雑草鉄路
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
〜 雑 草 鉄 路 〜
九州旅行(1983年8月11〜14日)その2
文章は1983年作品
●急行「日南」10時間47分
延岡で1時間以上もの余裕があったので、駅前を散歩した後、大衆食堂に入って少し遅い 昼食を取った。ふとテレビを見れば高校野球をしている。地元の市立尼崎高が頑張っており、懐かしい 甲子園を見ると「ああ、遠くへ来ちまったなぁ」と感じた。
延岡駅へ戻ると、次の列車表示には「特急にちりん11号」とある。予定ではその次の15時59分 発の鈍行客車列車で宮崎方面へ行き、飯でも食って上り急行「日南」に乗る事になっている。
ふと香川が尋ねた。
「あのにちりんは、何処まで行くんや」
「えと…西鹿児島行きや」
「西鹿児島まで行かへんか」
「えっ!」僕は驚いた。 別に西鹿児島まで行って往復する事を思いつかなかった訳ではなかったが、そんな一種の無駄な 行動を香川が承知する筈がないと思って、言わなかったのである。それを香川の方から 言い出して来た事に、僕は驚いたのだ。考えてみれば香川もサイクリング等で旅慣れており、 だからこそこの無駄な行動を思いつけたのだろう。一般人からは「西鹿児島まで行ったって、 どうせ40分程しかいられないのに何でわざわざ行かなくちゃならないんだ」などと言われそうだが 、旅人にとってはそこに行ったというだけで尊い思い出が出来あがるのだ。
にちりん11号は15時38分、延岡を発った。盆の真っ最中とあって3両しかない自由席は 満員だったが、高鍋あたりで僕も香川も座る事が出来た。
それから暫く眠りの中に入り、−どの辺りで目を醒ましただろうか、ふと外を見れば雨が 降っている。僕らは旅行中なので何も知らなかったが、この時には既に台風が鹿児島に 近づきつつあったのだ。
やがて特急「にちりん11号」が鹿児島湾側に出た。海は荒れ狂い、 空はどんより曇っている。列車の窓をポツ、ポツと雨の水滴が叩く。海の向こうにはかすかに 桜島が霧のベールをまとって見えている。その上には煙とも雲とも見分けのつかない黒い塊り。 嵐の中の鹿児島湾は灰色一色で僕らを迎えた。
19時12分、周囲が暗くなって来た頃、 列車は西鹿児島に到着した。急行「日南」がここを発車するのは19時50分だから、西鹿児島 には38分しか居られない訳であるが、ここまでわざわざ来たお陰で、急行「日南」によって 日豊本線を完乗できることになる。
駅構内の食堂で夕食を取る。平凡なカツ・カレーひと皿 にも、そこはかとなく薩摩の匂いがする。隣の席から薩摩弁でも聞こえて来ないかと耳を こらしたのだが…ざわついていて惜しくも聞こえて来なかった。
食事を済ませた後、 キヨスクで漫画を買い、改札を入ると急行「日南」はもう入線している。香川がトイレに行った ので一人でホームの端に立ってみると、ようやく鹿児島まで来たんだという実感が湧いてくる。 二人で旅して行くのも良いが、こうして一人でいると、一人旅のほうが色んなものを吸収できそうな 気がしてくる。二人よりも一人のほうが、かえって地元の人や相客たちと話をしやすいのも 確かだし、自分の吸収したい物だけを見て回れるという利点もある。
香川が戻ってきたので 列車内に入ると、中はガラガラだ。「日南」の自由席は5両もあるし、宮崎までは普通列車に なっているので、車内が混むとすれば宮崎辺りからだろうと推測する。
19時50分、“鈍行”「日南」は西鹿児島を発車した。列車は夜の日豊本線をのんびりと 走る。僕と香川は漫画を読んで過ごしていたが、やがて香川は寝てしまった。全くよく寝る奴 やなあと思い、漫画を読み終えて車窓に目をやった。列車は真っ暗闇の中を突いて走る。数分 経って小さな小さな駅に着く。黄色く揺れるホームの灯りは窓についた雨の水滴でぼやけている。 この雨は明日も降るのだろうか?明日の事が心配になってくる。
ふと車内に目を向ける。 まばやな乗客。女の子のグループの笑い声が時々響く。耳を澄ませば、恐らく薩摩弁なのだろう、 何を言っているのかさっぱり分からない。ああ、西鹿児島では聞けなかったさつま言葉を、ここで やっと聞けたな−。
僕自身、こんなにゆったりとした夜汽車の旅は初めてだったと思う。 降り返ってみれば、大垣発の鈍行夜行では何もわからない中学生の頃で、同席の高校生の兄ちゃん だけが頼りだったし、「山陰」でも満員になっており、亀岡まで下ってようやく座れたのだ。 そして先日の「ながさき」の混雑ぶり−。僕にとって、夜汽車ではあまり眠れるものではない という観念が生まれつつあったのだ。それを打ち払ってくれたのが今回の 「日南」と言えよう。いやゆっくり眠れた列車がもう一つだけあった。それがあの最後の客車 グリーン、急行「能登」であった。さすが急行と呼ばれる列車は、楽な汽車旅を僕らに提供 してくれる。
いつの間にか眠ってしまったようで、ふと目覚めると、列車は宮崎のすぐ手前 で、もう減速を始めていた。宮崎に着き、ここから列車は“急行”「日南」となる。乗客が どっと入り込み、やはり僕の推理は当たったなと自画自賛したが、立ち客が出るほどの混雑 ではなかった。
後は定かな記憶がない。もう眠りについてしまい、2時半頃に一度目覚めた だけで、次に目覚めた時にはもう朝になっていた。その日の朝日は眩しくて、とても印象的だった。
「日南」は6時37分、小倉に着いた。10時間47分、465.8km の旅は長時間乗車 の第1位、ロンゲスト乗車でも急行「能登」の473.1km に次いで2位という長いものだった。 また、この急行「日南」は、睡眠時間第1位という記録を与えても良いほどで、これ程充分な 睡眠をもたらしてくれた列車はちょっと見当たらない。正に『眠るため』の夜汽車だった。
●北九州・雑形客車の旅
翌日8月14日、いよいよ九州旅行最後の日が来た。
旅の最終日というのは、いつも何とも いえない思いが走る。もっと旅を続けたい、旅の世界にこのまま浸っていたいという旅への 執着心と、今日でやっと我が家へ帰れるという安堵感とがごっちゃになって、複雑な思いに なる。
香月線の旧型客車の車内。
小倉から133M電車で折尾へ、立体駅を下へ降りて香月行きの列車へ乗り込む。 香月行き125レは雑形客車で、オハフ33の、いわゆるチョコレート色の車両が混じっていた。 当然その車両に乗り込む。この雰囲気はいつ乗ってもいい。
数分経って列車は発車、次の 中間で筑豊本線と別れて、複々線だったレールはここから1本だけになる。
雑形客車で進む香月線は、もう採炭地という雰囲気はない。僕が想像していたような“ボタ山” もなく、沿線は住宅地といった感が強い。
15分程で列車は香月に着いた。香月駅は ホームが1本しかないものの、ホームと駅舎との間に広い砂地があり、記念碑らしきものも 立って終着駅らしい情緒がある。但し駅前には何もない。
入場券を購入してホームへ 戻ると、DD51は既に上りに向けて連結されていた。客車列車が終着駅(盲腸線の)に着けば、 必ず機関車を切り離し、逆方向へ持って行って連結するといった作業が行われる筈なので、 注意深く見ていれば結構面白いと思う。
7時48分、行きと同じ車両で折尾へ戻り、駅そばを啜った後、2駅先の遠賀川へ向かい、 9時27分発の室木線室木行き列車に乗り込んだ。室木線は6往復の列車全てが客車列車 だ。4両の列車には、チョコレート色の車両こそないけれど、古い雑形客車でローカル線 らしい風情がある。
9時27分、435レは定刻に発車した。沿線は平地の中を走って 行く。水田の緑が一面に広がり、その中をぽつり、ぽつりと民家が点在する。室木線は観光資源 が何も無いが車窓の風景はローカル線の原点といっていい程、緑が美しい。
室木駅にて。
9時49分、室木駅に到着。室木は終着駅のくせに無人駅だ。終着駅が無人駅というのは 高砂駅や山守駅、それに鶴見線もそうだった。海のすぐ近くを、黄色の国電が走ってたっけ…。
駅を出ても、駅前は何もない。人も4、5人しかいないし、鉄道の駅前らしさが全くない、 寂しい駅だ。駅を出てすぐ前に一軒、タバコ屋があるだけだ。そこの自動販売機で買った ジュースは美味だった。
駅に戻ってみると、「入場券、切符は鞍手駅で発売しております。 係員に頼めば、鞍手駅で切符を用意致します」と書いたポスターが張ってあり、一目で鉄道マニア 用と分かる。
室木駅ホームの更に向こうには新幹線の高架が見える。一時はこの室木線も 新幹線の資材運びで賑わったのだが、今は夏草やつわものどもが夢の跡といった感じである。 上り列車にも乗客は全くいない。
10時1分、列車は室木を出発。香川に「この室木線は なかなか良かったなあ」と言わせただけあって、この室木線は地味ながら情緒があった。
(筆者注・この香月線、室木線ともに、廃止され今では現存しない。)
●帰途
折尾に快速「さんべ2号」が到着した。11時19分。「さんべ2号」は、このあと下関で 急行となり、山陰線回りと美祢線回りの2手に分かれてゆく。本来なら鳥取まで行く筈なのだが、 折からの山陰大災害で山陰本線はずたずた。最近は東萩止まりになっている。
満員のまま「さんべ2号」は東へ、東へと進む。北九州の工業地を走って行くと、この4日間の 思い出が頭の中を駆けめぐる。門司を過ぎ、関門トンネルに入った。今度地上に出る頃には、 もう外は本州になっているのだ。
新下関に12時12分到着。ここで新幹線に乗り換えると、 帰途はあっけなく過ぎてしまう。あまりあっけなく過ぎてしまうのも何だから、福山で在来線 に乗り換えて、一路神戸へ…。
姫路を過ぎて、辺りの風景に見覚えがあるようになると、 もはや旅の世界は日常生活の世界へとバトンタッチしてしまう。
さようなら、旅の世界よ。 さようなら、国鉄のレールよ。また出会う時は、どうかよろしく。その時まで、達者で…。
(完)
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