生

天皇に代わって伊勢神宮に仕えた皇女「斎王」のお話。

『斎王』は、天皇に代わって伊勢神宮に仕えるため、
  天皇の代替りごとに皇族女性の中から選ばれ、
  都から伊勢に派遣されました。

その際、何度も“禊”して赴いたことが、延喜式にかかれている。
  それは神に仕える身としては、当然かもしれませんね。


ところが、役を終えて帰京する際の旅程が記載された「江家次第」には、
 ・10日間、伊勢→伊賀→奈良→山科→最後は船で淀川を下り、難波津で禊を行った。

 ・“三所禊”という。
     三津濱下方禊・・・ 住吉(墨江)にて
     三津濱禊
     安雲口禊
 ・その後、河陽宮(山城の国 大山崎付近)を経て入京した。


なぜ帰京に際しても何回も“禊”をしたのだろうか??


先生の解説では
 ・伊勢行は、俗から神へ (神域へ入るため) “禊”をする。

 ・帰りは、神から「俗」に戻るけじめとして“禊”を行ったのだ。

    その名残の儀式が、今も各神社で行われている 「直会」(なおらい)です。


なるほど・・・と納得して帰りました。




2014年





2013年 




『 室町・戦国時代の遠里小野 』
   〜〜第39回 住吉区民教養セミナー〜〜
と き : 平成25年10月8日(金)
ところ : 大阪市立大学 学術情報総合センター10階 大会議室
講 師 : 仁木 宏 先生  (大阪市立大学大学院 文学研究科 教授)
 〜熊野街道と油生産の歴史文化〜
    ・中世の遠里小野は、荏胡麻(えごま)の産地。
        あかりの油で貴重なもの。 山崎の油商人との確執があった。

    ・遠里小野は堺と大坂を結ぶ熊野街道の中間にあり、
        戦国時代には、軍勢の駐屯地にもなったようだ。
        信長も大坂攻めの際に遠里小野に陣取ったそうです。

    ・戦国時代の遠里小野が、周囲を濠で囲まれた集落であることを解説され・・・
  知らなかった〜〜  本当に驚きました。
   さっそく わが町 遠里小野をチャリで巡ってみた。
   ↓↓↓
   遠里小野 環濠跡巡り

 http://www.geocities.jp/wdc558/sumi/oriono/kango.htm



■ 住吉大社セミナー 2013

主催  住吉大社
場所  住吉大社 吉祥殿

・2013年2月4日(月)  華実年浪草三餘抄
        〜十月条の住吉社的意義〜
   講師 :八木意知男 先生(京都女子大 名誉教授)
「亥の子餅」のお話。

・2013年3月25日(月)  「映像で見るモダン都市」
      〜〜映画『大大阪観光』〜〜
   講師:橋爪節也さん(大阪大学総合学術博物館 館長)
・大正14年(1925)に第二次市域拡張で日本第一のマンモス都市“大大阪”になった。
・大阪市の観光宣伝のために昭和12年(1937)に映画「大大阪観光」が制作された。
   <大阪市電気局(現在の大阪市交通局)と大阪市産業部>
・この映画(約28分)を中心に、昭和初期の大阪を解説された。
  ※古き良き時代を感じさせる場面が、、、楽しかった!
・ただ、市電、市バス、地下鉄、電気局 が色濃く登場するようです。

・2013年4月22日(月)  「上方の祭礼行列と奴振り」
         〜住吉っさん界隈の文学者たち〜
     講師:福持昌之さん (京都市文化市民局 文化財保護課)
・住吉大社の御田植神事の行列に登場する「奴振り」に関するお話でした。

・奴振りは、江戸時代の大名行列に見られる奴さんのパフォーマンス
   奴(やっこ)、中間(ちゅうげん)による荷物持ち
   奴行列、奴振り、槍振り、奴道中、奴踊り
   パフォーマンスは、挟箱、毛槍、立傘、台笠
   舞踊の三要素は、舞(旋回) 踊(跳躍) 振り(所作)

・住吉大社の御田植神事
  何度も観にいってるが、「奴振り」を意識して見たことがなかった。
  いい勉強になりました。

・2013年5月13日(月)  「住吉大社に育まれ 海を見つめた日々」
       
     講師:三木基実さん(前 海上保安庁 第3管区海上保安部長)
地元 安立小学校、三稜中学校のご卒業とか。
住吉さんの境内でよく遊ばれたとか。
住吉大社は、海の神さん・・・お仕事は 海上保安庁

  海の守り、海上保安庁の業務、変遷について・・・
  沖の鳥島、南鳥島・・・
  領海、排他的経済水域、大陸棚・・・
  貴重な体験談をお話いただいた、、、
有難うございました。

沖の鳥島、南鳥島、択捉島、竹島 尖閣諸島・・・あらためて眺めてみた!!

・2013年6月24日(月)  「大社領域における農業文化誌」
       
     講師 森下正博さん・・・なにわの伝統野菜応援団
      (三重大学卒、 農学博士、 元 大阪府立 食とみどりの総合技術 センター
住吉大社の御田植神事にまつわるお話

  6月14日の御田植の行事だけが注目されるが、
  その前後に多くの作業が・・・

  写真やビデオを使った説明で、「御田講」の皆さんの協力が良く解った。

   
※ 御田講の方など一部解説に加わられ、和やかな講演でした。


・2013年7月8日(月)  「住吉まつり と だんじり」
        〜消えた 堺と住吉のだんじり〜
   講師:森 吉隆さん (モバイルテレビジョン(株)地車事業局)
          (津久野地区  だんじり責任者だそうです)
・消えた住吉界隈のだんじり
   江戸時代から明治には、大依羅神社、生根神社、若松神社で
   だんじり曳行されていた。
   特に安立町では多くのだんじりがあったそうです。

・堺のだんじり
   住吉祭りに合わせて、堺市街では多くのだんじりが曳行されていた。
   明治29年、「堺地車騒動」で旧堺市内での地車曳行は禁止。
   しかし、旧堺の外の津久野地区・鳳地区や高石市・泉大津市では、
   現在も地車曳行が行われている。

・映像にて、各地区での地車の紹介、地車の素晴しい彫刻の紹介があった。

・2013年8月5日(月)  〜いちびり・はんなり・ほんまもん〜
      講師:野杁育郎(のいり)さん  (なにわ名物開発研究会)
広い分野な方々と交流を深め、なにわの名物で、大阪の元気作りに挑戦されている
素晴しいことですねぇ〜〜
でも お話は「ご自身の開発商品の宣伝・・・ちょっと??

・2013年9月9日(月)  「文学の杜・住吉大社」
         〜住吉っさん界隈の文学者たち〜
     講師:高橋俊郎さん (オダサク倶楽部副代表)
どうも近代文学には疎いので、あまり聞き入れなかった。(すんません)
  織田作之助も石浜恒夫も、作品も実際読んだ事ないし、
  宇田川文海・・・初めて聞く名前。

・2013年10月21日(月)  「大坂の郷土玩具とグリコのおまけ」
         〜大阪の年中行事とあそび〜
     講師:樋口須賀子さん (宮本順三記念館「豆玩舎・ZUNZO」の副館長)
・「グリコのおまけ」を手掛けてこられた、宮本順三さんの紹介
・彼が設立した 小さなおもちゃ博物館「豆玩舎(おまけや)ZUNZO」
   現在 東大阪市八戸ノ里駅の近くにあるそうです。

(講師の樋口須賀子さんは、故 宮本順三さんの娘さんです)

・2013年11月11日(月)  「蓄音機コンサート」
         〜住吉ニットーレコードの足跡をたどる〜
     講師:古川武志さん (大阪市資料調査会 調査員))
・昭和初期まで、住吉大社南門前に日東蓄音機(株)があった。

・ニットーレコードの足跡をたどりながら、蓄音機で懐かしい曲を聴かせていただきました。

・2013年12月2日(月)  「水都大阪をめぐる住吉信仰」
         〜船魂?〜
     講師:田野 登さん (大阪民俗学研究会 代表)
・フナダマ信仰につてのお話・・・:船玉 船霊 船魂





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2013年
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