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秘湯めぐりの旅(38)
<岩瀬湯本温泉−福島県岩瀬郡天栄村>
2002.4.28-29
*2002年4月28日(日) 氏家→喜連川→芦野→白河→岩瀬湯本温泉
・ゴールデンウイークの旅へ
ゴールデンウィークの前半4/28-29は、1泊2日で福島県の温泉へ行くことにした。よく、ゴールデンウイークは、どこに行っても人ばかりで、道路も観光地も混むし、旅館だって満員でとれないよ、という人がいるけれど、私には、不思議で仕方がない。人の行く所へいくから混むのだし、人の行く道を走るから渋滞するのではないか。人の行かない所へ行き、人の走らない道を走れば混むこともないのに...。日本中には、あまり人に知られないが、良いところはたくさんある。毎年この方法で旅に出て、困ったことはほとんどない。でも、泊まるところだけはちょっと心配なので、予約の電話をしておくことにした。もちろん宿は空いていたが、福島県の岩瀬湯本温泉というほとんど知る人のない田舎の湯治場だ。
・旧奥州街道へ
今回は、往路に旧奥州街道を使おうと思って、早朝自宅を出た。江戸時代には大名行列が通った道だが、国道4号線や東北自動車道が出来て、忘れ去られてしまったルートだ。もう何度か走ったことがあるが、所々に並木や一里塚跡、道標、石仏などが残っていて、旧街道の雰囲気を感じられる道だ。宇都宮までは、4号線バイパスを使って、一気に北上したが、ほとんど渋滞らしいものはなかった。
ミュージアム氏家の外観 |
・白沢宿、氏家宿
旧奥州街道に入ってからは、道路も空いていて、スイスイと進むが、所々に杉並木が残っていて、昔ながらの街道であることを感じさせる。旧奥州街道の最初の宿場町白沢は、建物は新しくなっている家も多いが、町割りはそのままで、道の両側に用水が流れ、小さな水車がある。そこを通過すると、田舎道となり、江戸時代は、鬼怒川河畔から渡船で阿久津河岸へと渡った。しかし、現代では、少しルートをはずれるが、阿久津大橋を渡っていく。4号線に出て、少し走った戦国時代の勝山城跡には、ミュージアム氏家が建っていて、小休止していくことにした。ここは、まだ新しい氏家町立の博物館で、旧奥州街道の阿久津河岸、氏家宿の展示が興味を引く。荒井寛方など郷土ゆかりの作家の美術品も展示してあって、面白く見学した。受付で、旧奥州街道のルートを確認し、田園の田舎道を進んでいくと、伊勢の森、道標、馬頭観世音碑などを過ぎて、氏家宿へと入っていった。家は建て変わって、昔の宿場の面影をとどめているものは少ないが、かつてはこの地方の中心として栄えたところ、一気に通り過ぎて、喜連川宿へと向かう。
・喜連川から大田原へ
喜連川町境を越えて、弥五郎坂にさしかかる辺りは、早乙女と言い、以前入浴した 「喜連川早乙女温泉」 がある。その前を過ぎて、峠を下ると喜連川宿が見えてくる。ここは、足利尊氏の末裔、古河公方の流れを組む、喜連川氏5千石の城下町だったところ。町役場の所が、かつての城館跡で、大手門が復元され資料館となっていた。そこを見学し、さらに、次のルートを確認した。再び、車を走らせて、佐久山宿を通過して、大田原宿へと至り、昼食休憩したが、ここは、江戸時代に大田原氏1万千4百石余りの城下町だったところ。蛇尾川畔の竜城公園が、かつての城跡だが、戊辰戦争の激戦地で、東軍の猛攻にさらされたが、かろうじて落城はまぬがれたと聞く。
鍋掛宿の芭蕉句碑 |
・鍋掛宿へ
その下を通って、車を走らせていくと、曲がりくねった田舎道となり、鍋掛の一里塚跡を過ぎて、鍋掛宿へと入っていくが、ひっそりとした町並みだ。ここの加茂神社境内には、松尾芭蕉が 「奥の細道」の旅 でよんだ、「野をよこに 馬ひきむけよ ほととぎす」の句碑がある。1808年(文化5)に、この宿の俳人たちによって建てられたもので、安山岩で出来ていると聞いた。
・芦野の遊行柳へ立ち寄る
さらに進んで、越堀宿を過ぎ、寺子の一里塚跡を通って、芦野宿へと入っていくと「那須歴史探訪館」の看板を見つけた。以前来たときにはなかったので、立ち寄っていくことにしたが、新しい斬新な設計の建物で、日本を代表する建築家の一人、隈研吾氏の設計によるものとのこと。そこで、那須町の歴史を学び、遊行柳へと向かう。ここは、西行法師や遊行上人の伝説にまつわるところで、ここも芭蕉が 「奥の細道」の旅 で立ち寄り、「田一枚 植ゑて立ち去る 柳かな」の名句を残しており、1799年(寛政11)4月建立の句碑がある。その近くに、与謝蕪村の句碑「柳散 清水涸 石処々(柳散り 清水かれ 石ところどころ)」と、西行の歌碑「道のべに 清水流るゝ 柳かげ しばしとてこそ 立ちどまりつれ」も建っている。周囲は田園に囲まれ、訪れる人も希で、のどかな風景が広がっていた。しかし、芭蕉の旅を偲ぶにはかっこうの場所で、しばし風に吹かれながらたたずみ、何枚かカメラに収めさせてもらった。
芦野の遊行柳 | 与謝蕪村の句碑 |
・白河の関跡に到る
さらに旧奥州街道を進み、福島県境の手前から右折して、脇道へ入り、白河の関跡に到る。ここも、芭蕉が立ち寄ったと思われるが句碑はない。しかし、白河城主だった松平定信が立てさせた古関蹟の碑、能因法師の「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」が、平兼盛、梶原景季の歌と共に古歌碑として刻まれていて、見所も多い。ここで、昔の旅人がみちのくへ到ったという感慨に浸ったことが思い起こされる。近くにある白河関の森公園には、1989年(平成元)、「おくのほそ道」紀行300年を記念してに建てられた芭蕉と曽良の像があった。
古関蹟の碑 | 芭蕉と曽良の像 |
・白河小峰城を見学
それからは、白河小峰城へ向かったが、ここは戊辰戦争の激戦地で、東軍と西軍の主力間での攻防戦があり、落城している。その時、三重櫓は焼失し、建物はすべて壊され、石垣と堀を残すのみとなっていたが、1991年(平成3)120余年ぶりに、三重櫓が史実に基づいて木造復元された。現在では、みごとな石垣の上に白と黒の勇姿を見ることが出来、内部も見学できる。復元に当たっては、出来る限り史実に基づいて行われたため、階段も急で、当初は防災上の観点から最上階まで登閣することができなかったが、今では、人数を制限しながら登れるようになっている。二の丸跡にある「白河集古苑」で、阿部家の名品、結城家古文書を見学してからは、羽鳥湖畔を経由して今日の宿泊地へと向かった。
白河小峰城の三重櫓 | 白河集古苑 |
岩瀬湯本温泉「分家」の外観 |
岩瀬湯本温泉は、漫画家つげ義春氏が何度も訪れ、イラストにも描かれている昔ながらの湯治場で、共同浴場を取り囲むように茅葺き屋根の温泉旅館が数軒あり、100年も歴史が止まったようなたたずまいが残されている。この温泉には、1989年以来13年ぶりの再訪となるが、前回泊まった「本家星野屋」は、ご主人が亡くなってもう営業していないとのことだったので、「分家」の方へ泊まることにした。ここも、今では、希少価値となった茅葺き屋根の温泉旅館だ。ガラス戸には、電話番号七番と書いてあり、式台も柱も黒光りしていて、歴史を感じさせる。聞くと、戊辰戦争で焼けた後の再建で、築130年は経っているとのこと。かわいい娘さんが応対してくれたが、とても親切丁寧で、感じがよい。2階の部屋に荷物を置き、一服してから浴室へと向かう。男女別の檜風呂は、源泉48℃の塩化物泉の掛け流しで、心地よく長旅の疲れを癒してくれた。上がってから、部屋でくつろいでいたら、階下での夕食の準備が整った。囲炉裏が切ってある部屋で、食事も旬の地物を出してくれて、岩魚の塩焼き、鴨の陶板焼き、ハヤの唐揚げ、鯉のあらい、山菜のテンプラ、蕎麦粥などを美味しくいただき、冷やで酒2合を飲みつつとても満足した。後は、部屋に戻って、明日のコースを考えたが、会津市内へ至って、戊辰戦争関係の史跡を巡るのはどうだろうかと...。そんなこんなを思案しつつ、テレビを見ていたら、眠くなってしまった。
☆岩瀬湯本温泉「分家」に泊まる。<1泊2食付 9,450円(込込)>
岩瀬湯本温泉「分家」の檜風呂浴槽 | 岩瀬湯本温泉「分家」の囲炉裏 |
| *一般的適応症(浴用)
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岩瀬湯本温泉「分家」の夕食 | 岩瀬湯本温泉「分家」の朝食 |
岩瀬湯本温泉「分家」の公式ホームページへ |
*2002年4月29日(月) 岩瀬湯本温泉→会津若松→喜多方→帰途へ
・朝の散歩の後、共同浴場へ
翌朝は、カメラを持って温泉街を散策したが、旅館以外にも何軒か茅葺き屋根の民家が目に付き被写体に事欠かない。近くの里山は、新緑の萌え出る頃といった趣で、淡い黄緑色の遠景が何とも言えない心地よいバックを成している。中心部には、素朴な共同浴場があり、宿泊客は無料で朝湯もできると聞いたので、立ち寄ってみた。建物はコンクリートを固めたような平屋で、男女別の入口は分かれているものの、脱衣場は衝立一つ、浴槽は完全に混浴だ。女性客でも、入ってきたら...と思ってみたが、そんな心配もなく。湯は、こんこんと注ぎ込まれ、一人で湯に浸かっていると、都会での煩わしさを忘却してしまいそうだ。ああ〜、素朴な自然と静かな人の営みがある村で、のんびりした時間を過ごし、リフレッシュしながら、時は過ぎていく。至高の一時を経て、宿に戻ってきたらほどなくして朝食となった。
★岩瀬湯本温泉「共同浴場」に入浴する。<宿泊者 無料>
岩瀬湯本温泉「共同浴場」の外観 | 岩瀬湯本温泉「共同浴場」の浴槽 |
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・会津若松市内を巡る
9時前に宿を立ってからは、会津若松市内へ向かい、まず史跡「旧滝沢本陣」を見学した。その後、飯盛山へ行って、白虎隊の墓や自刃の地、白虎隊資料館などを回った。続いて、会津鶴ヶ城にも行って戊辰戦争の関係の史跡を巡ったのだ。
史跡「旧滝沢本陣」 | 会津鶴ヶ城の外観 |
・喜多方でラーメンを食べる
昼食は、喜多方まで車を走らせ、有名な「上海」のチャシューメンを食べ、大和川酒蔵を見学し、うまい日本酒をたらふく試飲する。そして、有名な「笹屋旅館」の蔵座敷も見学して帰途についた。天気にも恵まれ、たいした渋滞にも巻き込まれず、とても良い1泊旅行となった。
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