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秘湯めぐりの旅(18)
<関山温泉・川中子温泉−茨城県>
1998.9.5-6
*1998年9月5日(土) JR常磐線→大津港駅→関山温泉
・JR常磐線に乗りながら思う
仕事を13時に終え、すばやく昼食をすませて、駅に向かい、武蔵野線、常磐線と乗り継ぐ、鈍行列車の旅に出た。7月に購入した「青春18きっぷ」が、まだ2回分残っていたので、それを使っての温泉巡りへ出かけることにしたのだ。汽車旅の良さは、のんびりと車窓の風景を追いかけることができることだ。常磐線に乗るのも久しぶりなので、以前の風景を思い出して、比べながら行くのも楽しい。その中で、駅前の様子が、だいぶ変わってきているようだ。再開発によって、広場が整備されされるのは良いが、どこも同じ様に均一化されていくのが、気にかかる。特に、地方都市に同じ様な、大手スーパーの巨大な建物を見つけることほど、味気ないことはない。ああ、この町には、以前下車した時、駅前通りに、風情のある商店街があったのに、今はどうなっているのだろうか?などと考えるとさびしい気がするのだ。どこの地方都市も皆、東京に右習えし、近代化の中で、個性が失われていくのはいかがなものだろうか....。そんなことを考えながら、車窓はどんどん流れていき、広々とした田園風景が広がるようになってきた。稲穂が頭を垂れ、黄色味を増してきている。今年の夏は、天候不順が続いたのだが、作柄はどうなのだろうか....。だんだんそんなことを思い浮かべるようになって、水戸駅が近づいてきた。ここで、いわき行きの普通列車に乗り換え、今度は太平洋を右手に見ながら北上することになる。今日は1日雨もなく、穏やかな日差しが続いていたが、もう日は傾き始めている。ぼんやりと、遠景に海を眺めながらまどろんでいって、定刻通り、17時半に茨城県最北の大津港駅に到着した。
・関山館に到着
「関山館」の外観 |
長い鈍行列車の旅も今日はひとまず終わり、駅前には宿からの迎えの車が停まっていた。5分も走って、山間地に分け入り、勿来の関に向かう山際に今日の宿「関山館」がたたずんでいた。周りには山と田畑しかない、1軒宿の温泉で、玄関前には落ち着いた庭園が造られていて風情がある。ほんとうに、山里にひっそりと建っているといった感じなのだ。こういう温泉旅館には、経験上“はずれ”はない。案の定、女将の応対もていねいで、2階の庭園のよく見える明るい部屋に通された。掃除も行き届いていて、室内も整い、今日は期待できそうだ。さっそく、一風呂浴びることにして、浴場に向かったが、そこには、“温泉分析書”が掲げられていた。それによって、看板には、関山鉱泉と書かれていたが、温泉法に適合した立派な温泉であることがわかった。5人も入ればいっぱいのポリ浴槽があり、沸かし湯だが、少しぬるめの入浴しやすい温度に保たれていた。このくらいの湯温がのんびり浸かるには最適だ。旅の疲れが抜けていく感じがして心地よい。
・海の幸に舌鼓を打つ
ゆっくり、温泉を楽しんで上がってきたら、すぐに1階大広間での夕食となった。さすがに、大津港や平潟港といった漁港が近いだけあって、新鮮な刺身や焼魚、カニが並んでいる。日本酒を冷やでたのんで、食事を始めたら、隣で食事をしていた、初老のカップルの男性と話が弾んだ。こういう、静かな温泉宿では客同士の語らいがとても楽しいのだ。結構、温泉巡りをしている方で、ここの温泉はどう、あそこの温泉はどうだったと温泉談義が始まった。温泉好きどおしだと話は尽きず、酒も進み、とうとう、9時近くまで話し込んでしまった。後は、部屋に帰って、酔っぱらったせいで、すぐ寝てしまった。
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・温泉の詳細なデータを知りたい方は→ 関山鉱泉温泉分析書
関山館の夕食 | 関山館の朝食 |
*1998年9月6日(日) 勿来の関→五浦海岸→川中子温泉→常陸太田→帰途につく
勿来の関の入口 |
・朝の散歩に勿来の関へ出かける
朝6時に起床し、6時半から恒例の散歩に出かけた。今日は暑くも、寒くもなく、曇っているものの、明け方の雨は上がったようで、外を歩くにはちょうど良い。この季節は蝶々やトンボも飛んでいて、とてもすがすがしいのだ。迷わず、勿来の関へ向け、道をとったが、前日主人から2㎞ほどの道のりだと聞いていたので、30分も歩けば着くはずだ。しばらく行くと、人家はなくなり、1車線の峠道となったものの、登りはそれほどきつくなく、渓谷沿いに進んでいく。森閑として、すれ違う車もほとんどなく、朝の空気を吸いながらどんどん上っていって、30分弱で勿来の関跡が見えてきた。公園のように整備され、沿道には、石碑が建ち並んでいる。案内板によると、古来から勿来の関を詠んだ歌人や俳人の碑と知れた。松尾芭蕉、清少納言などの有名人の碑も少なくないが、結構新しく建てられたものが多いようだ。碑の中を巡るようにして、上っていったら、頂上付近に「勿来の関文学館」が建っていた。ここには以前にも来たことがあるが、こんな朝早くに開いているはずはない。しかし、館前からははるか太平洋を望むことが出来、昔の旅人もこんな風に海を眺めたのだろうかと、その気分に浸ってみた。しばらく、そこにたたずんで足を休め、再び、来た道を戻っていったのだが、とても気分の良い散歩で、帰路はトンボや蝶々をカメラで追いながらの道行きとなった。
・宿の前の蝶々の乱舞
宿の前まで戻ってきたら、道を隔てた休耕田に黄色い蝶々が無数に舞っている。それが、とてものどかで、しばし足を止め、カメラで蝶々を捕らえようとしたが、なかなかうまくいかない。一点にカメラを構え、蝶々が来たらシャッターを切ろうとしたが、思うような構図にならず、かなり時間を費やしてしまった。それにしても、休耕田の背の伸びた野草の中を黄色の蝶々が飛び交う様はとても幻想的だった。こういう光景に巡り会えただけで、ここへ来た価値があると言うものだ。
・朝風呂と朝食
その後は、宿に戻り、朝風呂を浴びたが、今見てきた幻想的な光景を浮かべながら、のんびりと湯に浸かることができた。汗を流してからは、上がってきて、昨晩と同じ広間での朝食となったが、少し長い朝の散策だったこともあって、食も進み、おいしくいただくことが出来た。8時半過ぎには、荷物をまとめ旅立つことにして、駅まで送ってもらうことにした。とても印象深い宿で、また機会があったら来てみたいし、人にも奨めてみたいと思うのだ。大津港駅発9時7分の上り普通列車に乗るつもりでいたが、送ってもらう途中に、新しく、県立で岡倉天心の美術館が出来たと聞いたので、予定を変更し、そこまで乗せてもらうことにした。
茨城県立岡倉天心記念美術館 |
・五浦海岸で岡倉天心を偲ぶ
五浦海岸の六角堂 |
県立岡倉天心記念美術館は、9時にはまだ開館していなくて、30分ほど待たされることとなった。仕方がないので、岡倉天心の墓や六角堂のある方まで、ぶらぶら歩いてみることにした。以前にも職員旅行で訪れ、大観荘に泊まったことがあるが、この五浦に明治時代の日本画壇の俊英達が集まったのは興味深いことだ。せっかくの機会なので、じっくり見学することにして、岡倉天心の墓を訪れた後、見事な海岸美をみせる入江の方まで下りてみることにした。そこからは、六角堂を望むことが出来、あまりの景観の良さにつられて、カメラを構える場所を探している内に、岩場の海草に滑り、ズボンを濡らし、レンズフードを壊してしまった。幸いたいしたことはなかったが、充分気をつけなければ....。しばし、海岸美を楽しんだ後、9時半の五浦美術研究所の開門と同時に中に入った。展示を見ながら、岡倉天心の業績、その弟子達の活躍などこの五浦の地が日本画の発展に与えた大きさをあらためて噛みしめた。しかし、ここから見る太平洋の眺めはすばらしい。この雄大な景色が、芸術に与えた影響も大きかったのではと思わずにいられなかった。見学後は再び岡倉天心記念美術館の方まで歩いていったら今度は開館していた。高台の見晴らしのすばらしい所に作られた、新設の立派な建物だ。この中の岡倉天心記念室で再びその業績を学ぶことができた。しばし、見学の後、バスで大津港駅に向かい、この地を離れたが、日本画の歴史を再認識する良い機会となった。
日立電鉄の常北太田行 |
再び、「青春18きっぷ」を使っての普通列車の旅となったが、次はどの駅で下車するか、考えを巡らしながら、車窓を眺めていた。とても穏やかな日で、見え隠れする太平洋の景色がまばゆい。色々と逡巡した末に、とりあえず大甕駅に降り立つことにした。駅から、電話したら、川中子温泉で日帰り入浴が可能とのことで、ここから日立電鉄で行ってみることにして、駅前で昼食をすますことにした。長崎ちゃんぽんで腹を満たしてから、日立電鉄のホームへ行ってみたら、すでに常北太田駅行きの車両が1両ポツンと停車していた。ローカル私鉄では昼間に乗る客も少なく、のんびりムードが漂っている。ほどなくして、電車はホームを離れたが、大きくカーブを切って、JR常磐線から離れ、田園地帯の中をゴトゴトと進んでいって、10分ほどで、田圃の中の無人駅川中子に着いた。そこから、黄色くなりかけた稲穂の中を5分足らず歩くと、川中子温泉の建物が見えてきた。ほんとうに、田圃に中から湧き出した温泉といった感じで、少し古びた、外観がこの地域にマッチしている。玄関を入ると、売店をかねた受付があり、600円也を払って、入浴させてもらうことにした。上に掲げられている温泉分析書を見ると、沸かし湯ではあるものの、思っていたより成分の濃い確かな温泉であることがわかった。浴場も古びているが、立派な岩風呂で、少し茶色ががかったお湯がとうとうと注ぎ込まれていて、なめるとしょっぱい味がする。老人と孫がいっしょに入浴しており、そのやりとりがほほえましい。のんびりと、湯に浸かりながら、旅の汗を流し、湯を堪能した。上がってくると、大勢のお年寄りの声が聞こえ、カラオケでもやっているようだ。こういう田舎の温泉場はお年寄りの憩いと社交の場となっているのだ。そんな、喧噪を後にして、再び田圃の中の道を駅へと戻っていった。
★川中子温泉に入浴する。<入浴料 600円>
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・温泉の詳細なデータを知りたい方は→ 川中子温泉分析書
川中子温泉の外観 | 川中子温泉の浴槽 |
市立郷土資料館の外観 |
・常陸太田の街を散策する
再び、日立電鉄にゴトゴト揺られながら、終点、常北太田駅へと向かったが、以前、常北電鉄といっていた名残で、いまだに常北の名前が駅名にくっついている。その駅から郷土資料館へと足を向けることにしたが、観光案内所で聞くと、徒歩20分以上はかかるとのことだった。途中、台地の上へ登るためにしんどい思いをしながら歩き続け、落ち着いた町並みの一角に古びた建物を見出した。昔の市役所といった感じで、1,2階に展示がしてあった。そこを、一通りみながら、この街の概略をつかみ、すぐ近くにある別館の方にも立ち寄ってみた。古い造りの商店を展示場にして、葉たばこについて解説してあった。してみると、この地方の特産はタバコだったのかと認識を新たにした。所々に、古い町並みを残す商店街をゆっくり歩きながら、最寄りのバス停で時刻表を見てみると、駅行きのバスは行ったばかりのようで、次発まで1時間ほど待たなければならない。
「舞鶴城跡」の石碑 |
・舞鶴城跡と太田の落雁へ
少々疲れ、これ以上駅まで歩きたくないなあと思案していたら、この街が佐竹氏の古い城下町であることを思いだし、近くの城跡まで行って時間をつぶすことにした。ところが、観光パンフレットに従って行ってみると、城の面影はほとんど残っていず、小学校の校庭に「舞鶴城跡」の石碑が建っているだけで、公園にもなっていない。少し、がっかりしたが、周辺を回ってみることにして歩いていくと、高い塀に囲まれた一角がある。何なんだろうと巡ってみると、そこが、旧専売公社の工場跡地だと知れた。それで、さっきの展示のタバコと結びついて、妙に納得すると共に、その広い空き地に特産品の昔日を見る思いがした。再び、バス停に戻ろうとして、「太田の落雁」の看板が目に付いた。近江八景の中にも「堅田の落雁」というのがあったが、そのたぐいなのかと思って、路地に入ってみることにした。小道をしばし行くと、眺望の良い台地の縁に出て、そこに大きな石碑があった。案内板を見ると、水戸徳川藩の斉州公が、領内に定めた八景の一つとある。ただ、興味を持ったのは、それを定めて、青年に巡らせ、足腰を鍛錬する一助としたことで、時の領主は色々なことを考えるものだと感心した。今は、田圃が住宅地と変わり、落雁の趣が損なわれているのを残念に思いながら、バス停に戻ることにした。
・帰途に着く
バスはものの10分もたたないうちに駅に着き、今度はJR水郡線に乗って、水戸駅に着いた。その後は、往路と違ったコースをとろうと思い、水戸線経由で小山駅まで出て、東北本線に乗り継いで、戻ってきた。このように、自由にコースが決められるのが、「青春18きっぷ」のいいところだ。
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