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秘湯めぐりの旅(32)
<栃木県の4湯めぐり>
2001.8.11-12
インデックス
8/11やまゆりの湯温泉 | 8/11赤滝鉱泉 | 8/12寺山鉱泉 | 8/12喜連川早乙女温泉 |
*2001年8月11日(土) 古河市→小山市→やまゆりの湯→赤滝鉱泉
・古河文学館、歴史博物館へ
朝8時頃、自宅を出発したが、今日はお盆の帰省ラッシュにより、高速自動車道は大渋滞が予想されていた。最初から混雑を避けるために下道を行くことにして、日光御成街道から、国道4号線に出る道をとることにした。いわば抜け道で、比較的スムーズに車は流れていったが、幸手市手前で渋滞に巻き込まれた。しかし、思ったより時間のロスは少なく、10時頃には、利根川橋を渡って、茨城県古河市へと入っていった。ここは、江戸時代土井家、堀田家、松平家等の支配した古河藩のあったところで、10万石前後の城下町として、日光街道の 宿場 町として、また、利根川水運の河岸としても栄えた要衝だった。まず、ここに立ち寄っていくことにして、古河文学館へと車を向かわせた。ちょうど、「子どもの本の世界展」というのをやっていて、興味深く見学したが、古河が、歴史小説家永井路子の出身地だということも会わせ知った。続いて、隣接する古河歴史博物館へも回ってみたが、入口に渡辺崋山作の国宝「鷹見泉石像」の複製が掲げてあった。そういえば、古河藩は幕末に洋学者鷹見泉石が家老となっていたところだったのだ。展示内容も、鷹見泉石の洋楽関係資料を中心に充実していて見応えがあった。また、古河城の本丸は渡良瀬川の河川改修で無くなってしまい、現在歴史博物館の建っているところが、その出城の跡であることも再認識した。そこを出て、鷹見泉石の屋敷跡(鷹見泉石記念館)へも立ち寄ってから、再び車を北に向かって走らせた。
小山市立博物館の外観 |
・小山市立博物館を見学
国道4号線の間々田駅入口から左に折れ、少し入ったところに小山市立博物館がある。今回立ち寄ってみたら、ちょうど「発掘された日本列島2001」という企画展をやっていて、面白く見学した。最新の考古学の成果をこんなところで見られるとは思わなかったが、いろいろと知見を広げることができた。しかし、発掘が盛んになるということは、逆に考えれば、開発に伴うものが増えているということで、必ずしも喜ぶべき事ではない。発掘後は破壊されてしまうことも多いからだ。少なくとも、重要なものは遺跡公園として残すか、埋め戻して再発掘が出来るような状態で保存してほしいと願わずにはいられない。見学後は、調度昼飯時となっていたので、係員に教えてもらった、思川を渡ったところにあるそば屋「三芳家」へと向かった。
昼食後は、再び北上を開始したが、かなり時間を使ってしまっているため、国道新4号線に出て時間を稼ぐことにした。こちらは、順調に流れていて、宇都宮市街を迂回して、塩谷町へと向かった。この町域には6つの温泉があると聞いているが、どこに入ろうかと思案して、とりあえず船生温泉「うぶ湯」へ向かうことにした。国道461号線からそれ、細い畦道のようなところを走って、やっと田んぼの中に「うぶ湯」を見つけたものの、9月まで閉鎖中という張り紙がしてあった。仕方がないので、来た道を戻って、町営の「やまゆりの湯温泉露天浴場」へ行くことにした。そちらの方は、国道から少し入った町営老人福祉センターの並びに建っていて、ちゃんと営業していた。大人の入浴料は200円と安い、しかも結構立派な岩の半露天風呂で、お湯も大量に注ぎ込まれていた。温度もちょうどよく、ヌルヌル感のある透明な湯で、ゆったりと足を延ばして、朝からの運転疲れを癒した。これは、なかなか気分が良い。決して大きな施設ではないが、穴場的な温泉ではないかと気に入って湯から上がってきた。
★「塩谷町やまゆりの湯温泉露天浴場」に入浴する。<入浴料 200円>
| *一般的適応症(浴用) 神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え症・病後回復期・疲労回復・健康増進 *泉質別適応症(浴用) きりきず・やけど・慢性皮膚病・動脈硬化症・虚弱児童・慢性婦人病
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「やまゆりの湯」の外観 | 「やまゆりの湯」の露天風呂 |
「赤滝鉱泉」の外観 |
今日の宿泊地「赤滝鉱泉」へ向かって車を走らせていったが、矢板市街から八方ヶ原へ上ってくる県道までは、山道なものの、舗装されていて、まずまずのドライブが出来た。しかし、赤滝鉱泉・小滝鉱泉入口の看板で左折してからはハードダートの林道のような道になり、急勾配で谷底に下りていかなければならない。しかも、道は細く曲がりくぬっていて、慎重な運転が必要で、車高の低い車は底を摺るだろう。仮に、下りられたとしても、4WDでなければ、帰路に上ってくるのはたいへんだと聞いていた。坂の途中に駐車場があり「この先はジープでなければ行けません」の看板があったので、そこに車を停めて、残りの急勾配200mほどを徒歩で下っていくことにした。ただ、帰りに上ってくるのがそうとうしんどかったのだが....。谷底の川沿いの緑に包まれた異空間に、築200年という一軒宿の赤屋根の古い旅館が建っていて、女将さんが笑顔で出迎えてくれた。柱や板は黒光りしていて、全く、100年も時間が止まったような空間で、昔ながらの湯治場の姿を今に伝えている。玄関脇に、白に黒ブチの犬がいたが、もう14歳の老犬とのこと。よたよたと庭を歩いていたが、とても人なつっこくて、すぐにしっぽをふりながら寄ってくるのだ。女将さんの話では、この犬の若い頃は、1㎞先の赤滝まで、客を案内していったという。今は、もうそこまでは、歩けないそうだが、いかにもこの旅館にあっているという感じなのだ。案内された部屋は大きかったが、隣室との間は障子1枚、よく隣の声が聞こえてくる。お年寄りの常連客が湯治に来ていて、のんびりとくつろぎながら、語り合っているという雰囲気だ。一服していたら、「女性客が上がったので風呂へどうぞ」と、案内に来た。さっそく、浴室へ行ってみると、2,3人も入ればいっぱいという浴槽に木のふたがしてある。どけてみると赤味がかった、なかなか味わいのありそうな湯が入っていた。大きなバルブを開くと、源泉が出てくるので、飲んでみると少し酸味がある。ゆっくりと入って、汗を流し、上がってから、掲示票を見たら、泉質はちゃんとした単純酸性−鉄泉であることがわかった。後で聞いてみたら、まきで沸かしているとのこと、なんともいえない良いイメージなのだ。一浴後、部屋で休んでいたら、しばらくして感じのよさそうな娘さんが夕食を運んできてくれた。決して豪華ではないが、なつかしい家庭料理と言った趣で、量もちょうどよく、お酒を常温で2合たのんで、おいしく、飲みかつ食べた。ちょうど、NHKテレビでは「思い出のメロディー」をやっており、こういう温泉旅館の一夜にふさわしいと思って見ていた。その後は、心地よく床について寝てしまった。
☆赤滝鉱泉に泊まる。<1泊2食付 7,100円(込込)>
「赤滝鉱泉」のレトロな階段 | 「赤滝鉱泉」の浴槽 |
| *一般的適応症(浴用) 神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え症・病後回復期・疲労回復・健康増進 *泉質別適応症(浴用) 慢性皮膚病・月経障害
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「赤滝鉱泉」の夕食 | 「赤滝鉱泉」の朝食 |
*2001年8月12日(日) 赤滝鉱泉→寺山鉱泉→山縣資料館→喜連川早乙女温泉→ユーカリ温泉→帰途へ
・朝、雨で周辺の散歩を断念!
朝、6時頃に起床し、散歩に出かけようとしたが、外は雨、やみそうもないので今朝は断念することにした。代わりに本を読んで過ごし、7時半に朝風呂に向かい、もう一度、マキで沸かした酸性−鉄泉の感触を確かめながら、ゆっくりとくつろいだ。8時を過ぎた頃に朝食を運んできてくれたが、女将さんが、とてもきさくな方で、いろいろと昔の話をしてくれた。周辺の紅葉もきれいだが、新緑の萌葱色もじつにすばらしいとか、以前は、車で来る道もなく、徒歩で山道を上って湯治に来たとか、周辺はこの旅館の持ち山で、薪をとってきて、湯を湧かしているなど興味深い内容だった。こんな感じで100年もタイムスリップしたような湯治場に興味がある方は、ぜひ一度行ってみることをお奨めしたいが、泊まってみないとあの感じは味わえないと思う。ちなみに、帰り際に精算したら、飲み代は別で、1泊2食付き7,100円(込込)ですんだ。とてもリーズナブルで得した気分で、別れを告げて、坂道を上っていった。
駐車場まで来て、今度は寺山鉱泉を目指すことにし、地図で位置を確認して出発した。まだ小雨のぱらつく中、慎重に運転して県道に出て、後は山を下って右に曲がり、山里の小道をどんどん走っていった。車一台やっと通れるような道のどん詰まりに一軒宿の寺山鉱泉が建っていた。三方を低い山に囲まれた自然豊かな所だが、建物は、比較的新しい木造総二階建だ。さっそく案内を乞うて、入浴料500円也を払い、浴室へと向かった。男女別に分かれているが、浴槽は小さく、大人2人も入れば満杯だ。そこに、赤滝鉱泉のお湯を濃くしたような赤色の明礬緑礬泉が湛えられていた。源泉を飲んでみると鉄を含んだ渋みが口に広がったし、浴感もまずまず。ちょっと独特な雰囲気を楽しむことが出来た。
★寺山鉱泉「寺山の湯」に入浴する。<入浴料500円>
| *一般的適応症(浴用) 神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え症・病後回復期・疲労回復・健康増進 *泉質別適応症(浴用) 慢性皮膚病・月経障害
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寺山鉱泉「寺山の湯」の全景 | 寺山鉱泉「寺山の湯」の浴槽 |
山縣有朋記念館の外観 |
・山縣有朋記念館へ向かう
寺山鉱泉を後にして、今度は山縣有朋記念館へ向かうことにした。この那須野ヶ原一帯は、明治時代の殖産興業政策のもと官有原野の開拓が行われたところだ。それによって、大規模農場が展開したが、約4分の3は、華族の経営する農場となっていった。その一つが、山縣有朋ゆかりの山縣農場で、農地改革で農地だけは失ったが、広大な屋敷地と山林を所有して、今でも子孫が経営にあたっている。その一角に、有朋の別邸が移築されていて記念館として公開されているのだ。戊辰戦争の時には、官軍の参謀として活躍し、後に内相・首相にもなって、公爵の地位にあった有朋の別邸だけあって、絢爛豪華な木造2階建ての洋館で、内部にはすばらしい調度品が飾られている。そこには、有朋の事績や山縣農場の由来についても展示してあって、とても勉強になった。その後は、矢板市街まで下って、この地域の産業、経済などに貢献した矢板武の屋敷跡(矢板武記念館)を見学した。続けて、記念館を見学して、多くの知見を得た後は、喜連川早乙女温泉へ立ち寄ってみることにした。
15分ほど県道を走って、喜連川町内の早乙女集落で温泉の場所を聞いてみたら、山向こうの旧道沿いとのことで、大回りをしてようやく喜連川早乙女温泉へ到着した。ここは、歴史ある旧奥州街道に沿ったところで、江戸時代には大名行列の通った道なのだ。建物は普通の日帰り入浴施設といった感じだが、男女別になっている半露天風呂の浴室にはいるとその迫力に圧倒される。源泉64.0℃の硫黄を含んだ塩化物泉がとうとうと注ぎ込まれていて、大きな岩風呂の湯がきれいな緑色になり、硫黄臭が立ちこめている。聞くところによると、時間や天気によってお湯の色が透明になったり、乳白色になったりもするという。入ってみると、お湯はきれいで、浴感も悪くないので、のんびりと浸かっていた。洗い場で蛇口をひねるとお湯の方は源泉が出てくるようになっているのも面白い。大広間での休憩も出来、時間制限無しに1日入浴できるので、休みながら何度か入浴してみるのも良いかと思う。こんなところに、どうして極上の温泉が湧くのだろうと不思議に思いながら、次の温泉へと向かうことにした。
★「喜連川早乙女温泉」へ入浴する。<入浴料 900円>
| *一般的適応症(浴用) 神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え症・病後回復期・疲労回復・健康増進 *泉質別適応症(浴用) きりきず・やけど・慢性皮膚病・動脈硬化症・虚弱児童・慢性婦人病・糖尿病・高血圧症・動脈硬化症
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「喜連川早乙女温泉」の外観 | 「喜連川早乙女温泉」の浴槽 |
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